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2. 宇都宮

 翌日、直人達は宇都宮の郊外に着陸し、まずは宿泊予定の旅館を目指す。荷物を預かってもらいたいからだ。


 地図をちらっと見た時には普通に歩けば一時間もかからないと思ったのだが、実際には一時間経ってもたどり着いていなかった。おまけにエリザが何やら地図をぐるぐる回し始めた。


「おい……迷ったんじゃないだろうな」

「そんなことありません! 日本の地図が見にくいだけです」

「じゃあ今俺達はどこにいるんだ」

「……この辺です。多分」

「通り過ぎてるじゃねーか!」

「……これだと一時間で着陸地点から十五キロは歩いたことになるんだけど、それはおかしくない?」

「じゃあこの辺でしょうか」

「やっぱ迷ってるじゃねーか!」

「それは否定しません! ただ日本の地図が見にくいだけです!」

「生まれも育ちも日本じゃなかったのかよ」

「さっき否定してたような……」

「とりあえず貸せ」


 直人はエリザから地図を取り上げると周囲を見渡す。


「ここは一体どこなんだ」

「直人、位置が高くて私達が見えないわ」

「ああ」


 直人は地図を持つ手を下げ、四人で地図を囲むがいまいちよくわからない。該当箇所が今開いている頁にない気がする。


「仕方ない……駅を探すか」

「どうやるんですか?」

「人に聞く」


 そう言うと直人は近くにいた男に声をかけ、最寄り駅への行き方を尋ねた。


「一番近いのは安塚駅らしい。この地図でいくと……これか」


 直人達のいる位置はエリザの認識とはだいぶ異なっていた。


「全然違うじゃねーか!」

「直人さんだって気付かなかったじゃないですか!」

「いや俺はなんとなく違和感覚えてた」

「じゃあ言って下さい!」

「まぁいいかって思ったんだよ」

「じゃあいいじゃないですか」

「安塚駅から四駅だよね。列車ならすぐだよ」

「そうね。もう列車を使いましょう」


 ま、列車で行った方が旅行者っぽく見えるか。


 四人は安塚駅から列車で宇都宮市へ入る。久しぶりに聞いた機関車の音は、帝都を走る電車よりも頼もしく感じた。


 駅から出た直人は自分で地図を見て旅館へと向かう。


「これは……凄く高いホテルなんじゃないか?」


 たどり着いたのはいかにも高級そうな綺麗で趣のある旅館だった。


「この街だと一番良い旅館です」

「いいのかよこんなとこ泊まって」

「直人さんは護衛ですから私の隣の部屋です」


 エリザに続いて直人も旅館に入る。内装は純和風。高級そうな調度品が置かれ、すぐさま着物を着た仲居が荷物を取りに来る。


 自分のお金でこのレベルの旅館に来ることはないだろうなと直人は思った。


「茜、私達も部屋をとりましょう」

「えっここ多分すごく高いよ!」

「私もここに泊まるのよ。茜もそうしたいでしょう?」

「そんなお金持ってない」

「大きな街だし銀行があるわよ」

「私口座持ってないよ!」

「……足りなければ貸すわ」

「うう……お小遣い何ヵ月分なんだろう……」


 しぶしぶといった形で茜は後に続き、みなもと二人でフロントの人間と会話をしている。

 一分ほどしてみなもはにこにこして戻ってきた。


「二人部屋がとれたわ。貴方達と階は違うけど」

「一泊五百円って嘘だよね?」

「二、三日で終わらせないとさすがに私もまずいわね」

「同じ宿にする必要性がわからないのですが」

「どうせ泊まるならいい宿に泊まりたいのよ」

「確かにここはいい旅館です。ただ温泉がないんですよね」

「栃木で温泉って言ったら鬼怒川か那須塩原かしらね」

「でも部屋にお風呂ついてるって凄いよね」

「それは楽しみです」

「あら、貴方お風呂好きなの?」

「普段お湯につかる機会がないもので。でもたまにテレサと銭湯に行きます」

「突然ドイツ人入ってきたらみんな驚くだろうね」

「視線は感じます。だから正直落ち着かなくて……」

