3. 直人対みなも(陸戦)
放課後、急用が入った旨健児に伝えた直人は呼び出しに応じて目的地に赴く。既にみなもは待っていた。ベルトに固定した軍刀の他、制服の上から腰紐をして、木刀を二本差し込んでいる。
「こっちよ」
直人がその姿を認めて近づくと、みなもは一瞥だけくれてずんずん歩き出した。木製の旧校舎を回りこむようにして裏手に出る。
旧校舎の隣にある野原。決闘はここで行うらしい。大きな石などはなく、足元の心配は無い。旧校舎によって完全な死角となっており、目撃者はいないだろう。
「このあたりでいいわ」
立ち止まったみなもは持っていた木刀を一本投げて寄越した。そしてそのまま離れていく。
「私が勝ったら私の質問に全て答えてもらう。拒否するなら反政府勢力として通報する。貴方が勝ったら昨日の件は不問とする。相違無いわね」
「無い」
「いいわ。木刀でも叩かれれば相当に痛いけど、それは私のお風呂に侵入した対価だと思って頂戴」
自分が負けるとはまるで思っていない口ぶりだ。それだけ自信があるのだろう。
「決闘は、どうすれば勝敗がつくんだ?」
「それについては審判を呼んであるから。ああ、来たわね」
みなもの視線の先には走ってくる少女の姿があった。直人の傍を通り過ぎたあと一陣の風が続く。
もの凄いスピードで走ってきたが、みなもの隣で立ち止まった彼女は息一つ切らせていない。
「いやぁ、もしかして待った?」
「いいえ、丁度良かったわ。今始めるところ」
「私野球に誘われてるんだけど」
「明日三笠屋のカステラを持ってきてあげるわ」
「わーい」
審判を承諾したらしい少女は直人の方に向き直る。
「君転校生だよね。私は玉里茜。同じクラスだよ。よろしくね」
「よろしく」
「茜。判定は公平よ」
「うん分かった。それにしても何でまた決闘することになっちゃったの? みなも怒ってるけど」
それについてこちらから語る言葉は無かった。
「この勝負に私が勝ったら彼は洗いざらい吐くことになるわ。貴方にも説明できるわね」
「そっか。じゃあ頑張ってね」
茜はそう言ってみなもから離れ、二人から等距離に立つ。
「茜、ルールの説明を」
「うん。真剣なら戦闘能力を奪えるような攻撃を有効とする一本勝負だよ。じゃあ二人とも準備はいい?」
いよいよ決闘が始まるが、みなもは軍刀を腰に差したまま。
「ちょっと待ってくれ。その腰の刀はなんだ? それは真剣じゃないのか?」
「ああ、これは依代よ。貴方は御佐機を持っているみたいだからその保険。正々堂々の勝負に応じるなら関係無いわ」
なるほど。追い詰められた俺が自暴自棄になって御佐機を持ち出してきた時のための対処か。まぁそもそも依代は寮に置いてきているのだが。
「依代は寮に置いてきた」
「そう。では始めましょう」
木刀を握った右手を下げたみなもが直人を見据える。そして木刀を右上段に構えた。
魔導士は剣を振り上げる場合、左右どちらかの担ぎ上段に構えるのが普通だ。御佐機に憑依した状態で真上に構えようとすると冑が邪魔になるからだ。
市ヶ谷大本営の御用剣術は神道流。特に御佐機の搭乗員たる魔導士は市ヶ谷神道流という流派を使う。
その魔導士の育成機関である神楽坂の学生が習う剣術もまた、市ヶ谷神道流だ。直人は転校初日だが、市ヶ谷神道流は早衛部隊で教わっており、かなりの心得があった。
この流派、神道流と名乗ってはいるものの、実は剣術三源流の一つたる神道流とはあまり関係が無い。その成立は御佐機の出現後であり、ほんの十数年前。御佐機の発明によって生じた必要に応じて開発された流派なのである。
それまで剣術の経験が無い魔導士であっても御佐機に憑依した状態での太刀の取り扱いを短期速成的に鍛錬し、早期に戦力化が可能なように体系化されている。
裏を返せば実戦で役立つ可能性の低い技は含まれていないのだ。精神の鍛錬等は視野に入れていない、実用性のみを突き詰めた剣法と言える。
空中だけでなく陸戦用の型も存在するが、基礎的な動きのみであり、熟練者しかできないような高度な技は存在しない。
もしみなもが市ヶ谷神道流に即した戦い方をするのであれば、直人も手の内は知っている。
だが直人は、みなもが市谷神道流とは別の古流剣術に精通しており、それを用いた戦い方をしてくることを警戒していた。
