12. 八方眼
「今週の日曜はうちに来ない? 実戦的な稽古ができるわよ」
金曜日の昼休み、みなもはそう言いだした。
理由は日曜日に予定していた刀剣博覧会がキャンセルになったからだ。今朝がたの新聞に今週末開催中止の告知が載っていた。
それが延期なのか取り止めなのかはわからないが、あの魅乗り達の襲撃により会場が被害を受けたということか。詳細は新聞を読んでも書かれてはいなかった。
「みなもの家かぁ。けっこう久しぶりだよね」
「うちは来客が多いからなかなかね。でも今週の日曜は午後からなら大丈夫なのよ」
「じゃぁ飯食ってから行けばいいわけか」
「そうして頂戴。十二時くらいに来てくれればいいわ」
……悠紀羽家か。風呂の屋根をぶち抜いて以来だな。
「そういえば最近道場が襲われるケースがあるらしいが、お前ん家は大丈夫なのか?」
「今のところ悠紀羽一門は襲われてないわね。うちの一番大きい道場は千葉だから。襲われるとしたらそこでしょうけど」
今日の朝礼で知ったことだが、最近テロリストによって道場が襲われるケースが何件かあったらしい。
新聞曰く、断じて道場破りなどではなく、悪辣な暴行事件であるから被害にあった場合は速やかに警察に通報すること。
わざわざ道場を襲撃する当たり、篝の仕業なんじゃないかという気がする。
負けっぱなしも悔しいが、市民の安全を考えるなら首都警の練武場あたりを襲撃して袋叩きにあうか銃殺されてほしい。あの韋駄天ぶりであろうと銃弾はかわせまい。
「あの人かなぁ。また来たら怖いなぁ」
「次に来たら俺が……俺と教官が空戦で撃墜してやる」
「その時は私も秋葉を出すし、直人君と教官が来れば安心だね」
「……私も魅乗りの気配が分かったらいいのに」
「俺の軍刀持ったら誰でもわかるんじゃないか?」
「それ面白そう! 魅乗りの気配がわかるってどんな感じなの?」
「なんというか……霊感? 妖気?」
「でも気配がわかっても直人以外は早衛に憑依できないから意味ないのよね」
「まぁ今度現れた時に近くにいたら持たせてやるよ」
昼食を食べ終えた三人は皿が乗ったお盆を返却口に置き、食堂を後にした。
金、土の放課後は巡行部の活動だった。
残念だが、また二天一式が現れたとしても直人単独での勝算は低い。だが、こちらが複数なら有利に戦うことが可能だ。
そう考えると、編隊を組んでの相互支援練習にも熱が入る。
敗北が死に直結する空戦においては、まずもって勝つことが最優先。
いつもの通り編隊を組んだ状態での空戦機動の練習を終え、直人達は部室へと戻る。
京香が今日の練習についてのコメントを述べ、何か質問あるかと言ったところで直人が口を開いた。
「エースと呼ばれる魔導士に、何か共通点はありますか?」
二天一式やサイパンの魔人と戦うことになる可能性がある現状、少しでもエースについて知っておきたい。
「……そうだな。逆説的ではあるが、エースには『八方眼』がより強く求められる。御佐機操法の時間に扱ったことは覚えているな?」
三人の生徒は頷いた。市ヶ谷神道流に限った話ではなく、八方眼または八方目とは少なくとも剣術の世界ではほぼ全ての流派に存在する重要な概念だ。
勿論剣法水無瀬流にも存在し、『目付』や『目配り』を意味する。要は視野を広く持てということだと直人は解釈していた。
「新米の内は長機の尻だけ見てついてこい等と言われる。前後の見張りが適切に行えるようになると、一人前と見なされる。そしてベテランには、戦場を俯瞰する情報処理能力が期待される」
京香はチョークを手に取ると、黒板に八方眼と書く。
「自分と列機。そして自分が追う敵機のことだけでなく、他の分隊、小隊、戦況、気流、残弾。全ての事へ気を配り、一つに拘ることなく適切に状況を判断する。従ってエースと呼ばれるようになると、自分の戦績には拘らなくなるのが正道となる。八方眼を実践できる魔導士が生き残り続けてエースと呼ばれるようになり、エースになると更にその徹底が求められる」
京香は黒板に、逆説的と述べた所以を書く。
直人にもその意味するところは理解できたが、同時に疑問も沸く。
「教官。撃墜数を稼ぐとエースになって、エースになると敵の殲滅より味方を導くことが求められるのであれば、途中からスコアが伸びなくなるということですか?」
