【5】
夕暮れ時の〝千本桜〟は、その夕暮れ時の朱色と、外灯のほのかな明かりでライトアップされて、お昼とは違う綺麗な表情を見せていた。普段なら、「綺麗だなぁ」なんて、まったりと見つめるのだけれど、今はそれどころじゃない。
目の前には信じられない光景が映っていた。
明らかに不良な感じの生徒――見た感じ先輩かな? ――が、絡んでいたのはあろうことか、あの可愛い男の子だった。男の子は先輩たちを前に、毅然としている。かっこいい。でも、このままじゃいけない。助けないと!
私は猛然と走って、
「すとーっぷっっ!!」
男の子と不良の先輩方の間に割り込んだ。
「「え?」」
男の子と、先輩たちの驚いた声が見事に重なる。私は男の子を背にして、先輩たちに向き直った。
「弱い者いじめはだめだよ!」
びし、と指をさす。先輩たちは呆気にとられた顔をしていて、今の事態をうまく呑み込めていないようだった。
「……お前、誰だ?」
至極もっともな意見でしょう。私だって名乗る名前くらいあるのです。
「私は――……」
「あ、こいつ! 明日山琴音だ!!」
出鼻をくじかれました。というか、何でこの人、私のこと知ってるの!?
「誰だそれ?」
「知らないのか? そいつ――……」
先輩たちはひそひそと内緒話を始める。この場面を午前中にも見たよ。まったく、何なのかな?
私はつかつかと先輩たちに近づいて、
だん!!
桜の幹を力強く蹴った。その衝撃で一気に桜吹雪が舞う。良い子は決して真似してはいけません。自然は大切にしましょう。
その派手な衝撃音に、先輩たちが「ひ」と悲鳴を上げた。何故、悲鳴を上げるのかな?
「ま、いいや」
私はそう頷いて、肩をぐるぐる回す。
「悪は、成敗ってね☆」
「待て、待て待て! 俺たちは別に――!」
「問答無用」
私は拳を振り上げて、先輩たちに躍りかかった。私はこう見えても、自分でもいうのもなんだけど、相当腕が立つ方。そこら辺の不良相手なら楽勝に勝てますよ。
逃げ惑う先輩たちを追いかけまわして、ひっ捕まえて、まぁそれからは自主規制。そのあと、ボロボロの先輩たちは一目散に逃げていった。
「あの……」
悪を成敗して達成感に満ち溢れている私にかかる声。誰だろう? と振り返って。しまった。でも、もう遅い。
男の子が、戸惑い気味に私を見つめていた。
どき、と心臓がまた跳ね上がって、そのまま早馬のように駆けだしていく。どうして、こんなに心臓が鳴るのかは知らない。それに、何だか体温が上昇して熱いし。それに、顔に熱が集中してほんのりと熱かった。私は火照りを隠したくて視線をそらしたいのだけれど、でも、どうしても男の子が気になってしまう。私は平然を装って、男の子を見た。
少しだけ長めの茶色の髪に、少しだけ吊り上がったぱっちりとした目。童顔で、幼さが残る面影のせいか年齢よりも幼く見える。うーん。可愛いね。やっぱり。
――ていうか、私が自主規制したことを思いきり見られてた?
「えーと……」
なんて言おうか、言い訳を探る。女子の中でも腕っぷしが立つ私は、何気にそれがコンプレックスだったり。だって、強い女の子って可愛くないしね。
「だ、大丈夫だったかな?」
あんなにも高鳴っていた心臓が、今は違う意味でバクバクしてる。だって、男の子の前であんなことしちゃったし、もし引かれでもしたらショックだし。
男の子は大きい目で、ぱちり、と私を見返した。
あ、と、気づく。彼の顔色、やっぱり悪いかも。体調が悪いなら保健室へ行かないと――ん? 違う?
