4. 神速の突き
翌日の三限目は世界史だった。担当教師である京香が黒板に『アメリカの歴史』と書いている。
直人は数学や物理も好きではなかったが、実際に手を動かして計算しないといけない場面があるため、まだしも能動的に授業に向かっている。しかし歴史の授業というものはどうしても板書を写すだけの受動的に姿勢になりがちで、直人のように勉学への興味が薄い人間にとっては一層のことそうであった。
よって直人は何度目になるかも分からない昨日の魅乗りとの戦いを思い返していた。
「前回までブリテン及びフランスの歴史について話したが、その際何度もアメリカという単語が出てきた。その時は詳しく触れなかったが、グレートブリテンを語るうえでアメリカの存在を省略することはできない。よって今回からはアメリカの歴史について学ぶことにする」
京香の走らせるチョークの音を聞きながら直人は考える。
敵はあの時片手で太刀を握っていた。左足で跳躍しつつ右腕を限界まで伸ばして距離を稼いだ。ここまでは間違いない。問題は跳躍に入るまでの予備動作がなかった、ように見えたことだ。
「一七七五年に勃発した第一次アメリカ独立戦争がブリテンフランス同盟の勝利に終わったことは既に話したな。以前からこの二国は自分達で世界を分け合うことを多くの秘密協定で取り決めており、アメリカ大陸も分け合うことにしたというわけだ」
京香の声が右から左に流れていく。
まさに先の先を取られた格好だったが、もし俺が先制攻撃を仕掛けていたらどうなったか。突きによる先制攻撃。だが敵の速さは異常だった。結局敵の突きが先に俺に届いていた可能性もある。だがその場合は敵にもリスクはある。その場合は一旦引くつもりだったのか?
「――こうした背景もあって、一八六一年に第二次独立戦争を起こすが、これもまた失敗した。これは英仏からの完全独立を目標とする北部に対し、奴隷制が維持されるならばブリテンやフランスの一部でも構わないと考えた南部が英仏側に付いたことも原因の一つだ。こうしてまたもアメリカの独立は失敗したが、本国の議会に席を得ることはできた。これを機に英仏に対するアメリカの影響力が徐々に増していくことになる」
俊足のすり足から前に出ていた足で地面を踏み押し、滑るように短くバックステップ。すぐさま跳ね戻り未だ攻撃動作が完結していない敵を斬る。後の先。
これくらいなら俺にもできる。こうした技は運動ベクトルが前後に切り替わるため遅延の発生を不可避とし、そこに付け込まれる危険性があるが、あの敵手なら難なくやってのけただろう。
生身で相当の修練を積んだに違いない。それを御佐機で出そうとすると難易度は更に上がる。もちろんあの敵は生身でも同様の技が繰り出せるのだろうが、御佐機に憑依した状態で繰り出せている点に関しては零精の特性ゆえに成立しているのかもしれない。
身軽に動ける零精だからこそあの突きは神速足りえているのだろう。
零精は揺動する船の甲板に着陸することを前提に設計されているため、機体の軽さの割に脚が強い。スマートさを重視したbf109や大重量に対して脚の強度が不足しているF6Fがしばしば着陸・着艦時に脚部を故障していたのとは対照的だ。
「第一次大戦において、英仏はアメリカに派兵を要請した。本来は一つの国なのだから派兵するのが普通なのだろうが、アメリカ人は強く反発したそうだ。結局英仏は引き換えにアメリカ政府の設立を許し、大幅な自治権を与えた。一方勝利したイギリスは疲弊したフランスから債務と引き換えに領土を獲得。現在の北アメリカの国境線が画定し、残ったフランス領もルイジアナ共和国として自治権を得ることになった。まぁ戦勝国の中ではフランスの一人負けだな」
