10. 銀座にて
日曜日。午前十時に待ち合わせた三人は予定通り百貨店へと向かう。
テロの再発やテロリスト残党の活動に備えてか、半装軌装甲車が数両駅周辺の路肩に停まっていた。九七式軽装甲車も一両停まっている。それらの傍では数人の警官が周囲を見渡していた。
もっとも現在の帝都では装甲車輌や機関銃で武装した警官を見かけるのは珍しいことではない。
最先端のものが集まる銀座は東洋一の街と言われ、洗練された街並みを鮮やかな着物や人気の洋装に身を包んだ人々が歩く。
ただし銀座も戦争の余波からは逃れられず、戦時中は劇場が休場したり、路面電車の運転が制限されたりしていた。
現在は全ての商店が平常どおり営業できているが、かつて銀座を彩った華やかなネオンは消え去ったままだ。
一つの百貨店で衣類の買い物を済ませたみなもと茜につき従い、直人は銀座の町を歩く。この後はカフェで昼食にするそうだ。
現在の銀座にはカフェとバーが合計約六百はある。だがみなもと茜は特定の純喫茶を目指していた。目当ての店へとたどり着き、三人は入り口のベルを鳴らしつつ店内へと入る。
「このカフェは元帝国ホテルのシェフがやってて、カレーが絶品なのよ」
「舐めるなよ。ライスカレーくらい食ったことはある」
「え、ええ」
女給に案内されたテーブルでメニューを眺めていると、同じ女給がやってきた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「カレーとコーヒーを三つ」
「かしこまりました。辛さのお好みはございますか?」
「中辛を二つ――水無瀬君はどうする?」
「俺はハイカラで」
「ちょ」
「え」
みなもと茜がおかしそうに俯く。
俺は何かおかしい事を言ったらしい。女給まで笑いを堪えているのを見て、直人は一層恥ずかしくなった。
「あの、中辛を三つで」
「コーヒーはいかが致しますか?」
「ブレンドを。水無瀬君もそれでいい?」
「ああ。混ぜてくれ」
「……三つお願いします」
「かしこまりました」
みなもが言うと女給はすぐ真顔に戻り、深々と礼をして歩いて行った。これも品の良さか。
女給が去ったところで、みなもが口を開く。こっちはまだおかしそうだった。
「ハ、ハイカラは辛さの度合いじゃないのよ」
「なに……英語のハイに辛いじゃないのか!?」
「高い襟を意味するハイ・カラーが語源。もう四十年も前の話よ」
そうだったのか。てっきりライスカレーと関係のある言葉だと思っていたが……。
ライスカレー自体は早衛部隊でも供された事がある。だが当たり前ながら辛さなど選ぶことはできなかった。だから、いつか都会に行ったらライスカレーのハイカラを食べようなどと語り合ったものだったが……あそこは田舎者が多かったらしい。
「勉強になった」
「しょうがないよ。私だって勿コースって初めて聞いた時お餅のコースだと思ったもん」
「えっと、それはどういう意味なんだ?」
「オフコースって勿論って意味でしょ」
「だから勿コースか!」
「だってさ」
都会の学生は日常でも英語絡みの言葉を使うのか……。これもハイカラ?
