15. 落葉
教官を信じる。教官なら持ち堪えられる。その間に俺が攻撃位置について、確実に仕留める。
「あちこちの道場荒らして回って、よく捕まらなかったものだな」
「荒脛巾の魔術だ。疲れを知らない」
「貴様の、それは式神か」
「旅の神だよ」
「女子生徒を攫って、何がしたい」
「供物」
「ラバ女の三人と知り合いか?」
「ああ。女を集めてもらってたよ」
二機は巴戦に入ろうとしていた。
敵機、荒脛巾は素晴らしい速さで旋回していた。見たことのない機体だ。荒脛巾という名の式神らしい。その性能は未知。
対する京香は横の旋回で対応している。得意の斜めの旋回に入らないのは、発動機が故障しているからに違いない。
「供物とはなんだ」
「八岐大蛇を手に入れる。若い女の贄が必要だった」
「やはり魅乗りは生かしておけんな」
「天叢雲は手に入った。最後の一人は極上をと思って悠紀羽の巫女を狙ったまで。後でもう一度捕まえてもいいし、他の女でも支障はない」
「天叢雲……この間の刀剣博覧会か!」
「その有様でその動き。流石だな。でも、後二手で終わる」
「……違いない」
趨勢は明らかだった。既に京香は詰みの状態に入っている。京香の技量が劣っているわけではない。五号零精と荒脛巾の性能差。そもそも、発動機故障主翼損壊という状態であの動きができている方がおかしい。
一刻の猶予もない。直人は降下に移った。奴の意識が教官に集中する一瞬を狙って、一刀を浴びせる!
時也が京香の背後上方から迫る。京香は反時計回りに九〇度横転。縦に滑り、そのまま急降下に入る。
――市ヶ谷神道流『陽炎』
対する時也は、その動きを完璧に追跡した。時也の太刀が振り抜かれる。京香が横転で何とか致命傷を防ごうとする。
だが白刃は零精の発動機マウントを鮮やかに両断した。
そして直人も、二人の動きに対応して見せた。直人の太刀が時也の胸部を直撃する。だが、同時に直人の右太腿にも衝撃が走る。
野郎! あの体勢から反撃してきたのか!
直人は急降下で得た速度を利用して離脱する。
教官は!?
眼下。背中の発動機を失った零精は、火の付いた瑞配をまき散らしながら墜落していく。
「水無瀬。戦いに慈悲は無い。私の番が来たということだ。……信念に従い行動しろ。我ら、魔導士なれば」
それを最後に無線は途切れた。
あれは……あれでは、さすがに……。
直人の胸に喪失感が訪れる。だが、今は目先の戦いに集中せねばならない。今の一刀は教官の戦果でもある。無駄にしてはならない。
胸部は御佐機で最も装甲の厚い部分。咄嗟にそこを晒してきたのは見事だが、早衛の機体出力と急降下で得た運動エネルギーを以てすれば穿つのは容易い。手ごたえはあった!
こちらの損傷は大したことはない。空戦エネルギーもこちらが有利。勝てる!
