13. 仙台
仙台についたのはまだ日も昇らない時間だった。
軍事組織というのは夜中でも誰かしら働いているようで、駅の電話で在日ドイツ軍司令部に電話するとアポイントを取ることができた。それが終わればやることはない。
どこかで時間を潰したいが店が開いているわけもなく、直接司令部に行って在日ドイツ軍司令官との面会時間を待つことになった。
ドイツ人街は日本の他の場所では目にすることはできない、木組みの建築が建ち並んでおり、日本国内にあってはこの街自体が観光地と言っても差し支えない独特さだが、あいにく薄明とあっては観察に適しているとは言えない。
そもそも夜行列車の移動で疲れていることもあって、直人達は言葉も少なにドイツ人街を歩く。
仙台市の北側に位置するドイツ人街は、第一次世界大戦終結後、ヴィルヘルム二世が日本に亡命してきた際、祖国に気候が似ているとして住居を構えたのが始まりである。
元々はヴィルヘルム二世を追う形で亡命してきた貴族とその臣下が大半であったが、三十年代半ばまでに日本に移民してきたドイツ人労働者の大半が仙台市に住み着くことになり、人口五十万を超えるドイツ人街が出現した。
今や日本生まれのドイツ人も少なくなく、ドイツ人街の住人はほぼ全員日本語を喋れると思って差し支えない。
しかし、逆に言えば日本に来てまだ十年程度のドイツ人もおり、祖国の文化がそのまま持ち込まれているため、日本人にとっては非常にエキゾチックな雰囲気の街となっている。
同盟国を助けることができなかったという負い目もあって大量のドイツ人移民を受け入れた日本であったが、それによる恩恵は大きかった。
移住してきた労働者の多くが、ベルサイユ条約によって兵器の開発・製造を禁止された工業系企業の技術者・作業者であり、それらは先んじて日本に来ていた貴族の援助によって会社を設立。仙台市に一大産業を作り出し、更なる発展を促すこととなった。
こうしたドイツ系企業の設立には筆頭株主としての資金繰りから取り纏めまで貴族が大きく関与しており、結果的に日本にいるドイツ人貴族は経済的な豊かさを維持することができた。
シュトレーリッツ家もドイツから工作機械を輸入し、原動機などを製造・販売する企業を持っている。
こうした流れから、ドイツ人街では貴族が政治・経済的に強い影響力を持っており、今や消滅したドイツ帝国のあり方を色濃く残したミニドイツ帝国と言えるような情勢を醸している。
現在ドイツ人街は自治区として一定の行政権を与えられているが、その見返りが、在日ドイツ軍の設立だった。日本軍の中ではドイツ師団と呼ばれるが、実際には旅団程度の規模でしかない。それでもドイツ式の優れた武装と御佐機による直掩部隊まで持つ本格的な編成であり、独立した司令部も持つ。
そこへエリザに連れられた直人達はやってきた。司令部は木造ではなく、帝都だと銀座丸の内くらいでしか見られない重厚でクラシックな石造りの建物だった。
司令部内で数時間待つことになったが、事前に電話で事情は話していたため、取次自体はスムーズだった。
「日本人の友人がいますので日本語でお願いします」
そう言ってエリザは説明を始める。部屋には五人のドイツ軍人がいたが、主な対応をしていた師団長を務める中年の男は日本で生まれ育ったと言われたら信じてしまうほどに完璧な日本語を操っていた。
「君達の話は信じよう。我々が集めた情報とも整合性は取れている」
エリザの撮影した証拠写真の効力は大きかった。内容は採石場内部にいる武装親衛隊員、宇都宮市役所を背景にする武装親衛隊員三人と、ドイツの精霊機三機であるが、これらは宇都宮市内で武装親衛隊が活動していることを有力に示していた。
戦いを終わらせるために空へ赴いたイタリア人達は帰らなかったが、彼らの意思には意味があり、今度こそ武装親衛隊の戦いを終わらせようとしていた。
「ファルケンハイン様。在日ドイツ軍の警察出動をお願いします」
「それについて、検討は既に済んでいる。答えは『可能』だ」
「ありがとうございます」
