困ったこと
「リリィ、いい加減起きなさい! 何時だと思ってるの!?」
母の声が、ドアのすぐ向こう側で聞こえることに気付き、俺は慌てて跳ね起きる。
「お母さん、起きた! 起きたから!!」
ドタドタとベッドから転がり落ちながら、必死にドアの前まで這いずり扉にもたれ掛かる。
「分かってるわよ、もう。部屋には入らないから安心しなさい。それよりご飯よ。お昼の」
真正面にある窓から差し込む日差しは、母親の言うとおり、完全に朝陽ではない強さである。
「あと、私に入ってほしくないなら部屋は自分で掃除しなさい。最近あなたの部屋臭いわよ」
呆れたふうにそう言い残し、足音は階段を降りていく。
俺は安堵の溜め息を吐く。まったく、心臓に悪い。
改めて自分の部屋を見回すと、読み散らかしたままの本と、腑分けした魔獣の内蔵が入った瓶詰めが乱雑に床を埋めていた。
流石に、片付けないと怒られるだろうか。
「あなた、リリィの様子が最近変なのだけど」
イザベラは心配そうに、夫のジョンに進言する。
「リリィが少し変わっているのは、今に始まったことじゃないだろう」
生来、楽観的な性格のジョンの態度は、心配性の妻とは対照的に落ち着いたものだった。
そんな自分に苛立たしげな様子の妻を余所目に、バスケットの中からパンを一つ取って齧り付く。
「最近は輪を掛けて変なのよ!」
「変って言われてもなぁ。僕には普通に見えるけど」
「どこがよ!」
イザベラがテーブルを叩きつけ、料理を載せた食器が揺れる。
そんな妻に苦笑しながら、ジョンは次のパンに手を伸ばした。
「じゃあ、君はリリィのどこが変だと思うんだい?」
「それは、最近やたらと隠し事が多い事よ。それにあの子、毎晩私達が寝静まった頃になっても起きてるようだし、何かしてるのよ。証拠に三ヶ月位前から朝起きて来なくなったわ。思えば、部屋に入らないでなんて言い始めたのもその頃からよ。最初は散らかしたままの部屋を見られたくないのかとも思ったけど、最近は変な臭いまでするし、きっと私達に言えないような事をしているのよ」
「隠し事、ねぇ。リリィももう年頃なんだ、親に言えない隠し事なんてあって当たり前なんじゃないのかな?」
「普通の子ならこんなに心配してないわよ!」
ジョンは一つ溜息を吐いて、イザベラに微笑む。
「ねえ、イザベラ。確かにリリィは小さい頃から物覚え良くて、知らないことに好奇心旺盛で、子供同士で遊ぶより本が好きで、自分で考えて行動する子だったけど、一人でふらふら村の外まで遊びに出てしまっても、ちゃんと夕暮れには帰ってくる分別のある子だよ」
ジョンの言葉に、イザベラは頷く。
まだリリィが二歳の頃。家の中で薬草の図鑑を読んでいたはずが、朝食の片付けをしている間に外に出てしまい、夕暮れ時まで探し回ったことがある。あまり広くない村ではあるが、どこを探しても見つからず、結局夕暮れにひょっこりと自分で帰って来たのだ。その時に読んでいた珍しい薬草とされる花を、以前見たことがあるとかで探してきたのだと言う。実際、リリィは図鑑と同じ花を持って帰って来た。
だが、ジョンと結婚するまで冒険者として活動していたイザベラは、あの花がどういう物か知っている。
一昔前に流行した病気に効く薬草ではあるが、山頂付近の高地に生息する強い魔獣に寄生して育つ花であり、寄生されている魔獣にもよるが、最低でも入手難易度はBランク以上とされている。
リリィは裏山に生えていたと言ったが、魔獣の魔力を栄養に育つとされているあの花が、地面に生えることはないはずだ。
その事をジョンに言わなかったのは、リリィが鉢植えでその花を育て始めたからである。イザベラは驚いたが、実際にそういうふうに生えているう所を見せられたのなら黙るしかなかった。
