13. 襲撃
日曜の朝。直人は定食屋『なゆた』に訪れ朝食を食らう。
今年一年だけを考えれば経済的に些か余裕があるため、最近は休日の朝もちゃんとした食事をとっている。
ここ、なゆたは朝から店を開けており、値段も手ごろで学生に嬉しい。五円の朝定食は内容こそ選べないが一汁二菜が基本で、この日はきんぴらごぼうにメザシ。豆の味噌汁に梅干したくあん。それらで丼飯を食べるというメニューだった。
それを畳み張りの長椅子に座ってテーブルで食べる。
腹を満たした直人は暖簾をくぐり、寄り道せずに学校へ戻った。
今日は悠紀羽道場で稽古をするのだ。身体を温めておかねばなるまい。
旧校舎の前に移動すると、素振りから始めて一通りの型稽古を終え、休憩がてら昼食の事を考えていると、魅乗りの気配がした。
白昼堂々か!
直人は軍刀を持ったまま校舎の方へと走る。当直室の前へと来ると、直人は急停止してドアの前に立つ。そしてノックを三回。
「鳴滝教官」
「入れ」
「失礼します!」
「よし! できたな!」
「ありがとうございます! 魅乗りが現れました!」
ノックをして褒められた直人は直入に要件を告げる。京香は手に持っていた本をテーブルに置いた。
「出たか。よし出るぞ」
中庭から離陸した直人は魅乗りの気配に向け京香を先導する。だが離陸して数十秒ほどで、魅乗りの気配は消えてしまった。
「……気配が消えました」
「御佐機への憑依を解いたということか。だが、また現れる可能性はあるだろう」
「はい」
「なら気配のした方角に飛び、少し哨戒飛行する」
「了解」
返答した直人はそのまま直進飛行を続ける。方角は西南西。
そういえば、今日の午後行く予定だった悠紀羽神社の方向だな。そう思った直人は少し高度を落とし、悠紀羽神社の様子を見る。すると、境内の一部から黒煙が上がっているではないか!
「教官! 悠紀羽神社に着陸します!」
「わかった」
悠紀羽神社内の滑走路に向けて着陸態勢に入る直人。以前のように無線による呼びかけがあるかと思ったが、今回はない。
昨今連続する道場破り。魅乗りの気配。……嫌な予感がする。
着陸して憑依を解いた直人は、黒煙の上がる方向へ走る。すると以前に顔を見たことのある悠紀羽神社に勤務する男性魔導士の一人が目に入った。
「お前! 水無瀬直人だな!」
「はい! 何がありました? あの煙はなんです?」
「……巫女様が、みなも様が攫われた!」
「なにぃ!?」
「攫われただと!?」
後ろの京香も驚愕する。
「失礼、貴方はどちら様でしょうか」
「鳴滝京香。悠紀羽みなもの担任教師です」
「なんと! どうか、みなも様をお救い下さい!」
「魅乗りが現れたんですね」
京香の問いに男は頷く。
「道場破りを名乗る男が現れて、空戦となるもみなも様の式神と当方の紫電は撃墜。みなも様を拉致しようとしたため白兵戦となるも、当道場が不甲斐なく……」
「それでその魅乗りはどこ行った!?」
掴みかからんばかりの剣幕で直人が問う。
「みなも様をトラックに乗せ、逃走した」
「どんなトラックだ!」
「茶色の、荷台まで覆われた四輪トラック」
「後を追います!」
そう言いながら身を翻すと、滑走路の方へと走る。京香がその後ろに続いていることは足音でわかった。
正面からの道場破り。先週玉里道場を襲撃してきた篝という魅乗り。きっと奴の仕業だ! 返り討ちにあう可能性があろうとも、やはりあの時斬り殺しておくべきだった!
