3. ソロモンの魔女
翌日の放課後。京香に呼び出された直人は当直室へと赴く。ノックをして名乗ると、中から入れとの声がした。
「失礼します」
当直室に入るのは初めてだ。ベッドとテーブルが一つ。あとは小規模な炊事場。扇風機が一つ置いてある。
「座れ」
京香に言われ、直人は京香の正面に座る。急須からコップに麦茶が注がれ、直人の前に置かれた。
「昨晩の話ですか?」
「それもあるが、まず最初に、頼みがある」
「頼み?」
「昨日の朝礼で話した新宿伊勢丸強盗事件だが、反政府組織、ないしは魅乗りが起こしていると思われる事件は他にもある」
「ああ。最近大きい事件多いですね」
「市ヶ谷としては魅乗り、妖怪にまで御佐機を奪われていると思われたくないから報道を規制することも多いが、結局のところ反政府組織が魅乗り化しているケースも存在すると市ヶ谷は見ている」
「あー」
直人は二か月前の共産主義思想に染まった魅乗り達を思い出した。あれも一種の反政府組織だろう。
「反乱軍の残党が魅乗り化したとなれば、当然御佐機を持っているわけだし、人間と違って行動が予測できない」
「妖怪ですからね」
「つまり凶悪犯罪がどのような形でいつ起きてもおかしくない状況にあるわけだが、問題なのは首都圏での軍事活動に制限がかかっていることだ」
「停戦条約ですね」
「そうだ。御佐機を飛ばして実弾を撃つなど論外。完全な条約違反で、GHQ増強の口実にされる。そのための首都警だったが、軍隊ではないという位置づけだから御佐機を持ってない」
「そうらしいですね」
「首都警の装備で、御佐機を倒すのは難しい。かと言って軍隊の出動を待ったのでは遅すぎる。そこで、市ヶ谷は民間に目をつけたわけだ」
「民間ですか」
「民間人には警察権こそ無いが、現行犯に対しては任意の攻撃を許可するので、武装解除の中で後警察に引き渡す事、だとさ。よって神楽坂予科において自警団を設立し、帝都の防空にあたる」
「俺にそれをやれと」
「察しが良いな。これは強制ではないと言いたいが、最低でも生徒が一人は参加してないと示しがつかん」
「帝都にいる魅乗りと戦えばいいんですね」
「そうだ。市民の生活を守る。守るべきもののために戦う仕事だ」
「守るべきもののため……かっこいいっすね!」
「そうか?」
「正義の味方って感じで」
「困った時に現れる……確かに、そんな感じだな」
京香は眼を閉じて少し笑う。
「俺やりますよ」
「そう言ってくれるとありがたい。……貴様は警察あたりが向いているのかもしれないな」
「警察ですか? でも俺って空軍の士官になるんですよね」
「……貴様は今の成績で本科に進めると思っているのか?」
「げっ」
「進級試験は多めに見たが、とてもじゃないが卒業させられん。当然最下位だった」
「そこをなんとか!」
「ま、留年するんだな。高校を出てから士官学校に入る者もいるし、遅くはないさ」
「でもそれって卒業するまで出られないってことですよね」
「何を当たり前のことを言ってるんだ」
「いや学費がですね……そうだ、その仕事、金は出ないんですか?」
「基本的には、出ない」
「え、なんかケチ臭いですね」
「が、抜け道はある」
「抜け道?」
「この自警団を、部活動とすることだ。そうすることで部費が手に入る。弾薬・瑞配代を支払ってもお釣りはくるだろう」
「なるほど!」
「顧問には私がなる。お金は貴様が好きに使えばいい。帳簿上の処理は私がしておく」
「わかりました。やりましょう!」
組織として人々の安全を守るというのはやりがいがあって面白そうだし、それで金が貰えるなら断る理由はない。
「ふふ。こういう時貴様は話が早くて助かる」
「でも部員って俺一人なんですよね。部活として認められるんですか?」
