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1. 松本市

 神楽坂魔導士予科学校の疎開先は、長野県松本市の西側、北アルプス山脈の麓にあった。


 元は陸軍の駐屯地だったそうで、まばらに草の生えた練兵場の隣にたくさんの兵舎が建ち並んでいる。


 授業を行う場所は、元々座学や机上演習を行うためにあった建物を講義棟として使用。食堂はそのまま使える状態だった。


 一方の宿舎はというと、二人部屋になっていた。当然元々兵舎だった建物を使うことになるわけだが、歩兵一個連隊を収容できたというキャパシティに対して、神楽坂予科の生徒数はその十分の一以下であるため、各施設、建物は広々と感じる。


 各部屋は元々一個分隊十名で使うところを二人で使っているため空間的な余裕はあるが、使っていないベッドがそのまま置いてあるので歩き回れる領域は少ない。

 机などというものはなく、使っていない寝台をテーブル代わりにして勉強している。


 そして環境が大きく変わったのが放課後の時間だ。全ての生徒が宿舎で暮らしているため夜になってもクラスメートと頻繁に出くわし、新鮮に感じる。


 放課後街に繰り出すなどということもできないため、生徒は皆部活に精を出すか、探索と称して方々を歩き回っていた。


 直人としては野原山々を歩き回るのは子供の頃に戻ったようでとても楽しい。


 肝心な食生活も劣化するといったことはなく、野菜、米は豊富に提供され、豚や鳥さえ食べられる環境で、基本常に空腹状態の生徒達を大いに喜ばせた。


 が、無論世の中良いことずくめということはない。


 生徒達にとって最大の不満が、土日の農作業だった。土曜日午前の授業は消滅し、土日は朝から田畑に集められ農作業を強いられていた。休日の農作業が疎開を受け入れる条件だったらしい。


 神楽坂予科は帝都近郊の出身者が圧倒的に多く、どこの中学校もそうではあるが富裕層の子供が多い。畑作業などやったこともないという者が大半で、かなり苦労している様子だった。


 森林に囲まれた松本市において駐屯地の近くはなだらかな地形が広がっており、確かに比較的農業に向いた土地ではある。


 ただ、耕す面積は広大なもので、直人達式神所有者は御佐機に憑依して重機扱いされていた。もう実質上の開拓である。


 都会の味を知ってしまった直人としてもこれから卒業まで休日は農作業をするのかと思うとげんなりする。もう初心だったあの頃には戻れないのだ。


 直人の身の回りでそれ以外の変化は、巡航部のメンバーが増えたことだ。


 疎開先に来てからすぐ、直人、みなも、茜の三人は部員を二人増やす旨言われていた。


「市ヶ谷大本営からの要請だ。訓練機も用意される」

「え、御佐機が貰えるんですか!?」


 驚いた直人は、包帯がだいぶ取れた京香に聞き返す。


「そうだ」

「太っ腹ですね」

「そうする理由があると言うことだろう。私もまだ詳細を知らされてはいないが、長野県北部は何というか、治安が悪いらしい」

「私達に警備でもさせるつもりでしょうか」

「おそらく、な」

「巡航部の目的は変わらないってことですね」

「そういうことだ。入部希望者の中から改めて適正試験を行い、新入部員を選抜する」


 それから新入部員が増えるまでの間、直人達は週三回ほど放課後に空を飛び回っていた。

 治安が悪いと聞いた北部についても赴いてみたが、空から見た限りではとくにおかしな様子はなかった。


 巡航部の部室としては使ってない兵舎を一つあてがわれた。主にみなもと茜によって私物が運び込まれ、数日後には質素な兵舎らしからぬ、生活感のあるくつろげそうな空間になっていた。