「宇都宮で武装親衛隊が非合法な活動をしていることは間違いない。この街で人攫いに加担していた日本人からも裏は取れた。武装親衛隊がドイツ人である以上、現行犯であれば何人でも逮捕できる」
「採石場内部に入ることができれば、物的証拠も揃うと思われます」
「だが、警察出動である以上、御佐機は出せない。武装は拳銃や催涙ガスが関の山。装甲車も出せなくはないが、市街地戦などもっての外。加えて相手は御佐機を持っている。我々に実力行使は不可能なのだ」
「それについては、ここにいる私の友人の力を借ります」
ドイツ人達が一斉に直人達を見る。
「彼らが持つ御佐機で、武装親衛隊の持つ御佐機を撃墜するというわけか」
「はい」
「何故君達はシュトレーリッツ君に協力する?」
「金で雇われました」
「三人ともか?」
「……はい」
答えに詰まった直人の代わりに、みなもが答えた。事実とは異なるが、空気を読んだというところだろう。
「三機か……。君達の話では、武装親衛隊が持つ御佐機も残り二、三機程度とのことだったな」
「はい。ただ、こちらの友人の式神は主翼が壊れており、二、三日は飛行不能です」
エリザが右に座っているみなもを見ながら言う。
「武装親衛隊が宇都宮の人間を魅乗りに変えてからでは遅いから、即逮捕に移るべきというのが君の主張だったね」
「はい」
「となると、味方の御佐機は二機のみか。話を聞いた限りでは、武装親衛隊の御佐機とも互角に戦える優秀な魔導士とのことだったが」
「はい。実際のところ、作戦の成否は直人、茜の二人が敵の御佐機を撃破できるかどうかにかかっています」
「撃破に失敗した場合は?」
「軍の部隊は離れた場所で待機していればよいので、失敗した場合は即時撤退すれば、武装親衛隊も無暗に攻撃はしてこないかと」
「憶測だな」
「はい。しかし武装親衛隊としても目的達成を目前に市ヶ谷に目をつけられるような真似はしないでしょうから、そちらのリスクは低いと思います」
「では敵の御佐機を確実に撃破するための作戦は、何か考えているのか」
「まず、交渉を行おうと思います」
「交渉」
「在日ドイツ軍が警察出動することを、宇都宮の市長を経由して武装親衛隊に伝えます。そのうえで、私が彼らに投降を呼びかけます」
「彼らが飲む内容なのか」
「ドイツ亡命政府は、武装親衛隊が過去にやってきた全ての行いに対して、罪に問わないと約束するのです。勿論、日本に来てからの犯罪行為についても」
「……かなりの譲歩だな。被害者が納得しないだろう」
「彼らは潜水艦で大量の財宝を持ち込んでいるようです。いわばそれを示談金とし、被害者への補償にしたいと考えています」
「財宝か……ヨーロッパ各地で、かき集めたのだろうな」
「交渉が上手くいけば、互いに日本に逃げ出して来てまで、ドイツ人同士で争う愚を避けられます」
「ああ、それが一番重要なことだ」
「では、在日ドイツ軍の警察出動を発令してくださいますか?」
「しよう。同胞の蛮行を我々の手で止められるチャンスは、今回が最初で最後だろう」
「ありがとうございます」
「日本人の少年少女諸君。君達が最も危険な役を担うことになるが、本当に構わないのか」
「大丈夫です。俺は……俺達は護衛なんで」
「そうか……。作戦が成否にかかわらず、我々からも報酬を出そう。勝てないと思ったら、逃げてきても構わない。そうなっても我々が被害を蒙る可能性は低い」
「やるからには勝ちますよ。奴らにこれ以上好き放題はさせられない」
「戦わないのが一番ではあるがね。交渉の段取りは決まっているのか?」
「はい。それについては水無瀬直人が考えてくれました」
エリザに促され、直人は口を開く。戦いになったとしても互いに小規模な戦力であるため、複雑な作戦にはなりようがない。
「エリザが交渉を行い、俺と茜が護衛します。交渉が失敗した場合、茜がエリザを抱えて離脱し、宇都宮市内に向けて飛びます。みなもは地上で待ち、着陸を支援します。敵はエリザから狙ってくる可能性が高いので、そこを俺が撃墜します」
「敵は複数と思われるが、君一人で撃墜するのか?」
「時間が経てば、茜が戻ってこれると思いますが」