「認められるかで言えば問題はない。部室は貴様が私物化している旧校舎の一室でいいだろう。だが、欲を言えば悠紀羽、玉里にも参加してほしい」
「誘ってみましょうか」
「そうしてくれ。貴様は腕が立つし二人でも何とかなるとは思うが、基本的に数は多い方が全体の安全性は高い。学徒動員みたいで気は進まんがな」
「二人ってことは、教官も戦うんですか!?」
「当然だな。生徒だけ戦わせられるか。まぁ民間出向中の空軍士官だからかなりグレーではあるが」
「いいですね! 教官と戦えるとは」
「やけに嬉しそうだな」
「昨日の新聞に載ってましたからね。ソロモンの魔女! エースだったんですよね?」
「……ああ」
「すげえ! 飛び方を教えて下さい! 強くなりたいんです!」
「まぁ顧問になる以上、指導はせざるを得ないだろう」
「やった。約束ですよ」
「わかった。じゃあ貴様は、部室に行って掃除でもしておけ。悠紀羽と玉里がいるなら話をするのもいい」
「いや、まだですよ」
「……なんだ?」
「昨日の話を聞いてない」
直人がそう言うと京香は深くため息をついた。その表情には憂いがある。もともと退廃的な印象だが、今日はいつもより隈が濃い気もする。
だが聞かない手はない。新聞に載るほど有名なエースが、魅乗りから夜襲を受ける理由。気になってしょうがない。
不意に京香は立ち上がると、炊事場に向かい、瓶から茶色の粉をコップに入れる。そして魔法瓶からお湯を入れると、テーブルへと戻ってきた。
そして灰皿を手元に寄せると、胸ポケットから煙草を取り出し、マッチを擦って火をつける。そして大きなため息と同時に煙を吹きだした。
「恥の話だ」
「恥?」
「貴様は、ラバウル女子御佐機隊を知っているか」
「知ってます」
「そうか。新聞にも載っていたからな。正式名称は第二四二海軍御佐機隊。ラバ女という通称の方が有名だ」
「鳴滝教官は、そこにいたんですか?」
「そうだ。四二年の四月、士官学校を出たばかりで着任し、四三年の夏まで所属していた」
京香は灰皿に灰を落とし、煙草を一度吸い込む。
「ラバ女はな、よく宣伝されていたと思うが、それもそのはず。あれはもともとプロパガンダ部隊なんだ」
「プロパガンダ部隊?」
「宣伝のための部隊ということだ。日本の女性の戦意を高めるため、あたかも女性も勇敢に戦っているかのように宣伝する部隊」
「あたかもって……じゃあ戦ってなかったですか?」
「戦ったさ……。ガダルカナルを巡る戦いには多くの部隊が投入されたが、その中にラバ女も混じっていた。最初は書類のミスなんじゃないかとみんな疑ったよ」
京香は苦笑して言った。
「八月の終わりには最前線にいて。私達は多大な戦果を上げていた。だから市ヶ谷、海軍ともに私達第二四二海軍御佐機隊を大いに宣伝した」
「教官以外にも強い人がいたんですね」
「ラバ女は二個中隊に過ぎなかったが、その分志願者の中から選りすぐられたからな」
京香は煙草の火を揉み消すと、コーヒーを口に含む。
「どこもそうだったが、五か月も経つ頃には多くの優秀な魔導士を失っていて、一度後方に下がって魔導士を補充し再編成される事となった。だが日本には既に『女性魔導士だけで編成されている特殊な部隊』に機材や瑞配を配分している余裕などなかった。でもラバ女は存続し、本当の意味でのプロパガンダ部隊になってしまった」
「宣伝のためだけの部隊ってことですか?」
「そうだ。生き残っていた貴重なベテランは本土防空のため内地に戻され、ラバ女はろくに訓練も受けていない新米で編成された部隊に成り下がってしまった。もっとも、これは後で知った話だがな」
「教官も本土防空部隊にいたんですか?」
「……いや。私は……病院にいた」
「え、負傷ですか!?」
直人の問いに京香はすぐには答えず、煙草に火をつける。
