16. 疎開
憑依を解くと途端に激痛に襲われる。しかも生身で戦ってから御佐機での連戦で、体力が限界だ。
病院に行くべきだが、歩いて行けそうにない。とりあえず部室で寝て体力回復してから行こう。
みなもは……まだ帰ってないのか。
畳の上に倒れ込んだ直人はそのまま気絶した。
寝ている間、誰かに身体を弄られていた気がする。人の気配も二つあった気がするが、目を開けても視界がぼんやりしていてわからなかった。
次に目が覚めた時は、意識もしっかりと戻ってきた。天井は……部室のものか。あとなにか、左半身に重いものが乗っかっている。そちらを見ると、みなもと目が合った。
「直人! 起きたのね……良かった……」
「お前なんで乗って……」
そこまで言いかけて、みなもの肩に服が無いことに気付く。直人が目を見開くと、みなもの顔に紅が差した。
「直人。目を閉じて。お願いよ……」
少し目元を潤ませた表情でそう言われたら、大人しく従うしかない。直人が目を閉じると、みなもが布団から出ていくのがわかる。その後、左から衣擦れの音が聞こえてきた。
となると、みぞおちに乗っかってた柔らかいものは……。しまった。もっと早く気づいていれば……。
「もういいわよ」
目を開けてそちらを見ると、すぐ傍にみなもが正座していた。
「……お前、何やってたんだ?」
「だって、貴方の身体、とても冷たいんだもの! 温めないと、死んじゃうかと……」
みなもが右手で両目をぬぐう。
「そ、そうか。それは……助かったな」
そういや俺も上裸だし、そういうことか……。
直人が身体を起こそうとすると、みなもが右手を伸ばす。
「急いで起きたらだめよ。輸血針が抜けちゃうから」
「あー。輸血してたのか。どうりで生きてるわけだ」
「血液型占いしておいて良かったわ」
「そういう伏線だったのかあれ」
「会話のきっかけから医療にまで役立つわね」
しばし沈黙する間、現状を確認する。
俺は布団の上に寝ている。負傷した箇所には包帯が巻かれている。外は、薄暗い。夕方ではないだろうから、朝方だろう。
「お前ずっとここにいんの?」
「ええ。家には連絡したけれど」
「心配してただろ」
「そうね。一応、怪我はないとかは伝えたわ」
「帰らなくてよかったのか?」
「それは、お医者さんが一晩いてくれるわけじゃないし、私が帰ったら困るでしょう?」
「まぁ、あっためてくれるし」
直人がそう言うと、みなもは顔を赤くして俯く。
「貴方が無事で……本当に良かった」
「ああ。なんかもうあんま痛くないし、大丈夫だ」
「もう傷が塞がってるのかしら。流石式神だわ」
「朝学校行けるかもしれん」
「流石に包帯は取れないから、一日休んでもいいと思うわよ」
「そうなると暇なんだよな」
「……じゃあ私も一緒に休もうかしら」
「つっても俺基本寝てるだけなんだろ?」
「それは仕方ないわね。一番治りが早いし」
直人は息をつくと、天井を見上げた。
いっそ寝てしまおうかと思ったが、ずっと寝ていたせいか眠気が来ない。
それに隣にいるみなもが動く気配もない。こうして見られていると、眠りにくいが……。
「お前なんで服着ちゃったんだよ」
「ええ!? いやだって、貴方の体温も戻ったし……」
みなもは狼狽えた表情をしていた。
「退屈なんだよな」
「た、退屈だから、私に脱げというの!?」
「俺が寝てる間だったのは、惜しかったなと」
「そんな……、ああ……でも貴方は命の恩人だし、仕方ないのかしら……」
みなもは俯くと顔に両手を当てて、身体を少しくねらせる。
改めて気付いたがこいつめっちゃくちゃ可愛いな。そう意識すると直人も恥ずかしくなってきた。
