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5. 特訓

 翌日の昼休み。直人が四限目で使った教科書とノートを机にしまい終えるのと同時に、みなもが机にやってきた。


「水無瀬君、食堂に行くわよ」

「お前と?」

「わーい、食べに行こうよ!」


 茜に腕を捕まれ、何となく席を立ってしまった直人はそのまま食堂へ向かう。

 健児は唖然とした顔で見つめ、渚は三人を見ながらメモ帳にペンを走らせていた。


 今日の給食は山菜そばと唐揚げ丼だった。席に着いた三人が「いただきます」を言って食べ始めると、早速みなもが口を開いた。


「昨日の約束よ。貴方のお願い聞いてあげる」

「今ここで言うのか?」

「そうよ。まさか、公共の場では憚られる内容というわけではないのでしょう」

「まぁな。なら言うぞ、俺の望みは――」


 みなもの顔が緊張するかのように強張り、茜がそばをすする。


「夕食代の支給だ」

「……つまりどういうこと?」

「ほら、ここって朝夕は給食出ないだろ?」

「それは、ここは扱いとしてはそこらの中学校と同じだから。でもうちの給食は恵まれている方よ」

「そりゃ分かるがな」


 明治以降日本国内で普及した給食だったが、戦争による食糧不足で中止に追い込まれた学校も多い。停戦後も食糧不足は相変わらずで、給食を再開できていたとしても、裕福な家の子供が通う中学校や女学では持参した弁当で補っているのが一般的だ。そんな中ここ神楽坂予科の給食は明らかに優遇されている。


 ただそれはそれとして、直人は貧しい。一日三回兵食が提供された早衛部隊時代と違ってここでは朝夕は自費で調達しなければならない。寮住まいの学生向けに購買が朝夕に食事を販売しているが、金はかかる。もっとも、神楽坂予科の生徒は一般人なのだから当然ではあるが。


「わけあって俺は仕送りが無い。預金もいつまでもつか分からない。だから夕食を奢ってほしいんだ」

「そんな状態でなんでこの学校に通おうと思ったの?」

「それは聞かない約束だろう」

「そうだったわね……」


 今の日本において都市部と田舎には経済格差が存在する。田舎において小学校を出た後中学校や職業学校に進学し、卒業できる子供の割合はせいぜい一割である。無論直人も、例え父が借金を作らなかったとしても、小学校からの進学は不可能であっただろう。


「私も朝はたまに買うなー。牛乳売ってるのがいいよね。夜は仕出しだっけ」

「ああ。俺は昨日が初めてだったが、味は良かったな」

「私も食べてみたいんだけど、門限があるから無理なんだよね」


 直人は昨日知ったことだったが、購買が夕食用に販売する仕出し弁当は夜六時に販売が開始される。六時丁度に赴けば温かい状態で食べることができるが、遅れて行った場合売り切れている可能性すらあるらしい。


 それにしても仕出し弁当を食べてからでは門限に間に合わないとは、門限は七時くらいか? 玉里は箱入り娘なのだろうか。


「まぁ毎日の夕食代をくれって話なんだが、もし金はだめだって言うならまた何か――」

「いいえ、お金で良いわ。毎日の夕食代を渡せばいいのね」

「おお! それで頼む」

「分かったわ。ただその代わり、私からもお願いがあるの」

「お前厚かましくないか!? 勝負に勝ったのは俺じゃないか!」

「な、あ、厚かましいのは貴方も同じでしょう!? 食事を人にねだるなんて」

「確かにそうだが、でも俺にはお前の願いを聞く義務は無いはずだ」

「ええ、まぁだから今ここで話はしないわ。放課後私についてきて頂戴」

「どこにだ」

「それはその時案内するわ。食事代もその時に」

「……分かった」


 食事代の確保が最優先であるため、直人は頷くしかなかった。

 放課後、約束通り直人はみなもについて校舎を後にした。裏口から出た二人は整備されていない裏庭を通過する。


「どこに行くんだ?」

「旧校舎よ」


 あそこか。用向きは分からないがとりあえずついていくことにする。


 旧校舎までは結構歩く。裏庭を通過して旧校舎と呼ばれている木造の建物にたどり着くと、みなもは玄関の前に立つ。そして制服のポケットから鍵を取り出すと、引き戸を開けて中へと入った。