「違う。夜中に宿舎で拳銃を撃ちまくってから、私は病院に入れられた」
直人は絶句した。いつも疲れて見える京香だが、そんな取り乱し方をする人間には見えない。
「医者には戦闘神経症と言われた。退屈な入院生活をすれば治ると言われたが、まぁ、完治はしてないな」
「え、じゃあ今も……?」
「心配するな。ちょっと眠れないだけだ」
「ど、どうしてそんなことに?」
「どうしてだと?」
京香は煙草を灰皿で揉み消す。目は細めただけだったが、直人は睨まれたようにも感じた。これがエースの目力か。
「……怖かったんだ。死ぬのが。海の底で、密林の中で、人知れず朽ちていくのが。何人と見た。撃墜された味方の無線が、耳から離れない……」
京香は前髪をかき上げるように頭に手を置く。
「無論、私が弱いからだ。他の戦友はそうなっていない。私は戦闘に参加することもなく、ただのうのうと生きている」
「しかし、それと昨日の魅乗りがどう関係あるんです?」
「昨日の魅乗りは、私が後方に去った後にラバ女に配属された者達だそうだ。そう、名乗っていた。奴らは私の隣の部屋を破壊した後、私に憑依するよう言った。私を撃墜したいそうだ」
「なんでラバ女の魔導士が魅乗りになったのか、知ってるんですか?」
「わからない。そもそも、ラバ女は大戦末期に全滅している」
「えっ!?」
「新聞にも載った。第二四二海軍御佐隊は最後まで勇敢に戦い、男子顔負けの戦果を上げた、と」
「でも、魅乗りになったということは、生きていた」
「そういうことになる」
「魅乗りになった理由も、鳴滝教官を狙ってきた理由もわからないんですね」
「彼女達は、お前達のせいでこうなった、と言っていた。お前達がいてくれれば、こうはならなかったと。その通りだ。せめて私一人でもラバ女に残り、指導してやれていれば」
「……仕方がないですよ。入院してたんだから」
「貴様は私と共に戦うことになったから、私がどんな人間なのか知っておく権利がある。そう思って話した。だが他言は無用だ」
「わかりました。じゃあ最後に、敵艦隊五機連続撃墜破について聞かせて下さい」
直人は京香がこれ以上話したくないと思っているとわかってはいたが、そこが一番知りたいところだ。
「欲張りな男だな……。四二年の十一月。中攻の直掩任務。五機というのはキリが良いからで、実際には撃墜確実は四、うち一機は共同、一機撃破、そう報告したんだが、全て私の戦果になっていた。……詳しい話はまたいずれしてやる」
「わかりました」
「思い出した。私の方からも聞いておくことがあった。貴様、昨晩どうしてあの場に駆けつけられた? 普通雨の夜に御佐機など飛ばさんだろう」
「ああそれはですね」
直人は腰の軍刀を抜き、刀身の腹に近い部分を見せる。
「これ、前にいた部隊で貰ったんですが、こいつが魅乗りの気配を感知するんですよ」
正確には二か月ちょっと前に早衛部隊基地の跡地で拾ったのだが、説明が面倒なのでこのような表現となった。
「ふむ。ただの軍刀に見えるが」
「実際に魅乗りの気配を感知できるんです。銘は夜切です」
「夜切……妖怪を感知する刀」
「何か知ってます?」
「いや。まぁ調べる価値はあるか。その刀のおかげで、私は助けられたわけだ」
「そうなりますか。因みにこれ、御佐機に憑依している魅乗りしか感知できないです」
直人は軍刀を鞘に戻しながら言う。
「まぁ、妖気が段違いに強くなるだろうからな。好都合だ。今後、魅乗りの気配がしたら私に言え。私も出る」
「真夜中かもしれませんよ」
「構わない。多分起きてる。今日から私はこの当直室で寝泊まりするから、遠慮なく呼んでくれ」
「ここで暮らすんですか?」
「昨日のようなことがあってはな。アパートは半壊だ。良いアパートだったんだが……」
「災難ですね」
「よし。じゃあ旧校舎に行くぞ」
