12. 民衆のアヘン
数日後の昼休み、直人は週末に廃病院の噂について調べる旨みなもと茜に言った。単に廃病院を探検するというだけだが、茜にとっては気分転換になるかもしれない。
「今週の土曜日は、私と茜は用事があるのよ」
「用事?」
「東京神祇会の会合なんだよね」
「東京神祇会?」
「都内の神社の代表者が集まって、都内の祭事や儀式の調整をしたり、意見交換をするのよ。」
「……うん? 茜って神社の人だっけ」
「うちの道場の隣にある秋葉原神社はうちの敷地なんだよ。私は巫女じゃないけど、いつも参加してる」
「ふーん。じゃあ日曜は?」
「私は用事があるのよ」
「実は私もなんだ」
「じゃあまぁ、一人で行くかなぁ」
「今回は動く死体が出たりはしなさそうだけど、危ないと思ったら帰ってきなさいよ」
どうせ一人で行くのだったら土曜日の午後でいいだろう。日曜は日雇いに行くか野球でもすればいい。
そう考えた直人は土曜日の午後、銀座まで行って百貨店で懐中電灯を購入し、総武本線で千葉方面に向かい、途中で私鉄に乗り換えて目的地の最寄り駅まで行く。
時刻は昼下がり。
幽霊が出るとすれば夜であろうから、まだ明るいうちに病院内の写真を撮り、そのまま夜まで粘って何かしらの心霊現象が起きないかどうか確認する。
病院内はところどころ窓が割れていて確かに使われていない様子ではあったが、まだ新しいと思われる足跡があったりして、人が出入りしている形跡がある。
こりゃ樋口さんの言う通り、心霊現象の正体はホームレスあたりだろうな。
そう思いつつ直人はロビーを抜け廊下へと進む。すると数人の話し声が聞こえてきた。
「時は来た! 今宵、我々は東京神祇会の会合を襲撃し、宗教関係者を殺害、捕獲する!」
……なに!?
「目標は京橋神社。既に先行して同志達が付近に潜伏している。我々が御佐機で駆けつけると同時に、襲撃を開始する手はずだ」
東京神祇会って、みなもと茜が行ってる奴だよな。これやばいな。
「京橋神社には、帝都の神道関係者が集まっている。基本は拉致だが、入手した参加者名簿の中で、悠紀羽、梅野、玉里、安川、上田。こいつらは殺すな。見せしめが必要な場合はこれ以外を殺れ」
今悠紀羽と玉里って聞こえたぞ。本当にあいつらが参加している会合らしいな。襲撃は何時だ? 一刻も早く行った方がいいか? それとももう少し何か情報が得られるか?
「マルクスは言った! この国家、この社会が、宗教という倒錯した世界意識をうみだすのは、この国家、この社会が倒錯した世界であるからであると!」
同意の声が多数室内から上がる。
「この国の労働者は常に苦しめられてきた! しかし、宗教は現実世界を見つめる目を曇らせる。宗教は労働者を苦役から救わない。労働者の蜂起、革命によってのみ、解決されるのだ!」
「そうだ! 宗教撲滅!」
「改革だ!」
「共産主義社会のために!」
「我々は今まで虐げられてきた。しかし、今や御佐機を入手し、人ならざる妖怪の助力まで得ることができた。妖怪は、共産主義社会に賛同している。しかも、今宵鬼を召喚できる絶好の機会であると言うではないか! ならば、鬼を召喚し、同志とし、革命のための戦力にするに如かず! 同志諸君、夜明けは近い!」
背後から足音が聞こえた。それも複数。
直人は咄嗟に廊下からロビーへと移動する。そこには二人の男がいた。
「だ、誰だ!?」
「ちょっと道に迷っちゃって、もう帰るところです」
「計画を聞かれたんじゃないか!?」
「捕まえろ!」
見れば二人とも軍刀を指している。それを見定めるや否や、直人は速足で前進を始めた。みなもと茜が危ない。ここで足止めを食らってはならない。
