2. 夜襲
翌日の月曜日。いつもの通り京香が朝礼を行っている。今は新聞の一面を読んでいるところだ。
「昨日午後一時頃、新宿の伊勢丸でテロが発生した。三機の御佐機が伊勢丸前に着陸。乗用車数台が大破。その後三人の実行犯が伊勢丸に突入。銃を発砲しつつ婦人服売り場などで略奪を行い、二十分後には御佐機で逃亡。西に飛び去った。市ヶ谷は反政府組織の仕業であると推定。警察能力の強化のため、首都警への御佐機導入を急いでいる。とのことだ」
京香は新聞を折りたたむ。
「大変な時代だが予科生である貴様らが気負う必要はない。テロ行為を見かけたら、丸腰で立ち向かうような蛮勇はせず、警察に通報すること。以上だ」
そう言って京香は教室のドアへ歩いていく。
「あ、先生! 新聞の三面には触れないんですか?」
声を上げたのは渚だ。
「三面? ああ。不要だな」
「じゃあその新聞置いてってくださいよ」
「……好きにしろ」
京香は新聞を教壇に放り投げると、教室から出ていった。
すぐに渚がにやにやしながら新聞を回収しに行く。
「いつも新聞置いてくくせに今日に限って持っていこうとしたのは……これのせいだ」
渚が新聞の三面を開く。そこには『帝国空軍二十四傑』という文字があった。
「なんだこれ」
「大本営が発表した今の空軍の手練れ魔導士二十四傑だよ。まぁ順に見てみろ」
渚に言われ、直人は紙面上に視線を動かす。
現在の帝国空軍に所属する魔導士の中で、抜きんでた戦果・技量を持つ魔導士を二十四人選抜した。なお、機密保持のため詳細な戦績や所属、階級は不記載とする。また、将校以上の魔導士も対象外とした。
ラバウルの鬼神。零精虎徹。荒鷲上坂。闘魂の杉谷。白色電光麻吹。MI無双。紅の飛燕。菅原デストロイヤー。トッカン軍曹。ヘルキャットキラー。マレーの轟牛。瑞鶴の守護神。サイパンの魔人。シンガポールの鉄人。狩師森本。月夜の太田。中攻用心棒。疾風の佐々木。鉄面の松原。人斬り岡田。ソロモンの魔女。鷹の目荻野。二天一式、ビルマの舞姫。
「へぇ……」
中には早衛部隊時代に聞いたことのある名前もある。こうして前線で戦果を挙げた魔導士がそれぞれ二つ名を持っているというのは面白い。
「この中で下の四人が女魔導士なんだが、ソロモンの魔女の欄見てみ」
渚に言われ直人は視線を移す。
ソロモンの魔女。鳴滝京香。敵艦隊上空五機連続撃墜破で有名。敵無線のWitchという単語からこの名がついた。
「この鳴滝京香って、鳴滝教官だよな!?」
「そうだろ。教官はこれを見られるのが嫌で新聞持っていこうとしたんだろうぜ」
「なんでだ。俺だったら自慢するけどなぁ」
「騒ぎになるのが嫌だったんじゃねえの」
渚の声を聞きつつ、直人は再び紙面に視線を落とす。
鷹の目荻野。荻野美羽。強烈な視力で敵機をいち早く発見。空戦の腕前も一流で、射撃に定評がある。
二天一式。宮本朱里。隼を操り女性魔導士としては最大の戦果を上げる。二つ名の由来は宮本武蔵の流派二天一流から。
ビルマの舞姫。山崎花蓮。ビルマの防空に活躍。乱戦で戦果を上げつつ自機は一発の被弾もなかったことから。
「にしても、女も前線に出てるんだな」
「魔導士だけな」
「まぁ憑依しちまえば男も女も関係ないもんな」
「お前持っといていいぜ。俺は家で読んできたからな」
渚に言われ、直人は午前中の休み時間で二十四傑に一通り目を通した。
その日の夜。仕出し弁当を食べた直人は旧校舎の空き教室にいた。雨が降っているからだ。
雨天の時は空き教室のガラクタをどけて作ったスペースで鍛錬をすることにしている。
仮想敵を用意し、身体を動かす。動作の最中は思考をしない。昨日健児に言った通りだ。動きは身体が覚えている。相手の動きにだけ注意を払い、技を出し切る前に次の行動を選択する。
斬れたか。微妙なところだ。
直人は複数の相手を想定していた。複数の攻撃に同時に対応するのは殆ど不可能であるから、とにかく一度に二人以上から攻撃を受けないようにするしかない。そのためには間合いの支配が不可欠になる。
間合いを制する。二号零精を操り見事な剣技を繰り出した朝倉隆一との一戦から、その意識がより強くなった。
しかし自分に有利な間合いを作るためとはいえ、ひょいひょい前後に動いていたのでは、一つ一つの動きの間に隙間が生じる。それを悟られにくくするための摺り足であるが、こちらの技の速度も落ちているのだ。相手が受けに徹してしまえば、斬れる保証は無い。
いっそ先日のジェシカ・シューマッハのように相手の攻撃を完全に受け流せる技があれば……。だが刀の構造上、あれをそのままコピーはできない。
ふむ……。
直人は握る軍刀を見つめる。その時だった。
魅乗りの気配がする。正確には直人の軍刀『夜切』が魅乗りに反応しているのだが、持ち主たる直人には魅乗りの気配として感じられる。
こんな時間にか!
