5. 対策
その週の放課後はみなも、茜と試験勉強をすることが多かった。三月も半ばに入り期末試験が近いからだ。
「なぁ、全科目零点だった場合どうなるんだ?」
「さすがにそれだと勉強の意欲なしということで退学になるんじゃないかしら」
「それは嫌だな……でもこんなん俺に解けると思うか?」
「教えてあげるから一緒に解きましょう」
「あーみなも代わりに解いてくれー」
「それだと貴方ができるようにならないでしょう!」
「……厚さ八十ミリの装甲板を撃ち抜くのには四百五十キロジュール必要です。では弾頭重量六・六キロの砲弾が同じ装甲板を撃ち抜くには……まぁとりあえず撃ってみろよ」
「運動エネルギーの公式を使って」
みなもがお茶を入れてくれるので時々それを飲みながら頑張って問題を解こうとする。
「次の文を過去形にする……か。日本の過去って何だ? 大和?」
「それはLiveを過去形にするんだよ」
「ああ、Dをつけるってやつね。lived in japanか……」
「そうそう。過去分詞形も同じだからいいよね」
「サウンズグレイト……音が凄いのか」
「単に凄いって言ってるだけだよ」
「ああ、そうなの」
書きつつ直人は違和感を覚える。
「え、茜って英語できんの!?」
「まぁこれ基礎問題だし」
「嘘だろ!? 俺よりできるってことかよ……」
「え、それってどういう意味!?」
「直人より勉強できない人なんていないんだから茜の方ができるに決まってるでしょ」
「いや探しゃいるだろ。そこらへんの小学生とか」
「この学校でって意味よ。小学生と張り合ってもしょうがないでしょう」
「なんてこった……実際零点にはならんだろうし、進級はできるんだよな」
「多分。でもこのままだと来年の卒業試験に落ちて留年するわよ」
「はぁー……旅に出ようかな」
「ちょ、ちょっと待って! 私に空戦教える約束があるでしょう?」
「何慌ててんだよ。とりあえず進級はできるんだろ? その後考える」
「なんというか貴方は本当に突然いなくなりそうな雰囲気あるのよね」
「なんだそれ」
ともかく直人は授業で扱った例文を覚える努力を続けていった。
「さすがに疲れたな」
「じゃありんごを剥くわ」
「わーい」
「次は日本史か……ここノートとってねえや。みなも写させろ」
「しょうのない人ね」
ん? 普通にみなものノート使って勉強すりゃよくないか?
そう考えた直人はみなもの板書を覚える努力をした。
そのようなことが土曜日まで続いていたが、土曜日の午後を丸々勉強に充てる気にはならなかった。そこで先週日曜の戦いについてみなも、茜に尋ねてみることにする。
「こないだの魅乗りが使ってた突き技についてなんだが」
こたつに脚をつっこんだまま直人が口を開く。
「あの速い突きの真髄は妙な踏み込みにあると思うんだが、お前ら何か知らない?」
この直人のあまりに大雑把な質問の仕方に、二人の少女はきょとんとする。
「え、まだあの魅乗りについて考えてたの?」
「またいつか戦うかもしれないだろ」
「もしそうなっても一人で戦わないで。向こうもこちらと戦う理由は無いはずだわ」
「お前俺が負けると思ってるだろ」
「え、いやそんなことないわよ」
「次会ったら俺が勝つ。そのための作戦だ」
そう言いつつ直人は立ち上がる。
「まぁ同じ魅乗りとまた出くわすことはそうそうないと思うけど」
「こう……なんつーんだろうな。あいつの目線はほとんど平行に移動してたし、右足を踏み切ってなかったように見えたんだよなぁ」
「こうやって片手で太刀持ってたよね」
何やら小説を読んでいた茜も立ち上がり、右手を突き出して立つ。
「そうそうそれで右足が動かさずに跳ぶ」
「膝落かなぁ」
「膝落?」
「うん。だから、こう……」
茜は滑るように平行に跳躍した。
「そう! それだよずっこけたみたいな踏み込み!」
「やっぱり膝落かぁ。まぁ私はあまり上手くできないけど」
「いやできてるだろ!」
「まぁ茜は天才なところあるから」
「それどうやってんの?」
言いつつ直人も立ち上がり、茜と同じ姿勢になる。
「えーとね。まず目線の高さを変えずに右膝を抜くんだよ」
「抜く?」
「曲げるってこと」
「え……左足での片足立ちか」
