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エピローグ 琴音と綾人の恋始め語り
――それから二日経って、月曜日。
「あと少し、右!」
私はその掛け声に従って、体を右へとずらす。そうしたら、ようやく見えた。
「あった!」
木の枝に引っかかっていたのはバレーボール。私はそれへと手を伸ばした。でも、ぎりぎり手が届かない。もどかしすぎて、嫌になるね。
「あと、少しなのに――っ!」
ことの発端は、昼休みの時間にクラスの友達と西校庭でバレーをして遊んでいた。でも、打ち上げられたボールが高く飛んで、校庭の片隅に生えていた木の枝に運が悪いことに引っかかってしまった。
背の低い木だし、幹もしっかりしているし、枝も太いから大丈夫だろう、ということで、勝手に木登り開始。ようやく登り切ったのだけれど、残念なことに手が届かなかった。
私は手を伸ばす。指先がフルフル震えている。
「琴音、無茶しちゃだめだよ!」
「危ないよ!」
下で友達が声をかけてくる。別に大丈夫なんだけどね。ただ、下に男子がいないことを祈るばかりです。何しろ、スカートなので。
私は体の重心をさらに右側へ。足もできる限り、ぎりぎりのところまで。腕をあらんかぎりに伸ばす。そして、指先に、ゴムの硬い感触。
「やった――へ?」
指先は見事にバレーボールに触れた。それをとん、と押し出せば、地面へと落ちる。でも、私の体も下へと行く。
「琴音!」
「琴音ちゃん!」
悲鳴が聞こえたときには、私の視界は地面を映し出していた。あ、痛いかな、これ。死を覚悟したわけじゃなくて、痛みを予想して目をつぶった。でも、
「いっ」
誰かのうめき声。私の体は固い地面へとたたきつけられるかと思ったんだけど、なぜか柔らかい衝撃。え、何? 恐る恐る目を開けば、そこにいたのは、
「あ、綾人くん……!?」
何故か綾人くんがいた。しかも、思いきり私の下敷きになっている。
「どうして、ここに……!?」
「馬鹿!」
綾人くんが腕を伸ばして、私の頭を抱えた。え、何事!?
「早く、それをしまえ!」
「え?」
綾人くんの腕の中で私は恐る恐る指先を自分の頭へ。髪の毛の感触と、また違うふわふわの感触。うん、動物の耳だね。しかも狐の……。
「ひぃ!」
自分の状況を確認して、私は思わず頭を抱える。そして、綾人くんを突き飛ばして、ここから逃げ出したのです。
仕方ないじゃない。
だって、非常事態なんだもの。
晴天の下、私は〝千本桜〟に逃げ込んだ。〝千本桜〟は桜が散ってしまい、少しだけ寂しい姿を見せている。
私は地面に腰を下ろして、ぼんやりとその散ってしまった桜の枝の間から見える空を眺めていた。遠くからは昼休みの時間帯だから、生徒たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。そのにぎやかな喧騒を聞きながら、深く息を吐いた。
「やっぱり、ここにいた」
びく、と体が跳ね上がる。突然の人の声、というのもあるけれど、何よりその声の持ち主に驚いた。だって、まさかまた会えるとは――追ってきてくれるとは思わなかったから。
「綾人くん……」
「どうも」
綾人くんはぺこり、と頭を下げて、問答無用で私の隣に腰を下ろして、私と同じように空を見上げた。その間にかわされる言葉はなくて、どこか気まずい沈黙が落ちる。でも、私はその気まずさを振り切って、何とか口を開いた。
「……綾人くん、さっきはありがとう」
「え?」
「た、助けてくれたでしょ?」
「……まぁ、そうですね」
「それと、この間も」
「この間?」
「うん、綾人くん、私を守ってくれてたんでしょ?」
それは、男の人――勇大さん――に私は狙われていた、らしい。私には全然身に覚えがなかったけど、カラスさんの情報で知った。綾人くんは必死になって私を守ってくれていたようだった。私は守られていたことに驚いて――でも、とても嬉しかった。だから、ありがとうと言ったのだけれど、綾人くんは何のことかわからなかったようで、首を傾げていた。でも、心当たりがわかったのか、照れくさそうにそっぽを向いてしまう。くそ、可愛いじゃないか!