「それまで持ち堪えられないだろう。君がどれほどの手練れかは知らないが、無謀すぎるな」
「はい。なので頼みたいことがあるのですが」
その内容は列車の中で話し合ったものだ。直人の安全を確保しつつ敵二人を足止めするにはそれくらいしかない。
「……なるほど。後で詳細を詰めよう」
「偵察員を出して頂き、空戦の結果がわかり次第、部隊を動かしてください」
「わかった。作戦開始は明日の午前十時とする。午前十時にヴィステルバッハ一党との交渉を開始してくれ」
「承知しました」
「君達には今夜の列車で宇都宮に戻ってもらうことになる。大したもてなしもできないが、食事を用意しよう。のんびりして英気を養ってくれ」
「ありがとうございます」
作戦会議は昼前に一度中断され、昼食まで休憩となった。
生まれて初めてのドイツ料理とあって心が躍る。聞いた話では一日に五回肉を食うという話だったが……。
しかしエリザによると一日五食というのは田舎の農家での話であり、現代では一般的でないらしい。
そして十二時。直人達は将校用の食堂へと案内され、料理が運ばれてきた。
レンズ豆が大量に入ったスープ。パン。サケのオリーブオイル焼き。オニオンパイという布陣だった。スープ以外が一皿にまとまっているのが印象的だ。スープはアイントプフという名前で、これはおかわりが可能だった。
「おいおい肉がないじゃないか」
「日本の酪農がしょぼいのが悪いんですよ。羊肉なんてほとんど手に入らないですし」
「羊かぁ。私も食べたことないなぁ」
「寧ろ魚食うんだな」
「ドイツでは元々海魚を食べる習慣がほとんどなかったのですが、ドイツ人街ではサケやマグロ、タラあたりの魚料理は一般的になっています」
「ちょっと塩辛いわね」
「私は普通だと思いますが。直人さんはどう思いますか?」
「美味い」
「やはりこのくらいが丁度いいですよね」
「直人は大概美味いって言うんだから参考にならないわよ」
「直人君ほおばり過ぎ……」
「このバター、固くないか?」
「ああ。バターとは本来そういうものなんです。直人さんのイメージはマーガリンのことでしょう」
「マーガリン?」
「人造バターのことよ」
「じゃあこれ天然なんだ」
時折雑談を交えつつ、直人は三杯目のアイントプフを腹に収める。味噌汁とはまるで違うが美味い。
「そういえば、エリザの実家ってこの辺りにあるんだよね」
「はい」
「行ってみたいなぁ。ドイツ貴族ってどんな家に住んでるの? お城?」
「多少大きくはありますが、普通の二階建て建築ですよ」
「私も興味あるわ。昔絵葉書で見たドイツの家は、小さなお城みたいだったもの」
「残念ながら今は帰るつもりはありません。事件解決まであと少しです。そしたら大手を振って帰るつもりです」
「そっかぁ。残念」
「それに今のシュトレーリッツ家は本当にただの館ですよ。ドイツに置いてきたお城は、私も写真の中でしか知りません」
「そう。なら、仕方ないわね」
「まぁでも、せっかく来たんです。散歩しましょうか。案内しますよ」
「腹ごなしにいいわね」
「みなもそのパイ食べないのか?」
「食べるわよ! 食べるの早いわね……」
こうして食事を食べ終わった四人は、観光も兼ねて外に出ることにした。
エリザが先導して歩く四人。石畳によって舗装されたメインストリートは活気がある。エリザ曰く、昼食をとりに家に帰っていた人達が職場に戻るところだという。他の日本の街と決定的に違うのは、人々の九十九パーセントがドイツ人であるということだ。
建ち並ぶ木組みの家は似通ったデザインであり、街全体に統一感を与えている。家々はその木組み自体が装飾となっており、ドイツ人職人の心意気を感じる。
ここが日本である以上、日本で手に入る建材で作られているはずだが、同じ木造建築でも文化が違えばこうも異なるものになるのか。
直人達が最初に案内されたのは教会だった。多くの装飾が施された優美な建物で、高い尖塔が印象的だ。
市ヶ谷大本営が軍事統治する今の日本においてキリスト教は事実上の禁教扱いであるが、ここ仙台ドイツ人街の中に限って、活動が認められているらしい。
