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13. 大禍時

 直人の御佐機、『禍津日神』が黒く変色していく。


 憤怒、怨念、狂執、悲嘆、絶望、悲哀。押し寄せる負の感情。


 これがたった一人の人間の情念であるものか。


 莫大な力を持つ根源から流れ込んでくるような感覚。


 そうか。これが魅乗りか。


 だが。乗っ取られるのではない。一体化するのだ。飲み込まれるのではない。共闘するのだ。


「久しぶりだな」


 自分のもののようで、絶対に相容れぬと断言できる存在の声が、脳内に現れる。


「黒金。いや、禍津日神。入ってこい。力を借せ」

「いいだろう。俺は戦いを経て俺お前を乗っ取り、大殺界を成す」

「その後はお前も道連れだがな」

「果たせるかな。俺は禍津日神。天空の王にならんとする痴れ者に厄災をもたらし、俺こそが天空の覇者になるであろう」


 他の存在が自分の骨格を、皮膚をまくり上げるようにして侵入し、融け合っていく。なんと非現実的な感覚。

 しかし、一体化しつつある邪神の存在と、湧き上がるこの膨大な力は間違いなく現実。


 全ての魔導士が目指し、消してたどり着くことのない終着点。今。人機一体は果たされた。


 敵機、晴明の操る八岐大蛇の機影がはっきりと見える。


 青味がかった薄いグレーの機体。主翼に日の丸が描かれている。


 極めて大型な御佐機だ。発動機も非常に大きい。発動機カウルの上側を巨大なエアインテークが覆う。その後方には二重反転プロペラが回っている。


 アスペクト比の小さい主翼は前縁が一直線であり、ともすると前進翼のような印象を受ける。加えて肩部にも小さな後退翼。一種の複葉機か。


 敵機が驚異的な機動力を誇ることは既にわかった。


 だが、今の俺なら追いつける。


 直人はロケットに点火し、絶大な推力を得る。晴明との距離が詰まっていく。


 晴明は時計周りに横転すると一瞬縦に滑り、斜めの旋回に入る。


 鋭い。機体が不安定なのか、非常に鋭敏な機動を見せる。


 直人もまたロケットを消し、斜めの旋回に入る。動き自体に無駄は無いはずだが、追いきれない。


 もし晴明が急降下で逃げに徹するようなら、空戦エネルギーで優位に立てる。

 そうなれば一方的に攻撃を続けることが可能だ。


 だが、晴明は交戦しつつ徐々に高度を上げている。


 高高度性能に自信があるのか?

 総合的な上昇力は自分が上だと踏んだか?


 何でも良い。

 俺の方こそ、逃げ場のない超空での決戦を望んできたのだ。


 禍津日神は二速のターボチャージャーに加え、ロケットを搭載している。


 吸気が不要なロケットは空気密度の影響を受けないため、高度が上がれば上がるほど相対的に高性能になる。

 これは晴明に対して確実に存在するアドバンテージだ。


 直人は緩やかに上昇する晴明の後方につく。あえてロケットは点火せず、距離は詰めない。


「夜切など、どこで手に入れた」

「早衛部隊って知ってるか?」

「その機体、早衛か!」

「早衛部隊を知っているのか」

「全容は知らん。だが夜切を持っているということは、彦火火出見尊ひこほほでみのみことを召喚したということか」

「その通り。おかげでお前を斬ることができる」

「ふふふ……ふふふ」

「不運を呪ったか?」

「当時はまだ、人を魅乗りに変える技術は確立されていなかった。故に、早衛部隊を妖怪召喚の実験に使った。全滅したと聞いていたが、生き残りがいたのか!」

「……お前か。早衛部隊に邪神なんか混ぜやがったやつは!」

「そうだ。だが全滅する前に、夜切すら召喚していたということか。実験団はいい仕事をする」


 おいお前ら。見つけたぞ。真の仇を。


 こいつだ。相川隊長を黒金に変えやがったのは。お前らを殺したのは。


 脳内に精霊達の意志が流れ込む。


 殺せ!


 高度は一万二千メートルを超えた。直人は再び攻撃機動アタッキングマニューバへと入る。


 今のように魔導士の技量や機体性能に大きな優越が無い状況では、五分五分の状況から『一発で敵機の六時がとれる』機動は存在しない。攻撃機動といっても、実際には小さな優位を積み重ねることで決定的な状況を作り出すことになる。


 当然それは敵方にも言えるわけで、途中でミスをしたり、判断が遅れればあっという間に逆転されることになる。


 現状、こちらの優位点はなにか。


 ロケット点火時の上昇力と加速力だ。これを活かし、敵機を追い込む!


