1. 夜切
ある土曜日の夕方。直人の走り込みは終盤に差し掛かり、飯田橋の街へと戻っていた。直人はこの街に来て日が浅いため、ふと気が向いた方に角を曲がるとも知らない通りであったりする。
うわ。あいつ凄い荷物抱えてるな。歩き方もなんか危なっかしい。
前を歩いていたのは大きな木箱を二つ抱え、両脇にも袋を下げた少女だった。見るからに過積載で、ふらふら歩いている。
前が見えてるんだろうか。直人がそう思った矢先、少女は転んだ。
「きゃっ」
悲鳴ともに袋からリンゴがこぼれ、路上をころころと転がっていく。
追いついていた直人はリンゴを一つ拾うと、少女に声をかける。
「拾うの手伝うぞ」
「あ。ありがとうございます」
二人は道に散らばったリンゴを回収すると、再び袋の中に収める。
「助かりました」
少女は笑顔で直人を見上げる。年齢は直人と同じくらい。和服を着ていて髪がやや内側にカールしている。
「別に大したことじゃない」
言いつつ直人は路上に横転している木箱に目を移す。
「あー。箱が破れてる」
直人が指さした木箱は、地面に叩きつけられた衝撃で一部が破損していた。見ればもう一つの箱もだ。これでは上下に積み重ねると荷重で完全に砕けてしまう恐れがある。
運んでやるか。
そう考えた直人は、木箱の一つを肩に乗せ、もう一つを脇に抱える。青臭いので野菜でも入っているのだろう。
「あ、あの?」
「家はこの近く?」
「はい」
「じゃあ案内してくれ」
「悪いですよ」
「まぁ、力仕事なら任せとけって」
直人は笑って歩き出した。
「中に入ってるの食いもんだろ? こんなにたくさんどうするんだ?」
「私、定食屋で働いてるんです」
「へぇー。じゃあ今そこに向かってるのか」
「はい。買い物の帰りでした」
「いつもこんな量を?」
「今日は生鮮食品が多かったので、たくさん買っちゃいました」
「定食屋で働いてるとメシ食い放題だったりするのか?」
「いえ……少なくともうちは違いますけど」
少女が働いている定食屋は本当に近くだった。そして神楽坂予科の寮からも近い。
「本当にありがとうございました」
直人が木箱を調理場の床に置くと、少女がお礼を言う。
調理場では他に二人の女性が働いていた。窯のご飯は既に炊きあがっているらしく、鍋からは味噌汁のいい匂いがしてくる。
「いい時間だし、食ってくか」
「はい。丁度開店時間です」
深く考えずに言った直人だったが、早々に飯にありつけるらしい。
直人が席に座ると少女がメニュー表を持ってくる。内容はありふれたものだが、全ての定食に付くという『サラダ』という表記だけがどこか浮いて見える。
「じゃあアジの煮つけ定食で」
「ご飯は大盛無料ですよ」
「限界まで盛ってくれ」
「はい。畏まりました」
少女は直人の席からも見える調理場に戻っていく。
窯は薪で加熱しているようだが、鍋はガスコンロらしい。
早衛部隊では直人も炊事係を務めたことがある。軍事施設だけに上下水道は存在したが、煮炊きは全て薪で行っていた。薪割りは嫌いではなかったが手間には違いなく、スイッチ一つで火が付くというのは非常に未来的だ。
考えてみれば寮のシャワー室の下に薪ボイラーがあるという話は聞かない。給湯器はガス加熱なのだろう。文明開化って凄い。
っていうか俺の故郷って江戸時代並みだったんじゃないか……?