「え、今からですか?」
「設備がどうなっているのか確認したい。この前行った時黒板はあったと思うが……」
そう言う京香と共に、直人は宿直室から旧校舎へと移動する。
「本当にあそこを部室にするんですか? 俺あそこで寝たりしてますけど」
「こんな少人数の部活で部室棟を使うのは迷惑だ。今は貴様だけだし丁度いいだろう」
「まぁいいですけどね」
「今後は旧校舎の私物化は私が許可してやる」
「それはどうも」
直人はお礼を言って旧校舎の扉を開け、廊下を歩く。そして私室と化している一番端の教室に足を踏み入れた。
「あら、やっと来た」
「わーい! 直人君花札して遊ぼー」
中にはみなもと茜がいた。二人は直人の後ろから京香が入ってくるのを見て驚いた表情となる。
「え、教官!?」
「ここまで大量に私物を持ち込まれると教師としては複雑だな。まぁ今さっき許可は出してしまったが」
「鳴滝教官。どうしたんですか? まさか、また決闘希望者とか」
「そうじゃない。実は二人に頼みたいことがある」
「頼み事ですか」
「水無瀬。話してくれ」
京香に言われ、直人は先ほどの自警団設立の件を話す。
「てなわけで、ここが部室になったわけだ」
「え、じゃあその部活に入らないと私達ここ入れなくなるの?」
「いやそんなつもりはない。強制するつもりもない。私は教師として生徒の安全を最優先するつもりだ。だが、多勢に無勢となる可能性もゼロではない。そうなった時、貴様ら三人で連携して離脱してくれると、私としても助かるんだが……」
「わかりました。やります」
「私も」
二人はすぐに快諾した。エリザの時もなんだかんだでついてきた二人だ。困っている人は見過ごせない性格なのかもしれない。
「ありがたい。一個小隊いれば形になる。ではこの部活の名前だが、何か案はあるか?」
「そりゃ空戦部でしょう」
「……それだと戦うことを目的としていることになる。これはあくまで市民を守る仕事だ。相手が逃げていくならそれでいい」
「御佐機部」
「悪くはないな。もう少しぼかせるとより良いんだが」
「……では巡行部はどうでしょう」
「巡行部か……良いかもしれないな」
「もっとかっこいい名前にしましょうよ。神楽坂第一小隊とか」
「部活動という扱いにすると言っただろう。まぁ名前は後でも変えられる。当座はそれで登録して、具体的な活動は明日からにしよう。……ではな」
そう言って京香は教室の外に出た。その後ろを直人が歩く。
「ちょっと、直人どこ行くのよ!」
呼び止めるみなもを無視して、直人は京香についていく。
「何故ついてくるのだ?」
「もう一つだけ知りたいことがあるんですよ」
直人は不敵に笑う。
「なんだ。ラバ女の話なら部活の時にでも――」
「違います。これは聞いてもしょうがない。実際にやってみないと」
「やってみる……貴様、まさか」
「決闘しましょう。鳴滝教官。日も長くなってきた。今ならまだ時間があります」
「活動は明日からだと言っただろう。部活動をしていれば、模擬空戦の機会もあるだろう」
「俺は今やりたいんですよ。昨日からそればかり考えてました」
「悪いのは成績だけかと思っていたが、分別もないな。十五、六というのはもう少し聞き分けがあるものだと思っているが」
「明日からみなも、茜も教官の指導を受けるんですよね。だったら教官の実力を見ておくべきだと思うんですが」
直人は後ろからついてきているみなも、茜にも聞こえるように言った。
「乗せられたわけではないが、応じてやらんと貴様は引き下がりそうにないな」
「そうこなくては」
「いいだろう。購買で演習用の七・七ミリを購入する。巡行部初の買い物だ」
「よし!」
直人は胸が高鳴った。二か月も前から気になっていた鳴滝教官の実力。それがついに明らかになるのだ。