それきり、綾人くんは黙ってしまった。私もなんとなく口を閉ざしてしまう。でも、私の頭を駆け巡るのはいろんなことだった。何をしに来たんだろうという疑問と、嫌われているかもという恐怖と、私のもう一つの正体を見られてしまったことへの不安。けれど、綾人くんは淡々としている。だから、何を思って、私に会いに来たのかがまったくもってわからなかった。
「先輩」
沈黙を先に破ったのは綾人くんだった。
「な、なに?」
「そんなにおびえなくてもいいじゃないですか」
「う」
見事に見透かされていた。だって、怖いものは仕方ないじゃん。
綾人くんはそんな私に苦笑してから、話し始めた。
あれから意識を取り戻した勇大さんと話し合い、何とか許してもらえたこと。いきなりは無理だけれど、少しずつ人を信用しようと思うということ。これからは自分のせいで被害にあった人が現れたら、真正面から向き合うこと。
そう、淡々と、でも強い決意が見えた。
綾人くんは変わったなぁ、と嬉しくなる。でも、同時に少し寂しくなった。綾人くんが変わればとても魅力的になるはず。そうなってしまえば、――そうなってしまっても、私はその隣にいられないのだから。この空間も一時的なもの。お昼休みが終われば、すぐにでも現実へと戻って、綾人くんは私の隣からいなくなるはずだ。
「琴音先輩、もしかして馬鹿なことを考えてない?」
さらり、と綾人くんに馬鹿にされました。
「ば、馬鹿なこと考えてなんかないよ」
「例えば、もう二度と一緒にいられない、とか?」
「え、何でわかったの!?」
「そりゃ、そんな沈んだ顔をしていればわかるでしょう」
綾人くんが苦笑いを浮かべる。そして、
「オレは離れませんよ? 琴音先輩のこと〝好き〟になった気持ちは今でも変わりはありませんから」
「え……」
今、何て言いました?
「そりゃ、琴音先輩が大きな狐になって強制的に背中を乗せられたあげく、山を猛スピードで駆け下りた時の恐怖も忘れようがありませんし? 何の説明もなく学校に置き去りにされた恨みはもちろんありますけど」
ちくちく、と言葉の針で刺してきた。痛い痛い。
「でも、さっきも言ったように、オレは琴音先輩が好きなんです。琴音先輩がどう思おうと、オレは離れませんからね」
「……」
「……オレはこんな人間です。いろんなことをしてきました。それに、まだ弱い部分があると、オレ自身わかっています。その時は琴音先輩に迷惑をかけるかもしれません……、でも、オレはそれでも琴音先輩と一緒にいたいです」
私の頭はいったん思考停止する。何て言われたんだろう。すごく嬉しいことを言われた気がする。その喜びがじわじわと私の心へと染み込んできて。
「綾人くんっ!!」
私は綾人くんへと抱き着いた。
「こ、琴音先輩!」
「綾人くん、大好きだよ!!」
ぎゅうぎゅうと体を押し付ける。綾人くんは「離して」と言いながらも、私を振りほどこうとしなかった。
「大丈夫だからね! 綾人くんが大変な時は私が助けてあげるから! 二人いれば、怖いものなんてないよ!」
「――ありがとうございます」
「それに私もこんなだからね。きっと、綾人くんに迷惑をかけると思うけど……」
「それは大丈夫ですよ。……慣れましたから」
「そんな、遠い目をされても」
「琴音先輩も言ってたじゃないですか、二人いれば怖いものなんてないって。それにオレは、頑張るって決めたんです」
「え?」
「琴音先輩みたいになるって」
え、私のように? ――どういうこと? つまりはトラブルメーカーってこと? 疑問符ばかりを浮かべる私に、綾人くんは苦笑した。
『わぁ、ラブラブだね!』
『今時、ラブラブなんて言うのかな?』
ふと聞こえた声に、私たちはぴたりと止まる。見れば木立の陰から元の状態に戻ったふゆくんが覗き見ていて、桜の枝にとまっているカラスさんが堂々と私たちを見下ろしていた。
「な……、な、な……!」
綾人くんが体を震わせる。幽霊のふゆくんと、喋るカラスを前に思いきり怯えていた。
「何、あれ!?」
「あれと言われても、ふゆくんとカラスさんしか……」
「ふゆくんはわかる! あのカラスは!?」
「カラスさん。妖だよ。ちなみに私たちをずっと見守っていてくれました」
「……ということは、やけにカラスを最近見ると思ったら……そいつか!?」
『当たりー』
カラスさんはくちばしを広げて、カカカ、と笑うように鳴いた。
「というか、綾人くん、カラスさんの言葉がわかるの?」
「え、まぁ」
「……」
「何、その焦った顔。どういうことなの、それ」
『落ち着いて、綾人やら』
「カラスにそう言われる筋合いはない!」
『君、おそらく霊感が開いたんだね。琴音と一緒にいたし、妖に憑りつかれていたから。これからばんばんと妖やら幽霊やらと触れ合うことができるよ』
「え……」
綾人くんの表情が凍り付く。私も、そうだと思った。何しろ、私の妖狐の姿に接触しちゃったからね(もとはと言えば、私は無理やり、背中に綾人くんを乗せたせいだけど)。きっと綾人くんはこれから、綾人くんの嫌いなものをたくさん見るだろう。
「オレ、早まったかな……」
「いや、早まってない、早まってないから!」
私は慌てて綾人くんに抱き着いた。綾人くんは「もう嫌だ」と言いながらも、私の腕を振りほどかない。
それを見たカラスさんとふゆくんが笑い声をあげる。
何だかんだで私たちの恋は今まさに始まりました。
これにて私と綾人くんとの恋物語は終了です。
つまらなかったですか?
どうでもよかったですか?
うん、でも、まぁ、いっか!
どう思われても、私たちには幸せが待ってるしね!
では皆さま、いつか巡り会うその時までさようなら!
終わり




