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1. エリザの依頼

 三月の三週目、期末試験が行われていた。


 最後の試験は世界史だったが、直人の答案は大半が空白だ。


 教科書は一通り読んだしみなものノートも覚える努力はしたものの、暗記に身が入っていたとは言い難い。


 京香に言ったらしばかれそうな話だが、日本史ならまだしも世界史への興味は薄く、何年に誰がどうしたとか直人にとってはどうでも良い話だった。


 他の科目も似たりよったりで、元から知識のあった御佐機操法とみなもの張ってくれたヤマが偶然当たっていた数学だけが及第点といったところで、あとは担当教師が顔をしかめる点数であることは間違いなかった。


 というか既に回答を諦めて窓の外を見ている直人の姿に担当教師である京香が顔をしかめていたのだが、そんな顔をされてもわからないものはわからないのだからどうしようもない。


 虚無の時間を過ごしたあとチャイムが鳴り、遂に全ての試験が終了した。


「あーん結構忘れてたー」


 席を立った直人に茜が寄ってくる。


「飯食いに行くか」


 直人と茜がドアに向かう途中でみなもが合流する。


「直人世界史どうだった? 昨日やったところ結構出てたと思うんだけど」


「ああ。あれはわかったぞ。ナポリタン」

「……ナポレオンね」

「それそれ。あとクリーミ戦争」

「クリミア戦争ね」

「そんなだったな」

「大丈夫かしら」


 みなもの声が聞こえてきたが、もう忘れた。


 食堂で昼食を摂った後は旧校舎へ向かう。今日は金曜日だが午後に試験が存在しないため半ドンだ。春休みは今この時始まったのだ。


「直人は春休み実家に帰ったりするのかしら」

「しない」

「じゃあ私の家に遊びに来る? お父さんに直人君のこと話したら、道場に連れてきてほしいって」

「それ面白いかもな」

「ほんと? いつでもいいよ」

「私は旅行に行こうかと思うのよ」

「家族旅行か?」

「いいえ、私達で行くのよ」

「え、俺も?」

「いいじゃない。暇なんでしょ」

「暇だが、金が無いぞ」

「そこは私が出してもいいわ。近場なら大した額にならないでしょう」

「それマジ!? だったらいいな」

「貴方はどこに行きたい?」

「うーん。香取神社と鹿島神社かなぁ」

「あらいいじゃない。距離も丁度いいわね」


 日本の武の聖地と言われる香取・鹿島神社は神武天皇が即位した年に創建されたとされ、フツヌシ・タケミカヅチを主祭神に持つ。平安時代において神宮と呼ばれたのは伊勢神宮以外では鹿島神宮と香取神宮だけであったというから、その格式の高さがうかがえる。


