11. 三つの勝機
「私が扱う流派は神道悠紀羽流よ」
名前からして神道流に属する流派であることは直人にも察せられた。悠紀羽家が名門である以上、規模の大きな流派であることも。
神道流は魔導の聖地たる香取鹿島の産であるために、根源を辿れば神代にまで遡る。故に市ヶ谷大本営は神道流こそが最も由緒正しい流派であるとしている。そもそも神道流とはその名の通り、日本神道という宗教と密接に関係しながら発展したものである。
「不躾な質問ではあるんだが、神道悠紀羽流には何か初見の相手を上手く倒せるような技はないか?」
「奇襲効果を持った技という事ならば。まぁ、あるにはあるわよ」
「それを、教えて貰うわけにはいかないか?」
「本来技を教えるには門下生となってもらう必要があるのだけれど、事情が事情だから今はいいわ。ただ、現実的じゃない」
「難しいからか?」
「ええ。まずそういった技は空戦に向かない。空戦で有効と思われる動きは全て市ヶ谷神道流に組み込まれているのよ」
「やはりそうか……」
「それでも空戦に長けた貴方なら何かしらの応用を思いつくかもしれない。ただ、そこまで熟達する時間はあるの?」
「……わからない。だが奴が都内に入り込んでそれなりに経つと思われる。もうあまり猶予は無いかもしれん」
「しかも技を一つ学んだところでそれが役立つか分からない。かといって複数学ぶ時間は無い。やめておいた方がいいわ。新たな剣法を数日学んだところで、それこそまさに付け焼き刃よ。知らない方がマシなほど」
「だよな……。玉里はどうだ?」
「私は鶴来タイ捨流しか分からないけど」
「それはタイ捨流の一種なのか?」
「うん」
茜は頷く。
「タイ捨……。聞いたことはあるが。どんな剣法なんだ?」
「うーん。よく言われたのが、雑念を捨て去って、一つの戦術に拘らない事かなぁ。自在にあれと」
「なるほど……」
「タイ捨流の『タイ』には、体や待といった漢字が当てはまるんだって。あえて片仮名で書くことで意味を限定しないで、色んな戦術を使うようにする、だったかな」
そういった考え方は剣法水無瀬流にも存在する。規模こそ全く違うが、剣法水無瀬流もタイ捨流も隠流の系統に属するのだから、教義が似ていても不思議ではない。
「タイ捨流では、格上の相手と戦う際の教えはあるか?」
「格上の相手って限定されてるわけじゃないけど。一度実戦になったら使える手はなんでも使え、不利と思ったら逃げ回れ。とは言われたなぁ、何度も」
「タイ捨はそこら辺も実戦的よね」
「それで勝てるかはわからないけど」
今回は……逃げるわけにはいかないが、使える手は何でもかんでも、か。
「奇襲効果と言う点では、一見普通の技であっても、相手が知らなければそれなりの効果を持つものよ。水無瀬流をもう一度検討してみたら」
相手が知らない技。市ヶ谷神道流は互いに二年間教わっている。知識量は互角と見ていい。
俺が知っていて、黒金に乗っ取られた相川隊長が知らない技と言えば、確かに剣法水無瀬流しか無いが……。だがやはりそれは空戦に適していないのだ。
さっきみなもが言った通り、空戦に適さない動きだから市ヶ谷神道流に組み込まれていないのだとも言える。
「今から新しい流派を学ぶよりは、貴方の学んできた水無瀬流をもう一度見直す方が可能性はあると思うわ」
確かに、最終的に頼れるのは自分の血肉となっている水無瀬流なのかもしれない。ならそれだけを突き詰めてみるか。他に手札などない。
「ありがとう。参考になった」
「え、ほんと?」
「水無瀬流で何か考えてみる。ただ空戦に適さない技を強引に繰り出すには練習がいる。付き合ってほしい」
「それはつまり、明日からも空戦を教えてくれるということよね」
「そうだな」
「次は私もだからね!」
身を乗り出す茜に頷いて見せ、直人はコーヒーを口に運ぶ。
……まずいというわけではないが、味が分からん。これが文化人の飲み物なのか……?
