【3】
ぱ、と彼の前に、それを見せた。ぶらん、とぶら下がる、それ。綾人くんは「何?」と怪訝そうだったけれど、私が持っているものが次第に見えてきたんだと思う。
おや、綾人くんの顔が無表情になった。そして、背後の桜の木にぶつかるほど後退る。あんなにも早く後退る人は初めて見たよ。そのまま綾人くんは耳を塞いだ。そして、目をつぶる。え、何事? そして、綾人くんは無表情から笑顔を浮かべると、空を仰ぐ。そこに広がるのは、淡い桜の海。桜がさざめいて、桜の花びらを散らす。そんな桜を前に。
「もう、春だな!」
そうですね。確かに春だけど。でも、いきなり何!?
「綾人くん?」
「風も穏やかだし、桜もまだ散りそうになくてよかったよかった」
うん。私も桜は大好きだから、このままがいい。じゃなくて!
「ちょ、綾人くん、どうしたの!?」
私は彼に勢いよく詰め寄る。だって、何その態度! 一気に彼の意識はどこへ行ったというの!?
「こっちによるな! ていうか、それを、どうにかしろ!!」
詰め寄った私に、ようやく意識が現実に戻ってきた綾人くんが声を荒げる。本当に必死な様子だった。
対して私は「それ?」と言われて、何だろう? と考えあぐねる。「それ」って何? 「それ」をどうにかしろっていうけど、何の話? と疑問ばかりが浮かんで、「あ」と私はようやく「それ」に気付く。
私が手に持っているもの。綾人くんの肩から引きはがしたもの。
『あー! 生首―!』
突然、割って入った幼い男の子の声。あぁ、ふゆくんか。近くにいたんだね。じゃなくて。もしかして、綾人くんの言う「それ」は、「これ」のこと?
私は男の人の首を掴んでいた。首から下はなくて、首から上だけがある本当の生首。男の人は、顔面が蒼白で恨めしそうにこちらを見ている。残念。私は君のこと救えません。そう強く、念じれば「ちっ」と男の人が舌打ちするとどこかへと行ってしまった。
「ちっ」って、何さ。「ちっ」って。
「綾人くん? ……って、どうしたの?」
いつの間にか距離を取られていて、綾人くんの姿が遠い。綾人くんは桜の木の根元で丸くなるように身をかがめて、耳を塞いで、目をつぶって、ぶつぶつと何事かを呟いていた。思考が旅へと出ている様子だった。私の問いかけにも、気づいていない。全力で、現実逃避中?
「綾人くん、もういなくなったよ」
そう声をかければ、ぴたり、と綾人くんの言動が止まる。恐る恐る、こっちを振り返った。
「いない……?」
「いないいない。どこかに行ったよ」
「そ、そっか」
綾人くんは見るからにほっとしていて、その視線が私から私の横へと移される。そして、また大きく目が見開かれた。今度は何事? と、私は彼の視線を追って、自分の隣を見れば。
『やっほー、琴音ねぇちゃん』
「ふゆくん」
そこにふゆくんがいた。年齢的には中学生くらい。ふわふわとしたクセっ毛で、小柄で、ほっそりとした男の子だった。にこにこと人懐っこい笑みを浮かべていて、まるで仔犬のような雰囲気がある。白いシャツに、ボーダーのカットソー。ハーフパンツ。至って、ラフな格好で傍目から見れば、普通の男の子。それがふゆくん。
ただ、普通の男の子というには、全身血まみれ、っていうのが、普通とは違う点なんだけど。
綾人くんが、再び固まる。ふゆくん以上に、顔が青白かった。
ふゆくんが自分のことを認めている綾人くんに気付いたのか、にっこりと笑う。
『こんにちは!』
元気溌剌のとてもいい挨拶だね。うん、これが生きている男の子だったら、きっと、とてもいい子に育ったに違いない。一人で頷いていると、ふと、綾人くんの様子にようやく気が付いた。綾人くん、すごい顔をしている。目を見開いて、まるでこの世の絶望を見たかのような悲壮感たっぷりでこっちを――詳細を言うならふゆくんを見つめていた。
え、何事?
