3. 銀行強盗
おやつを食べた後は『銀ぶら』することになっていた。
銀ぶらとは大正時代からある俗語で昭和初期の流行歌のタイトルにも使われているが、その語源は判然としない。直人達は銀座をブラブラ散歩するという意味で使っていた。
しばらく歩いていたところで、何やら人だかりができているところに出くわす。
「銀行強盗だってよ」
「マジか。こりゃ金を降ろすのは無理だな」
「歩兵銃を持ってるってさ」
「すぐに首都警が来るだろ」
詳しい様子は分からないが、周囲の話し声から騒ぎの中心は大通りにある赤レンガの建物、大手銀行であることは分かった。
周囲は大騒ぎになっており、白昼堂々の銀行強盗を遠巻きに眺めるやじ馬であふれていたが、背の高い直人は目線を周囲の頭より上に出して状況をうかがうことができた。
丁度現金が入っていると思われる袋が積み込まれたトラックが走り去るところだ。強盗の方はそれで店じまいかと思ったが、意外にも実行犯の多くが現地に残ったままだ。
そのうちの一人が銀行の中からケーブルを引っ張ってスピーカーに接続。別の一人がそれを使って犯行声明を出した。
「我々は日本赤色同盟である! 我々はこの国の経済政策に物申すため、こうして実力行使に打って出た! 全ての産業は国家によって運営されるべきであり、そのためには宗教と身分に寄らない新たな政府が必要である。我々はその第一段階となる法律の草案を作成した! 市ヶ谷大本営は速やかに我々との交渉の場を設けられたし」
この言葉にやじ馬達もざわついた。
「え、共産主義者?」
「交渉の場って、金持ってってるじゃねえか」
「というかこれ反政府テロなんじゃないか?」
「またかよ」
直人も抱いた疑問を二人に尋ねる。
「どうして逃げないんだ?」
「わかんない」
「まず私達は貴方と違って何が起きてるか見えないのよ」
それから一分と経っていまい。装甲車に乗り重火器で武装した警官達が銀行周辺へとやってきた。小さな戦車まで連れている。
「首都警だ!」
「首都警が来た」
周囲の言葉であれが首都警だと分かる。
首都警とは現在の帝都の治安維持を担う警察組織の名だ。通常の警察とは装備や指揮系統が異なるらしいが、直人は詳しいことを知らない。
一式半装軌装甲兵車『ホハ』から下車した警察官達は機関銃まで持ち出しており、犯人達に容赦する気はまるでないように見える。
「人質はどうなるんだ?」
「助けに行きたいな」
「そうね。御佐機なら流れ弾も怖くないから」
「じゃあ銀行の裏の通りに回り込むか」
直人がそう言った次の瞬間、やじ馬達の間に一際大きいざわめきが走った。つられてそちらを見ると、なんと銀行の前に御佐機が立っているではないか!
数は三。全て赤黒い機体。
「魅乗りか!」
魅乗り達は一斉に機銃を構え、首都警に向け発砲した。そのうちの一機が持つ二十ミリ機関銃はたちまちホハをスクラップに変え、九七式軽装甲車『テケ』もが正面装甲を抜かれ炎上を始める。
銀行の裏に回り込んでる場合じゃねぇ!
遠巻きに見ていたやじ馬達が一斉に逃げ出し始める中、直人はそれを逆走して最前列へと走り出る。
その最中、被害を免れていた一両のテケが主砲を発射。魅乗りの正面装甲に直撃し、大きくよろめかせる。更には炎上しているテケの三十七ミリ砲がほぼ同じ場所に命中、魅乗りは大きくぐらつき、仰向けに崩れ落ちた。
が、反撃もそこまで、残る一両も二十ミリの銃撃で炎上を始め、搭乗員達が脱出し逃げ出していく。
「早衛!」
直人はその間に割って入るように憑依し、魅乗りの前に立ちはだかった。
この距離までくれば分かる。二十ミリを撃っていたのは今の日本で最もポピュラーな精霊機の一つ、零式精霊機。他の二機は旧式機である九六式精霊機。ただし一機は既に戦闘不能になっている。
「俺は零式をやる。お前達は九六式を頼む!」
そう言って直人は太刀を抜き、零精との距離を詰めていった。
九六式精霊機は海軍が二番目に正式採用した精霊機である。旧式機だけに身長は五メートル強と今の基準だと小柄で、特徴的な楕円翼を持つ。
その活躍は日華事変のものが有名だ。
まだ精霊機という兵器が一般的ではなかった時代に空で陸で海で大活躍し、市ヶ谷機関の権力拡大に大きく貢献し、市ヶ谷魔導士ここにありという存在感を一挙に大きくした、名機である。
四二年末には概ね第一線から退き、生き残った機体は練習機として使われている。