直人は旧校舎から外に出ると、早衛に憑依して離陸する。気配は一つではない。
神楽坂予科から神田川方向にほんの少し飛ぶと、機関銃の発砲音が聞こえてみた。闇の中に曳光弾が尾を引いて光る。
三機か? 二機が一機に攻撃を加えている……? いや。もう一機上にいるな。発動機音がする。
雨天の夜は完全な闇であり、まともに戦闘が行える環境ではない。入り乱れる三機のうちどれが魅乗りかなど目視では判断できないが、普通に考えて、攻撃を加えている側が魅乗りだろう。
直人は抜刀しつつ直進する。だが上にいた一機が気付いたようで、真っ直ぐこちらに急降下してくる。
これは……。
通常なら回避するのが上策。だがそれだと救助が遅れる。あたりは闇夜。ならば。
直人は敵機が突っ込んでくる寸前で横転する。敵の太刀が腹下を掠め、敵機が後方へ抜けていく。上手くいった。街明かりによるぼんやりとした影を頼りに攻撃するしかないから、相手の姿勢など把握できないのだ。
ちらりと後方を見ると、敵機が鋭い旋回をうっているのがわかる。
あの旋回半径。そして発動機の音から、敵機は零精か隼どちらかだろう。
空戦エネルギーが違い過ぎるため、確実に追いつかれる。直人はバレルロールを始めた。数発ほど被弾音が聞こえたが、すぐに止む。敵機は一旦上方へと抜けたようだ。
ここで直人は初めて抜刀し、魅乗りと思しきシルエットに向かって斬り込む。だが黒い影としか見えないため狙いが定められない。
案の定斬撃は外れ、直人は戦場を通過する。
襲われている一機は巧みな機動で敵の射線をはぐらかし、二対一の格闘戦を切り抜けている。直人は縦の旋回に入り、再度戦場に割って入ろうとする。
その正面から先ほどの敵機がやってきた。シルエットしか見えないので何となくではあるが、左上段に構えている気がする。
今更旋回しても間に合わないので、直人も右上段に構える。空戦エネルギー的には圧倒的に不利。
太刀打ちの寸前、直人は機首を上げ、太刀を振り下ろす。物打ちと物打ちがぶつかる。やはり。直人の太刀は跳ね返された。敵の太刀が早衛の肩を叩く。
ひびくらいは入ったかもしれないが、戦闘に支障なし。
一方、旋回戦をしていた三機は互いが互いの尻を追う完全なドックファイトと化していた。
直人がどう割って入るべきか考えている最中、うち二機が翼を翻し離脱に入る。その二機を援護するように、上空の残された一機が射撃を行う。そして攻撃を受けた機体が直人の方に旋回したと見るや、残った一機も逆方向へと飛び去って行った。
「正面の御佐機へ。救援感謝する」
「え……鳴滝教官!?」
「その声は、水無瀬か!」
「はい。なんで教官が戦ってたんです?」
「……校庭に降りるぞ」
京香に言われ、直人は神楽坂予科の校庭へと着陸した。
「教官! 大丈夫ですか?」
憑依を解いた直人は同じく憑依を解いた京香に話しかける。暗いので京香の機体の損傷具合がわからない。
「大事ない。機体も軽く修理すれば済みそうだ」
「そりゃ良かった。で、なんで戦ってたんです?」
「……雨の中話すようなことじゃない」
「じゃあ旧校舎来ますか?」
「何故私が行く必要ある」
「いや何で戦ってたのか聞かないと。お茶ありますよ」
「いらん」
「じゃあ着替えてから来てくださいよ。濡れたままなのもなんですから」
「馬鹿な事言ってないで寝ろ! 明日も授業だろうが」
「えー。助けてあげたのに」
「救援には感謝している。実は明日別件でお前に話がある。その時に、今日の事も話してやろう」
「本当ですか」
「ああ」
「じゃ、その時に。お疲れ様です!」
直人は軽やかに言って、寮へと歩いて行った。
今朝知ったソロモンの魔女という二つ名。以前エリザ達と模擬空戦をした時もただ者ではないと思ったが、やはり公式に認められた手練れの魔導士であった。
ではなぜそんな魔導士が予科の教師などやっているのか。何より今日魅乗りに襲われていたことと関係があるのか。
二つ名持ちのエース。考えるだにワクワクする。突然の戦闘であったが、これはソロモンの魔女に迫る好機だ。
ここで直人は京香が校門の方ではなく校舎の方に向かって行ったことに気付いたが、まぁそれも明日聞けばいい。
もしやエース魔導士の経験談やらを聞けるのではないかと楽しみにしながら、直人はシャワーを浴びてさっさと寝た。