「あ、綾人くん……?」
「来るな」
「え」
「絶対に、オレに近づくな」
「……」
「見えない、信じない、いない、そんなものはいない……っ」
まるで念仏のようだよ、綾人くん。綾人くんはこっちを意識しないようにぶつぶつ言っているけれど、そういうのって嫌でも意識がそっちに行っちゃうんだよね。こっちをうかがっているのがバレバレです。
どうしてこんな様子になったんだろう? と、内心首を傾げて、綾人くんがそんな風になってしまった時のことを思い出す。そう確か、生首の時と、ふゆくんが来たとき――と、ようやく私は気づいた。
なるほど。
「綾人くん、もしかして幽霊怖い!?」
「違う!」
即座に大きな声で否定される。いや、でも視線がすごい泳いでるよ。それに顔面蒼白で、汗もすごい。それにがたがた体が震えていた。それが恐怖で震えあがっているのではなければ、何だというのだろう。
そう。さっき私が綾人くんの肩からとったのは、いわゆる幽霊。綾人くんはどこからか生首の霊を拾ってきたらしく、そのせいで体調が悪かったんだと思う。それにふゆくんも幽霊。この学校に住み着いているいわゆる浮遊霊だ。この子は名前も何もかも忘れているため、私が勝手に「ふゆくん」と名付けて、たまに遊んでいる仲だ。
私は隣にいるふゆくんに視線を移す。私と目が合ったふゆくんはにんまりと笑うと、
『あの人にちょっかい出していい?』
と、期待に満ちた目でお願いされた。
「いや、止めてあげて。何だか、気絶されそう」
『えー』
「うん、まぁ、あとで遊んであげるから、とりあえず姿消そっか?」
『ちぇー』
不満たらたらだったけど、私の促しにふゆくんは律儀に応えて姿を消す。この場に取り残されたのは私と、半ば狂乱中の綾人くんだ。その姿はあの可愛らしい綾人くんとは大違い。突然の出来事にパニックになっている姿から見ると、どちらかというと今の綾人くんの方が素なのかもしれなかった。ほら、人間は慌てているときの方が本性を現すというしね。
「綾人くん、落ち着いて。ほら、もういないから」
その言葉に、ぴたり、と動きを止める綾人くん。ゆっくりとこちらを確認する姿が、まるで人形の首が独りでに動いているようで、少しホラーじみてる。綾人くんの吊り上がった目が私の横、さらに上、下、斜め、あらゆる方向を見てふゆくんの姿を探して見つからないことを確認し終わってか、大きく溜め息をついた。
そして、ぎろ、と私を睨み付けてくる。
「今のは、何だ!」
綾人くん、雰囲気から口調までがらりと変わっているんだけど、気づいているのかな。でも、あの必死な形相を見るからに、きっと気づいてないようだった。結構、いっぱいいっぱいで余裕がないのかもね。
というか、綾人くんの二面性がすごい。あんなにも人懐っこそうで、人がよさそうな笑みをにこにこと浮かべていたのに、今はそんな柔らかい雰囲気はなく、むしろ刺々しくて、鋭い感じだった。少しでも触れたら怪我しそうなくらいに。こっちはこっちでありかも、なんて、思ってしまう私も私だよね。
「今のは何だ!」
もう一度、叫ぶ綾人くん。ちゃんと、聞こえてるよ。
「何だと言われても……言っていいの?」
だって、綾人くん、その〝手〟の話をして大丈夫なのだろうか? さっきまであんなにも半狂乱になっていたというのに。
「………………言ってくれ」
拒絶したいのに、けれど、確認したいという、悲壮感たっぷりな葛藤が見て取れました。嫌なら、訊かなきゃいいのに。何で、あえていばらの道を進もうとするんだろう。まぁ、いっか。綾人くんが聞きたいっていうなら。話したって。
「ふゆくんは、幽霊だよ」
「―――――――っ」
声にならない悲鳴とはまさにこのことだと思う。綾人くんは、大きく口を開けて悲鳴を上げたいのに、上げられない様相を見事に呈していた。
「ちなみに、さっきの生首も幽霊ね。最近、綾人くん、体調悪かったでしょ? それ、憑りつかれてたせいだよ」
