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1. 月夜の空戦

 水無瀬直人は高度三千メートルの夜空を飛行していた。深緑の機体は身長約六メートル。背中の首元にレシプロ発動機を備え、腰部から主翼と縦翼が伸びている。


 『御佐機みさき』と呼ばれる人型兵器に憑依した直人は現在東京上空にいる。目的は一つ。仇を討つためだ。


 最近頻発する不可解な事件から、仇が東京にいることは間違いない。そしていざ出現すれば、その存在は感知できる。ならばひとまず東京で生活し、機を伺うべき。


 一昨年に誕生した『東京都』に侵入して八分ほど、目的地が近づいてきた。そろそろ高度を落し始めるか。直人がそう考えた時、搭載無線から声が聞こえてきた。


「警告。貴機は当空域を侵犯している。速やかに着陸し、憑依を解け」


 レーダーに引っかかっただと!? この辺りに軍事施設は無いはずだが。


「所属不明機、なおも当空域内を飛行中。識別装置反応無し」

「GHQや在日独軍からも通過の申請は来ていないわ」

「ご安心ください、巫女様。既に迎撃機が上がっております」


 男性と女性の声が聞こえてきた。


 こんなところで着陸、拘束されるわけにはいかない。俺にはまだ果たすべき使命があるのだ。しかし迎撃機が来ている以上、無視もできない。しつこく追い回される可能性がある。


「迎撃隊、聞こえるかしら」

「感度良好」

「対処は規則の通りよ。まずは国籍を確認。外国機の場合領空外に誘導。従わぬ場合領空から抜けるまで包囲して監視。攻撃機動を取った場合、交戦を許可するわ。例えそれが進駐軍であったとしても、速やかに撃墜なさい。日本神道を甘く見られないように」

「了解!」

「じゃあ私はお風呂だから。任せたわよ」

「はっ」


 聞こえてきた会話はまったく穏やかではなかった。俺はそろそろ着陸に移りたいのだ。故に領空外へ誘導されるわけにはいかない。となれば取るべき手段は一つ。


「所属不明機を確認。……見たこと無い機体だ」

「目標は依然飛行中。攻撃準備」


 直人が眼下を見ると、四機の御佐機が上がってきていた。見覚えのある機体だ。暗緑の塗装に日の丸。翼端が円形のテーパー翼。あれは……。旧海軍主力、零式精霊機か。


 精霊機とは量産型の御佐機のことを指す。そのうちの一つ、零式精霊機、通称『零精』は驚異的な旋回性能を持つ機体で、大戦初期には最強を誇った名機。ただし四年以上前の機体であり、旧式化は否めない。


 こちらに向かってきているのはおそらくは幾度の改良を施された後期型。致命的な弱点であった耐久性の低さもいくらか改善されたが、発動機出力の低さはどうしようもない。


 敵機四。優位高度。


 直人は下にいる零精とすれ違う瞬間に一八〇度横転。急降下を始めた。そして零精と同じ高度になった段階で機体を引き起こす。スプリットSと呼ばれる機動。


「後ろから来るぞ!」


 四機の零精は二手に別れ旋回を始める。だが直人には予想できたことだった。直人は予め進路を右側に取りつつ右大腿部から三〇ミリ機関銃を抜き、銃床を肩部のコネクタに押し付ける。


 機体から魔力が伝送され、照準器に光像が出現。初弾が薬室に送り込まれる。


 やはり、一機の零精がその背中を照準器に入れ始めた。すかさず引き金を引く。放たれた一連射は零精の左翼に命中し、その三分の二を吹き飛ばした。左翼を失った零精はきりもみ状態になりながら墜落していく。


 直人は右に旋回したもう一機の零精を探したが、既にすれ違おうとするところだった。素晴らしく小さい旋回半径。追撃は諦め、再度上昇に転ずる。


 この戦闘は直人にとって有利な点が三つあった。まず直人が乗る御佐機、『早衛さきもり』の性能は零精を遥かに上回るということ。なんと言っても発動機出力が違う。次に直人の方が優位高度にあること。最後に、直人は零精と模擬空戦をやったことがある。故にその性能を把握しているのだ。それに対し敵は直人の早衛は初見。その性能は未知。


 現に今も、直人は右旋回中の零精を狙った。零精は搭載するレシプロ発動機の回転トルクの都合上、左旋回より右旋回を苦手とする。それを知っているからこその撃墜。


「小川がやられた!」

「野郎……速い!」


 これだけ有利な条件が揃っているのだ。一撃離脱を繰り返していけば絶対に勝てる。


 再度優位高度に占位した直人は敵機の様子を伺う。敵機はこちらに向かってくるところだった。


 直人はさらに縦旋回を行う。そして急降下に入った。眼下の零精との距離が縮まっていく。


 ここで機関銃を一機の左側に一連射。距離が遠すぎて当たるはずはない。お前を狙っているぞという脅し。敵機はこれに反応した。時計周りに横転を初め、右旋回に入ろうとする。