悠紀羽家は日本神道の武の御三家と言われる名門中の名門。そういった家系は、御佐機の発明前から魔導の名家として固有の剣術を持っているのが常だ。
そのような古流剣術には一見非合理とも思えるような複雑な技が存在し、歴史の分だけ引き出しがある。
彼女の用いる技はいかなるものか。可能ならばそれを目の当たりにする前に終わらせたい。ちゃんと審判もいるのだ。
身長差を利用し敵手の間合いの外から一刀を加え、それをもって勝利とするのが理想だが……。
目前の少女の構えからはこわばりが見られない。腕から脱力している。見事な弛緩の様相で立っている。これだけでも手強い相手であることは分かる。
市ヶ谷神道流では初期の段階で腕の脱力を教えられる。御佐機による空中戦において、太刀に威力を乗せるのは腕力ではなく高速で動く御佐機そのものの運動エネルギー。
腕は単なる力の伝達経路。そこが勝手に動くとかえって力を減じる。よって腕は刀を支えるのみ。
地上においてもそれは同じであり、力任せに剣を振った所で同じ御佐機の正、側面装甲は砕けない。それよりも御佐機の重量を生かした体重移動による力を使った方が斬撃時の威力は遥かに大であり、体重移動で繰り出される斬撃刺突を装甲の薄い箇所か隙間に当てることによって撃破が叶う。
要するに日本魔導士は地上でも空中でも腕を脱力して戦うことになる。そのため市ヶ谷神道流においては腕の力を抜いて足腰で刀を振れるようになると基礎はできたと見なされる。
勿論これは御佐機という兵器を扱う上で最も合理的と考えられる刀剣操法であり、全国津々浦々にある古流剣術においてはまた別の理論も存在する。
直人もみなもと同様に右上段に構えた。左足を前にして右足を引く。今回の場合斬撃の威力はこちらの方が遥かに上だろう。ならば上からの振り下ろしで敵の木刀を弾き飛ばすことも可能と思われた。
対するみなもは腰を落とし、地面を足裏で擦ってゆっくりと、だが確実に間合いを詰め始めていた。
現代の戦場での刀剣操法を主眼とした市ヶ谷神道流にすり足歩法など存在しない。やはり彼女は悠紀羽家に伝わる古流剣術の使い手!
一筋縄ではいかない。わざわざ剣の勝負を挑んできた辺り、自信を裏打ちする実力があったのだ。
重心の高さを変えず、姿勢を崩さず、亀の如き鈍足で距離を殺す。それがどれだけ難しいことか直人は知っている。敵手は相当な鍛錬を積んでいる。
スカートから伸びるしなやかな白い足は、鍛えこまれたものに違いなかった。
この時点で直人は手加減するなどという夢想を捨て去った。手心を加えて勝てる相手ではない。まずもって勝たねばだめなのだ。
両者の斬り間は身長差の分直人の方が長い。よって望むならこちらから仕掛けることが可能。だが剣の勝負とは突き詰めれば読み合い。意図を隠し、敵の考えを読み、裏をかいて、斬る。直人は鍛錬と実戦で鍛えた眼力を以って敵の狙いを探る。
明白だった。敵は先の機を欲しがっている。受けに回る気はまるで無いように思われた。それは彼女の性格故か。
こいつ……分かりやすいぞ。
呼吸こそ完璧に隠せている。身体の軸もまったくぶれない。が、目の色というか、雰囲気が攻める気まんまんなのだ。絶対に俺を打ち据えるという気概を感じる……。そうとなれば先に打たせて後の先を取るに如かず。
直人は半歩間合いを詰める。応じるようにしてみなも間合いを詰めた。彼女の腕の長さに刀の長さを足し合わせれば、攻撃が届く距離まであと僅か。
直人はその空間を侵すようにすっと身を乗り出す。上段に構えた剣が前に出る。敵の射程に入った。
敵手は相当な鍛錬を積んでいると見える。ならば自分の斬り間を見誤ることは無いだろう。果たして、やはり敵は打ってきた。
刹那、みなもの右足に体重がかかる。それを認識する間もなく、その身体がバネの様に射出された。十四、五歳の少女とは思えない突風の如き挙動。
速い! が、勝った。
直人は屈めていた上半身を後ろに引きつつ、前に出ていた左足をほんの少しだけ前に送った。これだけの動作で彼女の刀は届かなくなる。
故意に隙を見せ敵の攻撃を誘い、かわして空振りさせたところを打つ。敵は攻撃の最中であるから躱すことはできない。典型的後の先。彼女は見事に嵌った。
冷静さを欠いたな悠紀羽! これは木刀を用いた野良試合だぞ!