直人は自分に苛立ちを覚える。
「攫われてから時間は経ってない。怪しいトラックを片っ端から止めて改めれば見つかるか」
京香の言葉には答えず、早衛に憑依して離陸する。だが基本的な方針は同じ考えだった。
「俺が東側を探します」
「私は西から北を回って探そう」
そうして別れてから一時間。直人は目的の車両を見つけることはできなかった。白や緑に塗装されたトラックなら見かけた。荷台が剥き出しの茶色いトラックも見つけたが、停まっていて辺りに怪しい人間はいなかった。
だが、直人はまだ絶望していなかった。心当たりが、一つだけある。
その心当たりを当たる以外にないか。そう考えていた時、京香が合流してくる。
「水無瀬! だめだ。見つからん。一両だけそれらしいのがあって停車させたが、ただの材木だった。あれから魅乗りの気配はないのか!?」
「ないです」
「そうか……」
「新宿西側の共同溝。その可能性が高いです」
そう言いつつ、直人は進路をそちらに取る。
「なに? 共同溝!?」
「俺は多分誘拐犯と会ったことがあります。一度目は玉里道場で、二度目は共同溝で」
「共同溝……どこにあるんだ?」
「以前情報部と入りました。多分そこが、魅乗りの溜まり場です」
「……私には魅乗りの気配もわからん。今は貴様に賭ける」
直人と京香の二人は、新宿の西側。共同溝の入り口付近の道路に着陸し、入口へと走る。
入口はみなもが塞いでしまっているが、御佐機を出せば壁ごと壊せる。
そして共同溝のある通りへとたどり着いたとき、廃ビルの上に、人影が姿を現した。
袴姿に巨大なポニーテール。宮本朱里。二つ名は二天一式。
「隼」
直人と京香には聞こえぬ声の大きさで、朱里は愛機に憑依する。
「早衛!」
「零精!」
赤黒い隼が離陸した衝撃で廃ビルが崩れる中、直人と京香も離陸する。
壁を壊しているときに上空から襲撃されたのではたまらない。かくなるうえは、教官と二人がかりで撃墜するしかない。
高度を上げていく直人と京香に通信が入る。
「宮本朱里より敵機へ。ソロモンの魔女との一騎討ちを望む」
「私が応じれば、私の生徒は見逃すと?」
「如何にも」
「……」
「最強の女魔導士の名に懸けて誓おう。私は一騎討ちを希望する」
「水無瀬! 行け!」
そう言われた直人は降下へと転じ、発動機の回転数を落としていく。時間が惜しい。教官を信じる。
「宮本殿。何故貴方は魅乗りになった」
「白血病」
「……白血病になったと?」
「私は死ぬのが怖かった。恐怖から逃れる唯一の方法が、妖怪となることだった」
「病気は、治ったのですか?」
「寿命は延びた。それはきっと、今この時のためだったのだ!」
上空からの会話が耳に入る中、着陸した直人は共同溝への入口を塞ぐ壁を壊す。そして憑依を解くと、共同溝へと足を踏み入れた。
旧海軍所属、ソロモンの魔女が操る五号零精。旧陸軍所属、二天一式が操る三号隼。
エースによって描かれる空戦の世界は、魔導士を名乗る者全てが観戦を望む至上の決戦であることは疑いもなかったが、直人の意識はみなもの救出ただ一点にあった。
傾斜した通路を降りた先で角を曲がると、巨大な通路に出る。行くべきは右か左か。
前回、動死体と鉄人は左から現れた。最早勘に過ぎないが、魅乗りといえど死体と一緒に生活したくはないのではなかろうか。
そう考えた直人は右に向かって走り出した。
靴裏の鉄鋲がコンクリートの床を叩く。渚は新聞社に伝えたと言っていたが、警察はまだ踏み込んでいないらしい。しかし魅乗りもまた近いうちに警察が踏み込んで来ることはわかっているのだから、既にもぬけの殻なのでは?