九年前の機体なのだから当たり前の話だが、その性能は今の精霊機とは比べるべくもない。まして現在の主力機すら上回るみなもの『一目連』と茜の『秋葉権現』とはまさに隔絶した性能差があるため、普通に考えれば負ける要素はないと言える。
勿論敵手が神懸かり的な技量の持ち主である可能性も無いとは言い切れないが、数的にも二対一。負ける可能性を考えるのは魔導士としての二人に失礼であろう。
そう考えた直人は一人で零精と対峙した。相手もこちらの意図に気付いたようで、太刀を中段に構えつつ前進してくる。
魅乗りと戦うのは一ヶ月ぶりか。妖怪を召喚していた黒金の存在も今はない。他の誰かが召喚しているのか、それとも自然発生した妖怪が魔導士に憑りついたのか。
「禍津日神を知っているか?」
「知らないな」
「ならお前は何故魅乗りになった」
「私と理想を同じくしていたからよ」
「理想?」
「天啓があったのだ。皆平等であれば争いは起こらないと! 共産主義こそが世界を救うのだと!」
何を言ってるんだこいつは。
「無血での革命はあり得ない。私は斬り進むまで!」
魅乗りと分かり合おうって方が無理な話か。直人も中段で構えつつ、改めて敵手の立ち姿を観察した。
おそらく敵は先の機、先制攻撃を企図している。直人は直感でそう思った。
それに九六式対みなも・茜の戦いはそう遠くない将来、確実にみなもと茜に軍配が上がるだろう。ならば敵にはもたもたしている時間はないはずだ。
やはりというか、敵はすり足で大胆とも言える速度で距離を詰めてきた。もう一挙手一投足で斬り込める距離でしかない。
そして俊足のすり足を駆使するということは敵手は古流剣術の使い手。
突いてこい。機体出力はこちらが上だ。軽く下がりつつ太刀を当てて軌道をそらし、装甲で受けつつ二刀目で仕留める。
分かっていた。分かっていたのだ。敵が突きを放ってくることは。直感でもそうだったし、中段に構えた敵が自ら距離を詰めてきたのなら、もう突いてくる可能性が圧倒的に高い。なのに。
ずっこけたような踏み込みだった。事実、直人は一瞬敵がこけたかのように感じてしまった。だがそんなことはあり得ない。俊足のすり足歩法ができる魔導士が、使い慣れているであろう御佐機に憑依した状態で転ぶなど。
そんな思考を高速で行っている最中には、敵の切っ先がすでに喉元に迫っていた。
馬鹿な! あり得ない! 零精の身長は早衛より五十センチ以上低い。間合いの点でも俺が有利だったはずだ。
直人に選択の余地はなかった。直人は瞬時に膝の力を抜くと、重力に引かれるがままに重心を落下させつつ、少し頭を垂れる。
敵の切っ先は下から突き上げてきているので、こちらが重心を上げてもそのまま喉元の装甲の隙間、或いは薄い部分を撃ち抜かれる可能性が高い。身長差をこうも的確に生かしてくるとは……!
次の瞬間、直人の額に衝撃が走った。敵の切っ先が当たったのだ。それに一瞬遅れて、直人の太刀が敵の太刀を跳ね上げる。これによりなんとか頭部の装甲を貫かれずに済んだ。
だがそれは致命傷を避けたということでしかない。頭部への大きな打撃で、直人の意識が混濁する。例えそれが一瞬のことであったとしても、敵にしてみれば止めを刺すのは簡単なことだ。ましてこれほどの使い手であるのなら。
「直人!」
「直人君!」
やや薄らいだ直人の意識に二人の少女の声が聞こえる。
「よく反応した」
直人が平衡感覚を回復するのに数秒と経っていないはずだが、戦意を取り戻した頃には零精は翼を広げ飛び去って行くところだった。
翼端が切り落とされたような直線。おそらくは二号零精。
「直人、だいじょう――」
「いや、俺は負けてねぇ!」
「え」
茜の声は単に突然叫んだ直人にびっくりしただけだったかもしれないが、それでも直人は傷ついた。
「負けてねぇ。起死回生の一手はあった!」
直人は強く弁明した。技量で劣ったとわかったからこそ悔しくて仕方がない。
「いやー直人君無事でよかったー」
それを知ってか知らずか無邪気に喜ぶ茜の声が余計に直人の敗北感を強くした。
くっそ……分かっている。綺麗に頭に突きをもらったってことはな。そしてみなも達が駆け付けた時、形勢は圧倒的に不利だった。
みなも達が助勢に来れたということは九六式を倒したということなのだが、九六式の存在はもう直人の頭からは消し飛んでいた。
「人が集まってきたわ、とにかく帰りましょう」
みなもの声に半ば無意識に従うようにして、直人は離陸して学校へと向かった。