20. 銀の終幕
戦意が依然として衰えない両者は、しかして正対したまま動かない。直人が今から飛行に移った場合、黒金の三〇ミリ機関銃に無防備な背を向けるも同じ。一方の黒金は発動機をやられ飛行は不可。よって両者共に地上戦以外の選択肢は無し。
遂に。遂に空戦における不利を無効化した。残るは剣技の優劣のみ! 直人は黒金の一挙手一投足に意識を集中する。
黒金は地上戦においても乗っ取った相川隊長と同等の剣技を用いることは間違いない。
中段に構えた俺の狙いが刺突であることは読まれているだろう。この構えから斬撃しようとすれば刀を振りかぶる余計な動作が必要となり、敵に遅れを取ってしまう。突きを繰り出す以外に選択肢は無い。
そして狙うのは厚い装甲を纏う御佐機においても覆いようの無い関節部。その最も致命的な喉周りの隙間。ここを撃ち抜いて確実に殺す。
対する黒金は右上段。狙いは俺の首元だろう。
地上で御佐機と戦う場合、装甲の弱点を狙えと指導されている。早衛の冑と肩甲の狭間に刃先を打ち入れるべく、やや太刀を寝かせ気味に斬り込んでくる、はずだ。
もし他の箇所を狙ってくるならば、その時は必要となる予備動作の最中に突き殺せばいい。
直人は敵の攻め手を正確に予想できていた。しかし不動。黒金が攻め手に併せて受け手を用意していると確信しているからだ。
俺が先に突き出せば、黒金は僅かに身を捻るのみでその切っ先をかわし、俺が姿勢を立て直す前に切り下してくる。
無論黒金が先に斬りかかってくるようであれば、一歩引いて斬り間を外し、左足を蹴り出して刺し殺せば良い。
故に直人は動けない。黒金もまた動かない。戦況は膠着する。勝負は即ち、体力気力の削りあい。
長期戦は俺に不利か。直人は考える。時間が過ぎれば大殺界が完成してしまう恐れがある。そうなれば黒金は戦わずして勝ち、だ。
だがその一方で黒金にも不確定要素がある。上空で行われている、魅乗り約十機と、悠紀羽と玉里による空戦だ。
もし悠紀羽と玉里のどちらか片方でもこの場に飛来すれば、確実に黒金を仕留めることができる。逆に魅乗りが一機でも向かってくれば、俺にとって詰みの状態となる。
そこまで考え、直人はそれらの可能性を無視することに決めた。雑念があって勝てる相手ではない。目の前の戦いに全身全霊をかける。
直人は一層神経を研ぎ澄ました。一生分の気力体力をここで使い切っても構わないのだ。自分は黒金を殺す一振りの刀である。日夜そんなことを考えながら生活してきたが、ここにきて本当にそんな気がしてきた。
直人は黒金を一足一刀にて仕留め得る体勢と、黒金の微細な変化をも見逃さぬ集中力。その二つを維持しながら立っていた。
自分を殺す。あらゆる雑念を棄てる。生を捨てる。己が消える。残るは背負う大義のみ。刀に意思など無い。動かすのは、その敵を殺せと欲する、先に逝った仲間の意志のみ。
だが、ここに至って直人は自分の構えがほんの一分崩れ始めたことを自覚した。そしてそれを黒金が見逃さないであろう事も。
先ほど受けた左脇腹の損傷の影響が遂に出始めた。本来は戦闘続行が困難であるほどの怪我なのだ。それでも直人は気力で構えを保ち続ける。しかしそれもいつまで持つか。
気力が完全に尽きれば、無防備な体躯を黒金の前に晒すことになる。その運命を避けたければ、乾坤一擲、自ら攻め出すしかない。
無論のことそれとて分の良からぬ賭けである。黒金には微塵の油断も隙も見当たらないのだ。
こうした思考を行っているはずの意識を、直人は今や自覚できなかった。その代わりか、声が聞こえる。いや、何かの意思を感じる。
奴を殺せ! 仇を討て!
果然、先に動いたのは直人だった。中段の構えから、寸分の無駄もなく切っ先を突き出す。
それに呼応して、黒金が身を捻ったのが直人にも分かった。
勝敗は決した。直人は既に動き始めている。その瞬間、黒金は己の正中線をずらして見せた。直人の刺突が黒金のどこを狙ったものであろうとも、その初志は果たせない。
後の先。黒金は剣術における必勝の一手を正確に打って見せた。
直人は刺突。黒金はそれを躱してからの袈裟斬り。かかる情勢、最早覆らず。それらが生み出す結果はただ一つのみ。
――白雪と、玉散る刀、明鏡の、我らを分かつ、生死を写す。
「ごぶっ……」
黒金の呻き声が聞こえた。
直人の一刀は見事に黒金の喉を刺し貫いている。一方の黒金の刀は確かに直人の首元への侵入を果たしていた。だがそこまで。直人の首元から血を噴き出させようとも、即死させるに能わず。
「お前……何故……」
黒金が問うが、直人はその質問に答える知性をこの時持っていなかった。
「あ……」
黒金が息を漏らし、後方へと崩れ落ちていく。握られた太刀が引っ張られ、直人の首元から離れていく。
黒金が地面に倒れた音を合図に、直人の意識が戻ってくる。はっきりとした夢から覚めたような感覚だ。
仰向けに倒れる黒金と、鮮血に染まる太刀の先を見て、直人は自分がどのように動いたのか理解した。
直人の刺突は初動を完全に見切られ、黒金はそれをかわすべく身を捻った。直人はそれを認識するのと全く同時に、無意識に、切っ先の向きを黒金が動いた先に変えたのだ。
初動の段階で敵の動きに対応できたからこそ、敵に遅れを取ることなく致命傷を与えることができた。
意思が消え去ろうとも、森羅万象の意志が、大義が、己を衝き動かし敵を討つ。
勝った……。
そう思うと力が抜け直人は崩れ落ちる。それと同時に憑依を解き、よろめくように着地すると、そのまま仰向けに倒れた。
今のが無明か……?
