少女の思い
俺はエメの蹴りを両手で受け止める。
生身で受ける攻撃は頭の芯までその衝撃が響く。エメ相手に魔法は使えない。こちらも小細工なしで、この体ひとつで戦わなければならない。
俺は最初にエメの膝下を狙って蹴りを入れた。しかしそれは読まれており、軽々とジャンプでかわされる。そしてエメが着地した瞬間に、今度はエメの右の拳が飛んでくる。俺はそれを左の掌で流して、エメの首を抱え込むべく、右腕を相手の左肩に滑り込ませようとしたが、それもあっさり避けられた。
お互いの体力が削れていく。少しずつ息も切れてくる。魔法に頼らない戦闘の苦しさに懐かしさを覚えながらも、その甘えた追憶を掻き消すために叫んでみる。少しだけ気持ちが和らいだ気がした。
そんな俺の様子を見てか、エメが戦いながら口を開く。
「なんかお前とこうしていると牢の中を思い出しちまうな」
「そう、だな」
勢いよく飛んできた拳を腕の力だけで跳ね返しながら、なんとか返事をする。だんだんと感覚が研ぎ澄まされ、周りのことが頭から抜けていくのを感じた。相手がどういう動きをしてくるのか、自分の攻撃は効いているのか、エメは何を考えているのか…俺は何のために戦っているのか。
「もうやめにしないか?こんなことしてもなにも解決しない」
「すぐに解決するさ。オレに従えばな」
エメの足払いを回避し、左の拳で応戦するもガードされる。これも効いている様子はない。
酸素が足りなくなっていくの感じる。長引かせればこちらが不利になるのは明らかだった。たとえ人数差で勝っていても、ゼロを守りきれるかはわからない。そのためこの戦いを早めに切り上げる必要があった。
一発殴ればこちらも一発殴られる。口の中が切れ、血の鉄臭い匂いが充満した。ただなぜかそれらのすべてが懐かしかった。
ガードし損ねてあばらを蹴り上げられる。痛みに悶えそうになるが、それを噛み殺し、フェイントをかけてエメの脛に蹴りをいれた。エメの表情が一瞬崩れたが、すぐに体勢を立て直される。
そこからも肉弾戦は続き、俺たちはお互いに着実にダメージを蓄積させていった。
俺はエメに反撃の余地を与えないために、防御を捨て、攻撃にだけ専念していた。
エメが俺の攻撃をガードし続けていく中で、不意にエメの防御が崩れる。俺はそれを身逃さずに正面から体当たりをした。エメはそのまま体勢を崩し、後ろに倒れる。エメの顔が真下にあり、俺はそれを見下ろしていた。
お互いにかなり体力を消耗していた。汗が滲み、視界を霞める。馬乗りの状態になれば、いくらエメでも動かせまい。
エメはその顔に僅かに笑みを浮かべ、天を仰ぐように俺を見ていた。お互いに肩で呼吸し、自分たちの体力の限界を感じていた。
「終わりにしよう。こんなの、もうたくさんだ……」
「あーあ。…また負けたか」
また、というのは囚人時代のことを言っているのだろう。あの時も俺が勝っていた。
「アルフ、お前本当に正気なのか?」
俺はその言葉を聞いて、息がかかる程の距離まで顔を近づける。エメは一瞬だけ動揺したように見えた。
「な、なんだよ……」
「この目を見てもわからないのか?」
「………確かに正気には見えるが、言ってることとやってることは正気じゃない。それにな、アルフ。まだ終わってなんかいないぜ?」
「は?」
レーネとニーナの呼ぶ声と背中への衝撃はほとんど同じだった。肺と胃が一瞬潰され、あまりの痛みにその場に蹲る。事態は把握できないが、痛いということだけはわかった。やっとのことで目を開けると、そこにはサラがいた。そこでこの痛みがサラの魔法によるものだとようやく理解できた。エメとの戦闘に集中していたせいで魔法で防御が出来なかったのが、この致命的な傷の原因だった。
「油断したわね、アルフ。でも私からもお願いするわ、もう終わりにしましょう」
初めから俺だけを狙っていたのだろう。レーネと戦うふりをしながら、こちらの様子をうかがっていたのだ。
揺れる視界をなんとか抑えつけながら立ち上がるも、その衝撃が首や頭にきているせいで足元すら覚束ない。再びその場に倒れこんでしまう。
「もうやめなさい。命令されているのはわかるけど、無理に動くのは体に毒よ」
「だから...洗脳なんてされてない!」
怒りに任せて無理やり立ち上がる。ステンノの補助のおかげでまだ動けるが、体の限界が近いのは俺にでもわかった。
「気絶させるしかないみたいね」
「……やってみろよ」
俺が最後の気力を振り絞り、魔法を練ろうとした瞬間、赤黒い液体が目と鼻から流れ出た。
「これは.....、魔力欠乏症……?どうして…?」
ステンノが来てからはこんなことは一度もなかったはずだ。なぜならステンノ自身が魔力の塊でそれが尽きることは滅多にないからだ。