「なんで鍵を持ってる?」

「私は悠紀羽家の巫女よ。この程度の魔術、どうって事無いわ」

「複製かよ!」

「ええ」


 金属を扱う魔術で作ったらしい。


 特に悪びれる様子も無くみなもは廊下を歩き、突き当りの一室へときた。こちら鍵はかかっていないようで、そのまま引き戸を引いて中へと入る。


「入って」


 みなもに促されて中へと入る。昔の教室のようだった。今はあまり物が無いが、残された黒板が当時の目的を物語っている。


「まぁ座って」


 座ってというのは中央にあるこたつ机の事だろう。直人は鞄を置くとこたつ机に入って話を待つことにする。


 一方のみなもは電灯を点けると、だるまストーブに火を入れる。そして水瓶が被っている布をどけると、陶器製のポットに水を汲み、お茶のパックを入れてストーブの上に置いた。


「手馴れた様子だが、いつも使っているのか?」

「ええ。放課後たまに来るのよ」

「勝手に使っていいのか?」

「使われていないようだしいいんじゃない? 石炭は自前だし」


 そう答えつつ、みなもは直人と向かい合う形でこたつ机に入ってきた。


「ここは昔小学校だったそうよ。その土地を市ヶ谷が買い取ったの。それで今の校舎が建てられたわけだけど、物置として使うつもりで小学校の校舎を残したのね。それがここ」

「電気が通ってるとは便利だな」

「倉庫が暗いと不便だからでしょう。でも水道は来てないからお茶を飲むには汲みに行かないといけないのよね」

「まぁ倉庫に水道は不要だもんな」

「そうね」


 みなもは一旦視線を外すと、一呼吸おいて向き直った。表情が少し険しくなっている。


「それで話というのはね、私に空戦を教えなさいということよ」

「なに?」


 思わず聞き返す。


「空戦よ。御佐機の扱い方ということでもいいわ」

「ここでは授業で習うんじゃないのか?」

「予科で習うのは基本的に座学よ。まぁ二年になると訓練機を用いた練習もやるみたいだけど」

「ならもうすぐじゃないか」


 今は二月上旬。あと二ヶ月待てばいい話だ。


「練習と言ってもただの基礎訓練よ。私には不要だわ」

「まぁ確かに御佐機を既に飛ばせてるお前には退屈かもしれないが」

「そうなのよ。私はもっと強くなりたいの。教官にはそう言ったのだけれど、貴様だけ特別扱いするわけにはいかないって」

「なるほど。まぁ本来御佐機は軍に入ってから扱いを習うものだ。この学校の生徒はその前に基礎を教われるわけだから、進んでいると思うが」

「いいえ。そんなんじゃ上には行けない」

「……何がお前をそこまで駆り立てるんだよ」

「向上心よ!」

「ふーん」

「貴方だって自分の事を語ろうとしないじゃない!」

「その事は不問になったはずだ」

「ええ。私は負けを認めるわ。だからそれについては追求しない」

「夕食代は?」

「ちゃんと払うわ」

「そりゃ良かった。じゃぁ俺はこれで」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 こたつから出て立ち上がろうとした直人をみなもが呼び止める。