この瞬間に違和感がよぎった。……もし彼女が至って冷静なのだとしたら? 過度の緊張状態などではなく、冷静に自らの勝機を手繰り寄せていたとしたら?
直人が抱く違和感の理由はみなもの表情だ。
笑っている。侮蔑している。まるで勝ったのは自分だとでも言いたげに。それはおかしい。敵は既に死に体。無防備な上体をこちらに晒すのみ。剣の鍛錬を積んできているのならこの状況が理解できないはずは無い。即ち、状況を正確に理解した結果笑っているのだ。
まずい――!
直人は咄嗟に視界の下のほうに意識をやった。みなものスカートの、その下。
しっかと大地を踏みしめていたはずの左足が動いている!
左膝が伸びているのが確認できた。
みなもの間合いが伸びていた。木刀の物打ちは的確に直人を袈裟斬りにできる。
迷っている時間など無かった。直人は攻撃という選択を捨て、再び体重を左足に乗せつつ太刀を手前に下ろし、みなもの一刀を迎え撃った。
彼女の体格からは考えられない威力だった。全体重が乗った一撃は直人の置いただけの木刀など容易に弾く。幸いだったのはこの時点で直人がカウンターという選択肢を放棄していたことだ。その衝撃は予想されたもので、直人は逆らわず左足で地面を蹴り押し、滑るようなバックステップで距離を開けた。
だが打ち合った衝撃で姿勢が崩された直人に対し、一刀を防がれたみなもは姿勢を崩しておらず、すぐさま前に出ていた右足を後ろに戻し木刀を右上段に構え直した。
そのまま突きに入ることも出来たはずだが、それでは有効打の判定を得られないと判断したのか。それとも、あくまで完璧な勝利を望む故か。
退く形となった直人は体勢を立て直しつつ木刀を右肩に担ぐ。その時間さえも奪おうというのか、みなもは腰を落したまま、即ちいつでも攻撃に入れる体勢のまま、すすと早足で間合いを詰める。
この歩法は実戦なら敵を威圧し、思考時間を奪う効果があっただろうが、持っているのが木刀ではそれは望めない。少なくとも直人は間合いを完璧に把握できていた。
不意にみなもが前に突き出している肘が動き出した。
――くる!
みなもは先ほどと同様の攻撃動作に入った。
敵の攻撃兆候を見切ることは出来た。だが敵は既に初動を起こしているのだから、勝つには敵を上回る攻撃速度が必要となる。
みなもの一刀はそれを許さなかった。
スタートでついていた差はそのまま体勢の差となった。ぎりぎりで受け止めることが出来たが、手前で受け止める形になったため体重がかけられない。一方みなもは鍔迫り合いをする上では理想的な体勢だ。
単純な力勝負となれば直人が負けることは有り得ない。不利な体勢からでもみなもの木刀を跳ね除けることが出来るだろう。だが刀の位置が悪いのだ。男女間の筋力差があるといっても状況の打破にはかなりの力が要求される。
それだけの力を迂闊に込めればそれを見切られる可能性がある。そうなれば勢い余ったこちらの両腕が宙を泳いでいる間に無防備な脇腹を狙われるだろう。
かと言って一旦飛び下がり構えなおしてから斬撃などという手順を試みれば、その間に突き倒される可能性がある。何せ敵の切っ先はあと少しでこちらを突くことが出来る角度まで迫っているのだ。この戦法を取る上でもやはり体勢が問題になった。
しかし、直人はこの不利な刀の位置を逆手に取る方法を思い出した。咄嗟に左手を柄から外し、みなもの太刀をさらに手前に引き込む。そしてみなもの両腕の間に柄をするりと差し入れた。
彼女は気付かない。このまま押し切れると踏んだか、あるいは痺れを切らせたこちらが力任せに出るのを待っているのか。直人の剣から離れていた左手が再びそれを握る。四本の腕が鉤のように絡み合った。
「え……?」
直人は思いきり木刀を回転させた。その柄はみなも両腕に引っかかり、捻りあげる。刀を用いた関節技。みなもの腕の骨が軋みを上げる。
「あうっ……」
痛みに耐えかねたみなもは声を上げ、木刀を取り落とした。
みなもは後ずさり、直人は茜の方を見る。彼女もその意図は察したようだ。
「勝負あり。水無瀬君の勝ち」