7. 魅乗り
駅前の正面と左手には二機の御佐機がいる。テロリストのものだろう。駅周辺を封鎖していたのだ。
頭上を見ると、少し離れた場所で二機の御佐機が飛行し、地上を機銃掃射しているところだった。間違いなく無差別殺戮である。
直人はすぐさま抜刀し、式神を呼び出した。
「早衛!」
御佐機に憑依した直人にテロリストの御佐機も気付いた。
御佐機として今の基準だとかなり小型の部類に入る機体。二翅プロペラ。グレーの塗装。恐らくは九七式精霊機。
九七式精霊機は陸軍の精霊機としては二番目に量産された機体で、正式採用は一九三七年。現在は一線を退き、残った機体は九七式高等練習機と称して訓練用に使用されている。直人も早衛部隊時代に憑依した事がある。
九七式の最大の特徴は水平方向の旋回性能にある。水平方向での格闘戦では右に出る御佐機は無いと言われるほどだ。もっとも今は地上にあるので関係が無い。武装は七・七ミリ機関銃。
「水無瀬君!」
後ろから駆け寄ってきたみなもに直人は言葉だけ返す。
「憑依しろ!」
そう言って直人は離陸した。目の前の晴海通りを飛行し徐々に高度を上げていく。後ろを振り返ると二人ともちゃんと御佐機を出して憑依していた。
「そいつらは任せた!」
直人は無線で意図を伝える。
何が目的かは知らないが、黒金の命令だろう。好き勝手にやらせておくものか。
地上はあの二人に任せる。黒金との戦いに巻き込む形になってしまったが、俺一人ではどうしようもない。
悠紀羽と玉里の力量は詳しく知らないが、憑依したのは式神。相手は旧式。二対ニならやられる事はないだろう。
それにしても練習機とは言え御佐機がテロリストに流出しているのか。市ヶ谷の支配も万全とは言えないらしい。
考えを固め、直人は上空の御佐機に集中した。それらは地上を掃射して回っているため高度が低い。二機の御佐機は共に赤黒く変色しており、それが『魅乗り(みのり)』であることが分かる。
直人達は黒金が呼び出した妖怪によって精神を乗っ取られた人間と、それが憑依する御佐機を魅乗りと呼び習わしていた。
魅乗りとなった人間の本来の自我は失われており、妖怪の意思に従って動く。奴らの場合は、黒金の命令に従っている。
問題は、魅乗りとなった後もその人間の生前の記憶は残っているらしいという事だ。少なくとも黒金はそうだ。
魅乗りとなった魔導士も問題なく御佐機を扱っていたところから、操縦方法等の記憶は残っていると思われる。従って魅乗りになって日が浅くとも、魔導士としてはベテランという可能性もあるのだ。
古より八百万の神々を信奉してきた市ヶ谷魔導士の精強さは世界に類を見ない。圧倒的な物量を持つグレートブリテンですら、停戦を受け入れた程だ。
敵機は零精……いや、隼か? 赤黒く変色してしまっているとは言え、二色のまだら迷彩は海軍機には見られない。また零精との大きな違いとして翼形が挙げられる。隼の腰から伸びる主翼は前縁が左右一直線であり、ともすると前進翼のような印象を受ける。
また、近づいて見れば輪郭も異なる。肩幅は零精と同じだが胴回りにいくにつれて細く絞られた逆三角形な体型であり、その細い胴回りはいささか頼りなく感じる。実際機体出力に関しては零精に劣ってしまっており、その細さは改良による機体出力の強化も難しくしてしまっている。
直人の前に現れた敵機、一式精霊機『隼』は大戦を通じて陸軍の主力精霊機を務めた機体である。
零精とほぼ同じ大きさで、機体特性も似通っている。採用されたのは四年前であり旧式化は否めないが、これまた零精同様度重なる改良を経ており、弱点もいくらか改善されている。
性能面での零精との違いを挙げるとすれば、低速域での加速に優れるが、機体出力で劣るといったところだろうか。
一度魅乗りになってしまった人間が元に戻った事例は無い。あれは最早妖怪だ。故に確実な撃墜を優先する。黒金の目論見は何としてでも阻止してやる。
黒金の目的が何なのかは知らないが、放置しては犠牲者が増えるばかり。
とにかく高度を上げなくては。真下から仕掛けても失速したところを返り討ちにあう。いっそ俺を襲ってくれれば良いのだが、あくまで民衆の虐殺が優先のようだ。
ある程度昇ったところで、直人は反転した。高度はこちらの方がまだ低いが、そろそろ仕掛けよう。被害の拡大は可能な限り阻止したい。
直人の襲撃に気づいたらしく、二機の隼が合流し始めた。そして上昇を始め、直人の頭上を取ろうとする。
直人は時計回りに横転。背面飛行のまま機首を上げ反転する。隼の腹下にもぐりこむことで射線を外すのだ。
これには成功したものの、もう一機の隼が急降下で射撃位置に入ろうとしていた。連携してきている。これは射程に入ってしまうのは避けられないだろう。
敵機に後ろ取られた際にすぐ上昇するのは絶対にやってはいけない。被弾面積が増えるうえに速度が落ち、彼我の距離が詰まるからだ。
それが許されるのは圧倒的な速度差がある場合のみだが、今は該当しない。
フラップを下げて旋回するか。いや、それも却下だ。相手はあの隼。旋回戦は論外。やはり離脱を狙うしかないが、急降下するには高度が無い。
背後から射撃音が聞こえたので直人は若干降下しながら一旦バレルロールを行う。仮想の樽をなぞるように螺旋を描く機動。これにより射線を外し、次にギリギリまで高度を落として速度を稼ぐ。