「何だよ。約束を守ってもらえることが分かって安心した。これからは仲良くしよう。じゃあな」

「いやだから待ちなさいって」


 そう言いつつみなもはこたつから出て、だるまストーブの上のポットを手に取る。


「お茶が沸いたわ。飲んで行きなさいよ。結構いいお茶置いてるわよ」

「いや喉は渇いてないが」

「湯飲みもあるのよ。茜のだけど。次回は貴方の分も用意するわ」

「いや次回とかねぇから」

「あるの! 貴方もすぐに納得することになるわ」

「なにぃ?」


 そう言われると話だけは聞いておくべきな気がする。


「まぁ座って」


 みなもに促され、とりあえず直人はこたつ机に戻る。一方のみなもは湯飲みにお茶を注ぎ、直人の前に置く。


「次回からは茶菓子を出してもいいわ」

「だから次回って何だよ」

「決まってるでしょう。御佐機の練習よ」

「練習ね……」

「貴方の空戦技術は明らかに素人じゃないわ。おそらくはどこかで訓練を受けている」


 みなもの予想は当たっていたが、直人はそれについて答えるつもりは無かった。


「勿論貴方の立場について詮索するつもりは無い。貴方はただ、私に飛び方を教えてくれればいいの」

「そりゃお前の都合だろうが」

「ええ。でも私はこれから毎日貴方の夕食代を払うわけだし」


 直人は若干苛立ちを覚えた。それは空戦に勝った報酬じゃないか。これは悠紀羽のわがままだろう。可愛い顔してとんでもない女だ。


「勝負の結果だ、当然だろう。なんなら期限付きでもいいぜ?」

「そういうことじゃないの。それに貴方は私の……は、裸を見ているわけだし?」

「んだよ。またそれか」

「でも……だって」

「だって何だよ」

「だって……貴方、その、見たでしょう?」

「何を」

「お風呂場でよ」


 直人は一瞬お風呂場で見た光景を思い浮かべ、すぐに脳から追い出す。だが顔が少しばかり赤くなったかもしれなかった。


「あの角度だと、見えたはずなのよ」

「……それはだな」


 直人は黙りこくった。

 みなもの恥ずかしさと悲しさが入り混じった表情を見ていると、大罪の告白を迫られている気分になってきた。


「分かった。受けよう。これをもって謝罪とさせてくれ」


 直人がそう言うと、みなもが嬉しそうに眉を上げた。


「勿論、ただとは言わないわ。夕食以外にも貴方の予科生活を支援してあげる。勉強とか聞いてくれてもいいわよ」

「まぁ、俺授業殆ど分かってないしな」

「丁度い、じゃない。それはよくないわ。私が貴方に勉強を教える。貴方は私に空戦を教える。ええ完璧だわ」


 みなもは微笑んだ。


 直人としては近いうちに黒金を刺し違えてでも殺すつもりなのであまり勉強に身が入る気がしなかったが、学校生活について訊けるというのはいいかもしれない。


「……というか、その学力でどうやって入試をパスしたのよ」

「正直、筆記は殆ど分からなかった。ただ式神を持ってると言ったら実技試験を行うと言われてな。試験官を判定撃墜したら合格と言われた」

「そ、そう。ま、まぁ私の目に狂いは無かったということね」

「でも俺は人に物を教えたことが無い。だから伝わらないこともあると思うが勘弁してくれ」

「勿論構わないわ」

「じゃあ外に出てやってみるか」

「あら早速。いい心がけね」


 部屋を後にしつつ、直人は約二年間の練習生生活を思い出す。どういった手順で教わったか。


 市ヶ谷神道流では腕の脱力を重視するが、悠紀羽は見た限り体重移動で剣を振ることはできている。だがこの体重移動は空中で御佐機を動かす上でも肝要なのであり、悠紀羽は多分そこができていない。ならば空中での体重移動を身体で覚えられるような練習方法を考えるべきだ。


 そもそも市ヶ谷神道流とは戦いに勝つための方法論であり、そこに深遠な哲学などは存在しない。それがかつて世に繁栄した数多の古流剣術との決定的な違いである。

そう考えると、能書きなど抜きにして空中に行ってもいいだろう。


「じゃぁ飛んでみるか」

「わかったわ」

「これは教官に、ああ鳴滝教官じゃないぞ、別の教官に言われたことなんだが、御佐機の操縦を上達するには、とにかく乗りまくるしかない。身体で覚えるというやつだ。少なくとも俺はそう指導されたから、ここでもそうする」


