愛おしい人
私は昔からドジだった。物はすぐに失くすし、人との約束はすぐ忘れるし、大事にしていたものは、いつの間にか私の知らないところへと消えていってしまう。
友だちには、何度も約束をすっぽかす私が、とても薄情な人間に見えただろうな。遊びに行くのを楽しみにしていても、当日の朝になると寝ぼけながら時計を見て「まだ寝れる……」とか思って遅刻したり、寝てて連絡がつかなくて怒らせてしまったり。お揃いで買ったアクセサリーやキーホルダーはすぐに失くしてしまうし、もらったプレゼントもすぐにダメにしてしまう。
そんな私は、友だちに愛想を尽かされても仕方がなかったのだ。
高校の受験では電車を間違えるわ、ギリギリで会場に着いても筆記用具を忘れてるわ、焦りすぎて勉強したことを思い出せないわ、散々だった。大学受験では、同じ失敗をしないようにと思っていると、受験票を失くしたり、試験時間を勘違いしたりして、結局、受験した大学の半分はドジで不合格になった。
自分では気をつけているつもりなのに、私はなぜかいつもダメダメなのだ。
中学以来、友だち付き合いなんて怖くてできずに高校を卒業した。それでも大学では、数人の友だちができた。人の数が多いと、私と友だちになってくれる人もいるんだな、とか思った。
そんな私の人生が大きく変わったのは、ある秋の日のこと。私が大学三回生の頃だった。
家を出るちょっと前にテレビの天気予報を見て、今日はお昼から雨が降るのを知っていた。知ってはいたのだ。なのに、電車の時間に遅れそうになって、焦って家を飛び出して傘を忘れてしまった。今朝のんびりとご飯を食べていた自分を恨む元気もない。後悔したって時間は戻ってこないし、後悔するための時間がもったいない。駅から家までの道のりを、土砂降りの中、諦めてとぼとぼ歩く。急いだってどうせびしょ濡れになるのだから、無駄に消耗することはしたくない。最近は少しばかり忙しくて、疲れているのだ。
傘を忘れて雨に打たれるなんて、なんとも私らしい。
自嘲気味にふっと笑った。その時、なんだか明るいなと思って視線を上げると、ずっと向こうの空には青いペンキが塗られていた。なんだよ。こっちはどんより分厚い雲がひしめいているというのに。思わず視線が下がる。
「はぁ……」
ため息はストレスを少し和らげてくれるらしいと、どこかで聞いたことがある。気がする。気のせいかも。
なんて考えながら歩いていると、雨が止んだ。しゅっと、魔法のように、一瞬で雨が止んだ。そう、思った。けれど違った。誰かが傘をさしてくれたのだ。
「大丈夫ですか」
温かみのある声だった。ゆっくりと目線を上げると、少し心配そうな瞳に見つめられていた。優しそうな人、というより、お人好しそうな人。そんな印象を受けた。
この人には、私がさぞ可哀想な人に見えているのだろう。だけど、これくらいいつものことだ。なんてことのない私の日常なのだ。少しでも心配させてしまったことに申し訳なさを感じる。
「平気です。いつものことなので。それより、あなたが濡れてしまいます」
「僕は大丈夫ですよ。……えっと、あの、送りますよ。僕の傘、大きいでしょ?二人くらい余裕です」
「でも……」
「あなたをこのままにして帰ると、後悔します。確実に後悔します。なので、僕の自己満足に付き合っていただけませんか」
この人、顔と声に見合わず意外と強引なんだな。……嫌いじゃないけど。
「まぁ、それなら、お願いします」
私は単純なのかもしれない。彼の話を聞いて、相づちを打つだけの時間が、なんだかとても愛おしかった。嬉しくて、楽しくて、ただただ笑った。
その日から、たまに帰り道で彼を見かけては、私から話しかけるようになった。彼からも話しかけてくれた。カフェでお茶をして、少し話して、家まで送ってもらう。
そんな小さな幸せを抱きしめて過ごしていると、ある日、彼に告白された。まっすぐに、ただ「好きです」と言われただけなのに、涙が止まらなかった。私はやっぱり単純だなって、自分で思った。
それから数年後、私たちは結婚することになった。そのことを、すぐには信じられなかった。夢だと思った。だんだん現実味を帯び始めると、今度はなんだか不安になってくるのだった。マリッジブルーというものなのかも。
「ねぇ、いいのかな」
「うん?なにが?」
「なんだか、今のままじゃダメな気がして……。私、ちゃんと良いお嫁さんになれるかな」
「もちろん。良い彼女さんが良いお嫁さんになるだけだよ。なにも心配いらない。僕は君を愛してる。君も僕を愛してくれている。それ以上、望むことなんて僕にはないよ」
「でも、私、ドジだし、いっぱい迷惑かけたし、これからもいっぱい迷惑かけると思う。私じゃないほうが良かったって、他の人が良かったって、思うことがあるかもしれないじゃない」
「そんなことないよ。あり得ない。ドジで、ピュアで、かわいい。それが君だよ。そんな君が好きなんだ。ドジなのは君の欠点ではあるけど、そのドジさが君を君らしくしているんじゃないかな」
「私らしく……」
「そう。言ってしまえば、個性なんだよ」
「でも、やっぱり、ドジじゃないほうが良いでしょ?」
「いや、まぁ、確かに、ドジじゃないほうが安心ではあるかな。いろんな意味で。でもね、僕は今のままの君が好きなんだ。無理して変わる必要はないと思う。もちろん、君がなりたい自分のイメージがあって、頑張るっていうなら、僕は応援するよ。ただ、ドジなことを悪いことのように思ってるだけなら、それは違うと言いたい」
ふんす。と彼は冗談めかして言う。でも彼は自分の言ったことが正しいと確信してるんだ。自信に満ちた顔をしてる。いつもは自分の考えを言った後に「間違ってないかな」「ほんとに正しいのかな」ってそわそわするのに。ちょっと情けなくてかわいいくせに。こういう時はかっこいいんだ。
「……でも、このままでいいのかな。私、変わらなくていいのかな。こんな私で、ほんとにいいの?」
「もちろん」
彼は私の言葉に力強く頷いて、柔らかく笑った。いつもの、優しくて、温かくて、まっすぐな微笑み。
それだけで私は強くなれる気がした。彼がいれば、私は大丈夫なんだって思えた。ずっと自分に自信がなかった。でも、この人がいれば、私は────。
好き。あなたが好き。好きよ。ずっと好きで居続けるんだと思う。愛おしいの。あなたの声も、笑顔も、どこまでも優しいところも、自信があってかっこいいところも、情けなくてかわいいところも、すべてが愛おしいの。
愛おしいって、素敵な言葉よね。私があなたに感じる、たまらなく好きな気持ちを表すために、この言葉と出会ったのね。言葉に限界があるって言うけれど、それは言葉を知ってる気になっているだけなのよ。愛おしい。この言葉がぴったりなの。私は、愛おしいあなたが、どうしようもなく好き。ずっと、ずっと。
Inspired by Mayu「KISSED MY DREAM」(acoustic ver.)
この歌を久しぶりに聴いて、なんだかお話を書きたくなった。歌詞の内容とはかけ離れてると思う。
ストーリーを一日で書き切ったのは初めてかも。大人なのに幼い感じとか、あまり気にしない。特にメッセージなんてなくて、思いつくまま書いただけ。
これを読んでくれた方が、なにかしら良い感じを心に持ってもらえたなら嬉しい。