 旧校舎へとたどり着いた三人は旧校舎へと入る。


「貴方鍵閉めないのね」

「閉める必要あるか?」

「普通閉めるのよ」

「うちの周りは閉めてなかったけどなぁ」

「一応閉めておいた方がいいよ。私物とか置いてあるしさ」

「あんなもん盗るやつもいないと思うが……ああそういや日雇いの給料置いてあるな」

「置きっぱなしなの?」

「すぐなくなるからな。ああそういや春休みも日雇い行かなきゃな」

「貴方も大変ね」

「学費がな……」


 言いつつ直人が自室同然となった教室を開ける。そこには金髪の少女がいた。ギブソンタックの髪型にブルーグレーの制服。


「話は聞かせてもらいました」

「え」

「きゃっ!」

「あれ!?」

「鍵が開いていたので勝手に上がらせてもらいましたが……これがこたつですか。悪くありませんね」

「何勝手に入ってるのよ! 外で待つのが礼儀でしょう?」

「えーっと、あれだ。空中分解した奴だ」

「あの時の事は忘れてください! ……エリザと呼んで下さい」

「で、エリザが何の用だ?」

「貴方は勝手に部屋に入られていいの?」

「やっぱ鍵閉めた方がいいのかな」

「閉めた方がいいよ」

「外が寒かったのと直人さんがいつ帰ってくるかわからなかったので中で待たせてもらいましたが、ただ座っていただけです」

「はぁ。前もって電話とかできないのかしら」

「直人さんは電話を持っているのですか?」

「持ってない」

「では次からは学校に電話するとしましょう」

「いやそれはどうなんだろうな。逆に騒ぎになりそうな気も……」

「ともかくお茶を入れるわ」


 みなもは湯飲みを四つ取り出すとテーブルに置き、マッチを擦って火鉢に投げ入れる。


「用事というのはですね。水無瀬直人。貴方に仕事を与えます」

「仕事?」

「具体的には私の護衛を頼みたいのです」

「今日はあのメイド服の人いないの?」

「私一人で来ました。理由は後で話します」

「なんで直人なのよ。警察にでも頼めばいいでしょう」

「実はですね、軍にいる私のいとこが行方不明になっているのです」


 みなもの言葉を無視してエリザは話し始めた。


「仙台のドイツ人街でドイツ人が何人も失踪、行方不明になっているのです」

「ますます警察行きなさいよ」

「私のいとこは在日ドイツ軍の通信部、所謂ヴァルター機関の防諜課職員でした」

「ヴァルター機関とか言われてもわからんけど」

「創設者の名前からそう呼ばれているのです。……いとこの話では一連の事件は人攫いであり、組織的に行われている犯行だそうです。いとこはその組織の拠点が宇都宮の近辺にあることまで突き止め、実際に調査へ赴きました」

「俺に相談することなのかはともかく、面白そうな話だな」

「ただ、そこで行方不明になってしまったのです」

「行方不明?」

「連絡がなくなり、滞在中の住居も不在になっていました」

「ねぇ、防諜ってなに?」

「スパイと戦うことを言いますが、いとこのやっていることこそがスパイでした」

「スパイっていうとゾルゲ事件みたいな?」

「おそらくあんな感じです」

「それって殺されてる可能性があるってことじゃないか?」

「それは否定できません。でも生きている可能性もあります。それだったら助けに行きたい」

「じゃあ俺に護衛を頼みたいってのはいとこの救出ってことか?」

「はい。その通りです」


 エリザが頷いたところでみなもがやかんを持ってくる。


「お茶が入ったわ」


 みなもは四つの湯飲みにお茶を注いでいく。一通り注ぎ終わるとやかんを火鉢の上に戻し、自分もこたつに入ってきた。


「今の話が本当なら直人が一人いたってどうにもならないわよ」

「諜報活動は極秘なので内密に調査したいのです。それにこの国で白人が集団で聞き込みをしていると目立ちます。日本人の助けがいります」

「エリザが聞き込みをするから俺がそれを護衛すればいいってことか?」

「その通りです。日給二百円出します」

「ほんとか!?」


 日雇い一日やっても百円を超えることはまずないから、破格の待遇である。


「いとこを本気で助けたいなら警察に行くべきよ。そっちの方が確実だわ」

「私としてもそうしたい思いはあります。ただ、そうはできない事情があるのです。日本の警察に介入されると通信部の情報が日本政府に公開されてしまいます。そもそも日本の警察が私のいとこの救出を優先してくれるかもわかりません。結局救出には私達シュトレーリッツ家が動くしかないのです」

