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森の中を通って行く

作者: 坂本瞳子

今日はお父さんが三ヶ月ぶりに工場から帰って来る日です。お母さんは朝から上機嫌。お化粧も念入りにして、いつもよりもていねいにお掃除をして、いまはお料理に大忙しです。

「父さんの大好物のビーフシチューを作ろうってのにソースが終わっちまいそうだわ。アデルや、町まで行って買って来ておくれ。」

一〇歳のアデルにとって、町まで買い物に行くのは、少し遠いけれど大したことではありませんでした。

でもアデルには「今日こそは!」と思っていたことがあります。いつもは森の周りを伝うように歩いて町まで行っていました。

でも、きっとこの森の中を通って行けば、早く町にたどり着けるはず!と思っていたのです。

けれど、恐ろしい怪物がいるから決して一人で森の中へ行ってはいけないとお母さんにいつも言われていたのです。

でも、少しでも早く家に帰って父さんに会いたい!そう思ったアデルは、今日こそ森の中を進むことにしました。

まだ明るいはずなのに、森の中はなんだか薄暗くて、空気がヒンヤリと冷たくって、木の上の方では翼がはためく音、向こうの草むらの方からはなんだかガサゴソと音が聞こえてきました。

アデルはお母さんに渡されたお財布を強く右手に握って、こう呟いていました。

「怖くない。怖くない。怖くない。」

アデルはずいぶん早足で、ただまっすぐに歩いていました。

けれど、自分の足音が多く聞こえるのです。自分の足は確かに二本なのに、ペタペタと、コツコツと、カツカツと、まるで誰かが一緒に歩いているような音が聞こえてくるのです。