私は彼に近づく。一歩、また一歩。じぃ、と見つめた。
「あ、あの……?」
男の子が、少し躊躇いながら口を開く。え、と思えば、見てびっくり。目の前に彼の顔があるじゃないですか。どうやら、私はとある一点を見つめすぎて、彼に急接近していることに気付かなかったらしい。
「ご、ごめんねっっ!!」
私は慌てて飛び退った。それが間違いだった。踵が桜の木の根に引っかかって、バランスが後方へ。視界がピンク色の桜の空を映して、あぁ、次は地面に背中から倒れるんだろうな、って他人事のように思って。でも、その痛みは全然来なくて。
「大丈夫ですか?」
ひ、と喉から悲鳴が出そうになる。あろうことか私は抱きしめられる形で、彼に助けられていた。密着感が半端なく、制服越しの男の子の腕の感触とか、温かさとか。先ほどではないけれど、でも、視界いっぱいに彼の顔が映って。
「だ、だだだ、大丈夫です――っっ!!」
どん、と彼を突き飛ばしてしまった。そして、その反動は私にももちろんあるわけで。私は突き飛ばした反動で、後方に体が押しやられて、あろうことか木の幹にごん、と後頭部を強く打ち付けてしまった。
「いたたたた……!」
ぐらん、と意識が揺らいで、体もふらつく。おぼつかない足が再び、再び桜の木の根元に突っかかり、私は前のめりに派手に転んでしまった。
「いった――っ!!」
うぅ、顔面から突っ込んでしまいました。あまりの痛さに、顔も上げられない。
「だ、大丈夫ですか、本当に!?」
男の子が慌てて私を引き起こしてくれた。可愛い顔をしているのに、やっぱり男の子だね。力が強い。あぁ、もう、ほら心臓がドキドキしてきた。顔も熱くなってきたし、思考も変に空回る。
――ん?
と、私は心の中で首を傾げる。この男の子を見ていると、胸がドキドキするし、顔も熱くなる。何だか、平常心でいられない。近づいただけでも、何だか、浮ついてしまう。ん? んん? これには覚えがある。そうだ、あの時だ。
人に恋した時と同じ。
そう、あの時と同じだ。
ということは、もしかして?
え、そんなまさかの――一目惚れ?
……まじですか?
いや、確かに笑顔の彼がとても魅力的であるけれど、ずっと、見ていたいと思うけれど、あれ、そう思っている時点でもう確信的だよ?
だって、彼、私の好みのタイプそのままだしね!
もしかしたら自分の想いに気付いてしまったかもしれない私は、私を支え起こしてくれる男の子を、ちらり、と盗み見る。傍にいるだけで、もうすでに全身が熱い。心臓の音だって、耳元で聞こえるくらいにドキドキ言ってる。あー、もう、熱い。
私は男の子を盗み見ると、なぜか、男の子は目を見開いていた。呆然と、唖然と、口をぽかんと開けて。信じられない、といわんばかりに。え、何? その表情?
「それ……?」
「え?」
それ? それって、何? 男の子は、私の何を見て驚いているんだろう? 男の子は私の顔――というよりは、頭を見ているようだった。え、頭? 頭……? まさか。
ば、と私は頭に手を当てる。そこにはふさふさとした、ある感触があった。
「……」
「……」
桜を照らす外灯が一瞬だけ、明滅する。いっそのこと照明が切れて、影を落としてくれてよかったのに。
私はそのぴょこん、と飛び出た三角形の形をしたそれを、隠すように両手で覆う。私は男の子に、小首を傾げて。
「……見ちゃった?」
男の子は、私の質問にこくん、と頷いた。うん、可愛いね、その仕草。――って、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!
ま、いいか。
なんて、楽観的に済ますことできない事態に、私は焦っていた。不安も、もしかしたら恐怖すら感じていたかもしれない。
「え、えへ☆」
ごまかすように笑って。それに騙されてくれればいいのに。でも、男の子の視線は、変わらず私の頭に注がれている。
桜にとまっていたカラスさんが「やっちゃったね」と一声鳴いて、空へと飛んでいった。
それもそのはず。
私の頭には、狐のような耳がちょこん、と出現していた。




