後には引き返せない
透明な容器に入ったイリスは水槽の中の植物のようにゆらゆらと揺れていて、凡そ人間には見えず、生きているのかさえ怪しい。
口元には呼吸が出来るように酸素と魔力が供給される魔道具が着いている。水槽の中は常に回復ポーションで満たされていた。
これにより首やその他の外傷を修復しつつ、体内の魔力を維持出来る。これでしばらくは大丈夫だろう。
しかし軍の人間も中々に酷い魔道具を創る。体内から無限に魔力を吸い出す魔道具なんて....。
魔法使いに使えば魔力欠乏で数十分から数分で動けなくなる。まあアルフはこれを紙一重のところで利用していたわけだが、改めて見るとかなり荒いやり方をしていたものだね。
ただ恐らく今はもうアルフもこちら側だ。もし前と同じように元の体に戻ろうとすればイリスのようなことになる。あのブレスレットのような魔道具をつけた瞬間、全身の『黒礎』が暴れて最終的には死に至る。これはもちろん私も例外ではない。
あの子はそれに気づいているだろうか。まあ多分黒礎自身がアルフに教えたかな?
まあいい。
私はイリスの入った容器に手を当てる。すると私の黒礎とイリスの黒礎が共鳴し合うように体に浮き出て、お互いの血管の色が黒く染まっていく。
黒礎が疼く。声もうるさい。それに行き場のない魔力が体中を這い回り、今にも漏れでそうになる。
「イザベル様。ご報告がございます」
振り向くとミルナードがこちらを不服そうに見下ろしていた。
うるさかった黒礎がミルナードの出現により途端に静かになった。
「その名で呼ばれるのは久しいね。それに随分な変わりようだ」
「今は実質的にあなたがトップですし、そうである前に私の先生でもありますから。かなり間接的にではありますが」
ミルナードは元々イリスが拾った孤児だ。そのまま私が去った後、イリスの右腕として呪詛学会をまとめてきていた。つまり私を慕っているではなく、イリスを慕っているのだ。
そんな男がこんなに私に対して腰が低いとはね。イリスが元からなにか吹き込んで置いたのかな?それにしてはさっき会った時とは接し方が違いすぎる気もするけど。まあ今はどうでもいいか。イリスが目覚めてから聞けばいい。
「そうかい。それで報告とは?」
「はい。現在我々の研究施設が多数襲撃させています。どういたしますか?」
「襲撃?軍は崩壊したんじゃなかったっけ?」
「いえ。軍ではなく、他の組織です」
「名は?」
「不明です」
「目的は?」
「研究施設の破壊と資料強奪かと」
「それはまた随分厄介だね」
「はい。それともう一つ。軍は崩壊後すぐに新しい人員により組織し直されています」
「どこからそんなに人を集めたのかな?」
「恐らく、国の護衛の任に着いていたものを配備したのかと」
「なるほど、兼任させていると。あの馬鹿王子もやるじゃないか。でもそれだとどっちも手薄になりそうだけどね。確か軍の頭はリン、だったっけ?」
「彼女はかなり前に軍を辞めています。現在、どこにいるのかも不明です」
「ふーん....少し気になるね。まあそれはさておきどうしようか。その研究施設を襲ってる人達は」
「始末致しますか?」
「うーん、いやとりあえずそこにある兵器は全て使って構わない。どうにかして捕らえて」
「捕らえるん、ですか?」
「ああ、生け捕りだ。殺しはしないでよ?分からないことがある以上、殺せば有耶無耶になる。死人は口を割らないからね」
「......、しかし兵器を使用して、生け捕りは難しいかと.....」
「君の玩具を使ってよ。そしたら少しは加減できるでしょ?」
「.....わかりました。そのように手配いたします」
研究施設を襲撃か。なんだか嫌な予感がする。ここで潰しとかなれば取り返したつかなくなるような、そんな予感がする。
けどここで殺せば、情報は無に帰す。
死人は魔法では生き返らせれない。いや正確には出来るけどそれには途方もない時間と手間がかかる。
それは嫌という程今まで学んできたからね。
報告を終え、去っていくミルナードの背中を横目に、イリスに再び視線を移す。
次の計画で失敗は許されない。次もまた事故で済ませることも出来ないだろう。何かしらの落とし前は付けなければならないだろう。でもそれも覚悟の上だった。そのためにわざわざこんな埃を被った古巣に帰ってきたのだから。




