8 これでも俺は魔王
「くそ……っ! くそ……っ! あのクソ野郎め……!」
マーヴィン家の一室。そこで体に包帯をグルグル巻きにしてベッドに横たわっていたのは、酒場で魔王に殴り飛ばされたヘレストだった。彼は金で雇った治癒師らの回復魔法で、なんとか一命をとりとめたのだ。
彼はベッドの上で悔しそうに顔を歪ませていたが、すぐに表情を緩めて笑い出す。
「だが……親父に言いつけたら……へへっ! あのクソ野郎めざまあみろ!! 今日がてめぇの命日だ!」
はははは、と彼の醜い笑い声が一室に蔓延していた。
俺は魔力で無理やりに真上の土を消滅させた。消滅させてできた丸い穴を見上げるとは、地下室の天井が見える。
「……だ、誰だ?」
すると、その穴の隅にひょっくりと少年が顔を出した。暗くてよく見えないが、白い髪だけは何とか分かった。恐らくマーヴィン家の使用人だろう。
それにしても、人がいたとは少し場が悪い。
俺はちょっと不服に思ったが、こればかりは仕方がないのでとりあえず、その少年の存在は無視することにした。
「……男の子がいますね。家事見習いさんでしょうか」
隣にいるリリィも上を見上げて、彼の存在に気づいたようだ。
俺は彼女を見ながら、さっきのことを思い出す。
『……じゃあ、済まなかったら、私と配下として雇ってくださいよ。魔王さん?』
大事になったらどうするつもりだ、といった旨の話をしたら返ってきた言葉だ。
それに対し、俺は即答した。
『貴様が使えるならば、配下にしてやる』と。
さて、どんな行動をするのだろうか。
俺はこの純粋そうな少女が、どのように悪事に手を染めるかがちょっと楽しみだった。
悪趣味? 魔王は大概悪趣味だから問題ない。
「ひとまず上にあがるぞ。これ以上ここにいたら土の臭いがつきそうだ」
「へっ……!? ちょちょ、いきなり……!」
俺は彼女の背中に手を回し抱きかかえると、地面を蹴った。魔王なので脚力も当然人外。数メートルあった地下室まで、ひとっ跳びだ。
「も、もう……! 一言かけてくださいよ……!」
地下室の床に着地し落ち着いたところで、彼女は慌てた様子で腕の中から降りる。
俺はなんか面倒だったので、それを見て見ぬフリして出口を探した。淡いランプが照らす室内を見回して、黒い扉を見つける。
「……でも、あんな高さを軽く飛び越えられるなら、屋敷に上から侵入とかできなかったんですか……? 地面じゃなくて屋根の上をつたっていけば、そうそう見つからずに屋敷まで行けるでしょうし……」
「……? 無論可能だが?」
「じゃあなんでわざわざ地下から侵入したんですか!?」
大声で叫ぶリリィに、俺は手で耳を塞ぐ。
どうしてそこまで怒鳴る必要があるのか。俺は少しうんざりしながらも口を尖らせて答えた。
「上から登場は神やら天使やらの登場の仕方ではないか。俺は魔王。天空に棲むとされる神や天使とは違い、地獄の底に棲んでいるといわれているのだぞ? 神や天使が空から降りて来るのならば、魔王は地下から這いずり出てくるのが筋というものだろう」
「……変にこだわりますね」
「魔王として誇りを持っているからな」
今誇れるのはこれくらいしかないのだ。胸を張ってそう答える俺に、リリィはつき飽きているだろうため息をまたついた。
「とにかく上に行くぞ。奴の部屋はどうせ二階にあるのだろう」
「よくわかりますね」
「勘だ」
そんなやり取りをしながら、俺はリリィと地下室の出口を目指して歩き出した。
すると目の前に立ち塞ぐ影がひとつ。竹ぼうきをもっているそいつは、さっき上から顔を出してきた少年だった。
「すみませんが……どなたですか?」
彼はくるりとした瞳を真剣そうに細めて、俺たちの前に立ちはだかる。
小さなその体でこの俺に立ち向かうとは面白い、と思って俺は笑み――もちろん、悪い笑みだ――を浮かべ、少年に向かって堂々と歩き出した。
するとそれに対抗するように、少年は俺に向かって一歩踏み出すと、竹ぼうきの取っ手部分の先を俺に突き付けた。
「アンタは、誰だ」
俺はその瞳を見て、少し気分が高揚してしまった。
闘志に燃えた瞳だった。勇気と覚悟に満たされ、絶対的な意思を感じる。
小柄な割には大層な思いを背負ってそうだ。
例えば、
「この家に、貴様の大切に思う人間がいる、とか」
「っ」
俺の言葉に瞳が揺らいだのを感じた。具体的で広範囲だが、少年の気持ちはなんとなく察した。
だからこそ、それを踏みにじりたいという気持ちが出てくる。
今この場所で踏みにじってやろう。そう思って腕を振りかぶる。――が、
あっ……力が出ない……。
呪いのことを完全に失念していた。
「アンタは誰だ!?」
少年は竹ぼうきで俺のおでこを力いっぱいついてきた。
何故か力が入らない俺はそれをモロに食らい、その場に尻餅をつく。
「ちょ、待て! 話を聞いてくれ!」
「俺が! 聞いてる! んだよ!」
「い、痛い! やめろ! やめ! 俺は魔王ぞ! こんな竹ぼうきなんかに!」
力が出なければどうしようもない。
俺は少年の振るう竹ぼうきの乱打をどうすることもできず、結果的に痛みに喘ぎながら俺は涙目になって、腕で必死に防御していく。魔力での防御膜もはれず、竹ぼうきの痛みが直に肌にきている。
これは地味に痛い。しかしどうすることもできない。はっきりいって、一種の詰みだ。
その時リリィはどうしていたかというと、俺が尻餅をつき、小さな少年がそんな俺を叩き潰していくという悲惨な一幕を、冷めた瞳でただ傍観していたのだった。