「いい質問だな。結論を言えば、否だ。これは私の経験談だが、何度も空で戦っていると、敵編隊と相まみえた時どれが新米かわかるようになる。追い詰められた敵がどう逃げるかわかるようになる。敵の企図する戦術がわかるようになる。敵の一秒後の行動が自分の予想した通りであることに気付く。当然自分の列機の腕や得意不得意は知っている。故に、敵を墜とせるのだ」
……それってめちゃくちゃ凄くないか? 確かに俺も飛び方をみればそいつが素人かそうでないかはわかる。敵の動きも予想しているし、程度の差はあれ誰しもがやっていることだ。
だが、鳴滝教官が言っていることは、剣術における、市ヶ谷神道流における三つの勝機、先の先、先、後の先を超えた、無想の境地に入ってはいないだろうか。
直人達のあっけに取られた表情に気付いたのか、京香は逆にみなもへと問いかけた。
「神道悠紀羽流において、八方眼を極めるとはどういう状態を指す?」
「え、はい。それは……あらゆるものへの執着が無くなり、我欲も無く、森羅万象と一体になった状態だと言われます」
「その状態で如何にして敵を斬る?」
「世界や社会に対する執着だけがある状態で、それでも剣を振るのが大義だというのなら、森羅万象の神々の意思によって敵を打ち倒すことができる。とされています」
「ふむ。では玉里は? 玉里の家は古流剣術の道場だったな」
「えーと、タイ捨流では『心眼』って言います。敵を見ずして戦を見る。相手がどう動こうと自在に対応し、これを討つ。相手の動きに思いを向けずに対応する。って教わります」
「ふふふ。良い回答だ。普段の授業では一方的に語りかけているし、効率という点ではそれも悪い事ではないと思うが、私個人として真の教育とはディスカッション形式でこそ体現されるものではないかと考えることがある。余談はさておき、市ヶ谷神道流における八方眼はタイ捨流における心眼に近いか。だが違う点もある」
京香は黒板に想像力と書いた。
「市ヶ谷神道流においては当然執着を持つ。時に『制空権』であり時に『友軍部隊』であり時に『母艦』であったりもする。敵一機に執着せず戦況を見るというのはタイ捨流と同じだが、寧ろ見えてない敵や味方の動きを想像して立ち回る。視界の外の敵の動きにも想像力を以て対処する。と言ったところか」
「では教官。その想像力というのはどうやったら養えるんですか?」
「それは実戦しかない。百の訓練より一の実戦とはやはり真理なのだ」
「やっぱそれですか」
「そのために、市ヶ谷神道流の稽古には『懸り稽古』がある。二年次からは御佐機操法の時間に行っているだろう」
確かにそうだ。御佐機操法の授業で初めて懸り稽古を行った時に、八方眼についても述べていた。
「あの稽古法な、ベースになったのはタイ捨流の『五人懸け』、『十人懸け』だ」
「え、そうなんですか!?」
「そうだ。授業では言わなかったがな」
驚く茜に京香が返す。
「古流剣術や剣道でも最近は懸り稽古をやらないところが増えていると聞いた。だが、懸り稽古によって養われる八方眼や精神性は実生活においても役立つ。女性が危険を察知する早さ、とかな」
京香がみなもと茜に笑いかける。
なるほど。精神修養を大目的の一つとする古流剣術では懸り稽古が失われつつあり、如何に敵を倒すかの方法論たる市ヶ谷神道流では懸り稽古が受け継がれているというわけか。
戦いに勝つ方法論を追求していくと、古流剣術が失いつつある鍛錬法に行きつくというのは面白い。
「さて、五時前になる。悠紀羽と玉里はまだ間に合うな」
「はい」
「では解散だ。訊かれていないことまで喋ってしまったな」
「いえ、とてもためになりました」
「私も、古流剣術の教えと、それが成立した歴史にはとても興味がある。三人には是非聞かせてほしいというのが本音だ。だが、今は時間が足りない」
旧校舎を後にして遠ざかっていくみなもと茜を見つめた後、京香は直人へ視線を移す。
「水無瀬。あの二人は戦場で生き残れる水準に達していない。二人が墜とされるかもしれないという想像力を持て。無論、私が全力でカバーする」
「はい」
かつての戦友を全て失った俺はともかく、あの二人は自分が墜とされるかもしれないという想像力が不足しているだろう。それを守るのが、俺の役目というわけか。
「教官。俺にエースの素質はありますか?」
「ある」
京香は断言した。その根拠こそ述べなかったが、直人には自信になった。
信頼するエース魔導士にそう言われた事実が、とても嬉しかった。