「私教会見るの初めてだよ。やっぱり石造りなんだね」
「この教会はカイザー・ヴィルヘルム記念教会のコピーなんです」
「てっぺんに十字架立てるのね」
「中に鐘が五つあるのですが、煩いので全部同時に鳴らすことは仙台市から禁止されています」
「なんで鐘を鳴らすんだ?」
「日本のお寺と同じですよ。時間を伝えてるんです。礼拝の時間を伝える意味もありますが」
「中に入れるの?」
「入ることはできますが、本当に礼拝に来ている人に怒られるので止めておきましょう」
その次に移動したのは主要区画から外れた場所にある大きな宮殿だった。荘厳という表現が相応しい佇まいで、正面には庭園が存在する。門の前には軍人と思しき人が立ってはいたが、こちらを咎めるような素振りは見せなかった。
「かつてヴィルヘルム二世が居住していた宮殿をコピーしたものです。全てではありませんが」
「こっちは中に入れないの?」
「普通に人が暮らしているので無理ですね」
「ああ、ヴィルヘルム二世が住んでいるのね」
「いえ、ヴィルヘルム二世は四年前に亡くなっているので、今はそのご子息が家督を継いでいます」
「ていうか皇帝の住む家にこんなに近づけちゃっていいのかしら」
「ヴィルヘルム二世の方針なんです。日本人観光客を拒絶するなと」
「武装親衛隊もそのくらい溶け込む努力をしてくれるといいのだけれど」
「そう思います。……天気が崩れてきましたね。カフェに入って休みましょうか」
エリザの言葉に、四人はカフェへと移動した。
直人にはコーヒーの味などわからなかったが、その店は帝都にも店を出店している人気店らしい。
日本は水質が良いからか、移民してきたドイツ人の間ではドイツで飲んだ時よりも旨いと好評なのだとか。
直人達は夕暮れ時には師団司令部へと戻り、在日ドイツ軍がまとめた作戦の説明を受ける。詳細が詰められていたが、大筋は直人達が考えてきたものと相違なかった。
その後何度か作戦の確認を行い、夕食となる。当然夕食にも期待していた直人だったが、出されたものは期待通りとはいかないものだった。
パン。ハムが二種類。鮭の切り身。玉ねぎ。レタス。以上である。量が少ないというわけではない、ないのだが……。
「あのこれ、冷たいんだけど」
「ドイツでは夕食に火を使いません。これをカルテスエッセンといいます」
「え、じゃあスープとかどうするの!?」
「夜にスープはあまり食べませんね。ジャガイモの冷製スープなら出ることもありますが」
「じゃあ毎日冷たい夕食を食べてるってこと?」
「そうですよ」
「あり得ないわ」
「夕食に手間をかける日本人こそ非合理的です。そんな時間があったら部屋の掃除でもした方が合理的ですよ」
「両方やるのよ日本人は」
「それでも食事に余計な時間がかかっているのは事実でしょう」
「それは余計とは言わないわ。食事こそ人間の最大の喜びの一つじゃない」
「食事の準備がストレスになっては、それこそ人生の質を下げると思いますよ」
「作る過程を楽しめないのかしら」
「楽しめる人だけが手の込んだものを作ればいいんです」
「それにしたってメイン料理は温かいものを作ればいいじゃない」
「これでも十分美味しいと思いますけど。ねえ直人さん」
「美味い」
「だから直人は美味いとしか言わないから意味ないのよ!」
「いや俺だって美味けりゃ美味いほどいいと思ってるぞ」
「それは……そうでしょうけど」
「ハム、塩辛いね」
「ああ、それはレタスとパンに乗せて食べるんですよ」
「あ、そうなんだ」
「玉ねぎはハムとサーモンどちらと一緒でもいいです」
昼と夜、たった二食であったが、ドイツ人の食に対する考え方がなんとなくわかった。肉がたくさん食べられるということならドイツでの食事も悪くはなさそうだが、それでも温かい米やおかずが食べられなくなることを考えると、日本の方がいいなと直人は思った。
食後には紅茶と茶菓子が振舞われ、のんびりしながら列車の時間を待つ。
そして午後十一時。再び夜行列車へと乗り込んだ四人は、日の昇る前には宇都宮へと戻っていた。