敵の突きを見切れない以上、直人にとって最も勝算が高いのは先制攻撃を仕掛け、一撃で戦闘能力を奪うこと。だがこの場合でも敵は即座に突きで先の機を取るか、一旦躱して後の先を取るという二つの選択肢が残っており、あの突きを以てすれば難しいことではない。
やはり分が悪い。勝てるとすればまぐれであろう。自分が勝つ絵が見えない。
「――こうした戦後処理が一通り終わってから数年、一九二八年に第三次独立戦争が勃発する。この戦争は今でいう御佐機が初めて実戦投入された戦いでもある」
「わからんなぁ……」
「何が分からないんだ水無瀬」
京香に尋ねられるが、自分が呟いていたことに直人は気づいていなかった。思わず困惑が口に出る。
「え?」
「わからないというのはアメリカがまた独立戦争を起こした理由か? それなら今から――」
「いやそれは別にいいですけど」
「よくはないだろう」
「すいません、話の流れが見えないんですが」
「……水無瀬貴様、授業を聞いていなかったな?」
「いやあの、あ、はい」
「精神がたるんでいる証拠だ!」
京香に教科書で頭を叩かれ、直人は思わず首を垂れた。
流石にこの時間中は目を付けられているだろうから授業を聞いているしかないが、途中からではいまいち興味も持てない。
「――アメリカの独立を願う者は未だアメリカ中に存在するとされ、デモや集会程度なら時折行われている。こうした者達をアメリカ独立派と呼んだりする」
まぁしかしこれ以上一人で昨日の戦いについて考えるのも時間の無駄だな。恥などと思わずみなも、茜に助言を請うてみるか。古流剣術の使い手である彼女達ならその流派ならではの発想を持っているかもしれない。
「――現在日本に進駐してきているGHQだが、その中核はアメリカ軍であると言われている。本国はヨーロッパでドイツと交戦中だからな。となると、GHQの中にもアメリカンドリーマーが数多く混ざっているのかもしれないな」
放課後にでも昨日の突き技について尋ねてみよう。直人がそう考えたところでチャイムが鳴った。
京香が授業の終わりを告げ日直が号令をかけて三限目が終了した。
昼休み。今日の献立は雑穀米、塩鮭二尾、里芋の煮物にさつま芋の味噌汁であった。直人がお盆を持って席に座ると、その向かいに早峰渚が座る。
それを見て少し遅れてやってきたみなもが顔をしかめる。
「なんであんたがいるのよ」
「どこに座ろうが俺の自由だろうが」
「情報部の仲間と食べればいいでしょう?」
「いや、今日はお前ら、特に直人に話がある」
「俺に?」
「昨日のことさ」
みなもと茜が席につくと、渚は改めて話し始めた。
「昨日銀座で共産主義を標榜する集団による銀行強盗並びに武力行使があった。最終的に首都警に鎮圧されたと各紙は報じているが……俺の掴んだ情報だと武装勢力は三機ほどの御佐機を所持していて、それらは所属不明の御佐機によって倒されたらしい」
そういえば今朝鳴滝教官が同じ事件について話していたが、御佐機については触れていなかったな。新聞には書かれてないのか。
「所属不明機は緑の機体が二、灰白色の機体が一。これ、お前らだろ」
「お前も昨日銀座にいたのか」
「いや、俺自身がいたわけじゃないが、目撃証言はかなり多いみたいだぞ」
「私達だよねそれ」
「俺達のことを記事にするのか?」
「いや……これに関してはちょっとすぐにというわけにはな。今のところは俺の興味だ」
「ふーん。ところで赤黒い御佐機も目撃されていると思うんだが」
「ああ。武装勢力側の機体だな」
「それについて目撃証言があったら聞かせてくれよ」
「昨日の事件でって話か?」
「いや、今後どこかでそんな話を聞いたらさ」
「別にいいが、内容によっちゃ有料だぞ」
「え、俺金ないんだよなぁ」
「金のない奴がどうして銀座なんか行ったんだよ」