「惜しかったなぁ。水無瀬」
無線から聞こえる時也の声。それはどこか余裕の色を含んでいた。
「瀕死の魅乗りがほざくなよ。辞世の句でも考えてろ」
「お前達を墜とし、八岐大蛇を手に入れる。間違いなく俺が最強だ」
「魅乗り一匹。何ができる」
「八岐大蛇は妖怪を召喚し、魅乗りを増やし続ける。魅乗りによる軍隊を作り、戦いを続ける」
「下らねぇ。その先に何がある」
八岐大蛇といえば誰もが知っている大妖怪。邪神だ。禍津日神や大獄丸と同様に魅乗りを増やせても不思議ではない。
魅乗りの目的と言えば大殺界のイメージが強いが、こいつの場合あくまで人間の世界で、自分だけの軍団を作るのが目的ということか。
こいつは、嘘はついていないのだろう。だが、それを魅力には感じなかった。
「誰に強制されて戦う方が下らない」
魅乗りの思考など知らないが、直人は時也が人間だった頃の思考は少しわかった気がした。
上官に無断で出撃するという行動。こいつは戦うことが大好きで、その一番好きな戦いを、自分の手に取り戻したかったのかもしれない。
「妖怪の大将になって最強? 片腹痛えな」
「最強ってのは何だと思う? 腕っぷしか? 知性か? 戦績か? 違うね」
時也は鋭い旋回で直人の射線を外し、続ける。
「戦いを始める権利と、終わらせる権利。それを独占することだ!」
「人間としてやれば良かったな。お前は魅乗りだ。死ぬしかない」
敵機の動きは明らかに鈍っていた。そもそも撃墜に至ってもおかしくない損傷のはずだ。戦えていること自体が不可解なほどだが、そうした状況でなお後ろを取ることは難しかった。
故に直人は優位高度から太刀打ちにて挑む。時也はそれに応じ、右上段に構えた。
「お前も戦うことが好きなんだろ?」
「まぁな」
「俺達は似ている。だが正反対。鏡みたいなもんだ。仲間になってくれれば面白かったが」
時也は見透かしたように言う。
「お前に媚びる人間はいねえよ」
「そうだな。お前みたいな奴は、媚びるとつまらねえ」
二人は太刀を振り下ろす。直人の太刀は荒脛巾の左翼端を吹き飛ばした。だが直人も左脇に衝撃が走る。
こいつ……装甲の継ぎ目を狙って来やがった!
損傷が大きく、太刀の使用に制限が生じる。
だが、奴ももうまともな飛行は不可能だ。背後を取るか。いや。相手はエース。あの状態からでも妙技を使ってくる可能性は否定できない。
前回は、リスクを取らなかったから、結果的にみなもが攫われる羽目になった。太刀打ちなら確実に殺れる。次で終わりだ。
縦の旋回に入る直人の耳に、別の発動機音が入ってくる。
ちらりとそちらを見ると、青灰色の御佐機が三機、接近してきていた。少なくとも魅乗りではない。ならば無視していい。
直人が縦の旋回から水平飛行に入ると、時也も機首をこちらに向けていた。
接近する両者。しかし突如、時也が垂直上昇に入る。
縦のつばめ返しか……?
直人は訝しむが、時也はなおも垂直上昇を続ける。
失速するぞ? そうなればただの制止目標だ。運動エネルギーも皆無。ノーリスクで太刀打ちができる。何を考えている?
そう思いつつ太刀を右上段に構えた刹那、荒脛巾のラダーが右へ動いた。
機首が急速に左へ傾く。右のエルロンが上がる。左のエルロンが下がる。
垂直降下へと移った時也が、直人の左に出現する。右上段に構えた直人は斬撃に移れない。これは……。
――市ヶ谷神道流『落葉』
一瞬の状況変化が、直人には引き伸ばされて感じられる。
失速反転。海外ではハンマーヘッドターンとも呼ばれる機動は曲芸飛行でのみ用いられ、実戦で使われることはまずない。
失速反転という名の通り、機体が失速状態となるこの技は集団戦において敵機に無防備を晒す自殺行為である。
一対一であったとしても、自機を一時的にアンコントロール状態にするこの技は、実戦で用いるにはあまりにリスクが大きく、そもそも難易度が極めて高いため、まったく現実的ではない。
故に市ヶ谷機関ではその名と理屈を習うのみで、正科として機動は教わらない。
篝時也。魅乗りに零落したとはいえ元トップエース。自発的に機体を失速状態にするなど、想像の埒外だった。
せめて敵の斬撃を受け止めるべく直人は太刀を左側に差し出す。だが時也は太刀を振り下ろしはせず、やはり左側に差し出したまま落下してきた。
直人の背後で破砕音が聞こえる。プロペラをやられた!