「銭湯か……俺も好きなんだが金がなぁ」

「随分と貧しいんですね」

「まぁな。だからこの仕事が長引いてくれるとありがたい」

「それはやめてよ!」


 茜の声はわりと悲痛だった。


「最初は市役所に行くんだったか?」

「はい。聞き込みは人が集まるところ、あとは役場だそうです」

「いきなり市長には会えないと思うわよ」

「今日は公僕に要件を伝えてもらうだけです」

「なんて言うんだ?」

「仙台で拉致事件を起こしているドイツ人犯罪組織の拠点が宇都宮にある可能性があるから調査してほしいと」

「あー、普通に言えばいいのか」

「もしその人攫いの組織が市長あたりと繋がってたら、私達も危険になるのではないかしら」

「勿論そうです。怖いなら帰ってもいいですよ」

「以前読んだ小説にそんな話があったというだけよ。人攫い組織は最近亡命してきたドイツ人なんでしょ?」

「いとこの報告では」

「役所の人間は日本人で、ドイツ語なんて喋れないでしょうからその可能性はないわね」

「よかったー。そうだよね」

「そう思うなら最初から水を差さないで下さい」

「私はちゃんと行動する前に安全性を確かめてほしくて言ってるのよ」

「……民の安全が脅かされているのです。例え危険であっても、やめる理由にはなりません」


 エリザの顔は真剣だった。貴族の矜持とかそういうものがあるのかもしれない。


 宇都宮市役所は歩いて十五分ほどのところだった。


 ロビーで受付に要件を話し、待合室でしばらく待つ。意外なことに、一時間後に市長の部屋に案内するということだった。


「シュトレーリッツの名前が効いたのかもしれません」


 エリザが得意げに言う。


「ドイツの貴族の名前なんて普通知らないと思うわよ」

「それは会ってみないとわかりません」


 それから待つこと一時間。直人達は本当に市長の部屋へと通された。


 四人が並んで座れるソファに腰かけ、市長はその体面に座る。


 これといって特筆すべき点のない地味な男であったが、直人はなんとなく妙な雰囲気を感じていた。


「お会い頂きありがとうございます」


 エリザが頭を下げ、三人はそれに倣う。


「いえいえ。シュトレーリッツは日本でも華族扱いの名家ですから、お会いできて光栄です」


 市長はにこやかに言った。


「面会を申し出た要件についてですが」

「伺っております。仙台のドイツ人街でドイツ人の行方不明者が出ており、それに関わるドイツ人犯罪組織が宇都宮市にいるかもしれない。という話ですね」

「はい」

「……実はその、最近潜水艦で亡命してきたドイツ軍が金井町の方に滞在しております」

「はい。宇都宮の北西部に最近亡命してきたドイツ人達が集まっているというのは、いとこから聞いています」

「いとこ?」

「クルツ・シェーファーという男なのですが」


 いいつつエリザは写真を取り出し市長に見せる。


「この男性が市役所に訪れませんでしたか?」

「……これは……存じて……いや、来ましたな、確か」

「いつ頃?」

「一週間くらい前だったと思います」

「その後こちらには訪れていませんか?」

「来ておりません」

「どこへ行くとか言っていませんでしたか?」

「さぁ……特には」

「どんな話をしましたか?」

「今の貴方と同じ話を。ドイツ軍が金井町と、正確には宝木町にもですが、滞在しているということも話しました」


 市長の対応は丁寧ではある。ただ、直人は市長のこちらの様子を窺うようなしぐさが気にかかった。


 それに先ほどのみなもの発言。普通の日本人がドイツの貴族の名前などいちいち覚えているか? 勿論、歴史好き、ドイツ好きという可能性もあるが。


 少し変な感じがしたので直人は口を挟んだ。


「そもそも何でドイツ軍が金井町に滞在しているんですか? 東北にドイツ人街ってありますよね」

「それは……私もそう勧めたのですが、東北のドイツ人街には居住スペースがないらしく、彼らはこの街に住むことを希望しましたので、街の復興と農作業を手伝うことを条件に受け入れました」