 そこが狙いだった。直人は機関銃を右腿に戻すと、左腰の鞘から太刀を抜く。


 零精は旋回性能こそ抜群だが、横転性能については高いとは言えない。つまり得意の旋回に入るまでが遅いのだ。加えて直人の早衛は極めて速い急降下速度を持つ。機体の頑丈さに起因するものだ。これなら間に合う。


 零精が右の旋回に入った瞬間、太刀を右上段に構えた直人が接近、太刀を零精の左翼に振り降ろした。速度エネルギーが乗った一撃。


 零精は左翼の半分が跳ね飛び、墜落した。


 直人は機体を引き起こし、上昇に入る。敵は残り二機。両方とも自分より低空にいる。旋回して、敵機を正面下方に捉える。


「隊長。仕留めるのは任せます」

「やむを得んか。やれ」

「了解」


 無線から敵機の通信が聞こえてくる。何かしら連携するつもりなのだろうが、状況はこちらが圧倒的に有利。


 直人は降下を始め、タイミングを見計らって急降下に入る。それに気付いた敵機の片方が、旋回からの急降下に入った。


 零精の急降下制限速度は知っている。翼がもげる前に引き起こさないといけないわけだから、そこを狙えば良い。


 そう考えて直人が後を追うと、正面上方からもう一機の零精が接近してきた。


 俺が通過するほうが早い。捉えきれまい。


 直人がそう判断して降下を続けると、零精は思わぬ行動に出た。機体を横転させ、左旋回に入る。敵機を追っている直人はそれを照準できない。これは……。


 ――市ヶ谷神道流『燕返し』


 完璧なタイミングだった。直人の前で旋回を始めた零精は、その旋回が終わった段階で直人の背後についた。零精を直人が追い、それを零精が追う展開。


 直人の耳に、敵の二〇ミリ機関銃弾が機体を叩く音が聞こえた。横を見ると、右翼に大きな穴が空いているのが見えた。被弾したのだ。


 だが致命傷ではない。急降下速度の違いから、すぐに敵の射程外に出ることができた。そして直人の前方にいる零精は引き起こしに入っている。徐々に水平に戻りつつある零精は直人から見るとほとんど静止している。そこを射撃した。


 銃弾は零精の発動機に当たり、黒煙を上げる。撃墜確実。あれは滑空して離脱しかあるまい。


 三機目を仕留めたところで、直人は縦の旋回に入った。例え空戦エネルギーが有利だとしても、零精と横の旋回戦は絶対にしてはならない。後ろを見ると、だいぶ引き離された零精が後を追って縦の旋回に入るのが見える。


 そこで直人はもう一度縦の旋回に入る。今度は追ってこなかった。追ってこられないのだろう。最初に持っていた位置エネルギーが違う。


 ループを描いた直人は眼下の零精を捉えた。


 接近する直人に対して、零精は何とか旋回で逃げようとする。が、それは読めていた。零精はそうする以外に無いのだ。直人は零精の左下方を照準し、照準器に零精の背中が入るのを待つ。そして引き金を引いた。


 発動機と右翼を損傷した零精は戦闘不能。四機目の零精を撃墜し、直人は機体を水平に戻す。


 迎撃に上がってきたのは全四機だったはずだ。目的地も近いしそろそろ高度を落として――。


 そう考えた直人は緩降下に入る前に何となく背後を見た。


 なんと、真っ直ぐこちらに突っ込んでくる御佐機がいるではないか!


 二〇ミリ機関銃を構え、降下してくる。直人がそれを認識した瞬間、その御佐機のプロペラの回転速度が上がった気がした。


 もう一機別行動で上がってきていたのか! それにしても発動機の音など聞こえなかった。もしかして俺の頭上を取った後、発動機を切って無音降下してきたのか!?


 新手の機体が何なのか確認している余裕は無かった。もう射程に入ってしまう。直人が取りうる選択肢は多くなかった。


 御佐機にとって一番の弱点と言えるのは発動機だ。翼が無事でも発動機が無くては飛べない。そこをやられると戦闘不能となる。


 直人は咄嗟に機体を時計回りに横転させた。刹那、二〇ミリの銃弾が殺到してくる。


 やはり被害は免れなかった。まず発動機に数発被弾し、次いで左脇腹を叩かれる音が聞こえる。更には左翼に何度も被弾、その半分が弾け飛んだ。


 完全なる不意打ち。教科書通りの後ろ上方からの奇襲。固より回避は望めない。そう判断していた直人は横転しつつ三〇ミリ機関銃を抜いていた。


 こちらの背面を通過して上空に逃げるか。


 直人は自分の背後を見る。いない。下方への一撃離脱か!