敵の動きと全く同時に、無意識に、剣の軌道を変える。慮外の暴挙。
仇を討って世界を守りたいという強い願いと、悠紀羽に貰った呪いで強まっている式神との感覚の共有。この瞬間にだけ成立した、魔剣。
先の先、先、後の先、さらにはそれ以外も含めて、勝機の選別を不要とする。ただ発動し、ただ殺害を行う。
これを打ち破れるものは同等の魔剣をおいて他にない。
黒金も最後まで恐るべき相手だった。神懸りと言っていい俺の動きに対して尚、微々たる遅れだったのだ。俺の刺突が後少し遅ければ、俺の首が跳ね飛んでいただろう。
そう考えて直人は少し苦笑した。
寸分も遅れてはいなかったのではないか。俺もまた致命傷を負っている。血が止まらないのが分かる。
相討ちか……。
一瞬だが、二人の顔が思い浮かんだ。
約束……守れなかったな。いや約束したわけじゃねえか。だから良いってわけでもないが。せめて先に逝った仲間に報告を……。
視界を通過していくたくさんの雪と、積もった雪を赤く汚す様を想像して、直人は一句詠むことにした。
直人は俳句が趣味だった。いや、そこまで熱中はしていなかったが、たまに詠むのが風流になった気がして好きだった。
下手の横好きだと仲間には馬鹿にされていたが、教養が無くても詩は読めると直人は考えていた。
……草枯れて、赤い花咲く……血溜りが花は安直か? ああくそ、思いつかねえな……。
それを最後に、直人は意識を失った。
目が覚めた時は 、最初に木製の天井が見えた。少し視線を動かせば、ここ数日住んでいた寮の部屋だと分かる。
次に音が聞こえた。ドアを強くノックする音だ。これで起こされたらしい。
「起きてるー?」
「もういいわ、入りましょう」
二人分の女性の声が聞こえた。続いてドアの施錠が解かれる音がする。
ドアが開くとみなもと茜が入ってきた。
「おはよー」
「よし、生きてるわね」
「何で入ってきた」
「貴方を呼びにきたに決まってるでしょう。立てるなら学校に行くわよ」
直人はふと視線を落とす。自分は制服で寝ていたらしい。
「そうだ! 黒金はどうなった!?」
「貴方が倒したんじゃない」
「じゃあ俺はどうなった!?」
「私達が運んで寝かせたんだよ」
「そうか……」
何というか、夢じゃなかったらしい。俺はやり遂げたのだ。
「私達が手当てしたのだから、感謝して欲しいものだわ」
そう言われて直人は首に手をやる。確かに包帯が巻かれていた。
「そういやお前達も無事だったか!」
「あの後もう一機落としたんだよ!」
「その後はまぁ、撃たれなさそうな位置を飛んでたわ。そしたら突然魅乗り達がバラバラに逃げていったのよ。多分その時黒金が死んだのね」
「そうだったのか……」
「貴方の式神の治癒能力も大したものだわ。精霊機か並の式神なら死んでたわね」
なるほど。禍津日神の一部である『早衛』が俺の命を救ったというわけか。首の傷もそうだが、生死の境界なんて皮一枚だな。いや、薄氷の方がいいか? 冬だけに。
ある程度目が覚めてきた直人は今の状況の異常性に気付いた。
「というか、鍵は? どうやって入った」
「合鍵を作ったのよ」
「勝手な事を! 日本神道にモラルは無いのか!」
「勿論あるわ。神に感謝」
「この女を止めろ一目連!」
直人はみなもの腰にある軍刀に呼びかける。
「一目連は私の味方よ」
だが持ち主によって一蹴された。
「悠紀羽ぇ」
青筋を立てた直人はベッドから立ち上がる。一方みなもは胸に手を当てて答えた。
「みなもと呼んで、下さいまし」
「は?」
「みなもと呼べと言ってるのよ」
「何を言ってるんだ」
「私は茜だよ!」
起きぬけだからか、疲れが残っているのか、いまいち会話を理解しきれない。
「さぁ学校に行くわよ、直人」
「授業終わってから行ったらだめか?」
「それじゃ意味ないでしょう」
「俺は勉強より大事なことをやり遂げた!」
「そうね。でも、今日からも予科に通うんでしょう?」
「通うよね!」
少女二人に見つめられ、直人は思う。
予科をやめたとて、行くところなどない。
勉強は面倒くさいが、学校というのは中々楽しい。
心を決めるのに一秒とかからなかった。
「きゃっ」
「ちょっ、いきなり脱がないでよ!」
「すぐ着替える。お前ら先出てろ」
言うが早いかシャツを取り換え、一昨日放り出した鞄を手に取ると、二人から十秒と遅れずに靴を履いて玄関から出る。
朝日が少し目にしみた。
「行きましょう」
「遅刻しちゃうよ!」
「だったら走っていくぜ」
実際のところは節々が痛くて走るのは無理だったが、二人の先を行くように歩を進める。
地に足がついてるといった感じで不快ではない。
式神との精神融合が解け、ただの人間に戻った証なのだ。
激戦の余韻で身体が重いが心は軽い。仲間の仇は討ち、この国の脅威は去った。もう帝都に留まる必要はない。
それでも直人は今日から学校に通う。誰の為でもない、自分の為に。