「いやみなもが靴買ってくれるって言うから」
「ちょ、ちょっと!」
「えお前靴買ってもらってんの? 他には?」
「あとはカレー。まぁこっちは荷物持ちの代わりって感じだが」
みなもが焦る理由も分からず、直人は素直に答えた。
「お前それ……なんでもねぇ」
何故だか渚は咳払いをして発言を中断してしまった。
「早峰君……? 分かってるわよね」
「ん? ああそうだな。情報の取り扱いには注意してるよ」
渚はにやにやしながら答える。
「あんたのその笑い方が嫌いだわ」
みなもは侮蔑したように言った。
この二人は仲が悪いのだろうか。今まではこれといってそういう場面を見たことはなかったが。
「しかし直人お前金ないんか」
「ないな。学費払ったら全部消えた」
「へぇ。じゃあバイト紹介してやろうか」
「ちょっと、変なバイトじゃないでしょうね」
「まぁ普通ではないが、俺も時たまやってるバイトだぞ」
「……え、ツバメ?」
茜の発言に一同が凍り付く。
「違ぇよどうしてそうなるんだよ!」
「茜そんなこと言ったらだめよ!」
「読んでた小説に出てきただけで詳しくは知らないよ!」
どうしてその発想に至ったのかは渚の容姿のせいだろうが、さすがに失礼なので言わないでおく。
「新聞屋だよ。新聞屋に行くんだよ! 直人、とりあえず放課後新宿に行くぞ。好きな時にできる割に入りの良い仕事だ」
「ああ。分かった」
渚は新聞屋に出入りしているのか。いかにも情報部らしい。
バイトの話も興味があるが、新宿という街にも行ってみたい。繁華街だという話だが、みなもが専ら銀座を好むので直人は行ったことがなかった。
そして放課後。
「なんでお前らがいるんですか」
「あんたの事を信用してないからよ」
「早峰君ごめんねツバメとか言って」
「その話はもういいんだよ! あーわかったいいだろ。俺のバイト先教えてやるよ。だからくれぐれも変な噂流すんじゃねぇぞ」
ともかく渚も少女二人がついてくることを承諾したようで、四人は連れ立って飯田橋駅へと向かった。
新宿までは中央線で一本。それも六駅。銀座に行くよりも近く、今日のような平日の放課後に行って帰ってくることも容易だ。
「なぁ、首都警ってなんだ?」
「うん? ああほら、GHQとの条約で日本は首都圏での軍事活動にGHQの許可が必要になっただろ?」
「そうなのか」
「だから、市ヶ谷は警視庁の戦力を大幅に強化する事で、テロとかに対処する事にしたんだよ」
「じゃああいつらはやっぱり警察なのか。戦車みたいのも持ってたけど」
「一応な。もともと警視庁の中にあった特別警備隊ってのが前身だからか警備隊って名前だけど、ありゃ軍隊だよなぁ」
「でも御佐機は持ってないっぽいよな」
「確かに首都警の御佐機って聞いたことないな。まぁGHQといろいろあるんだろ」
そんなことを話している間に電車は新宿にたどり着く。
新宿駅の規模は東京駅に匹敵すると言われ、まだ夕方だというのに大量の群衆を吐き出している。
新宿通りは乗用車にバスにトラックがひっきりなしに通り、それに混じって路面電車やら自転車やらが往来している。
銀座に匹敵する繁華街だが、それとはまた違った趣がある。なんというか、もっと大衆的、世俗的だ。無論、百貨店等もあるので富裕層も訪れるのだろうが、雰囲気が庶民的で、気高く留まった感じがしない。
みなもが買い物は銀座と決めている理由がなんとなく分かった。
駅から歩いて十分ほど。大通り沿いにある大手新聞社のオフィスが目的地だった。
まず受付にいた女性に渚が話しかけ、一階の応接室に案内されると、数分待って一人の若い女性がやってきた。
「悪いな白姉」
「まぁいいさ。丁度休憩を入れようと思ってたところだ」
白姉と呼ばれた女性はスーツ姿で、いかにも職業婦人といった格好だ。