 直人は横転状態のまま照準器を覗く。すると偶然にもそこに敵機が入り込んできた。すかさず引き金を引く。


 銃弾は敵機の発動機へと吸い込まれ、火花、次いで爆炎を上げた。敵機は黒煙の尾を引きながら急降下していく。撃墜確実。


 その御佐機はずんぐりとした容姿だった。零精とは別の、もっと上昇力に優れた機体だったのかもしれない。今となっては確かめる術は無いが。


 直人は機体を水平に戻そうとしたが、無理だった。飛行できる状態ではない。上手に墜落するより他になかった。


 高度がぐんぐん下がっていく。左翼が半分無いので墜落気味の滑空。スピンしないよう機体制御に注意を払う。


 こうなった以上はこのまま出来るだけ軟着陸に近い形で堕ち、それから憑依を解除しよう。今憑依を解いてしまうと墜落死する事になる。


 暗闇に染まることを拒否した小さな光の群れが徐々に大きくなってくる。地上まで五百メートルを切った。眼下に見える大量の明かりに照らされて、ひときわ大きな家屋がぼんやりと見えてきた。なんとか足を下に向けたいところだが、うかつに翼の向きを変えるとそのまま制御不能に陥りそうだ。そうなれば最悪命を落す。


 幸い眼下の建物は民家のようで、少なくとも鉄筋コンクリートの建物ではない。直人はこのまま頭から落ちることに決め、来るべき衝撃に備える。そして建物の屋根に直撃した。


 直人は屋根を突き破り、建物内部へと墜落。憑依を解く。六メートルある早衛が突き破ったせいで屋根には大穴が開き、半壊とも言える状況になっていた。そして何故か直人はずぶ濡れだった。


「あ……ひ……」


 うつ伏せ状態の直人が視界を上げると、漏れるような小さな悲鳴が聞こえた。そして肌色の物が見える。目の前に尻餅をついたように座り込む裸の少女がいた。なかなかに衝撃的な光景だった。不時着時の衝撃を上回る。


「え……え……?」

 

 大きく目を見開いた少女が口をパクパクさせている。


「なんかすまん!」


 同じく動転している直人だが、とりあえず不時着の被害者から目を背け、立ち上がる。やっと状況が飲み込めた。


 直人が立っているのは、銭湯かと見まがうような大きな立派な浴室だった。たった今破壊したのは浴槽で、大量のお湯が流れ出し、床全体から湯気が上がっている。直人が後ずさると水の跳ねる音が聞こえた。


「な……この……」


 ようやく脳からの信号が身体に伝わったらしい少女は、ハッとしたように自分の身体を抱え込むようにして前を隠す。


 みるみる顔が紅潮するが、それは恥ずかしさだけでなく怒りも混じっているように思われた。彼女の目つきを見れば分かる。憎悪だった。


「出てって! 出てってよ!」


 その声で直人も我に返った。足元に落ちている、御佐機に憑依するのに必要な『軍刀』を拾い上げると少女に背を向ける。


「じゃ、邪魔をした!」


 そして崩壊した壁から外へと走り出した。


「者ども! 出会え! 出会いなさい! あ、やっぱりちょっと待って!」


 背後から少女の声が聞こえてくる。ここにいるのはまずい。


 塗れた足で一回滑りそうになったが、とにかく走る。不時着の衝撃で身体のあちこちが痛むが、急がねばならない。


 それにしても広い。上から見たときも大きいと思ったが、こうして人の身体に戻ってみると極めて大きな屋敷だ。大きな池を横目に見ながら、砂利が敷かれた庭を横切る。


 早く外に出なければ。ぐずぐずしていると『者ども』が集まってきてしまう。


 邸内の端まで来た直人は、瓦葺きの塀を越えて路上へと出た。正確な現在地は不明だが、とりあえずこの場から離れよう。そう考えて走り出した直人の視線の先に巨大な鳥居が見えた。どうやらここは神社だったらしい。


 この辺りの土地勘は皆無なので、大通りに出て、標識で現在地を確認しながら走る。身体中ずぶ濡れなのはいかにも目立つが、ただ走るより他になかった。


 ようやく駅へとたどり着いた直人は切符を買い、改札を通る。


 目的地の最寄り駅は飯田橋だったか。路線図を確認すると、このホームで間違い無さそうだ。一息つくことができた直人は少しばかり感慨にふける。


 こんな遅い時間でも列車が動いているとは。やはり帝都は凄い。地元は単線の列車が一日二回来るだけだったというのに。


 十数分後、ホームに滑り込んできた中央線に乗り込む。水を滴らせる直人は周囲に白い目で見られながら、都心へと運ばれていった。

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