11. 禍津日神
悠紀羽邸に帰り、風呂でぬるめの湯に浸かる。
どうなることが自分の望みなのか。そのためにできることは何か。
ゆっくりと思考を巡らすことで、日中から考え続けていたことへの覚悟を決めることができた。
自室に戻り、しばらく夕涼みしていると、みなもが夕食に呼びに来た。
「みなも」
「はい」
振り返ってから改まって名を呼ぶ直人に、ただならぬ気配を感じたのか、みなもの顔が少し強張る。
「夕食の後、俺の部屋に来てくれ」
「……きゃっ」
若干間があった後、みなもは両手を頬に当てて小さい悲鳴を上げた。
「じゃあ飯行くか」
「ちょ、ちょっと待って!」
立ち上がろうとする直人を部屋に入ってきたみなもが制する。
「なんだよ」
「ああああの、唐突過ぎるわ!」
「今日決めたんだ」
「そ、そうなの。勿論、嫌ってわけじゃないのよ」
座ってから一度深呼吸したみなもが答える。
「なら良かった」
「その、どんな服を着てくれば良いのかしら」
「ええ。別に今のままでいいと思うがな」
「そんなの、それは勿体ないじゃない」
「どうせ巫女服に着替えるだろ」
「そうなの!? それが貴方のこの好みなのね」
「いや好みっつーか、前回そうだったし」
「前回!? いつの話!? 前回も巫女さん!? どういうことなの!?」
「半年前にやっただろうが」
「いや知らないわよ! 相手誰よ!」
「お前」
「……はい!?」
みなもがめちゃくちゃ動揺していていまいち噛み合わないので、一旦整理することにする。
「ちょっと待て。何の話をしてる?」
「あ、貴方から言ってよ!」
「……だからな。俺に破障の呪いをかけてくれ」
「ああ……破障の呪い」
「何の話だと思ったんだよ」
「それは勿論、しょ、初夜……」
「しょ? なに?」
「なんでもないわよ!」
「そ、そうか」
顔を真っ赤にして言い切られると、追及する気も起きない。
「じゃま、そういうことで」
「あ、貴方今、破障の呪いって言ったわよね」
立ち上がろうとした直人を、みなもの震える声が押しとどめる。
「言った」
「どうして……」
俯くその顔から涙がこぼれたのに気づく。
「怒ったり泣いたり忙しい奴だな」
「貴方のせいよ!」
「俺の!?」
「だって、破障の呪いだなんて……次に使ったらどうなるか、わかってて言ってるんでしょう?」
「まぁな」
「そんなの、私は嫌よ!」
「晴明に勝つためだ」
「貴方が帰ってこなかったら意味がないじゃない!」
まぁ、こういう反応をされることはわかっていた。
夕食前に揉めるのは嫌なので、食後に部屋に来るようにとだけ伝えたかったのだが、口が滑ってしまった。
「破障の呪いを使うと決まったわけじゃない」
「駄目よ! 憑依し続ければ、いずれ式神に乗っ取られてしまうわ!」
「そうなのか」
「だから、そんなことしなくても貴方は勝つわ」
如何に説得するか。
理由を説明する。それしかないな。単刀直入に告げるしかない。
「絶対にお前を守りたいからだ」
「私のため……?」
「愛してる。みなも」
みなもが聞きたい言葉は結局のところはこれなんじゃないだろうか。
そして直人はみなもにキスをした。
短い時間触れ合っていただけだが、心臓の鼓動が早い。
みなもはどうかと思って見れば、呆けているようだった。
目の焦点が合ってない気がする。
「いきなり、ずるいわ」
「お前を守る為に、破障の呪いが必要なんだ」
「私を愛しているのね」
「もっと早く言うべきだったな」
「いいの。だから、もう一回して」
二回目はもう少し長かった。
しばらくして目を開けたみなもの瞳が潤んでいるのを見て、色っぽいなと直人は思った。
「やっと貴方のものになれたのね……」
「キスくらいで大袈裟な」
「愛の誓いじゃない」
「そうだな」
「貴方の気持ちがとても嬉しい」
「これが俺の本心だ」
「幸せだわ」
「だから、破障の呪いを頼むぞ」
そう言って直人は先に部屋を出た。
肯定の言葉はなかったが、拒否もされなかった。
俺の気持ちは伝わったはずだ。後は信じるのみ。
直人が夕食の席に着いた後、さして遅れずみなももやってきた。
しかし二人の表情は硬く、必然的に会話も少ない。
「みなも。来るのが遅かったが、何かあったのか?」
「みなもは直人君の事が心配なのよね」
「……うん」
「そうか。明日だものな」