「あの……本当に、本当に私が脱いだら、嬉しい?」
「いや……冗談だ」
上目遣いで直人を見ていたみなもが、ガーンという音が聞こえてきそうな顔で衝撃を受ける。
脱がせた後の度胸が直人にはなかった。
「もう……いけずだわ」
ため息をついたみなもが少し寂し気に呟く。
まぁでも、せっかくの機会だ。
そう思った直人はみなもに微笑む。
「もう六月なのに、なんか寒いんだ。血が足りてないのかな」
「あら、そ、それはいけないわね」
直人が布団をすこし持ち上げると、どぎまぎした口調で答える。
一方の直人は努めて緊張を抑える。服はちゃんと着ているのだ。
失礼します、と小さく呟き、みなもが布団に入ってくる。直人の左胸に、みなもの滑らかな左手が触れた。
「……ドキドキするわね」
見透かされたようで悔しかったが、やり返すことはできない。これは一本取られたな……。
みなもは既に目を閉じていたので、直人も目を閉じる。すぐに動悸も収まった。
半覚醒状態の、穏やかな時間が流れる。時間の感覚はあまりなかったが、室内に日が差し込んでくる。夜が明けたらしい。
みなもは……学校に行くにせよ、一度家に帰った方が良いだろうな。
直人はみなもの肩を揺する。が、目を開けない。
「お前が熟睡するのかよ!」
そう言うと、みなもがようやく目を覚ます。
「あら……。安心したら、眠ってしまったわ」
少しはにかむように笑うと、みなもは立ち上がる。それにつられるようにして、直人も上半身を起こすとあぐらをかく。
うん。まだあちこち痛いな。
「直人、気分はどう?」
「血が足りねぇ」
「血? ああ、お腹が空いたのね」
「ああ」
「良いことだわ。もう大丈夫ね」
言い終わってから、みなもは一度伸びをする。
「ご飯作りたいけど、ここだと録に調理できないのよね。この時間じゃ出前もやってないし。購買は七時には開くのよね」
「開くぞ」
直人も日曜以外は購買のパンと牛乳で朝食としている。
「じゃあ購買で良いわよね」
「良いけど、お前、殆ど寝てないんじゃないか?」
「さっき少し寝たわよ。まぁ朝ごはん食べたら帰るわ」
「そうか。悪いな」
「いいのよ。私、捕まっていた時、怖かったけど、きっと貴方が来るって、それだけを考えていたわ」
そう言いながらみなもは直人の財布を手に取る。
「だから本当に嬉しかった。……お金、借りてくわね」
そう言って微笑んだあと、みなもは部室から姿を消した。
それに半ば見とれていた直人は思う。
これは……もう撃墜されてるかもしれんな。ま、みなもになら、負けてもいいか。
直人は輸血針を引っこ抜くとスタンドのフックに巻き付け、寝そべってみなもの帰りを待つことにした。
三、四〇分経ったろうか。みなもが牛乳とパンを大量に買って帰ってくる。
「開店前だったけど頼んだらいけたわ」
「空腹で死ぬ直前だったぜ」
「足りなかったらまた買ってくるわよ」
「これだけあれば十分。……高かったんじゃねぇか?」
「お金は後で返すわよ」
「よし。なら食うか!」
カレーパン、ミートパイという総菜パンの二強。コロッケパン、焼きそばパンという王道に加え、サンドイッチというハイカラな伏兵。それらを牛乳で流し込むと大満足だった。
「足りたかしら」
「腹いっぱいだ」
「良かった。なら、私は帰るわね」
「おお」
「夕方に様子を見に来るから。無理したら駄目よ」
「わかった」
「……そう。じゃぁ、帰るわね。本当にありがとう」
きっちりゴミまで持ってみなもが立ち去り、直人が一人残される。
未だ立ったままだと辛いレベルで痛いので、今日一日は寝て過ごすことにする。