 そして疎開から二週間ほどたったある日、巡航部の部室に松葉杖をついた京香がやってくる。


「では、新入部員を発表する。入れ」

「ほう……これが巡航部の部室か」


 夏場だというのにマントをつけて入ってきたのは直人のよく知った少年だった。


「ってお前かよ」

「そう。俺だ。天龍焔だ!」


 間宮亮太。直人のルームメイトである。


 変人ぞろいと言われる演劇の一員で、特に酷い酔狂人というのが直人の印象だった。率直に言って頭がおかしい。


 背は平均。肉付きは普通で顔立ちには個性がない。オールバックの髪型が個性を出そうという努力を伺わせる。


「おっす」


 その後ろから入ってきたのは久世健児だった。


「それとお前か」


 疎開前は直人の左斜め前に座っていた大柄な少年。


 せっかく部員が増えるとあっても、俺の交友範囲は広くならないらしい。


「部員増加にあたって零式練習機を三機受領した」

「おお!」

「一機は予備だ。間宮と久世は零精を使って訓練を行う。私はこの有様だから、練習内容は水無瀬に任せる」

「じゃあ土日飛んでもいいですか?」

「現状では、村人達は機材が増えたと喜んでいるからな。許可されそうにない」

「初めて御佐機を持つ人間を放課後だけで飛べるようにするのは無理ですよ」

「確かに。それについては市ヶ谷から動きがありそうだから。しばらく待て」

「そうっすか」

「では私は戻る。予備機体の依り代は置いておくぞ」


 京香はそう言うと、軍刀を一本寝台に置き、去って行った。他二本の軍刀は、既に健児と亮が腰に差している。


「健児お前なんで巡航部希望したの?」

「野球を極めるうえで、身体の使い方を一から見直すべきだと思ってな」

「我が右手が、疼いたのさ」

「それ魔導士向いてねぇよ」

「刀握れないじゃない」

「その包帯怪我してるの?」

「封印されし暗黒の意志がな――」

「茜反応するのをやめろ。こいつは話が長い」


 直人は疎開先で相部屋になってからというもの、思い知らされていた。

 動きもどこか芝居がかっているし、言ってることもよくわからない。


「じゃあ二人とも魔導士になりたくて巡航部に来たわけじゃないってこと?」

「無論、部活は真面目にやるぞ。御佐機操法は学ぶべき点がありそうだ」

「全ては、鬼神炎月流の導きだ」

「え、なんか試験してたのは知ってるけど、面接とか無かったのか!?」

「無かったぞ」

「俺の心を読むことはできん」

「教官……」


 何故だ。俺の尊敬する鳴滝教官が、こんな初歩的なミスを犯すなんて。


「教官は根っから真面目な人だから、不純な動機で部活をする人間がいるとは思ってないのよ」


 頭を抱えそうになる直人にみなもが言う。


「ねぇ、その鬼神、炎月? 流ってどこの流派なの? 間宮君どこの出身だっけ」


 茜だけが無邪気に相手になっている。


「うっ……そうだな。闇の黙示録の隠し場所、とだけ言っておこうか」


 茜の純粋な目に一瞬動揺したかに見えたが、なんとか己を貫いた亮太。それを見て直人は小さくため息をついた。


「それは亮太の妄想の剣術だ。試してみたけどめっちゃ弱かったぞ」

「あん時は思いっきり叩きやがって!」

「お前こそ毎晩わけわからんこと言いやがって!」

「ふふ。お前の頭では理解できんようだな」

「あ、今俺が馬鹿だって言ったろ!」

「ん? いや、別にそういうわけでは――」

「猛訓練してやる。覚悟しとけよ!」

「や、やり過ぎてはいかんぞ。俺の内なる波動が暴走してしまうからな」

「そういう人は魔導士向いてない……」


 みなもが呟く。


「練習すれば上手くなるよ。間宮君よろしくね」

「お、おお。……あ、そうだ。俺の事は天龍、あるいは焔と呼べ」

「焔? なんで?」

「俺の真名マナ――」

「あだ名が欲しけりゃ『りょーちん』なんてどうだ?」

「はは。そいつはいいな」

「せ、せめて亮で頼む」

「よし。じゃあ早速始めるか」

「内なる欲求を抑えきれんというわけか」

「平日しか練習できないからな」


 そう言って直人は部室の外に出て、四人が後に続いた。


 左手にはなだらかな斜面が広がっている。遠くには湖を臨み、暇なら一句読みたくなる風景だ。

 夏を感じる雲も相まって、郷愁という言葉がしっくりくる。


 小川や巨大な岩などもなく、訓練にはうってつけだ。


「歩行から始める。健児と亮は憑依しろ。……ポーズは取らなくていい。なんだよその構え」

「零精!」


 二人は御佐機の名を呼び、零精へと憑依した。


「適当に歩き回ってみろ」

「これは……この憑依というのは、身体は軽いが……感覚が重い」


 健児の言葉は直人にも覚えがあった。誰でも初めはそんな感じだ。