短髪のモガというわけか……。直人は一人感心する。
「話ってのはなんだい?」
「まずは、昨日の赤色強盗事件。あの時強盗側の御佐機を倒したのがこいつらだ」
「ほう?」
渚の言葉に女性も興味を持ったようで、直人達の事を一通り眺める。
「君達も神楽坂の生徒なんだろ? 渚と同じクラスか?」
「はい」
「じゃあ京ちゃんの受け持ちか」
京ちゃん? もしかして鳴滝教官のことだろうか。
「せっかく来てくれてなんだが、昨日の事件に関しちゃ市ヶ谷から報道規制がかかってるから、君らを取材しても記事にはできないんだよ」
「まぁそれについては俺から聞いとくよ。白姉の方は昨日の事件については進展なしか?」
「ない。だからこそ不可解だ」
「御佐機まで持ってたってことは、それなりに大きい組織である可能性もありますよね」
直人は尋ねた。魅乗りが出てきたという点は気になる。
「そこが分からないんだ。共産主義者の活動が最近活発になっていたとかそういうんじゃない。いきなりなんだ。何の前触れもなく突然昨日のテロが起きた。あまりに不可解過ぎる。とにかく、渚も、君らも、共産主義活動には首を突っ込まない方がいい」
「お上からのお達しかい?」
「そういうんじゃない。お前もわかるだろう。今の日本で共産主義革命を訴えるテロが帝都で起きるという異常さが。予想できた者など一人もいまい。きな臭いね」
白姉と呼ばれる女性はそれ以上昨日の事件について語るつもりはなさそうだった。渚もそれを察知したのか、話を本題に移す。
「ところでさ。こいつ水無瀬っつーんだが、バイト探してるんだよ。何か調査してほしい事とかあるか? 御佐機持ってるし、昨日の事件のこともそうだし、腕が立つぜ」
「なるほど。今日ここに来たのはそういう理由か」
白姉と呼ばれる女性は直人に向き直ると、胸元から名刺入れを取り出し、中身を三枚テーブルに置いた。
「大帝都新聞の樋口真白だ」
「あ、どうも。水無瀬直人です」
「悠紀羽みなもです」
「玉里茜です」
「悠紀羽って、あの悠紀羽一門のかい?」
「ええ、はい。そうです」
「へぇ。もし杉並の悠紀羽神社に取材に行くことがあったら、よろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」
「さて、何か調べ物がないかって話だったね」
真白はそう言いながらポケットから手帳を出してパラパラとめくる。
「奥多摩で動く死体が出るという話がある。それを調べてもらおう」
「動く死体の噂なんて記事になるんですか?」
「まぁ普通に死体遺棄事件じゃないかと思うんだが、それを調べた地元警察官が行方不明になっててね」
「動死体~? それガセじゃねえの?」
訝しげな声を上げる渚を無視して真白はカバンからカメラを取り出した。
「このカメラを貸してやろう」
「おお! 良いんですか!?」
「九年前に買った『ハンザ』だがまだ十分使える」
「おいおいいいなぁ。なぁ白姉俺にもなんかくれよ」
「あんたはカメラ持ってるだろうが」
「型落ちのライカだぜ? 流石に古過ぎるだろ」
「いいじゃないかドイツ製。中学生には贅沢だ。第一あくまで貸すだけだ。いずれ返してもらう」
「分かりました」
「死体か、それに関連するようなものを写真に収めるんだ。そのネガを買い取る」
「いくらで買ってもらえるんですか?」
「写真によるが、写りが良ければ二百円出そう」
二百円!? えーとカレーライス二十杯分くらいか? 大金である。
「やりますやります!」
ひとまず依頼はこれだけのようだったが、これは確かに、上手くいけば割のいいバイトだ。
「お忙しいところありがとうございました」
最後にみなもがお礼を言って、四人は大帝都新聞の建物を出た。