 直人は右上段に構えると、晴明の背後からロケットを点火し、一気に距離を詰める。


 晴明は時計回りに横転すると、そのまま斜めの旋回に入る。


 ……そうか。八岐大蛇は発動機二つを逆回転させて二重反転プロペラを動かしているんだったな。

 そうなると、トルクは相殺され横転方向の得意不得意は存在しない。


 直人はロケットを消し、緩い上昇から旋回。ハイ・ヨーヨー。


 敵機の旋回に追従できない状況において、速度を高度に変換し優位を譲らない。


 高速旋回は注意しないと主翼がもげるが、式神との一体化により機体状況は完璧に把握できている。自滅の心配は、ない。


 旋回を続けていくと、晴明の背中が徐々に近づいてくる。


 ドンピシャ。後方からの太刀打ちで決める!


 水平飛行からロケットを点火し加速。その時だった。


 前方にいる晴明が横転から縦に滑ったと思ったら、弧を描くようにして視界の外に消えていく。


 直人は太刀を振るえなかった。振っても当たらない。これは……バレルロールアタック!


 空戦エネルギー損失を承知で、とにかく敵を叩き落とすことに重点を置いた機動。


 頂点で背面になった辺りから上方視界で敵機を確認し、敵機方向に機首を向ける。決まると完璧に敵機後方につける。


 動き自体はある程度の機動性と魔導士の高い技量があれば可能。


 ただし、失敗した時のリスクが大きく、バレルの打ち方によってはエネルギー損失が大きいため、実戦で使われることは殆どないと聞いていた。


 背後から発砲音が聞こえ、何発か被弾したのがわかる。


 だが、今の俺なら逆転できる!


 構わず機首を起こし、ロケットを点火。すぐに停止。


 上方に動きつつ空気抵抗が増し、減速。下方を晴明が通過していく。


 すかさず機首を下げ、ロケットに点火。瞬時に加速し、晴明の後ろにつく。


 コブラ。かつて同一の機体を持つ黒金が行った技。


「ほう!」


 晴明の驚いたような声が聞こえる。


 コブラを行えるのは、空気流入量が激減しても出力を保ち続ける高性能なエンジンを有する機体のみ。


 つまり現代のレシプロ・ジェット発動機では不可能であり、吸気を必要としないロケット発動機のみが可能とする。


 晴明の背中が目前に迫る。機関銃なら必中の距離。太刀打ちも、あと少し詰めれば届く。


 もらった!


 だが。晴明は横転から縦に滑ると、背面飛行。同時に抜刀し、直人の斬撃を受ける。


 澄んだ金属音が響き、直人は太刀を振り抜いた。


 受け流された! しかも後ろを取られる!