余談だが、これはリリィが花の根を寄生された魔獣の肉片ごと鉢に入れ、それに土を被せただけであり、土に生えているわけではない。ただ、枯れないよう肥料として定期的に魔獣の内蔵を撒いているのだ。イザベラが花の価値を知っているがために単純な誤魔化しが、迂闊に手が出せないものとなっているだけで、イザベラの知識は正しい物である。
しかし、ジョンはそもそも花の価値など知るわけもなく、二才の娘の記憶力と行動力にただ驚かされた出来事であった。
娘に対する認識の差異が、二人に結論を左右させている。その上で、何が起ころうともリリィは自分達の子供であることは揺るがない、という共通項に行き着くのだが。
「おはよう、二人とも」
実は二人の会話をリビングの入り口で聞こえていたリリィが意を決して二人の間に入ったときには、もう料理は冷め始めていた。
自分に魔法の才能があることを、俺は両親に秘密にしていた。
あの日、俺は確かに二つの意味で舞い上がっていた。
訳も分からず赤ん坊として見知らぬ世界に産み落とされてから、俺はずっと現実感がなく、心のどこかできっと長い夢だと、そうであればいいのにと思って生きてきた。
しかし、自分は魔法が使えるとわかり、急に世界が広がった気がした。
この狭い村だけではなく、王都や他の国、未知なる秘境。自分の身体から溢れる筋力とは違う力に、どこにでも行ける気がしたのだ。
だが、その高揚感も長くは続かなかった。
降り方が分からない。この力の使い方を知らない。
途端、途方もない恐怖が俺を襲った。
さっきまであった全能感が綺麗に無くなり、急に広がった気がした世界の全てが敵に思えた。
俺という存在はちっぽけで、世界は広く、俺に優しいわけではなく、あくまでも等身大、分相応でしかない。
俺はその時にやっと、現実感を取り戻した。
それからは文字通り必死に訓練をした。魔法は当然として、身体能力の向上を重点的に。
比較対象がない上に、自分で言うのもなんだが魔法は素質が有るようで、コツをつかんでからの成長は早かった。
大事なのは想像力である。明確な想像をする必要がある。例えば火の玉を作るなら、空気中の可燃性ガスを集めて乾燥と摩擦で静電気を起こし発火させ、後は供給する燃料で大きさや温度が変わる。空気中の水分を集めて水を作ったりも出来る。
だが前提として、魔法を使うには、自分の魔力を消費する。これは当然運動するのに体力を使うのと同じ理屈である。
魔力も体力も使えば疲労が溜まる。そして俺のスタミナは別に二倍というわけではない。もしかしたら魔法使いは火力はあるが消耗が激しいのかもしれない。燃費の悪いドラッグマシンのように。
つまり、目指すは基礎体力の向上と、魔法の器用な使い方による節約術である。
なんとも地道な作業だ。
さて、何が俺をここまでさせるのか、という理由だが。
実はこの世界、12才で成人と認められる。
前世の暦で簡単に計算すると、この世界の12才は約20才となる。
過疎化の進む村、後の継げない鍛冶屋の娘。
使い道は?
成人したら村の誰かと即結婚。産めや増やせや、という奴だ。
聞くところによると、相手は前世で三十過ぎのオッサンが既に許嫁状態だそうだ。
何故、同世代の若者じゃないのか。簡単に言うと、若者は将来的に村を出て行く可能性があるからだ。
そして不良債権のオッサンなら村を出て行く術も力もなく丁度良い、と。
無論、両親は知らされてないらしいが、村の総意と言うことで押し切るつもりらしい。
世間を知らない、まして人付き合いの少ない子供だと思われている俺など、そういうものだと教えてしまえばそう思い込むだろうと。
周囲の状況を広く知るために風魔法で音を拾う練習をしていた際に、偶然知ったのだが、激しい怒りと不快感で思わず嘔吐した。
そのまま村を焼き払ってしまおうかとも考えたが、まだ子供たちには罪はない。
結論として、俺は村を逃げ出すことを決意する。
8歳に成長した俺は既に、子供を作れる身体になっている。
もう、一人で生き抜く力はついただろう。
あとは両親を説得するのが、憂鬱で仕方ないが。