 みなもは頷いた。


「じゃぁ憑依するぞ」

「早衛!」

「一目連!」


 御佐機に憑依した二人は空中へと飛び上がった。千メートルほど昇ったところで、直人はみなもに無線で指示を出す。


「じゃぁ俺の後ろについて同じ動きをしてみろ」


 そう言って直人は機体を時計回りに横転させ、右に旋回。次に反時計周りに横転して左に旋回した。

 それをゆっくり、計四回やったところで直人はそのまま旋回し、みなもの横に着く。


「もう一回だ」


 そう言って直人はみなもの機動を観察した。


「交互の急旋回。俺達はシザーズと呼んでた」

「昨日貴方もやってたわよね」

「ああ。お前は全然できてなかった」

「分かってるわよ! ……何がいけないのかしら」

「もう一度やってくれ」


 直人はみなもの上方について再度動きを観察した。


 空戦機動を教える際にシザーズから入るのが理想的なのかは分からない。教官によって教え方も違った。


 ただこのシザーズという動きには頻繁な横転が含まれており、横転時の体重移動を学ぶのには適している。結局横転が上手くできないと、縦の旋回の際にも上手く機体を水平に戻せない。

 これができて初めて『インメルマンターン』などの先人の妙技が実現可能となるのだ。


「エルロンを使え! 体重移動は機体の動きに逆らうな」


 悠紀羽は俺の指示を聞いてはいるのだろうが、まぁすぐにできるようになるものではない。


「どうしても、機体が流れてしまうわ」

「腕でバランスを取ろうとするなよ。御佐機自体不安定なように作られているらしい。機体の姿勢は体幹で感じて、視線は使わない」


 直人はそう言ってもう一度やらせるが、特に変わった様子は無い。


「俺達が背中に積んでる発動機は回転方向と逆にカウンタートルクが発生している。だから左右で若干機体の動きが違う。それを覚えると機体の進行方向を変えずに回避行動が取れるようになる」


 横転性能やエルロンを開いてから機体が回り始めるまでの速度は機体によって異なるので、直人も具体的な数字を出してのアドバイスはできないのだ。


 こうして二時間ほど飛んでいると、辺りが暗くなってきた。冬の日暮れは早い。暗くなると着陸が危ないので今日はここまでにする。

 地上に降りた二人は憑依を解いた。


「どうだった?」

「初めて実践的な指導を受けたわ」

「親父に教わったりはしなかったのか?」

「父は市ヶ谷の高官で、家にいないことも多いのよ。こんなご時勢だしね」

「ふーん」

「貴方はどのくらい練習したの?」

「五百時間くらいだと思うが」

「どこでそんなに飛んだのよ。て、訊かない約束だったわね」

「まぁ絶対話せないというわけじゃないんだが、まぁ今はな」


 適当に話しつつ、二人は旧校舎へと戻ってきた。

 みなもがいれたお茶で一息ついていると、足音が一人分聞こえてくる。


「誰か来てないか?」

「ああ。これは大丈夫よ」


 みなもが答え少しした後、勢い良く扉が開いた。


「みなもー!」


 入ってきたのは茜だった。


「あれ、水無瀬君じゃん」

「よう」

「なになに。みなもと仲良くなったの?」

「実は今日から水無瀬君に御佐機の扱いを教わることになったのよ」

「え! いいなー」


 そういった茜は直人の方を見る。


「私にも教えて!」

「まぁ、いいか。一人も二人も一緒だ」

「わーい。ありがとう」

「玉里は式神を持っているのか?」

「うん」


 式神を持っているということは名家の娘なんだろう。まぁこの学校にはそういった名家の子息令嬢が何人もいてもおかしくはない。


「じゃあ帰りましょう」


 だるまストーブの火と電灯が消され、三人は教室を後にした。


「明日もやるのか?」


 旧校舎の玄関を施錠しているみなもに直人が問う。明日は土曜日、半ドンなのだ。


「いいえ、明日は銀座に買い物に行くわ」

「前から約束してたんだよね」

「銀座か……凄い街らしいな」

「水無瀬君も行きましょう」

「俺は特に欲しいものはないが」

「荷物持ちよ」


 東京に来たのは黒金打倒のためだが、せっかくだから一度くらい繁華街を見てみたいのも確かである。


「分かった。行こう」


 明日は銀座に行く約束をして、直人は二人と別れて寮に帰った。

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