体力を消耗していたからか、腹が満ちると再び眠気が訪れる。直人はそれに身を任せ、昼間まで熟睡した。
昼間には空腹を覚えていた直人だったが、食堂には行きにくいので、午後の授業が始まってから部室を抜け出し、近所の定食屋で昼食をとる。
まだ怪我をしている箇所は痛かったが、動き回るのに支障はなかった。これは明日には全快だろう。式神様々だ。
そして六限目の時間。宣言通り、みなもが部室に現れる。
「直人。教官が当直室に来いって言ってるわ」
「教官!? 生きたのか!」
みなもが去ってから気にはかかっていたが、正直助かりようがない堕ち方をしていたので死んだとばかり思っていた。
「私からは良く見えなかったのだけれど、撃墜されたのかしら」
「された。発動機全損の墜落で、死んだと思っていたが……」
「昼過ぎにうちに電話があったのよ。私が無事だって伝えて、この後学校に行くつもりだって言ったら、直人に当直室に来るよう伝えてくれって。自分の怪我の事は言ってなかったわ」
「わかった。ちょっと行ってくる」
「怪我はもういいの?」
「治った」
そう言って直人は部室を出て校舎へと向かう。
発動機全損主翼喪失炎上スピン状態で墜落し生きているとは! もしかして不死身のエース!?
当直室をノックすると京香の声が聞こえる。
「失礼します!」
直人は勢いよくドアを開けて入った。そこにいたのはミイラだった。
「ごほっ、え、ご無事ですよね!?」
「引くな! ……貴様も。大変だったようだな」
答える京香は椅子に乗っていた。左手は吊っているが、右手は包帯だけで済んでいる。
全身は包帯に覆われており、顔まで覆われているので表情もわからない。ちょっと怖い。
大変だったというのは、みなもから怪我の様子を聞いてのことだろう。
「あの状態からよく生還できましたね」
「ああ。スピン状態をなんとか抑え込んで、脚と背中から落ちた。脚はまぁ、元から諦めていた」
「背中から落ちる、ですか。胴着よりいいんですか?」
「滑り込むときは胴着だろう。だが私は殆ど垂直に落ちたからな」
「なるほど。病院にはどうやって?」
「目が覚めたら病院のベッドだった。誰かが運んでくれたらしい」
「俺は医者が来てくれました。お互い命拾いしましたね」
「本当に。貴様を呼んだ理由は一つには無事を確認するためだが、もう一つ、あの誘拐犯はどうなった」
「ああ……それなんですが」
直人はとりあえず時也が確実に死んだこと。だが直接撃墜したのは帝国空軍所属の御佐機、おそらくは式神であるということ。魔導士は大将閣下と呼ばれる人物であったことを話した。
それを聞いた京香は驚いた表情を浮かべる。
「大将閣下……普通に考えれば、それは空軍の大将ということなんだろうが」
「一番偉い人ですよね」
「そうだな。まぁ今空軍の大将は五人いるが」
「え、大将って二人以上いるんですか!?」
「それが普通だぞ。まぁ今は陸海軍が一人で空軍が五人。うち一人が元帥という偏った構成だが」
「元帥ってなんです?」
「大将の中でも特に偉い人。かな」
「じゃあ候補は五人、ですか」
「そういうことになる」
「青灰色の機体だったんですが」
「そう言われてもな……。ああだが、考えてみれば普段帝都にいる大将は、天祇閣下と安倍閣下だけだから、そのどちらかの可能性が高いな。特に大将閣下と呼ばれるのは安倍閣下の可能性が高い」
「そうなんですか?」
「天祇閣下は元帥だからな。元帥閣下と呼ばれそうなものだ」
「天祇ってのは神道流御三家のですよね。安倍ってのは」
「安倍晴明。同じく有名な一族だな」
「はぁー。そんな偉い人がどうしてあの場所に?」
「それは私にもわからん」