 咄嗟にロケットに点火し、機首を上げつつ上昇。離脱を図る。


 やはり強い! 式神との一体化。捨て身の戦術でなお届かぬ。


 なんとか隙を作れないか。


「日本人を魅乗りに変えて、何が望みだ」

「世界征服」

「まさか。世界中を魅乗りに変えるつもりか!?」

「その通り。地球上に予に歯向かう者はいなくなる」

「何故だ!」

「人に生まれたから、全ての人を支配したい。簡単な事だ」

「そのために日本を犠牲にするだと? 愛国心はないのか!」

「愛国心か」

「必ず習うだろうが」

「愛国心も、法も、道徳も、国が、社会が、成立する為のものだ」

「大事な事じゃねぇか」

「そんなものは、予にとっては全く、何の価値も無いのだ!」

「そんな勝手が通るか!」

「全ての人間を支配できる可能性がある! ならば突き進むまで! 寿命が尽きるその前に、必ずやり遂げてみせる!」

「人間は自分だけ。誰もお前を讃えない! 覚えていない! なにが楽しい?」

「予の偉業を後世に伝えるに必要な数だけ、人を生かしておけば良い」

「そいつらがお前に従うかな」

「全ての魅乗りは予の命で戦いを始め、やめる。生かしておく人間の数すら思いのままだ!」

「何人生きてようが、妖怪の王なんざ誰も認めねぇよ!」

「はっ青二才が。完全なる支配が実現した時、予以外の人間の意思には何の価値も残っておらんのだ!」

「なに?」

「支配とは! 生殺与奪の権を握る事よ! 予の偉業が後世に伝わるか。その可否でさえ予が握る」

「そんな世界に価値はない!」

「生き残る全ての命は予が定義する! これぞ完全な支配!」

「狂ってるな」

「そうした貴様の価値観さえ、予の支配下では無価値なのだ!」


 何度目か、直人は晴明の後方につく。


 晴明の旋回をトレースせず、上昇しつつ、逆方向に横転。頂点付近でそのままバレルロールのような機動から降下に移り、敵の旋回平面の下に潜って突き上げる。


 ロールアウェイ。彼我の位置は想定通り。


 機動の頂点付近で敵機を完全に見失ううえに、機動自体の難易度も高い。


 しかし空戦エネルギーを維持したまま後ろ下方から突き上げることができ、後ろ上方ばかりを気にしている敵機には有効打となり得る。


 だが捉えきれない。晴明の機動が巧みだ。


 アプローチを変えるか?


 敵機の横転性と旋回性はこちらより優れている。旋回戦をしてはならない。


 一見すると速度で優れるなら一撃離脱に徹した方が無難なように思えるが、こちらのロケット燃料には限りがある。節約しつつ相手のミスを誘わなければならない。


「日が暮れてきたな。仮想の夕日が沈むとき、この国の、世界の落日となる」


 ……常夜の完成が近いということか。陽が完全に沈むのと俺のロケット燃料が尽きるのと、どちらが先だろうか。


「常夜には永遠という意味がある。稀なる強敵に永遠の眠りをくれてやろう」


 いつしか、赤と金に飾られた強烈な色彩はその光を失い、あたりはダークブルーの世界へと変わりつつあった。


 古来、夕刻という夜と昼の端境は幽世と繋がると考えられてきた。その幽世と繋がる領域を常夜と呼称する。


 夕刻の別名である黄昏という言葉は、夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると「誰そ彼(誰ですか)」とたずねる頃合いだという意味から来ている。


 名を尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることで禍々しいものを排除する意図があった。


 今の日本に広がる黄昏はまさに『人間と禍々しきもの(妖怪)』の区別がつきにくくなっている時間というわけである。


 そして黄昏の名残りの赤さが失われてダークブルーの空が広がると、『おおまがとき=大禍時』すなわち『逢う魔時』という時間帯に入る。


 まだ僅かに残る光が完全に消え失せた時、常夜は完成する。


 ……綺麗だ。


 先程までの黄昏の世界も明媚ではあったが、このダークブルーの世界にはまた違った趣がある。


 このダークブルーを知る唯一の存在となった者が、この戦いを語る権利を得るのだ。


 直人の後方に晴明がつく。有効射程まであと少し。


 斜めの旋回で引き剥がすか。


 ロケットに点火しつつ、斜めに旋回する。そして反撃すべく下降に転じ、晴明を探す。


 いない。後ろか!


 次の瞬間、発砲音が聞こえる。


 機体を左右に揺すりつつ、ロケットで急加速し、射程から外れる。


 またしても被弾。主翼が欠けているのがわかる。性能低下は免れない。


 追い詰めるはずが、逆に追い詰められている。


 おそらく晴明はベストなタイミングで旋回したに過ぎない。しかしこちらが上昇していたため、結果的にロー・ヨーヨーと同じ効果を得た。


 敵機の旋回円をショートカットして後下方から突き上げる技で機動自体は単純だが、タイミングは意外とシビアだ。早すぎると敵に反撃の機会を与えてしまい、遅すぎれば引き離されるか急激な操作をする必要がでてくる。


 最悪の場合は敵機の正面に躍り出てしまい、即撃墜に繋がる。


 こちらの機動を予測している晴明と、その意志に応える八岐大蛇。


 直人は斜めの旋回に入り、敵機がついてきていることを確認すると、九十度近い横転状態からラダーを操作して縦に滑り、急降下に入る。


 そして斜めの旋回を切り裂きつつ、反転上昇。


 正面に敵機はいない。やはりというか、これは読まれていた。


 三次元機動においては自分の思惑と違う状態になった場合、彼我の位置関係や自分の姿勢が把握できなくなる、酷い時には敵機を見失うといった状態に陥ることがある。


 ここでパニックを起こせば、命はない。見失った敵機を探したり、状況を把握する為のほんの一瞬が致命的となるケースは少なくない。


 故に空戦も剣術と同様読み合いの要素が強い。常に複数の展開と一手先を予想しておくのだ。


 晴明は途中で旋回をやめ縦のループを描いていた。直人は垂直上昇に入り、ロケットを点火。


 空戦エネルギーはこちらが有利。太刀打ちで仕留める!