「私もオフ論と聞いた時は、お風呂の事だと思ったわ。意味は勿コースと同じよ」
「そういうの誰が考えるんだろうね」
しばらく現代の若者文化について議論していると、カレーが運ばれてきた。
ここのカレーはかつて食べたものとはまるで別物だった。香辛料が舌はおろか脳髄まで刺激し、コクが味覚を包み込んだ。永遠に食べていたいと思える代物だったが、それをやると予科に通えなくなるので我慢する。
カレーを食べ終わった後、みなもはおもむろに口を開いた。
「ところで黒金についてなんだけど」
みなもの声を聞きつつ、直人は水を飲む。
「私は貴方の黒金打倒に協力しようと思う」
「私も協力するよ」
直人は一瞬むせそうになった。だが考えてみれば昨日既に力を借りている。驚くほどのことではないかもしれない。
「もし昨日のような事がまたあったら、力を借りたい」
「それは勿論良いのだけれど、私と茜が言うのは、黒金との戦闘そのものの事よ」
「それは無理だ」
「どうして」
「足手まとい、とは言わないが、瞬殺されて終わりだ」
「それ言ってない?」
「私結構飛べるけどなぁ」
茜は不満そうに言った。
確かに昨日の飛行を見る限り、悠紀羽よりは御佐機の扱いは上手そうだ。だが相手が黒金となると、どうか。
「玉里の飛行時間は?」
「飛行時間?」
「今まで御佐機でどれくらい飛んだ?」
「わかんない」
まぁ要するに訓練という名目では殆ど飛んでいないということだろう。この歳で式神を保有しているというのは魔導士としては大きなアドバンテージだが、あいにくと黒金はこちらの成長を待ってはくれない。
「話しにならん」
「えー」
茜はまだ不満げだった。
「じゃあ水無瀬君だけで勝てるの?」
「見通しは立ってない」
直人の言葉にしばしの沈黙が訪れ、みなものため息がそれを破った。
「昨日家に帰った後、大殺界について調べたのよ」
実を言うと直人は大殺界についてよく分かっていない。
「大殺界という言葉の出典は陰陽思想にあると思われがちだけど、実はそれ以前からある。イザナギとイザナミによる国生みの前に存在した混沌、これを大殺界と呼ぶの。いかなる魂も精霊も生きられない状態のこと」
「じゃあ奴が言う大殺界を作り、世界を作り変えるというのは?」
「この国を全ての魂が存在できない状態にした後、改めて別の国を作るということでしょうね。黒金の正体は禍津日神なのでしょう? ならばイザナギとイザナミが作ったこの国を破壊しようとしても不思議は無い」
「それやばいじゃん!」
茜の頓狂な声でコーヒーを運んできていた女給が身を震わせた。
「……食後のコーヒーです」
「ありがとうございます」
何事も無かったかのように女給はコーヒーを置き、みなもは対応した。
女給が去ったのを確認して、直人は口を開く。
「あの野郎。んなこと企んでやがったか」
「貴方それを知らないで黒金を倒そうとしていたの?」
「絶対に殺すつもりだからな。奴が何を企んでようと関係ない」
「そうかもしれないけど……周りへの注意喚起とか」
「玉里。大殺界と聞いて分かるか?」
「わかんない」
「ほらな」
直人は得意げにみなもに言った。
「……まぁそういうことだから。絶対に倒さないとまずいのよ」
「なるほど」
「この国が消えるなんて絶対に嫌。だから貴方に協力する。わかるわよね!」
みなもの表情は真剣だった。
「気持ちは分かった」
明日から二人を特訓してみるか。どの道飛び方を教える約束なのだから似たようなものだが、一朝一夕でどうにかなるとも思えない。相手はあの黒金なのだ。
「何かできることはないの?」
茜の問いに直人は寸刻考える。だが何も思い浮かばない。
「黒金への勝算が立たないと言っていたけれど、過去に戦った時何かチャンスだと思ったことはないの?」
「……ないな。機体の基本性能は同じ。腕前は互角と思いたいが、神を名乗るだけあって動きが良い。しかもこっちは向こうが現れてから駆けつけるから基本的に劣位高度になる。さらにいざとなったら向こうはロケットで急上昇する」
「うわぁ」
茜は絶望的な状況がわかったらしく嘆息した。
直人とて無策で挑むことが愚かだとは分かっているのだが、それでも黒金が現れたらその行動を妨害、可能なら撃墜する。それ以外にできないし、するつもりもない。
仲間がいた時は作戦を立てて臨んだが、結果は惨敗。今から市ヶ谷あたりに駆け込んで事情を話しても、信じてもらうどころか下手をすると帝都から叩き出される。
みなもや茜もそれについては分かっているのか、警察に行こうなどとは言い出さなかった。
「使える技をもう一度検討してはみたんだが」
「それは水無瀬流と市ヶ谷神道流ということよね」
「ああ」
肯定してから直人は思った。他の流派には水無瀬流にはない技があるかもしれない。もしかしたら起死回生の一手になるような必殺の技が。
「そうだ。お前達が学んだ剣について教えてくれないか?黒金打倒のヒントが得られるかもしれん」
直人がそう言うと、二人は一度顔を見合わせた。