6 見習い執事の考え事
マーヴィン家の見習い執事、キーノは少し困っていた。
キーノは幼いころに捨てられた。故に彼は親に愛情も常識も教育も与えられず、路地裏でゴミを漁りながら、毒よりも毒々しい見た目の残飯を食らって、生きながらえてきた。
そんな日が続いて三年。それは少し肌寒く、湿気の多い曇りの日だった。
そういう日は決まって、キーノは寂しさに押しつぶされそうになる。すでに忘却の果てに落ちてしまった親の顔を思い出せないまま、閉店した店の壁に寄り掛かって、家族というものについて思いふけっていたのだ。
「あら。何をしているの?」
そんな、キーノにとってはよくある憂鬱の日。キーノはマーヴィン家の現メイド長、リオネに声をかけられたのだった。
それからはリオネからの推薦で、とんとん拍子にマーヴィン家で執事をやることになり、また数年が経った。未だ見習いなのは、マーヴィン家においてキーノが初めての執事であるからして、立場を上げようが上げなかろうか、待遇は変わりそうになかったので、そのままというだけだ。
このような経歴を持つキーノであるが、やはり少し困っていた。
マーヴィン家というのは、毎日水の代わりに高級な酒で風呂を沸かしても数百年は生きていけるほどの資金力を持っている。その金で政治を黙らせ、あくどいことをし放題しているのだ。そしてそのあくどいことにより、更なる利益を得る。その循環で、マーヴィン家は悪ながらもずっと発展し続けてきた。
その家に雇われれば、主人たちを気を損ねない限りは一生高給で生きていけるだろう。しかし、外からの評判は最悪だ。なにせ、金の力で犯罪し放題な一家に従えてるなんて、共犯者と同じ。ハーヴィン家によって人生を潰された人が何人もいるこの街で、普通に外出するだけでも白い目で見られたり、小さな嫌がらせを受けることだってある。
キーノが困っているのはそこだった。今はまだ『小さな嫌がらせ』で済んでいる。だが、このままいけば『小さな』で済まないことだっておきるだろう。
そして、外出する仕事を最も請け負っているのは、メイド長でありながら、キーノの恩人であるリオネだ。つまり、このままいけばリオネが標的にされる可能性が高い。
今日聞いた噂では、マーヴォン家一人息子のヘレストが酒場で殴り飛ばされて大けがを負ったらしい。これは今までになかった大事件だ。
普通ならば、報復を恐れてマーヴィン家そのものに手を出す者はいない。今までもそうだったように。
しかし、今回の事件で息子が殴られた。このままではリオネが標的になる可能性だって、全然あり得る。その事実がさらにキーノを焦らせていた。
彼がいるのは地下室の書籍。淡いランプに照らされながら、独りでそんなことを考えながら黙々と掃き掃除をしていた。
すると、心なしかランプの光が不自然に揺れた気がした。
キーノは何だろうか、と不思議に思ってランプの近くによる。
ぐらり。
ランプだけが揺れたのではない。地面そのものが揺れたのだ。
キーノは初めての事態に少し慄いた。これは誰かに知らせるべきだろうか。けれども、このまま何事もなかったように鎮火するような気もする。
キーノはとりあえず様子を見ることにした。キーノのそんな軽い想像は次の一瞬によって崩れ去ることも知らずに。
「――ここだァ!」
大きな音と振動をまき散らしながら、書籍の部屋の中心部分が突然に沈没した。キーノはその振動に思わず尻餅をつきながら、その沈没して本棚が崩れ落ちていった穴に注目する。
「……む。なんか落ちてきたぞ」
「これは……本、ですかね。そういえば、マーヴィンの屋敷には地下室があると聞きます」
「なるほど。地下にある書斎部屋でも掘りぬいたか」
薄っすらと土煙が漂う中で、小さい話し声が聞こえてきた。男と女の声だ。キーノはこれがまさか人間の仕業だと知り、背筋がゾッと凍ったのだった。