「怖くない。怖くない。怖くない。」

アデルの肩は釣り上がっていました。前かがみに猫背になって、それでも前だけを見て早足で進みました。

自分以外の足音ついて来ています。

アデルは思い切って立ち止まりました。

すると、ほかの足音も止まりました。

アデルはまた進みました。

ほかの足も音を立て始めました。

アデルはまた止まりました。

ほかの足音も止まりました。

アデルは思い切って走り出しました。一目散に、これ以上早く走ることはできないというほどに、力の限り早く走りました。

でも、ほかの足音もついてくるのです。

アデルは息をハァハァと吐きながらも、快適な足音が聞こえてくるのです。

アデルの目の前には落ちそうな橋が見えました。川があるのです。アデルはゆっくりと歩き始めました。もちろん、ほかの足音も。

いま、アデルの目の前には、崩折れてしまいそうな吊り橋があります。いくらあたりを見回しても、向こう岸に行くにはこの橋を渡るしかなさそうです。

いまさら森の入口へと引き返すことなんてできるでしょうか?振り返ったりしては、きっとそこに怪物を見つけることになるでしょう。

「ダイジョウブだよ。」

そう聞こえたかと思うと、崩れてしまいそうな橋の手すりの綱をリスが渡って行きました。

リスは軽快に向こう岸へ渡ってしまうと、アデルの方を向いて二本の白い前歯を見せて笑うのです。

「ボクぐらいに身軽ならね!」

アデルはムッとしました。ええ、どうせ私は身軽じゃありませんことよ。でもね、こんな橋くらいへっちゃらなんだから。

アデルは財布を左手に持ち替えて胸の前に構え、右手を手すりの綱にかけました。この綱自体も古く、粗く、体重をかけたらちぎれてしまうのではないかと思われました。

吊り橋の一枚目の板に左足を一歩かけたところ、まだ足をしっかりと乗せた訳ではないのに、その弱さが分かりました。

「危ないですよ。」

後ろから声がしたので、アデルはおどろいて振り返ってしまいました。

そこには見るにも恐ろしい怪物!ではなくて、黄金の毛並みが美しいキツネが佇んでいました。

「およしになった方がよろしいんじゃありませんか、お嬢さん。」

アデルは返す言葉もなかった。だからと言って、この橋を渡らなければ向こう岸へは行けず、町へも行けず…。

アデルが悩んでいる間も、リスは手すりの綱の上を行ったり来たり、小躍りまでしています。

「いつまで木の陰に隠れているつもり?」

キツネが大声でそういうと、木陰の向こうから今度こそ見るに恐ろしい怪物!ではなくて、随分大きなクマがノソリノソリと出て来ました。

さっきの足音はどうやらクマとキツネのそれだったようです。まさかリスの足音はアデルには聞こえていなかったでしょう。

「ごめんよ。」

「なにを謝っているのさ。」

「ボク、こんなおっきいから、怖いでしょう?」

リスとキツネは心優しいクマをコンコンと指を差すように鼻を向けて笑っていました。

アデルは首を横に振り、左手をクマの方へ伸ばしました。

クマは身を屈め、背中にアデルを乗せてやりました。

「しっかり捕まっててくださいね。」

アデルがうんと頷くのを背中で確認してからクマはひとっ飛び。大きな川を難なく飛び越えて向こう岸へと着地しました。

「ありがとう。」

アデルはクマにお礼を言って、また走り出しました。

森の入口に入ってから橋に着くまでと同じくらいの距離を走ったでしょうか、出口が見えてきました。

そう、やっぱり森を突っ切ってくるのは近道だったのです。周りを伝っていたのでは、こんなに早く町に着くことはできません。

アデルは早速お店でソースを買いました。

帰り道、また森の中を通っていくか、アデルは迷いました。

だって、あのクマさんがまだ橋のところにいてくれるとは限りません。クマさんがいなかったら、川の向こうへ渡ることはできないかもしれません。

でも、もうそろそろお父さんはお家に着いているかもしれません。一刻も早くお家に帰りたいけれど…。

「ダイジョウブだよ。」

さっきのリスです。森の入口でそう言っているのです。

「あなたほど身軽じゃないけど。」

リスはちょっとムッとして前歯をギラリと見せつけました。

「ダイジョウブだってば。」

アデルもしかめっ面をして歯をむき出してやると、リスはちょっとビックリして笑いだしてしまいました。

アデルも笑いだして、二人して森の中へ向かって走り出しました。

キツネも一緒に走り始めました。キツネも一緒に笑っていました。

さっきと同じ、落ちそうな橋が見えてきました。

笑いながら走ってくる一人と二匹を見て、クマは怯えて逃げようとしました。

アデルはさらに早く走りました。お財布とソースを抱えながらも。

「待ってぇ〜。」

クマはドスンドスンと大きな足音を立てて逃げ回りました。その足音で吊り橋がガランガランと音を立てて揺れました。

その様子を見て、一人と二匹はさらに大笑いをしました。

これを目の当たりにする人があったら、悪魔の所業と恐れおののいたことでしょう。

アデルはクマにたどり着き、馬乗りになりました。

哀れなクマさん。アデルを乗せて、川をまたもやひとっ飛び。

さらにドスン、ドスンと、森の入口へ向かって何度もジャンプを繰り返しました。キツネも同じようにジャンプし、リスはキツネの背中で小さなジャンプを繰り返していました。

ものの五回も飛んだでしょうか。アデルは森の入口に到着しました。

クマさんは全身を震わせるようにして、それでもアデルを無事に自分の背中から下ろしてやりました。

アデルは森に向かって、いえ、三匹に向かって、深くお辞儀をしてから、家へ向かってスキップして行きました。

アデルが家の扉に手をかけると、後ろから抱きしめる人がありました。

今度こそ恐ろしい怪物!のはずはなくて、もちろん、優しいお父さんでした。

そして扉が開き、そこにこそ恐ろしい怪物!はやっぱりいなくて、優しいお母さんが出て来ました。

お父さんとお母さんはアデルを真ん中に挟むようにして抱き合い、キスをして、三ヶ月ぶりの再会を、家族三人で存分にお祝いしたのでした。

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