そんな事を考えている間にアジの煮つけ定食が運ばれていきた。早速口に運ぶと梅の味が広がる。これはご飯が進む。副菜の大根の煮物も旨いし、たくあんも良く漬かっている。味噌汁も程よい味付けだった。
吸い込むように食べ終えた直人は金を払って外に出る。
「また来てくださいね。ご飯は限界まで盛りますよ」
「ああ。そうするよ」
手を振る少女に見送られ、直人は帰路を歩く。
飯は旨かったが八円五十銭とそこそこの値段がした。ただ、立地といい内容といい通いたい店ではある。食費をどうやって捻出するかが目下最大の課題だ。
というか、黒鉄は倒したんだからそろそろバイトの一つもやるべきだろう。やはり肉体労働がいいか。
帰宅した直人は軍刀を取り出すと、外に出て素振りを始めた。
その翌日、直人は仲間への報告のため早衛部隊の基地に訪れていた。
報告と言ってもここに仲間の墓や遺骨があるわけではない。また、日本神道の死生観においては、人間は死ぬと家族や親族を見守る精霊となり、やがて大国主大神の治める黄泉に行き、祖先神の仲間入りをするとされている。
ならば先に逝った仲間はすでに精霊となっているのだから禍津日神が倒されたことは既に感じ取っているだろう。
ただ、気持ちの整理として報告という行為は行っておきたかった。そうなると相応しい場所はここ以外に存在しない。
ここに訪れるのは七ヵ月以上ぶりになる。当時はそれなりに活気が感じられたが、今や人影もなく犬猫一匹見当たらない。兵舎は全て焼け落ち倒壊し、酷く殺風景だ。
直人はその瓦礫が以前は何の役目を果たすものだったのか考えながら、瓦礫の上を歩いて回る。
三十分ほど歩いただろうか、直人の目に何某かの存在が日光を反射した。
鏡の破片か。そう思って近寄ったのだが、その正体はだいぶ別のものだった。
軍刀。刀身が若干鞘から抜け出しており、光ったのは刀の鍔に近い部分だ。直人は手に取り、抜刀してみる。
「おお」
思わず声に漏れた。このような廃墟には似つかわしくない、曇り一つない綺麗な刀身。手入れする者などいなかったであろうし、雨風に晒され続けたであろうに。
魔導士の例に漏れず刀が好きな直人だが、この軍刀は見た目がやや異質であり、とても興味をそそる。
柄拵えこそ市ヶ谷の軍刀に準じているが、波紋が乱れているのだ。
乱れ波紋にもいくつか種類があるが、いずれにせよ魔導士用の量産された軍刀ではあり得ない。
日本において御佐機の依代たる軍刀の生産は神田刀匠が一手に引き受けており、神田刀匠の作る軍刀は全て広直刃と呼ばれる直線的な波紋を持つ。
無論、式神の依代となっている一部の軍刀が乱れ波紋を持つ可能性はあるので、それが落としていったものとも考えられるが……。
……美しい刀だと直人は思った。早衛部隊時代から広直刃の波紋を見慣れてしまった事もあるかもしれないが、この刀からは不思議な凄味、或いは品格を感じる。
勿論刀の本質とは首狩り道具、すなわち武器である。折れず曲がらずよく切れる。これを追求した刀こそが価値がある。そうした意味で、現代の魔導士が持つ軍刀は刀の価値をとことんまで突き詰めた美しさを持っているし、古来日本刀の究極的な進化系であると言えるはずだ。
直人はそう教わったし、頭では理解している。しかし直人はこの拾った軍刀を一振りもせず、切れ味も試さないうちに、既に魅せられていた。
刀をひっくり返すと、銘であろう、二文字が刻まれているのが目に入った。
「……夜切」
そう呟いた瞬間、軍刀が一陣の光を見せると無数の破片と化し、直人が腰に差す軍刀へ殺到して消え失せた。
なに!?
驚いた直人は足元から後ろまで見渡すが、何も見当たらない。
試しに自分の軍刀を抜いて見るとその見た目が変わっているのが分かった。乱れ波紋になっている。
重さや長さに変化はないし、何か雰囲気が変わったとかそういう事もないが、刀身の見た目は確かに変わっている。ただ、彫り込まれた銘は『早衛』のままだ。
直人は暫く軍刀を眺めていたが、何かしら反応が返ってくるわけでもなく、時折廃墟に風が訪れるだけである。
ま、考えても仕方ないか。直人は生来の単純さで考えるのをやめ、再び周囲に目を向けた。
歩いていたのはほんの散歩気分だったが、思わぬ掘り出し物|(?)を見つけた。
もしかして他にも軍刀があるかもしれない。探してみよう。
その後二時間ほど散策し、焼け残っていた図面のファイルやら写真やらを発見した。図面に関しては直人にとっては意味不明だったが、ここで早衛部隊という秘密部隊が日々実験と訓練を行なっていた証拠ではある。思い出として一応持ち帰る事にしよう。
それ以外に目ぼしいものはなかった。金でも落ちていれば黒鉄討伐の報酬として遠慮なく頂いたところであったが、金目のものは存在せず、直人の早衛が使えるような武装もなかった。
そうなると先ほどの軍刀はやはり異様だ。そもそも何であの夜切という軍刀だけここに落ちていたのか。錆もせず今まで存在できたのか。そして俺の軍刀と一体化したような振る舞い。
超常的な力が働いたと思われるが、よく調べようにも既に夜切は物体としては存在しない。
「夜切」
そう呼んでみるも何か魔術が発動するわけでも、御佐機が出現するわけでもない。
これ以上はここにいても仕方ないな。
日も傾いてきたし、歩き回るのにも飽きた。
直人は帰るべく早衛を召喚して憑依する。そして発動機を点火し、飛行を始めた。
それ自体はいつもと何ら違わないものだったが、飛行中に気になって太刀を抜いてみると、やはり刀身が乱れ波紋になっていた。そして、こちらには夜切という銘が刻まれている。
……意味が分からん。
まぁこういう時はみなもに聞いてみるのが一番手っ取り早いだろう。
西日に照らされながら、直人は東京の空へと戻って行った。