「俺がもっと深く人機一体できれば、空戦に不向きな動でも強引に空中で出せるかもしれないんだが。まぁ無いものねだりだよな」
「人機一体。結構難しいよね」
「……」
みなもが黙っているのを見て、直人は付け足す。
「決めたら練習あるのみ。分かってるさ」
「……実はそうした戦力強化についても検討してみたのよ」
「なに?」
「言うべきかどうか迷っていたのだけれど、敵が日本を滅ぼそうとしている存在で、しかも勝算が立たない。やむを得ぬ状況であると考えて話すわ」
みなもはちらりと周囲を伺うと、少し身を前に倒した。
「うちに代々伝わる術に、『破障の呪い』というものがある。式神を召喚する際に描く魔方陣。あれは術者を神霊から守る障壁の意味があるの」
みなもの話を聞きながら、直人は早衛部隊時代に実験で見た魔方陣を思い浮かべる。
「魔導士を神霊から守る障壁は式神召喚後も残り続ける。破障の呪いはそれを破壊する術。そうすると魔導士と式神を隔てるものが無くなり、両者はより強く一体化する」
直人はみなもの言わんとすることが分かった気がした。
「一体化が強まれば、より効率的に扱えるようになる。言うなれば自分の身体のように」
「なるほど! よりイメージ通りに扱えるわけか」
「ええ。昔から最高の魔導士は式神を自らの手足のように扱うと言うわ」
「俺もその領域に至れるわけか」
「あくまで一時的にだけど、理屈の上では。貴方は現時点でも式神を上手く扱えているから、底上げしてやれば黒金を上回る機動ができるようになる、かもしれないわ」
「勝てるかもしれねぇ。いや、勝つ!」
「声が大きいわよ。勿論危険も存在するわ。そもそも障壁は必要だから設けるわけで、それを取り払ってしまえば式神に乗っ取られる可能性がある」
「式神がそんなことするのか?」
「神霊そのものには善悪といった概念は無いの。あったとしても人間のそれとは全く異なる。和魂なら式神として力を貸してくれるし、荒魂なら妖怪、魔物として暴れまわる。貴方の魂と神霊が一体化してしまっても、神霊はそれを過ちとは考えない」
「うーん?」
直人はいまいち合点がいかない声を出す。
「要するに、機械における安全装置を外すのよ。性能は上がるけど壊れる可能性も上がるってこと」
「そういうことか!」
「今から新しい剣法を納めるよりは現実的だと思うけど、黒金と戦う前に自滅する可能性もある」
「なぁに。壊さなきゃいいんだろ」
「壊しそうな人が言う台詞だったけど、まぁそういうことね」
「是非頼む」
「貴方はこれを聞いて、やろうと思うの?」
「当然だ。この国の危機となれば尚更な」
「分かったわ。でも先に断っておくけど、貴方の魂が乗っ取られる可能性が極めて低い範囲でよ。悠紀羽の巫女として、犠牲者を出すわけには行かない」
「構わない。それで頼む」
「破障の呪いを上手く扱いきれるのは、この三人だと貴方だけ。私は自分にかけられないし」
「私は駄目なの?」
そう尋ねる茜にみなもは一瞬考える。
「水無瀬君に試してからにするわ」
「おいっ。……まぁ実験台は慣れてるけどな」
「冗談よ。まず御佐機を上手く扱えていることが前提ということ」
「そっかぁ」
「本番私達がどこまで援護できるか分からない。状況によっては、破障の呪いを以って勝機を見出してもらうしかないわ」
「任せろ」
直人は自信ありげに頷いた。成り行きとはいえ、この二人に事情を話したのは正解だった。
黒金との戦いは直人の私闘の域を超え、この国の命運を左右する可能性すら出てきた。より増した緊張感の中で二人の支援は心強い。
だが。そうは言ってもまだ勝てるイメージが沸いてくるわけではない。もし仮に俺が式神と完全一体化し、思うがままに技を繰り出せる状況が実現したとして、一体どんな勝機が見出せるだろうか。
剣術においては三つの勝機が存在する。それぞれ、先の先、先、後の先という。
先の先とは要は不意打ち。先とは相手が攻撃動作に意識を集中させ、防御への意識が疎かになった瞬間。後の先とは敵が攻撃行動にあり、咄嗟に防御、回避が行えない状況。或いは攻撃を空振りした後の隙。