『あらゆる臓器の回復にかなりの魔力を使ったから、しばらく魔法を使うのは控えた方がいい。このままじゃ寿命を縮めることになるよ』
「大人しくしてなさい。すぐに解放してあげるから...」
「うるせええぇぇ!!」
自分の声で己を奮い立たせる。ここで負けるわけにはいかない。ここで負けたら一人の少女の人生が終わってしまう。
これからゼロは少しずつ魔法を覚えて知識を増やし、新しい友達を作って、美味しい物を食べて、笑って、泣いて、怒って、恋をして、過去なんて気にならないくらい明るい未来を手に入れるんだ。俺があの時本当に欲しかった未来を……。
だから絶対に負けられない。何があっても。歯を食いしばれ。俺たちの未来を守るために。そしてサラやエメに認めてもらうために。
俺が魔法を仕掛けようとした瞬間にサラに見切られ、あっさりと後ろに蹴り飛ばされる。この攻撃は本気でないとすぐにわかった。手加減されているのだ。
「次は、もうないわよ。魔法が二度と使えなくなってもいいの?」
「・・・。」
言葉を発する気力さえなくなっていた。無言で立ち上がる俺に対してレーネやニーナが何か言ってるようだが、聞く気にならなかった。防御魔法は使わず、攻撃魔法だけで体を武装する。もはや防御をしても意味がないと悟ったからだ。視界が血で滲む。
サラも覚悟を決めたのか、こちらに真っ直ぐ向かってくる。
俺も一歩前に出ようと、震える足を前に出そうとしたがなぜか動かない。下を見ると涙を浮かべたゼロが足にしがみ付いていた。そこでようやく周りの声が耳に入ってきた。真っ赤だった世界に色が戻る。
「もうやめて……!アルフが死んじゃう」
嗚咽混じりの声が脳を揺らす。ゼロのそんな表情を見るのは初めてだった。無理に引き剥がそうとすればできたかもしれないが、ゼロは物理的なものとは関係のない、しかしそんなものより遥かに強い力で俺を抑えていた。だから俺の体は全く動かない。
俺が止まったと分かったのか、ゼロはぐしゃぐしゃの顔のまま、俺に背中を向けてサラに立ちはだかった。
「アルフを攻撃するのはもうやめて……」
「どの口が…!」
「私が悪いのは、わかってるの。私が、今まで、たくさんの人に迷惑を、かけてきたこと。私がいなくなれば、全部うまくいくこと、わかってるの……」
その声は普段の自信なさげなものではなく、確固たる意志の下、発せられたものだった。
「なら……」
「だから、私を殺すなら……早く殺して……」
言い終えた後、ゼロは死を静かに受け入れるかのように、目を閉じた。その瞼から涙が零れ落ちる。そしてそれとは裏腹にゼロの強く握られた拳は小刻みに震え、死への怯えを見せていた。
サラがそこへじりじりと近寄っていく。
「おい、よせ!!!やめろぉぉぉぉぉ!!」
なぜこんな小さな女の子が死を受け入れなければならないのか。全身が恐怖に震え、ステンノもそれに共鳴しているようだった。本能、あるいは俺にないはずの過去が、止めなければ一生後悔すると俺に訴えかけていた。
全身に鞭をいれてゼロとサラの間に入ろうとすると、隙を見て拘束を解いたらしいギルが俺を羽交い締めにした。
「くそ.....、放せぇ…!」
「じっとしていろ!」
後から続いてレーネとニーナも向かうが、今度はエメに阻まれる。
「そこをどきなさい!」
「終わるまでは通さねえよ」
その間にサラはゼロの一歩手前まで来ていた。サラは依然として、魔道具で武装したままだった。
「あんた、死ぬのが怖くないの?」
「アルフ達がいなくなる方が、怖い……」
「・・・、そう」
サラは無言でゼロの首元に手を添える。そしてそこには魔力が集中していた。
「アルフ、たくさんの思い出ありがとう……!がっこうには少ししか行けなかったけど、いっぱいの楽しいことに囲まれて私……幸せになれたよ。……だから、もういいのっ!」
それは自分に言い聞かせているようだった。ゼロの閉ざされ瞼から涙が止まる事はない。
サラの表情が一瞬歪むもすぐに元に戻り、魔法が構築された。皮肉にもそれは俺がよく知る魔法の一つで、魔法使いに対して斬首刑を執行するためのものだった。
「やめろ……。頼む、やめてくれ……」
「やるんだ、サラ。その手でこの学園の平和を守れ!!」
サラは俺とギルに一瞥を与えた後、最後にゼロを見た。そして一言、静かに呟いた。
「ごめんなさい……」
直後、それを押し潰す声が頭上から降ってきた。
「おやおや。これは面白いことになってますね。こんにちは、反逆者さん達」
一同が声の方に一斉に目を向ける。月が闇を追い払うと、白い光の中にエリーゼ率いる衛兵達二人が見えた。