「街の復興とは?」

「……この街は反乱軍が駐屯していたことがありまして、正規軍との戦闘に街の一部が巻き込まれ被災してしまったのです」


 全国の反市ヶ谷派部隊が一斉に反乱を起こしたのは昨年の八月だったはずだ。おそらくはその時のことを指しているのだろう。


「ドイツ人は何人いるんですか?」

「それは……詳しいことは存じません」

「日本まで来れたってことは大きい潜水艦ですよね。一隻でも五十人くらいいたんじゃないですか?」

「まぁ、そのくらいはいたと思います」

「じゃあ彼らの食事ってどうしてるんですか?」


 これは直人の素朴な質問だった。だいぶ空腹を覚えていたのだ。


「それは、彼らは貴金属などを持ち込んでいましたので、日本円と交換し、売買しています」


 ここでみなもが上着のポケットから手帳を取り出し、鉛筆でメモを取り始めた。それに気付いた直人がエリザを見ると、エリザはメモ帳を出してすらいなかった。


「正直私はその宇都宮に滞在するドイツ軍人達が怪しいと考えているのですが、何か心当たりはありませんか?」

「彼らが同じドイツ人を攫う理由というのは、見当もつきませんな」

「そのドイツ人達の様子は?」

「そうですな……軍人というだけあって、規律は守られていますな。寧ろ犯罪行為は働かないよう徹底されているようですが」

「元からいた日本人が被害を受けたりは?」

「そういった話はきておりません。まぁ背が高いので怖い、といった感想はありましたがね」


 市長は少し笑って言った。


 しばし沈黙が流れる。エリザは何事か考えていたようだが、これ以上質問は思いつかないようだった。


「本日はありがとうございました」


 エリザはそう言ってから立ち上がる。直人がそれに続いて立ち上がると、市長が口を開く。


「これから……金井町と宝木町に行かれるのですか?」

「……そうですね。そうしてみようと思います」

「そうですか。……彼らの代表者はゲオルク・ヴィッテルスバッハという男性と、その奥方であるジェシカ・シューマッハ様です」

「ヴィッテルスバッハ!?」


 エリザが驚いた声を上げる。


「やはりご存じですか」

「勿論です」

「これから金井町に向かわれるなら、私から連絡しておきましょう」

「それは……」

「シュトレーリッツ様が当市に滞在中のドイツ人部隊を疑っているというのはわかります。ただ、どうせ向かわれるのでしたら、直接会ってお話しした方が良いかと」

「そうですね。わかりました。連絡をお願いします」

「承知いたしました」

「金井町方面にはバスが出ております。八番乗り場から四駅乗って下さい」


 四人は市長に頭を下げ、市役所を後にした。


「エリザ。メモ、代わりにとっておいてあげたわよ」

「正直ありがたいです。手帳を忘れてしまいました」

「旅館に?」

「家に」

「……」

「じゃあこれ貸すわ」

「かたじけない」

「かたじけないとか今どき言わないぞ」

「そうなんですか? じゃあ、ありがとうございます」

「まぁいいんじゃない? それが気品なんでしょ?」

「いえ、普通の日本語を喋りたいと思います。気が付いたら言ってください」

「あいよ。……にしても、明らかに怪しかったな」

「そうね」

「ちょっとびくびくしてたよね」

「やっぱりそう思いますか? もっと締め上げてもよかったですかね」

「他に手がなくなったらありだな。だがまずは飯だ」


 正午近くとなり空腹感が凄い。とりあえず近くの定食屋で昼食をとり、午後はドイツ軍が滞在しているという金井町へと向かうことにした。


 エリザが驚いていたヴィッテルスバッハという名前は、ドイツが帝政だった時代の超名門貴族らしい。エリザ曰く、ヴィステルスバッハはシュトレーリッツ家よりも位が高かったとか。