一枚、二枚いったか!?
ともあれ時也を追うべく、縦の旋回から急降下に入る。
これでは所定の出力が得られない。状況は五分となってしまった。
なんという人機一体。どのくらいの才能とどのくらいの鍛錬があればあの領域に至れる?
俺も、あんな風に飛んでみたい……。
垂直降下から水平飛行に移った直人と、時也が正対する。
未だ速度はこちらが上。太刀打ちならこちらに分がある!
「水無瀬。俺の、勝ち逃げだ」
機首を持ち上げた時也が、上空から飛来した御佐機によって両断される。
赤い血と煙をまき散らしながら時也は絶命した。
何事!?
見れば先ほどの青灰色の御佐機。見たことのない機種だが、翼の日の丸から帝国空軍の所属機であることはわかる。
「撃墜確実です。大将閣下」
「民間機に告ぐ。帝都の防空、ご苦労であった」
早衛の無線に通信が入る。
「周囲に敵影無し」
「当空域は空軍の作戦区域となる。民間機は離脱されたし」
しばし、唖然としていた直人。
まさかこんな形で、こんなにあっけなく、勝負が終わってしまうとは。直人は一抹の虚しさを感じる。
命を懸けて、絶対に殺すと誓って臨んだ戦いだったが、仇桜のように跡形も、なんの感慨もなく散ってしまった。
……まぁ、文句を言える筋合いではない。勝負の行方はわからなかったし、助けてもらったことに違いはない。
だが、だったらもっと早く来いよ! それなら教官だって……。
そんな文句も頭に思い浮かべる程度の気力しかない。急速に血の気が引いているのを自覚する。早く、早く手当しないとまずい。
直人は神楽坂予科へと飛行すると、その中庭へと着陸した。
Tips:宮本朱里
二天一式の二つ名を持つ女性魔導士。元帝国陸軍出向。最終階級は大尉。二つ名の由来は苗字と愛機であった陸軍の主力精霊機。その戦績は日本の女性魔導士としては最多であり、おそらくではあるが、世界でも比肩する女性魔導士は存在しない。
陸軍の女性魔導士部隊は編制こそ海軍と同時期であったが、海軍と同様プロパガンダ部隊という位置付けであったため、開戦当初は後方に留め置かれ、平穏な日々を送っていた。
しかし、海軍所属のラバ女が前線に送り込まれ戦果を挙げ始めると、陸軍も対抗心から女性魔導士部隊を実戦に投入するようになる。
ただし、戦況には比較的余裕があったことからラバ女ほどの損失は出さなかった代わり、戦果もまた見劣りするものとなっていた。そんな中、部隊が撃墜した敵御佐機の実に過半を占める戦果を挙げていたのが宮本朱里である。
朱里は市ヶ谷士官学校 (当時)の学生であった時代から破格の才能を示し、女性魔導士部隊の小隊長となると、初陣で二機確実を報告し、戦果を積み上げ続けた。
なお朱里は戦況掌握や列機への指示も的確で、人格的な問題があるわけでもなく、中隊長にならなかったのはその戦力を存分に発揮させるためだったという。
二番機を撃墜されたことがなく部下からの信頼も篤かったが、天才にありがちな独特の感性が唯一の欠点で、あまりにニュアンス的な空戦理論や不意に姿を消してしまう放蕩癖で部下を困惑させることもあったという。
その実力は陸軍の中でも有名であり、『ビルマは宮本でもつ』とさえ言われた。
大戦末期、常に微熱を感じていた朱里は、停戦に伴う復員を機に病院で診察を受ける。そして白血病を宣告された朱里は大きく絶望し、魅乗りとなってしまう。
世界に憎悪さえ抱いた朱里の死への恐怖と運命への憤りは他者の想像に余るが、その最期が戦死であったことは多少なりとも救いであったかもしれない。