「まぁ事情はわかった。じゃあいとこを救出できた後は新聞社に話したりしてもいいか?」

「それはやめて下さい。いとこ曰くこの事件は身内の恥。ヤパーナのメディアで取り上げられたくありません」

「身内?」

「おそらくは、最近亡命してきたドイツ人達の仕業であると」

「ドイツ軍が亡命してきてるって噂は本当だったのか」

「二百円は口止め料も含めた額のつもりです」

「なるほどなぁ」


 大帝都新聞に持っていくことができれば更なる大金が手に入るだろうが、依頼主が拒否している以上は断念するしかないだろう。それはあまりに不義理だ。


「直人……危険じゃない?」

「でも二百円貰えるしな。それに諜報ってのは面白そうだ」

「それってどのくらいかかるの?」

「わかりません。が、貴方達の春休みが二週間であることは知っています。だからそれ以上は雇いません」

「やっぱりけっこうかかるよね。じゃあ私も行こうかなぁ」

「茜!?」

「場所は宇都宮なんでしょ? 旅行みたいだし。ねぇ、護衛は多い方が良いよね」

「いいえ。諜報というものは少人数が原則です」

「ええー、でも二人も三人も変わらないよ」

「じゃ、じゃあ私も行くわ」

「いえですから多いと目立つんですよ」

「そんなこと言ったら直人はおっきいんだから目立つじゃない!」

「それでも四人いるよりはいいです」

「じゃあこうしましょう。私と茜は直人のお手伝いということで」

「何も変わってない気がしますが、まぁどうしてもついてくるというなら止めません。でも私が雇うのは直人さんだけです」

「それは問題ないわ。私と茜はただ宇都宮に旅行に行くだけ、そのついでに直人を手伝うのよ。ねぇ直人、良いわよね」

「いいんじゃん? 別に」

「じゃあ決まりね」


 みなもの言葉にエリザは少しため息をついた。


「そのいとこの手掛かりは何かないのか?」

「いとこは『オデッサ』という組織のメンバーであると身分を詐称して現地に入りました」

「オデッサ?」

「海外に逃亡しようとしている、或いはしたドイツ人の支援組織です」


 海外逃亡、か。つまりはドイツの敗戦が近いということなのだろう。ドイツ軍の快進撃が新聞の一面を賑わせたのも今は昔だ。


「いとこからの最後の手紙では、現在宇都宮の北西部に最近亡命してきたドイツ軍が滞在していることを確認したそうです。手紙の日付は二週間ほど前でした」

「露骨に怪しいじゃねえか」

「私も最近やって来たドイツ軍の仕業ではないかと考えています」

「でもなんだって同じドイツ人を攫うんだ?」

「それはわかりません。可能であればそれも調べます」

「最優先はいとこの救出ってことか」

「はい。生きているとすれば、正体を看破されて監禁されていると思われます。いとこからの手紙には、『ヴェアヴォルフ』という単語がありました。おそらくは人攫い組織の名前でしょう」

「ヴェアヴォルフ?」

「日本語で人狼という意味です」


 そこでエリザは話を切った。手掛かりというのはそのくらいなのだろう。


 しばしの沈黙に、エリザは湯飲みを手に取る。そして湯飲みを三回回すと、中身を口に運んだ。

「結構なお手前です」

「……それはどうも」

「……? まぁいいです」


 エリザがお茶を飲み干すのを見て直人もそれに倣う。丁度飲み頃の温度だった。


「宇都宮に宿を二人分とってあります。明日朝八時に迎えに来るので、ここにいて下さい」

「わかった」

「私達は旅行者のふりをします。だから私服でお願いします」

「軍刀は持ってていいよな」

「それは必要です。護衛ですから。まぁ戦わないのが理想ではありますが」

「ねぇみなも、私達の宿はどうする?」

「明日行って同じ旅館宿の部屋をとりましょう」

「そうだね」

「では質問がなければ、帰ります」


 エリザは立ち上がった。


「一つ、訊いておきたい」

「なんです?」

「お前年いくつ」

「十五になります」

「同じか。じゃあ丁寧語の必要ないな」

「日本ではこれが気品のある喋り方だと教わりました」

「まぁ、そうっちゃそうだが」

「同い年だし私達には普通でいいよ」

「いいえ。貴族の気品は大事ですので」

「じゃあ私達は気品が無いってこと?」

「平民なら普通でしょう」

「悠紀羽は名門中の名門なんだけど!」

「自分で言うのか」

「わからせる必要があるわ!」

「私は……まぁ普通かなぁ」

「いや茜もかなり箱入りよ」

「では直人さん。明日の八時に迎えに参ります」

「お、おお」


 エリザは教室の外へ姿を消した。


「……行っちゃったね」

「お高くとまった感じだわ。……直人は同い年なのに敬語の女ってどう思うかしら」

「まぁいいんじゃないか? 気品があるってのもわかる気がする」

「え、そう?」

「礼儀正しいのかなって気はする」

「私のお父さんもたまに『なんとかですわー』って言うよ」

「それは気品とは違う」


 その日の夕方、直人は旅行の準備をした。まぁ準備といっても着替えと軍刀の手入れ用具くらいしか物はない。


 仕出し弁当を食べた後は日課の鍛錬をやって、その日の活動を終えた。

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