敵手は二手に分かれている。直人は敵前で歩幅を狭め、すり足に切り替える。
前方の敵が若干だが後ずさったのが見えた。こいつはもう一人が横から俺を攻撃してくれることを期待している。
直感でそう判断した直人は突如歩幅を広げると、後足で踏み出し、残した軸足をも前方に向けて伸ばし、爪先で地を蹴りだす。この身体を最大限に前に送る飛躍の如き踏み込みで一息に間合いを奪い、その間にひっくり返していた軍刀の峰で敵手を殴打した。長身の直人であれば身体が伸びてくるように見えただろう。
男の悲鳴が病院に木霊する。
相手が魅乗りかどうかわからないので殺すわけにはいかないが、殺しはしないというだけの話だ。重傷は免れまい。
これで一対一。逃げるようであれば追わないが……。
しかし残された敵手は軍刀を構え、ゆっくりとこちらに向かってきた。
目に恐れは見られない。実戦経験者か。
積極的に攻めてはこないはずだ。ここは敵地。敵にしてみれば待っていれば増援が恃める。
が、直人の読みは外れた。敵手はうってきたのだ。
直人は軍刀を前に出してそれを受け、跳ね飛ばすようにして振り下ろすと、すかさず切り上げに転じる。だが敵手は既に間合いの外にいた。
攻勢に出ると見せかけての時間稼ぎか。
かと思えば再び仕掛けてきた。
突きを放ってきた敵手に対し、直人は軍刀を水平に持ち上げてそれを受ける。
敵手の軍刀は刀特有の反りのある形状から上方へとそれ、直人はすかさず払いへの移行を企図する。
しかし、敵手は瞬時に下方へと体重移動を行い、強烈な荷重をかけてきた。
直人の膂力をもってすれば耐えきれぬ重さではない。だがこれは一種の鍔迫り合いだ。敵手の出方を正確に見極める必要がある。
が、状況は強制的な変化を迫られた。一階の廊下から別の男が出現したのだ。それを見定めたのは直人と敵手はほぼ同時。それが証拠に一瞬軍刀への圧力が弱まった。
それを逃さず直人は後方に跳躍。一旦距離を取る。これで敵に挟まれた形となった。
新たに現れた敵は即座にこちらへ突進してきた。それに呼応するようにしてもう一人も突進してくる。
薬丸示現流のかかり打ちに近い戦法。こいつらはおそらく市ヶ谷神道流の使い手だ。
相手が複数である以上立ち止まるのは悪手。
直人も速足で前進し、彼我の間合いを急速に詰める。直人は軍刀を右手のみで持つと、先ほどまで戦っていた敵に軍刀を振り下ろす。
――剣法水無瀬流『喝空』
右片手で刀を大きく振り下ろして隙きを作り、そこを下からの切り上げで攻める技だ。
打ち返された場合でも、そのまま太刀を左肩に担いで防ぎ、そこから相手の左側に大きく回りこめる。場合によってはこちらに突き出された敵の小手を斬り落とすことも可能だ。
が、この場合は前方の敵とのスペースを確保したかったに過ぎない。即座に左足を軸にして足腰を回す。その勢いのまま反転しての横薙ぎで右敵の首へ、寝かせた軍刀の腹を叩きつける。
敵は横に吹き飛び悶絶して動かなくなる。これでまた一対一。だがこの残った一人が手強い。
少しでも時間が過ぎれば敵の仲間がやってきてしまう。敵は待ちに徹しても構わないわけだから、こちらから動くほかにない。
「凄まじいな」
不意に敵手が口を開いた。
「お前ほどの使い手、戦地でも見なかった」
それだけ言って、敵手は右上段に構える。
一方直人は左脇に構え、左肩を前にして近づく。先制したのは敵手だった。
――剣法水無瀬流『咬牙』
左肩を相手に見せる構えのまま近づき、その左肩を打たんとする敵を下から斬り上げる技だ。が、基本的にこの攻撃は牽制の意味合いが強く、足を継がずに二刀目に繋ぐ連続技こそが本命。
