【3】
オレはひたすらに笑顔だった。周囲には新しく友人になったクラスメイトたちがいる。
北校舎1―A。そこがオレ、皆島綾人のクラスだ。
クラスはまぁ、広い。壁は白くて、どこか清潔感のある雰囲気だ。それにエアコンがあるから冷暖房完備。席も一番後ろだ。これなら快適に勉強ができる。
教室の環境はいい。気に入ったと言えば、気に入った。
でも、今のオレは気分が最悪だった。
頭が痛い。体の調子はいたって普通。食欲だってある。風邪ではないようだけれど、こんなふうに体調を崩すのは初めてだった。それをみんなに悟らせないように、オレはクラスメイトとくだらない話で盛り上がる。
男子も女子も何が面白いのか、腹を抱えて笑っていた。
うるさい。煩わしい。苛立ち。そんな感情が湧き上がって、いろいろと疲れてきた。――あぁ、もう、一人になりたい。
オレは席から立ち上がった。
「あれ、綾人?」
名前も知らない(聞いたけど忘れた)女子が、不思議そうにオレを見る。
「ちょっと用事」
オレはそうとだけ言うと、呼び止められないうちに教室の外へと向かった。一人になれる場所を探そう。まだ次の授業まで時間はある。
「あぁ、皆島」
廊下へと出たオレを引き留めたのは、男の教師。何かを言っているが(聞く気がない)、オレは適当な相槌を打つ。頼むからオレにかまわないでくれ。そう言いたいのだけれど。
「せんせーも、面白いこと言わないでよ!」
表面上は、困ったように笑って見せた。
逃げたい。それがオレの今の気持ちだった。よく知りもしない教師と笑って話しながら、一方で焦燥感が募っていく。早くしないと人がくる。頭が痛いというのに、これ以上掴まったらマジで死ぬかもしれなかった。
「あれが綾人くん?」
「おーい、あやとぉー!」
ほら、人が集まってきた。
「ねぇ、綾人くんってさー」
「なぁ、綾人、この間の――」
顔見知りから、面識のない奴までなぜか囲まれてしまう。お前らなんか知らないからどっかに行け。そう思うのに、顔は笑みを作っておしゃべりに乗じていた。
あー、何で、こんなことに?
ま、理由はわかってるけど。自業自得といえば、自業自得。でも、これはさすがにきつい。頭が痛いから、なおさらだ。でも、そんなことは絶対に表面上には出さない。笑顔を浮かべて、切り抜けろ。
そう自分に言い聞かせて、会話を続けようとした時だった。
「おい、西校舎のほうで何か騒ぎがあったみたいだ!」
突然の声に、みんなの意識がそちらへと向く。ありがたい。
「え? 何が起こったの?」
「わからない。ただ、ガラスが割れて」
「ガラスが!?」
「え、何、何!?」
騒ぎが、どんどん大きなものへと変わっていった。生徒たちの意識は完全にそちらへと行ってしまったようだった。
――今のうちに逃げよう。
何とか解放されたオレは、騒ぎに紛れてそ、と逃げ出した。どこかに、静かな場所がないかな。静かで、誰も来ない場所。
そういえば、と思い出す。この北校舎の裏には、桜の木が多くあった。そこは生徒の立ち入りが禁止になっている。そうか。あそこに行けば、一人になれるかもしれない。よし、あそこを隠れ場所にしよう。そう決めた。
騒ぎを起こした私は、反省文を三十枚書くことで事なきを得た。私が放り投げた優等生くんは、ガラスに突っ込んだのに切り傷一つなく、ただ投げ飛ばされたことによる打ち身だけですんだ。
先生たちからどうしてこうなったんだ、と怒られたが、優等生くんは完全黙秘。その代わりに私が見たままの光景と、出来事を話して優等生くんの悪事が発覚した。私と優等生くんはその後、別室でお説教を食らい、私は反省文で済んだけれど、優等生くんはどうなったんだろう?
たっぷりとお説教を食らった一日はもうやる気が起きず、気怠いままに授業を受けていた。みーちゃんからは「ほら見ろ」と言わんばかりの冷たい目で見られるし、クラスメイトからは「またか」と呆れ半分の視線にさらされました。
いいことするって、難しいね。
「そりゃ、アンタが加減しないからでしょ」
またもや冷たい一言で私をあしらうみーちゃん。だって悪い人に何で加減しなきゃいけないの。と思いかけて、過剰防衛っていう言葉があるのを思い出した。なるほど、これが該当するわけですね。
そんなこんなな今日の一日を終えた放課後。
真っ赤な夕日が教室内に差し込んでいる。真っ黒い影が伸びて、赤と黒の世界が出来上がっていた。四月だけれど、夕方に差し掛かると少しだけ寒い。
私はべったりと机にくっつけていた頬を離した。見ればみーちゃんはどこにもいない。置いて行かれたようです。二年生になってもクールビューティはぶれないね。さすがみーちゃん。
私は体を起こして、ぐっと体を伸ばす。気持ちがへこんでいたせいか、体もどことなく、ただ重かった。
「帰ろっかな」
この教室には誰もいない。私の独り言だけが、空気に溶け込んだ。私は席を立って、カバンを持って、教室から出ようとした時だった。
『ねね、あそこ、またキョーカツしてるよ!』
幼い男の子の声が、無邪気に教室に響き渡る。ふゆくんだ。
「キョーカツ?」
『ほら!』
ふゆくんに誘われるままに、私は教室内に戻ってベランダから身を乗り出す。私のクラスは二階にある。ベランダから見える風景は、正面玄関から正面ロータリー、渡り廊下と、北校舎から裏庭へと繋がる道が見えた。
「ん?」
北校舎の裏庭には、桜の木がたくさん植えられている。桜が満開の時は、一面がピンク色に染まって綺麗って有名だ。千本もないけれど、いっぱい桜があるから〝千本桜〟って呼ばれている。でも、以前に桜の季節の時に、誰かが花見をして桜の木にいたずらをしたとかで、今は生徒の立ち入りは禁止になっている。もったいないね。
だからみんなは眺めるだけで終わるのだけれど、今、私が目にしている彼らは明らかに違う目的のように見える。
北校舎から裏の桜に続く道に、小柄な男子生徒一人と、対照的に大柄の男子生徒約四名がぞろぞろと歩いていた。花見なのかな? と思ったけれど、ふゆくんが「キョーカツだよ」というから、おそらく不穏なことを口にしていたのかもしれない。
もし、そうであるなら、あのかわいそうな男子生徒を助けないと!
私は教室から飛び出す。ふゆくんの『がんばれ!』という言葉を聞きながら、猛然と廊下へと駆けた。