隼が旋回で追従して来たのを確認し、直人は限界まで高度を落とす。一方背後についた隼は再度銃撃を始めた。
直人はラダー操作で若干機体を揺すりつつ直進する。二秒ほどして発砲音が聞こえなくなった。
一、二発被弾したようだが、別状はない。隼の十二・七ミリ単装銃という武装は、戦時中においても威力不足を指摘されていたそうだ。
建物スレスレを飛ぶ直人は速度五百を感知していた。
何とか振り切れた。最高速度はこちらの方が速い。大出力発動機を備えた早衛はここからの伸びが違う。
緩い上昇に入りつつ直人は考える。魅乗りは一定以上の技量の持ち主らしい。撃墜に持ち込むには優位高度を取りたいが、離れたところで上昇すれば、隼は俺を無視して地上銃撃に戻るだろう。かといってこのまま反撃しても次こそ返り討ちにあう可能性は低くない。さて、どうするか。
直人が二機の隼の様子を伺うと、その向こうにさらに別の機影が見えた。
「この様な狼藉、すぐにやめなさい!」
「悠紀羽か!」
「こんな蛮行見過ごせないわ! すぐ止めさせる!」
「こいつらは魅乗りだ!話は通じん!」
「魅乗り?」
茜の声も聞こえてきた。
「飛行能力を奪って地上に降ろせ! 後は俺がやる!」
魅乗りについて説明している暇はない。大雑把な命令ではあったがみなもは納得したようで、二十ミリ機関銃を構えて隼に接近する。
みなもが射撃位置につこうとした瞬間、隼は急旋回に入った。負けじと急旋回に入ったみなもだったが大出力発動機に翻弄されるかのように大回りになり、その後ろに、もう一機の隼が回り込もうとする。
「悠紀羽、ダイブしろ!」
直人が叫んだ次の瞬間、茜が急降下してきて、隼に太刀を振り下ろした。
襲いくる茜に気づいて横転しようとした瞬間に太刀を浴びた隼は、左翼を失って墜落していく。
「墜とした!」
「よくやった玉里!」
「水無瀬君、やったよ!」
茜の声を聞きつつ直人は索敵する。残りの隼は一直線にこちらに向かってきていた。
三対一というこの状況で逃げないあたり、やはり魅乗りは理性や人間性を失っている。
直人は太刀を右上段に構えた。手前で旋回してくる可能性もあるが……。だがそうはしなかった。隼は今から旋回しても間に合わない距離まで接近している。
ヘッドオンか……。
二機の御佐機が正面から撃ち合う、或いは斬り合う事をそう呼ぶ。だが御佐機を正面から撃っても致命傷を負わせる事はできない。太刀で斬りつけるにせよ敵も同じ事をしてくるため、被撃する可能性がある。空戦エネルギー的にも宜しくない。
市ヶ谷神道流においても、ヘッドオンは避けるべき戦術であるとされている。
自分は単機、敵は複数という状況では絶対に控えるべき戦術。しかも隼は機体出力が低く、一撃の重さに欠ける。つまり客観的に見れば隼の行動は愚行。
黒金の指示か……。受けて立とう。これ以上魅乗りを暴れさせたくない。
ヘッドオンで重要なのは攻撃と離脱のタイミング。そして俺は隼の最高速度を知っている。リスクのある戦術だが、分は悪くない賭けだ。
……ここだ。
直人は太刀を動かし始めると同時に時計回りに横転する。 一瞬遅れて隼が太刀を動かすのが見えた。
振り下ろした太刀は、速度も併せて隼の頭部を叩き潰した。直人も左肩に被撃する音を聞いたが、損傷はない。
直人はそのまま右下方に離脱し、戦果を確認する。絶命したであろう魅乗りは、黒い飛沫を残しながら墜落していった。
だがもう一機は生きている可能性がある。
直人が地上を見渡すと、先ほど茜が落とした隼が地上で膝をつき、立ち上がろうとしているところだった。
逃がしはしない。
直人は隼に突進する。
隼が機銃を放ってくるが、野砲にも耐える早衛の正面装甲に十二・七ミリ弾は通用しない。
正面に降下すると、直人は左腰に構えていた太刀を右上に振り抜いた。運動エネルギーを乗せた一撃。隼は首を切断され、頭部が後方に飛翔した。首の断面から黒い液体が噴出する。
「ちょっと! いくらなんでも勝手な殺害は」
「魅乗りになった人間は元に戻らん!」
「魅乗り!? あれが?」
……さすがに、説明しなければならないだろう。巻き込んでしまい、力を借りたことは事実。
直人は銀座駅上空を飛行しつつ、先ほどの九七式を探すが見あたらない。
「あの九七はどうした」
「地上にいたやつ?」
「そうだ」
「あれなら憑依を解かせて軍刀を折っておいたわ」
さすがに圧倒したか。しかし黒金はまだ上空にいる。仕掛けることも可能ではあるが……。
やめておこう。どう考えても二人を巻き込む。それにこれ以上ここに留まると、空軍もやってくるだろう。
「良かった。なら離脱する」
「待って、まだテロリストがいるかもしれない!」
「まぁいるだろうな」
「放っておく気?」
「俺だってできるなら捕まえたいさ! だが今はダメだ! 厄介ごとに巻き込まれるわけにはいかない!」
「貴方は一体――」
「訳は後で話す」
「本当ね? 約束よ!」
「ああ。……駅の人質は解放した。他にもいるかもしれんが、それは市ヶ谷の仕事だ。俺は帰る」
「ああもう!」
銀座駅に背を向けた直人の後にみなもが続く。
「買い物はどうするの?」
「……今日は無理ね」
茜の問いにみなもが返し、三人は神楽坂へと飛び去った。