「そうすると体重のかかった左足が反射して地面を蹴るから、その瞬間に跳躍するんだよ」
そう言われ実際にやってみようとするが、いまいちできてる実感がない。
「どうだ?」
「目線が上下しちゃってるかなぁ」
「やっぱりそうか」
「直人君なら練習すればできると思うけど、刀持ってやるともっと難しくなるよ」
「確かにそうか。で、やつはここから片手で突きを放つわけか」
「鶴来タイ捨流でこの技を出すときは、刀は両手で持つんだけどね」
「……いや、それが普通か! 刀は両手で持つ武器だ」
「そうだよね。片手で持ったら重くて安定しないし」
あの技は御佐機ならではということか……。とはいえ基本は同じはずだ。
「うーむ……。茜は膝落に対する返し技を知らないか?」
「え……わかんないけど」
「それは普通に突き技への対処ということになるんじゃないの? ただの膝落ならば」
二人のやりとりを眺めていたみなもが口を挟む。
まぁ確かにそうか。突きに対する返し技としては、打ち落とす。摺り上げる。払う。が代表例だ。勿論状況によっては躱してしまってもいい。
「うーむ。あの突きを返せる気がしないな」
「それは相手に間合いを支配されているからよ」
「そうか!」
「膝落による突きを防ぐには相手が跳躍する瞬間を読んで、跳躍中の敵の太刀を叩かないといけない。でも膝落という動きが非常に読まれにくいものにしている。貴方が攻撃できる間合いが一瞬しかないのよ」
間合いを支配する……。無論剣術において間合いは勝敗に直結する要素だが、ここまで一方的に支配されるというのは経験がない。
「間合いの支配……か。みなもは何か知らないか?」
「幕末に野太刀自顕流が猛威を振った理由の一つが、懸かり打ちが間合いを奪いやすい技だったからだと言われているわね」
「それは聞いたことがあるな」
猿叫を上げながら疾走してくる敵手との間合いは急激に減少し、掴み難い。故に未だ届かぬ距離でありながら迎え撃とうとし、刀が空を斬ってしまう。また一刻と変化する間合いを完璧に把握していたとしても、最後の一歩が跳躍のごとき大股の踏み込みであるが故に、こちらが剣を振り下ろすタイミングを見失い、自顕の一刀を食らってしまうのだと。
「ただあれは上段からの斬り下ろしだからな……」
「太刀を片手で持つというのは日本の剣術ではほぼ皆無でしょう」
「……いや、二天一流は二刀流だろ? あれは太刀を片手で持ってないか?」
直人は最近読んだ小説を思い出した。
「二天一流は殆ど失伝してしまっているけれど、あれは鍛錬法であって実戦剣術ではないと言われているわ」
「え、そうなの?」
「ええ」
「マジかよ……」
直人は露骨にがっかりした顔をした。
「だって貴方刀を片手で振り回せる?」
「振り回すのは……キツイな」
「でしょう。まぁ二刀流なら神道悠紀羽流にもあるわよ」
「ほんとか!?」
流石は著名な流派、神道流とタイ捨流。引き出しの数がとても多い。
「ええ。私は普段から小太刀を持ち歩いているし」
直人の食いつきにみなもは少し得意げだった。
「技を教えてくれよ!」
「教えるのはいいけれど、膝落片手突きの対策にはならないわね」
「……突きを防ぐだけなら太刀一本で十分だもんな。敵の攻撃を見切れないから問題なんだ」
「膝落片手突きへの返し技はあらゆる古流剣術に存在しないわ。あの魅乗りが使う技は古流剣術でありながら御佐機でなければ出せない技へと進化しているのよ」
しかも俺の考えでは零精という身軽で脚が強い機体だからこそ成しえる技だ。生身や零精以外の御佐機では実践困難な術理。
「うーむ」
何度かやってみるができる実感はない。まぁこの状態でコツを掴んだところで奴と同じ技を出せるようになるわけではないが……。
ただ、一つ気付いた事がある。膝落は腰を落とすとやりにくいということだ。膝を曲げることで生じる足裏と地面の隙間を利用するのだから当然と言えば当然。
あの敵がすり足から膝落を放てるのは鍛錬の賜物だろうが、それでも人体、およびそれを模した御佐機の構造上、大きく腰を落とした状態では膝落を繰り出せないことは間違いない。
もしかしてこれは突破口になるのではないか。
直人がそう考えた時、やけに慌てた京香が窓をノックしてきた。