「そうですか。ま、どうせニュースにもならないっすよね」
「そうだろうな」
「ああそういえば、教官は二天一式を墜としたんですよね!」
「ああ。あれは死んだ」
「すげぇ!」
「……奴は、勝利には拘っていなかったように思う」
「何故です?」
「私の損傷が少なすぎる」
「教官の方が強かっただけでは?」
「どうだろうな……。最後にお礼を言われたよ」
「お礼?」
「ありがとう。戦友。だとさ」
「戦友? 同じ部隊だったことが?」
「いや、ない」
「意味わかんねぇ」
「そうだな……私にも、わからん」
そう言う京香の顔は、嬉しい、というより満足そうだった。
二人がしばらく昨日の空戦模様について会話していると、六限の終わりを告げるチャイムが鳴る。
「じゃ、悠紀羽待ってるんで戻りますわ」
「ああ。私は御佐機を失ったしこの怪我じゃ当分飛べん。部活動は貴様に任せるが、無断出撃は厳禁。まぁもっとも、しばらく帝都で飛ぶこともなさそうだがな」
「何故です?」
「明日説明する。行ってよろしい」
京香にそう言われ、直人は当直室を後にした。
その日の放課後は流石に身体を動かす気にもならず、昨日のいきさつを茜に説明しつつ、花札をして遊ぶ。
そして翌日、直人は昨日の京香の言葉の意味を知ることとなる。
朝のホームルームの時間。ミイラ姿で出現し教室をどよめかせた京香は更に驚愕の事実を口にする。
「当学、神楽坂魔導士予科学校は、七月一日より長野県松本市に疎開する」
Tips:篝時也
サイパンの魔人の二つ名を持つ魔導士。元帝国海軍出向。最終階級は少尉。元々市ヶ谷士官学校(当時)時代に魔人とあだ名されており、エースとなった時也が魔人の二つ名を得るのは必然とも言えた。
士官学校時代から親しい友人と呼べる存在はおらず、その過去を知る人間も少ない。神道珠榊流に入門していたのは間違いなく、異例の若さで奥伝に至った。剣術に対しては真摯であったらしい。
御佐機に乗りたいという理由と、どうせなら偉い方がいいという理由で市ヶ谷士官学校を受験。一度落ちるも一年後に合格。勉学には熱心ではなく、スレスレの成績で卒業した。
時也の女遊びは学内でも有名であり、夜な夜な女をあさりに街へ繰り出す時也を見下すような風潮もあったが、恵まれた容姿と洒脱な雰囲気、一瞬で異性を墜とすその実力から、誰ともなく魔人という渾名がつけられる。これには、市ヶ谷神道流の授業と練習機を用いた訓練でたちまち頭角を現したことへの畏怖も含まれていた。
釣った魚は針をつけたまま放置するという性質のため、女一人ひとりとは長続きせず、本人もそれを望んでいたようだ。時也を執着させる女は、遂に現れなかった。
その結果、経験数は相当に多いはずだが、本人はそれを殊更に吹聴するようなこともなく、そもそも何人と付き合ったのか覚えてはいなかった。他人から認められる戦績には執着しないというスタンスは、この時代に既に確立していた。
四四年初頭、来る決戦に向けベテラン魔導士と才能がある新米を組ませ、新型機を装備した精鋭部隊が編成される。これに時也は抜擢され、マリアナの戦いに間に合わせるべく学校を繰り上げ卒業している。
サイパンの防空部隊に配属された時也は卓越した技量で一気にトップエースの座に上り詰め、その実力によって奔放な振る舞いへの免罪符を得ていた。
好きなように戦うことを許されていたように見えた時也だったが、いつしか個を無視した現代戦に飽きていた。
市ヶ谷クーデターにおいては反乱軍の討伐に活躍したが、統一空軍設立からしばらくして脱走。
次に姿を現した時には魅乗りになっており、とある研究所から新型の式神『荒脛巾』を盗み出した。