 日本の御佐機は操縦しやすいという話を聞いたことがあるが、零精は日本の御佐機の中でも最も操縦しやすい部類らしい。訓練機としてはうってつけと言えるだろう。


「あ、歩けと言われても……足の感覚が、うおっと」


 亮は前に転倒しそうになり、なんとか両手をついた。


「市ヶ谷神道流の基本は何だ?」

「脱力だな」


 健児が答える。


「その通り。余計な力は不要」

「そんなこと言っても、力を抜いたら……倒れちまう!」

「あはは。無様だなぁ、亮」

「くそぉ!」

「これは確かに、トレーニングになりそうだな!」

「いや御佐機に憑依して筋トレしても意味ねぇから」


 何故かブリッジ状態の健児に直人は言う。


 どれだけ素養のある者でも、御佐機に憑依すると感覚と思考に対する反応がワンテンポ遅れる。これが今二人が苦労している理由だ。この遅れは訓練で短くできるが、完全に無くすことはできない。


 そのため最初は立ち上がることすら苦労するが、次第に身体で理解してくる。

 御佐機で動き回るのに余計な力は不要であると。


 重心移動と足さばきだけで剣は振れるし走り回れる。その感覚を養うための、市ヶ谷神道流の授業なのだ。


 二人とも一年以上市ヶ谷神道流の鍛錬を続けてきたのだから、御佐機に憑依しても同じなのだと、時間が経てば理解できるだろう。


「ねぇ直人君。私達は何すればいいの?」

「あー……まぁそこら辺飛び回ってるしか」

「直人君は?」

「俺はこいつら見てるしかない」

「え、じゃあこれから直人君に見てもらえないってこと!?」

「俺もそれはつまらんな」

「はぁ。もう少し使える男はいなかったのかしら」

「俺が使えないだと!? 見てろよすぐに……ぐぇっ」

「今日はこいつら見てる。さすがに危ない。明日以降の事は……後で考える」

「仕方ないわね……。茜、どうする?」

「うーん。じゃあ今日は北穂高を見てみようかなぁ」

「そうね。じゃあ直人、行ってくるわけね」

「あ、ああ」


 軽やかに離陸していった女子二人を見送り、直人は男子二人に視線を戻す。

 すると四つん這いの亮太がこちらを見ていた。


「……なぁ直人。御佐機飛ばしてみていいか?」

「それでお前が機材壊したら、教官もお前の退部認めるかもな」

「まずあんよから始めろというわけか……」

「どうだ直人! 俺は立ったぞ!」


 健児が少し膝を折り曲げて言う。


「じゃあそのまま歩いてみろ」

「よし! う、うぉぉぉ!」


 そのまま後ろに倒れた健児の手が、四つん這いの亮太の頭を叩く。


「気を付けろ!」

「なんだお前。四つん這いで小鹿みたいな奴だ」

「ふっ。この時を待っていたのだよ!」


 そう言って亮太は健児を右手で押し潰すようにして立ち上がる。


「普通に立ち上がれんのか!」

「あるものは使えというのが鬼神炎月流の掟なのさ」

「俺は、普通に立てるぞ!」


 そう言って起き上がった健児は、一度前のめりになった後、今度は後ろに傾く。そこで亮太と接触し、両者は逆方向に倒れた。


 それから二時間。途中で帰ってきたみなもと茜に眺められながら練習を続けたが、二人は歩けるようにはならなかった。


「なぁ直人……こんなこといつまで続ければいい?」

「お前らが歩けるようになるまでだ」

「どのくらいで歩けるようになる?」

「最低四十時間訓練しないと、飛行は許可されない」

「それは教官が言ったのか!?」

「ん、ああ。そうだ」


 正確には早衛部隊時代にそうだったという話だ。直人は一番に歩けるようになっていたが、それでも四十時間は飛行禁止だった。


 そういえばこの二人には早衛部隊の話はしてなかったな。直人は思った。

 自分から話すような事でもないが、今や隠す必要もないのだから、早衛について聞かれたら話してもいいかもしれない。


「基礎練が大事というわけだな」

「今日はここまでだな。憑依を解け」


 直人の言葉に、二人は憑依を解く。


「言うことを聞け……俺の右手……! 戦えるようになったら、いくらでも吸わせてやる……」


 震える右手を抑えながら亮太が何か言っていたが直人は気にせず、部室へと戻る。


 窓は開いているがそこから西日が差し込んでおり、この季節は少し蒸す。


 電灯に照らされたテーブルの上には、お茶が入った直人のコップが置かれていた。

 直人はそれを一息に飲むと口を開く。


「明日も放課後に練習だ。土日使えないから、平日は毎日やるしかないな」


 新入部員を加えた初日の練習。直人はそう締めくくった。

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