こうした考えは市ヶ谷神道流でも教えられる。何故なら相手の次の行動を読み、その隙を突くといった発想は空戦においても非常に有効だからだ。
まずもって空戦における必勝戦術は不意打ち。三十六計不意打ちに如かず。
また、空戦に長けた魔導士は眼前の敵がどのタイミングで回避行動に移るか分かるという。もし敵機の性能が大まかにでも分かっているならば、行動予測はより精密なものとなる。
例えば機体強度に優れた敵機はダイブで逃げる。横転性能に優れるなら切り返しで反撃を図るといった風に。
もちろん敵機に攻撃される状況にあっても、敵の射撃や斬撃のタイミングを計る事は重要だ。
勝機を見出す上でより発展的な考えとして、勝機を自力で作り出すというものがある。例えば敵機の横に射撃を行い、反対側への回避を促すとか。或いは僚機に敵機を追い詰めてもらうとか。旋回が得意なら巴戦に引きずり込んでもいい。
地上だろうが空中だろうが、いつ来るか分からない勝機をただ待つより、自分の手で作り出した勝機の方が確実に掴みやすいのは道理だろう。
もちろん能動的に敵を追い込む、罠にかけるというのはかなりの熟練が必要となり、いつでもできるというわけではない。そして敵が想定外の動きをした時の危険性も完全には排除できない。
こういった戦術教義から一次元上のところに、無想という境地がある。何も考えず、全てを知る。己を無とし、世界に自己を包含する。敵は我が心を測れず、己は敵の心を読む。この境地に至れば最早敗北はありえない。
無想か……。
水無瀬流とて古流剣術の端くれ。極めれば剣聖の領域に辿り着けないだろうか。今からでも無想の領域に至れれば、黒金にも勝てる……!
「試してみるか」
「え、何?」
「ああいや、ちょっと考え事をな」
直人はなんでもないという風に首を傾けた。
「水無瀬君が黒金を倒したいってのは分かるけど、黒金っていうか黒い御佐機はけっこう噂になってるよね。軍隊がやっつけたりしないかな」
「普通は人として潜伏してるからな」
「あ、そっか。普段は人間なんだっけ」
「見た目はな。黒金になって初めて俺にも感知できる」
「いつもはどこにいるのかな」
「近くにいる可能性もあるのね」
「人じゃないものが人のふりして紛れ込んでる。何だか怖いなぁ」
「玉里の言う通り黒い御佐機の存在は噂になってる。御佐機は目立つからな。市街地に離着陸しようものならもっと噂になる。それがないって事は、少なくともこんな都心にはいないさ」
「それもそうね」
「うん? じゃあ黒金は普段どこに着地するの?」
「人里離れた山奥。か、飛行場だろ」
「飛行場って、それは空軍に即バレるでしょう」
「その飛行場の関係者、レーダーと管制勤務者が魅乗りになっていたら、可能だ」
「下手したら飛行場丸ごと乗っ取られるじゃない」
「相手は邪神だからな」
直人は苦笑して言った。そう、相手は化け物なのだ。
「さて。じゃあそろそろ出ましょうか」
三人のコーヒーカップが空なのを確認してみなもが切り出す。
「ああ。カレーは美味かった」
「また来ようね」
そう言いつつ三人は店から出る。直人は二人の購入物が入った紙袋を両手で持っていた。
「この後どうする?」
「本当はもう少し買い物がしたかったのだけれど、この状況じゃ空戦の練習に当てた方が良さそうね」
「良いのか?」
「昨日大殺界について調べて事情が変わったわ。それがいつ行われるかは分からないけれど、早めに準備しておくに――どうしたの?」
直人は話の後半を聞いていなかった。遥か上空を睨みつける。
「……黒金」
「え?」
「これ返すぞ」
「え、ちょっと!」
「どこいくの!?」
みなもと茜に紙袋を押し付けた直人は銀座通りに飛び出すと、御佐機を呼び出す。
「早衛!」
突如六メートルの巨体が現れたことで銀座通りは騒然となり、直人の周囲の車が急停止する。
「な、なんだ!?」
「御佐機!? 市ヶ谷!?」
「もしかしてまたテロ!?」
それらに構わず直人は発動機を始動し回転数を上げる。そして離昇推力に達したと感じると跳躍。飛行を始め、徐々に高度を上げていく。
黒金……お前は絶対に殺す。待っていろ!
直人は黒金の気配のある方向へと一直線に飛び去っていった。