 大きな金属音と衝撃が走り、直人の太刀は晴明の腰部を捉える。自らの脚部に斬撃を受けるが、痛みだけで損傷はない。


 多少のダメージはあったはずだが……。


「逃げ回ってもいいんだぜ」

「それではつまらん」

「は?」

「予の敵は世界。顔のある敵と戦うのはこれが最後だろう」

「お前はここで死ぬんだからな」

「貴様、名はなんという?」

「――水無瀬直人」

「水無瀬。人は世界すら手にできることを教えてやる」


 高度は一万四千メートルを超えていた。


 補助ロケットがなければ飛んでいるのが精一杯な高度だ。それは向こうも同じはずだが、高度を下げる様子はない。


 八岐大蛇の発動機。強烈無比。


「ふふふ。時間切れが近い。怖いか。水無瀬」

「お前を殺すのに、恐れなどない」


 上昇力と速度を活かし、背後を取ろうとする直人。


 その機動を予測し、カウンターを狙う晴明。


 両者技量の競い合い。未だ決定打の機会を得ず。


 決着つかずという結末が現実を帯びてくる。

 しかし、引き分けはあり得ない。

 時間切れとは、晴明の勝利を意味するのだ。


「予は世界を手に入れる。貴様には戦う理由があるのか?」

「当たり前だ」

「それは世界より大きいのか?」

「大きさじゃねぇ」

「ほう」

「お前の価値観が、俺にとっては無価値なんだよ!」


 安倍晴明は、人だ。


 人は、勝利を確信したその時にこそ最大の隙が生まれる。


 敵機を仕留める前に後ろを確認しろとは、魔導士が真っ先に教わることだ。


 人であることをやめた俺と違って、晴明は人であり続けている。

 ならば、俺を追い詰めた時にこそ、隙を晒すに違いない。


 それは小さな希望かもしれないが、このままでは活路はない。


 勝つのだ!


 どれだけちっぽけな理であろうと、可能性があるのなら挑まねばならない。


 晴明を後方に連れたまま、直人は垂直上昇へと入る。狙い通り。


 速度を失っていく。失速するその一瞬を捉え損ねてはならない。


 問題ない。禍津日神と一体化した今、機体の状況は完璧に把握できている。


 そして。直人はラダー操作で翼端を軸に百八十度ターンした。

 ラダーを強くかけ続けつつ、エルロンでロールを打ち消す。


 垂直上昇からの失速反転。一瞬のアンコントロール。通常の空戦ではあり得ぬ機動。


 ――市ヶ谷神道流『落葉』


 俗称『ハンマーヘッドターン』。篝時也が使っていた絶技。


 ロケット噴射ですぐに速度を回復。


 敵機は殆ど制止している。あれは失速状態にある!


 あと少し。太刀が届く範囲に入れば、最早据え物斬りだ!


 その時、直人は勝ったと思った。


 次の瞬間、晴明は視界から消えた。

Tips:市ヶ谷魔導士

 『市ヶ谷魔導士』と『日本魔導士』とはその意味するところは同じだが、ニュアンスは微妙に異なっている。

 狭義に市ヶ谷魔導士という場合、『魔導』『士道』という、時に同じ日本人でさえ理解し難い哲学に従って行動する市ヶ谷所属の魔導士に対する畏怖と敬意が込められている。

 端的に言って、市ヶ谷魔導士の精強さは世界に類を見ない。その理由はいくつか挙げられるだろうが、根拠はただ一点に絞ることができる。

 第二次世界大戦時、日本軍は殆ど全ての兵器において質、量共に劣勢であり、特にエレクトロニクス分野においては致命的に劣っていた。

 開戦から一年も経つと、日本軍は英米との圧倒的な文明力の差を痛感させられていた。

 そんな中、唯一市ヶ谷機関、市ヶ谷魔導師だけが二千年の間養ってきた魔導技術と、異常とさえ言える精強さを武器に英米の御佐機と互角に戦っていた。

 市ヶ谷機関によるクーデターと独自の講和は日本人にとっての裏切りであったことも事実だが、同時に市ヶ谷機関のお陰で辛うじて敗戦国とならずに済んだのもまた事実である。

 そうした理由から日本人は市ヶ谷機関に対し様々な感情が入り混じった微妙な感情を持つ。

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