そうした期待を抱きつつ、魔力を練りながら直人は走る。だが。通路の両端に設置されたナトリウム灯に照らされて、複数の人影が浮かび上がった。
「侵入者か!?」
「お前ら魅乗りか!」
「そうだ。俺達は――」
「じゃあ死ね!」
直人は炎魔術を発動。一番手前にいた敵を火だるまにする。のたうち回るそれを通り過ぎると、逆光となる位置で抜刀し、懐に手を突っ込んでいた敵の首を跳ね飛ばす。
「くそ!」
更にその後方にいる声を上げた敵へと突進する。しかしそれより早く、その敵は直人に向けて銃を構えた。
しまった銃持ちか!
乾いた発砲音が構内に響く。直人の左わき腹に強い衝撃が走った。だが痛みはすぐには襲ってこない。直人は敵を袈裟に斬ると、その襟首を掴んで右側に投げ捨てる。直後、銃声がする。
今度は左胸に衝撃が走った。が、身体は動く。直人は息絶えた魅乗りを踏み越えるようにして、銃を撃った直後の魅乗りの首を左から薙ぐ。
刹那、直人は重心を右足から左足に移す。間髪遅れて、右わき腹に刃物で斬られる熱い痛みが走った。
躱しきれなかったか!
火だるまになりながらも攻撃してくるとは大した執念だが、二度はない。
直人は軍刀を左手で持つと、右脇の下から差し入れる。直人に背後から抱き着こうとしていた火だるまの魅乗りは、自ら串刺しになる形で軍刀に突っ込み、動けなくなる。
「ぐっ……がぁ! 人間……」
呻く魅乗りを右足で蹴ると、右足を踏み下ろすと同時に袈裟に斬って捨てた。
痛ぇ……何に撃たれた。これは……C96だったか。
床に落ちていたのはドイツ製拳銃C96である。中国で大量に鹵獲されたC96は日本軍において準正式拳銃として使用されている。しかしあくまで準正式であり、軍人が私物として保有するケースが多い他、婦人警官が装備したことでも有名だ。
被害を、確認しなければ。
直人は少し歩いたところにあった物置スペースと思しき張り出しに入る。
左脇腹から血が噴き出している。これは貫通しているか。一方左胸は何と肋骨で銃弾が止まっていた。直人が指でつまむと容易に取り出せる。
魅乗りを盾にしたのが役に立った。魅乗りを貫通した銃弾だったが既に威力はなく、俺の身体を貫くエネルギーは無かったらしい。
右脇腹は、結構綺麗に切れている。内臓にダメージは無さそうだが、出血が酷い。
先ほどの魅乗りが着ていた服をはぎ取って包帯代わりにするか。そう考えつつ辺りに目をやると、すぐ傍に九五式軽戦車があった。
こんなものまで持ってるのか……。
首都警は軍隊ではないから装甲車しか持てないが、テロリストは手に入るなら戦車だって使えるとは皮肉な話だ。
燃料に火をつければ火災を起こすことも可能だろうが、今そんなことをしても意味がない。
続いて足元に視線を移すと、軍刀が数本。これも不要。後は木箱にかぶせられた布。これを使おう。
直人は布を手に取ると、一度折りたたんで腹に巻く。
まぁ……包帯代わりにはなるか。銃弾がめり込んだ肋骨は確実にひびが入っているだろうが、こっちはどうしようもない。
ここで布を取り去った木箱の中身に気づいた。……これは使えるかもしれない。
態勢を立て直した直人は更に奥へと進む。気持ちは逸るが、今は歩いていくしかない。出血量が増えるほど、戦闘になった時に不利になる。
落ち着け。わざわざ拉致ったのだから、すぐに殺されるようなことはないはずだ。だが、どんな目にあわされているかもわかったものではない。
クソっ。やはりあの男は、魅乗りは、あの時無茶をしてでも斬り殺しておけば良かった!
自責の念が脳内で膨れる。後悔先に立たずとはまさにこのこと。臆病風に吹かれた判断ミスだ!
足音が否応なしに空間に反響するが、敵が出現する気配はない。そして直人は共同溝の最奥へとたどり着く。みなもはそこにいた。