食事を終えると、直人は一人部屋に戻る。
みなもはやってくれるだろうか。
もし、それでも破障の呪いは嫌だと言うのなら、それに従おう。
それから一時間ほどして、みなもは現れた。
「破障の呪いの準備ができたわ」
「そうか。ありがとう」
「私はね。貴方の頼みならなんでも聞くのよ」
そして二人は、祭殿に訪れた。
半年前と変わらぬ雰囲気。静謐で、清らかな雰囲気。
「ここで待ってて」
そう言って姿を消してから十五分ほど。巫女服に着替えたみなもが現れる。
「お前に出会えてよかった」
「私こそ、お慕いしております」
「お前がいるからこそ、俺は晴明に勝てる」
「貴方の勝利を信じているわ。でも、万が一のことあらば、私も黄泉路へお供します」
「向こうで待ってても構わないけどな」
「魅乗りになんてなりたくないもの」
「確かにな」
「離れていても、私は貴方と一緒に戦います。それだけの覚悟があります」
……魔導士だなぁ。
魔導とは生と死の狭間にあること。戦うことを止めぬ覚悟。魔導の名門の一人娘として育ったこの女は、生粋の魔導士なのだろう。
そう考えると、直人はますます自分のものにしたくなった。
「私は貴方の意志に従う。でもどうして私なの。とも思う」
「お前だから頼めるんだ」
「貴方を殺すのが私だなんて」
「俺を殺せるのはお前だけだ」
「そうね……。じゃあ、刀を八脚案に置いて」
ここで直人は、神饌台の上に何も置かれていないことに気付く。
「神饌だっけ。今回はないのか?」
「ええ。今回はいらないわ」
「なんで?」
「そういうものなのよ」
「そうか」
みなもは神事のプロだ。任せておけばいい。
「直人。一つだけお願い聞いて」
「なんだ」
「貴方が帰ってきたら、結婚しましょう」
帰ってきたら、か。それならば、こいつがいきなり未亡人になる心配もない。
「みなも。帰ってきたら結婚しよう」
「はい。喜んで」
そして、儀式が始まった。
前回同様、みなもは水に濡らした筆先で、直人の背中に何かを書く。
そして書き終えると神棚の前で屈んで右足を後ろに引き、左膝を立て膝にし、一礼してから大幣を正面に掲げた。
「天清浄、地清浄、内外清浄、六根清浄と祓給う。八百万の神等、諸共に、掛まくも畏き、早衛御神」
巫女舞が始まると、周囲の空気がさざ波のように揺らいだ気配がした。
精霊達が呼応しているのか。
「御神の高き尊き御恩頼に依りて神気を与え賜ひ。清浄き心を悟て強きことを務めと奉る」
腕と脚を使い、身体を大きく動かす。
奇麗だ。身体にブレがない。剣術と同じだ。修練こそが美しさを生む。
「心とは神なり故に我は汝、汝は我。人は万物の霊と同体なるが故に、汝を知り我に入るの観なり」
みなもの祝詞は、平板な調子の中に得も言われぬ深みがある。
祝詞というものを数えきれないほど練習しなければ、この味は出せないだろう。
「六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと。我を食せと恐こみ恐こみも申す」
祝詞が終わった。みなもは再び屈んで右足を後ろに引き、左膝を立て膝にし、頭を下げた。
そして数刻。巫女舞を終えたみなもが突如倒れた。
咄嗟に跳躍し、直人は背中で受け止める。
「どうした!」
「問題ないわ」
「トランス状態ってやつか!?」
「トランス……そうね」
ぼーっとしているようなので、直人はみなもの上半身を膝に乗せた。
「大丈夫か?」
「貴方が必要だと思った時、破障の呪いは発動するわ」
「よくやってくれた」
「直人。晴明を倒したら、必ず戻ってきて」
「多分魅乗りになってるぞ」
「それでもいいわ。貴方の帰りをお迎えしたい」
「その時俺は、禍津日神は何を思うんだろうな。変わらずお前が好きなんだろうか」
「私の愛は変わらないわ」
「俺の気持ちはどうなんだろうな。魅乗りだからな。斬り殺してしまうかもしれん」
「永遠に貴方のモノになる……それもいいわね……」
「さすがに嫌だな。俺の記憶が残っていれば、それは避けられる、と思う」
「帰ってきたら続きをしましょう。勝ったら私をあげるわ」
「その時は、遠慮なく貰うとしよう」
「とても素敵ね」
そう言ってみなもは目を閉じた。
必然、直人は身動きが取れない。
しばらくはその場で大人しくしていたが、いい加減部屋に戻りたくなってきた。
そうか!