今回も敵手の振り下ろした軍刀を受け止めるに留まり、すかさず手首を返し、左足に体重をかけて袈裟斬りを見舞う。
だがこれも敵手に阻まれる。ならばと突きに出ようかと思ったが、敵手がこちらに圧をかけてくる気配があったため後の先狙いに思考を切り替える。
が、これも外れ。敵手は小さなバックステップで後方に退き、間合いから外れる。
くそっ。敵にしてみりゃ増援を待ちゃいいんだから、そう簡単に攻めてはこねえか。なんとかしなければ……。
そう考えていた瞬間にも、またも敵手から攻めてきた。これに対し、直人は意表を突くべく古流剣術特有の技を以て迎えることにする。
こいつは峰打ち、平打ちで倒せる相手ではない。斬撃の最中に手首を返す一瞬の隙が命取りになる。
魅乗りかわからない以上殺したくはないが、その腹積もりをしてこの場を乗り切る。
……これも生きる覚悟か。
脇構えから軍刀を水平に持ち上げた直人は右手に柄を持ち、左手の親指と人差指で軍刀を挟む。
――剣法水無瀬流『裂衝』
敵の斬撃を頭上で斜めにした軍刀で防ぎ、瞬間、両手もろとも左足を前に一重身になり相手の太刀を落とす。そして太刀先は相手に向けたまま右手を下ろして刃を腰の高さに下げ、右足を蹴りだすように胸を突く。
「ぐっ」
敵手がくぐもった声を上げる。直人の切っ先は敵手の右胸を穿ったのだ。が、深手ではない。直人の突きは致命打にはなっていない。
本来ならばすかさず止めへと移行するところだが、今回においてそれは不要だ。
敵は追って来れないと判断した直人はすかさず背を向け、逃走した。
Tips:東京神祇会
東京神祇会は帝国神祇会の下部組織である。帝国神祇会は全ての都道府県に一つずつ下部組織を持っており、東京神祇会はその名の通り東京都を管轄としている。
神祇会は民間の宗教団体であり、神社の興隆と神職の向上発展を図ることを目的とする。
明治維新直後の新政府は祭政一致を志したが、諸外国の反対や仏教会の反発のみならず、市ヶ谷機関にさえ反対を食らい、全ての神道流派が納得する教義体系を創造することは不可能であるという結論を得て放棄する。
しかし、中世以来混沌とした様相を見せている神道の組織整備は必要であろうということになり、それには本職の知見が不可欠であると考えから、神社整理を実施するために神職が集まって意見交換を行うための組織が作られる。それが帝国神祇会である。
明治維新後の日本においては、神道が事実上の国教として扱われていたため、日本神道と政治は分かち難いものがあった。維新前より執政部に影響力があった日本神道の魔導士集団、市ヶ谷機関は内務省の外局となり、その権力を増した。
御佐機の発明により魔導士が強大な戦力だとみなされるようになると、神道は軍部への発言権を手にするようになり、それは三十年代後期の精霊機の発達、量産によって決定的なものとなる。市ヶ谷機関は魔導軍を名乗り、第三の軍事組織と化した。
そして昨年のクーデター成功により市ヶ谷大本営による軍政が始まる。
この時点で市ヶ谷大本営は政治・軍事と完全に一体化してしまっており、日本人を統治するための装置とも呼べる存在となってしまった。
そんな時代にあって、帝国神祇会は市ヶ谷が統治機構となったことで逆に行えなくなってしまった惟神道を布教する役目を担っている。
余談だが、欧米人の大半が信奉するキリスト教も本質的には同様であり、侵略した先で現地宗教を駆逐し布教に励む様はまさにキリスト教がブリテンの世界制覇と切り離せないことを示している。