「え? 何が、憑りつかれてたって?」
聞こえてませんでした、っていう風に返されても、ちゃんと聞こえてたよね? そんなに顔面蒼白で、がたがた震えて。
「だから、綾人くんに生首の――」
「言うな。絶対に言うな」
「綾人くんが言えって、言ったんじゃん!」
「もう言うなって言っただろ! あー、くそ! 最悪だ! 何で、あんなものが見えたんだ!」
綾人くんは桜の幹に縋りつくように大きな声で言う。声色も恐怖とか、自棄とか、そんなものが混じっていた。ていうか、もうすっかりと〝良い子〟を取り繕うつもりはないらしい。まぁ、いいけどね。
「綾人くん、幽霊嫌いなの?」
「嫌いだ! 大嫌いだ!」
「綾人くんの性格からすると、「幽霊なんているはずないだろ」って鼻で笑いそうなのにね」
「うるさい。オレにだっていろいろとあるんだ」
綾人くんは少し落ち着いたのか、小さく溜め息をついた。でも、怯える綾人くんも可愛いです、なんて口が裂けても言えないよね。
「お前には、見えるのか? その、霊、とか」
「え、うん。まぁ……」
このあたりにも綾人くんが見えないだけでうじゃうじゃいるんだけどね、とは言わないでおいた。言ったら言ったで、綾人くんがかわいそうな目に遭いそうだし。
「何で、いきなり、見えだしたんだ……」
人生で最大の絶望に見舞われましたと言わんばかりに、綾人くんは溜め息をついた。大げさだね。
「それ、私のせいだと思うよ。だって、私、半分〝妖狐〟の血が流れてるからね。たぶん、私の妖の気に触発されたんだと思う」
「え」
「おそらく、これからも、状況次第では幽霊が視えたりするかも……あ、ごめん」
綾人くんの表情がみるみる青ざめていくのを見て、慌てて、口を閉じる。けれど、
「嫌いだ」
「え? 何が? 幽霊?」
「お前が、嫌いだ」
「――――――え!?」
いきなり、何!? 脈絡もなく、嫌いと告白されても困るんだけど。いや、嫌いな幽霊が視えるきっかけを作った要因は私にあるんだけどね。
「妖怪の血が流れているお前なんて、大嫌いだ」
「いや、私、妖怪じゃないから!」
「妖怪の血が一滴でも流れているだけで、嫌いだ」
「すごい理不尽じゃない!?」
「お前に一つ言っておく」
綾人くんが桜の幹から離れて、私に向かってびし、と指をさしてきた。指をささないでよ。
「オレはオカルトが嫌いだ。ついでに、人間も嫌いだ!」
………はい?
「わかるか? すべてが当てはまるお前が大嫌いだ!!」
…………………。…………。え、理不尽すぎる。
え、え、え? ちょっと待って!? 大嫌いって、大嫌いだよね? だって、出会って、まだ二日しか経ってないのに、そんな理不尽極まる理由で私は彼に「大嫌い」だって告白されたの? しかも、あんな真剣に、断言されちゃえばそれは本気だってわかる。
理不尽だし、何気に酷い!
それに私は綾人くんに対して、その、好意的なものを持っていた。うん、こうしている今も、何気にドキドキしているくらいに(大嫌いと言われた動揺からじゃなくてね)。
その好意すらも見事にぶった斬ってくれたおかげで、ダメージがさらに倍増の上に、上乗せだった。もう、立ち直れない……。オカルトが嫌い。人間が嫌い。確かに、全部私に当てはまる。私の恋は、最初から失恋していたのだ。もう、泣きそうだった。
「オレはお前のことが、大嫌いだ。でも、召使いの話はなしにはならない。いいか? オレが呼んだときはすぐさま来い。オレの命令に、拒否はするな。わかったな?」
綾人くんはどこぞの国の王様ですか? というくらいの、見事な俺様っぷりに、私は唖然として彼を見つめる。綾人くんは至って、真剣だった。もし、私が招集に遅れたり、口答えをしようものなら、きっと、私の〝秘密〟をみーちゃんや、みんなに話すはずだ。それくらいに、彼は本気だ。
「わ、わかったよ……」
王様である綾人くんに対しての反論は許されない。少しの悔しさと、それを上回る諦念に、私はがっくりと項垂れた。