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私的哲学  作者: 比真名比人
倫理考察
9/11

存在は




 人間に世界が内在するという見方には、実は倫理的に大きな問題があります。それは世界の客観性を認めなければ、自分以外の人間は単なる虚像かもしれないという考え方です。


 しかしそれを論じる前に、まず自分の存在について考察しましょう。


 私が在るということは、世界が人間ごとに内在する限り私以外を介して証明することはできません(私からしてそれらが実在しているという根拠はないからです)。そして私の意識は、私の意識が消滅して初めて存在していたことに気づくでしょう。


 ところで眠っている時、私は夢を見ます。意識は夢を現実と比較しています。つまり夢は現実ではありません。そのことが現実が現実だという確たる証拠でもありません(夢と夢を行き来しているだけでも不思議ではないのです)。

 つまり私の現実というのは私の夢と比較されて、初めてそうされるのです。


 そして夢の中であっても私たちは、人型の事象に意識があることを疑いません。私自身の意識は意識らしいものと比較されても知覚(比較)するのです。


 つまりこの現実と呼ばれる事象を介さずとも、私の意識に私という存在を知覚(比較)させる要素があるのは確かでしょう。そのことは意識が在ることを示さずとも、すでに意識そのものが意識は在るという可能性を提示できるということです。


 意識があることは、なくならないとわかりません。

 しかし少なくとも意識は、現実の(人型の事象の)意識を介さずとも在るということを知覚できるのです。


 このことは意識それ自体が在るということは示しませんが、別の可能性を示しています。それは私の中に、私とそれ以外を比較する要素があるなら、私以外の誰かにも私と比較する要素があるということです。


 現実でそれは事象を介して比較されると思いますが、意識内で意識を区別できるのは少なくとも、現実の比較した意識が事象を介して比較されているわけではないことを示すかもしれないということです。


 つまり先んじて私は人の意識というのを持ち合わせているのかもしれません、それは私の中に相手の意識が在る。あるいは相手と呼ばれる事象はすべて自分である可能性が高いのです。


 つまり人間は魂を共有している可能性があります。


 だから私は人の魂は同質である、あるいは共有していると考え、本来なら自分のみに適用される倫理が彼らにも適用せざるを得ないと考えています。つまり彼らは少なからず私にとって、私と同じように実在するのです。


 それが人間「ごと」に世界が内在するということです。


 なので今回は他人という存在は何か、それで倫理がどうして機能するか、私なりの見解を述べているだけです。


 結論ですが相手の見栄え(身体や心)が良かろうと悪かろうと、その魂(存在)を私と同じように尊重するのが私の倫理観です。


 私は私の思う善さで差別的な意識を持たないことが、どれだけ困難なことか理解しています。私はきっと気づかなければいけません、私の思う善さがどれほど善いことなのか、そのような物差しがどこにも実在しないことに。


 今はSNSで多くの人とそのような善さを互いに共有できていると錯覚することで、それが世界基準のような気がしてくるでしょう(私はこれをエコーチェンバー現象と解釈しています)。けれど全くそのようなことはありません。善いというのはどれだけ許容範囲を広げようと排他的思考がついて回ります(言い換えれば善さというのは新たな悪さを生みます)。


 要は一人や二人、多数の幸福という比喩は実質的に意味を成さないと言っています。


 根本的に幸福(善)というのは個人に委ねられています。自分の幸福について責任を持たなくてよい人間などいません(その人の幸福や善など他人の知るところではないからです)。不幸にならないこと(安定していること)が幸福と因果関係があるとは思えません。そもそも不幸というのが、どういうことか一人一人で比較する他ないからです。


 これが私の提唱する世界観です。別に目新しいことなどないと思います、歴史上の多くの偉人が似たような比喩で提唱してきたものと、大差ないと思うので(私としては転用しているつもりはありませんが)。


 しかしその目新しさがないこと(当たり前という価値観)は、当たり前に培われたものではありません。労無くして得たと思われるそれらは、他人(国や親)に刷り込まれただけです。誰かの都合で伏せてある(であろう)本当に当たり前なこと、自分の倫理観とは自分で気づかなければずっと気づかないままなのではないでしょうか。




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