直人は突然みなもを抱え上げて立ち上がった。
みなもは不満も言わず、両手を直人の首に回す。
そして二人は悠紀羽邸へと戻ってきた。
「そこの角を曲がって頂戴。ええ、その奥の部屋よ」
「俺の部屋じゃねーか!」
降ろされたみなもは、押し入れから布団をもう一組取り出す。
「あれ、布団もう一枚あったっけ」
「そりゃあるわよ。私も寝るんだから」
「親父さん怒るぞ」
「関係ないわよ」
「まぁ、な」
「もう寝ましょう。明日は早いのよ」
その夜は落ち着いて眠ることができた。
みなもと共寝など緊張して眠れないかとも思ったが、不思議と心は落ち着いていた。
帰ってくれば、手に入るとわかっているからかもしれない。
魅乗りになってしまっては、もう俺ではあるまい。その時の自我がどうなっているのか、わからない。
だがまぁ、どんな形であれ、好きな女が手に入るのだ。
焦る必要はない。
覚悟が決まったからこその安息だった。
Tips:飛行戦艦『伊邪那岐』『ブリュンヒルド』
日本の魔導技術とドイツの飛行船技術の結晶。
GHQと市ヶ谷大本営による本土決戦の最終局面において極めて大きく活躍し、その後日本の敗戦の直接的原因となった。
最大の特徴は船体、船室共に魂鋼装甲合金で構成された全金属飛行船であることである。
艦全体を複数の区画に分け、それぞれを御佐機と見なすことで魂鋼を構成材とすることに成功した。即ち本艦は複数の精霊機の集合体と見なす事ができる。これにより薄い外殻でありながら、航空機関銃にすら耐える強靭な防御力を誇る。
ただし魂鋼装甲外殻も御佐機の斬撃に耐えられるほどの厚さは確保できず、しかも対空機銃のレイアウト上、船体真上は完全に死角である。この弱点は後述する高高度飛行船との連携で補うこととされた。
武装はHs293と3.7cmFlaK43を搭載した。
両艦とも所属は大日本帝国空軍であるが、在日ドイツ政府の希望により二番艦はドイツ式の命名となり、ドイツ人兵士が乗り込んでいる。
なお、本艦の存在は厳重に秘匿され、書類上は単に『B型飛行船(Luftschiff Typ B)』と呼ばれた。
二隻の飛行戦艦は横須賀を壊滅、横浜を陥落同然にまで追い込むも、安倍晴明の裏切りによって魅乗りの巣窟と化し、日本軍に牙を向いた。
一番艦『伊邪那岐』はGHQの攻撃で損傷した後、帝国空軍の猛攻を受けて轟沈。二番艦『ブリュンヒルド』はほぼ無傷のまま富士山麓へ飛行していったことが確認されていたが、その後沈没が確認された。
帝国空軍の残党による攻撃で沈んだという説が有力だが、詳細は判然としない。
飛行戦艦という単独で十分な防御力と攻撃力を持つ兵器を御佐機の母艦としても機能させるという戦術の確立は、新時代においても御佐機が最重要戦力であるという認識を新たにした。