 二つの家系とも、神聖ローマ帝国の時代まで遡れるらしい。世界史に疎い直人にはよくわからなかったが。


 昼食を食べながら、ヴィステルバッハという指揮官に会えたらどういった質問をするかも決めておく。


「バスが出てるって言ってたよね」

「八番乗り場だそうです」

「……これか」

「もしドイツ軍が犯人なんだとしたら会いに行くの危なくない?」

「多少危険なのは承知の上です。ただ白昼堂々街中でということはないと思います。勿論不穏な雰囲気になったら逃げますが」

「行ってみないとわからねぇな。部隊全部が関わってるわけじゃないかもしれないし」

「……そうね」


 ともあれ四人は宇都宮駅からバスに十五分ほど揺られ、バス停で降りた。


 まずは偵察ということで街中を歩いていると、確かに軍服姿の白人四人組が目に入った。

 エリザが話しかけるがドイツ語なので他の三人には何を話しているのかわからない。しばらくして戻ってきたエリザに直人は問う。


「どうだった?」

「いとこのこと。人攫い組織については知らないと。ただ、ヴィッテルスバッハに会いたいと言ったら案内してくれるそうです。やはり彼らの部隊長でした」

「いきなりビンゴか」

「ちょっと怖いなぁ」

「……二人はここで待っていても構いませんが」

「行くわよ。直人も行くんでしょ?」

「護衛だからな」

「じゃあ私達はその手伝いなんだから行くわよ。ねぇ」

「う、うん」

「ただ……あんまり山奥とかだったら断った方がいいかもな」


 直人はそう言ったものの、案内された先は街はずれではあったが、さほど離れた場所ではなかった。


 木造の小屋とも倉庫とも呼べそうな建物が数棟と大量のテント。炊事場の周りには大量の木箱が積まれ、トラックも一台停まっている。


 ここだけで五十人はいるな。直人は思った。


 ドイツ兵とエリザが何事か話すと、ドイツ兵が立ち去っていく。


「なんだって?」

「中に入るかと言われたからここでいいと」


 しばらくして、本当に男と女が小屋の中からこちらに歩いてきた。


 周囲の兵士と服が違うので、おそらくは指揮官。二人とも大きな帽子を被っている。階級章はわからないが、男の方は勲章をつけているのできっと偉いのだろう。ただ、男の方は杖をつきながら歩いており、女性だけが剣を帯びていた。


「お前達か。話は聞いた。私がこの部隊の隊長、ゲオルク・ヴィッテルスバッハ大尉だ」


 おお! 直人は驚いた。日本語を喋っている。イントネーションこそ変だが、十分に聞き取れるレベルだ。


 そして若い。今名乗った男の方でもせいぜい二十代半ば。その隣にいる女性に至っては十代と言っても通じる。


「お会い頂き光栄ですヴィッテルスバッハ様。私はエリザ・シュトレーリッツと申します」

「シュトレーリッツ。私が生まれる前に祖国を捨てた貴族。まさかこの目で見ることになるとは思っていなかった」

「私はいとこを探しています」


 そう言ってエリザは写真を見せる。


「いとこさえ見つかれば、私達は帰るつもりです」

「彼らは?」


 ゲオルクが直人達の方に視線をやる。


「私の友人で、いとこ探しを手伝ってもらっています」

「……申し訳ないが、この男を見たことはない」

「では、仙台でドイツ人の行方不明者が相次いでいる件なのですが」

「それについて我々を疑っていると」


 ゲオルクがエリザを見る目が細くなる。その目つきはエリザを見下しているような印象だった。


「ヴィッテルスバッハ様を疑っているわけではありません」

「私の部下の仕業ということか」

「何か不審な点はございませんか?」

「ない。私の統率力を疑われるのは不愉快だ。シュトレーリッツ」

「……失礼いたしました」

「ドイツ人の行方不明。疑うべきは市ヶ谷ではないか。市ヶ谷が人身売買を行っているという方が、現実味があるだろう」

「そうかもしれませんが、いとこは攫われたドイツ人は宇都宮に運ばれたと言っています」

「ならば、我々もこの辺りで人攫いが起きていないか探してみよう。それでいいか」

「……はい。ありがとうございます」

「他に訊きたいことはあるか」

「ヴィステルバッハ様の部隊は、元々はどういった部隊なのですか?」

「……色々だ。フランス人もオランダ人も、イタリア人もいる。寄り合い所帯だ」

「それが一つの部隊になったということですか?」

「今は一つの部隊として私が指揮している。皆帰る場所のない者達だ」

「ドイツが負けるから、ですか?」


 ゲオルクの表情が険しくなった。怒っているともとれる。それが数秒ほど続いた。


「そうだ。故に我々はこの国に馴染み、生活しようと思っている」

「仙台に来ようとは思いませんか?」

「我々の中にはドイツ人以外もいる。ドイツ人の中にも主義主張がある。全て一緒くたにすれば良いというものではない」

「……わかりました」


 その後数回ドイツ語で話し、会話は終わったようだった。


「最後なんて言ってたんだ?」

「いとこが見つかるよう祈っていると」

「ほんとに知らないのかな」

「それは後で話しましょう」


 エリザが茜に言い、直人達はひとまずその場を離れた。


 その後付近の街を見て回ったが、これといって不審な点はなかった。

 確かに未だ復興ができていない区画も存在したが、それは昨年の反乱で壊れたのであり、ドイツ軍は関係がない。


 時折ドイツ軍人の数人組を見かけるが、敵意を感じるというわけではないし、街の人も慣れた風で特に怖がる様子もない。


 先ほどのゲオルクの言葉通り、この街に馴染もうとしているようだ。


 現時点ではエリザのいとこの報告内容をこの目で確かめる以上の成果は得られていないが、四人は日が落ちる前に旅館に戻ることにした。

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