【2】
すでに空は夜闇に覆われていた。でもそんな夜闇なんてお構いなしに、神社のお祭りは明るく賑わっていた。
露店が並んで、人がごった返す中、私はその中を急いで走っている。時々、肩と肩、ひどければ正面衝突してしまうけれど、そんなことに構ってはいられなかった。
――綾人くん、どこ?
私はずっと綾人くんを探している。匂いでたどり着こうとしても、人が多いこの中から綾人くん一人の匂いをかぎ取るのは難しかった。もうほとんど勘で探している。でも、頼りの勘は確かにここに綾人くんがいるよいっているのに、でも、ここにはいないと訴えていた。
それがよけいに混乱する。
ここの近くにいるのだけれど、ここにはいない。
焦りだけが募り、せわしなく動く視線が目まぐるしく風景を映していった。おかげで前方だけではなく、左右、後方の不注意が続いて、どん、と人にまたぶつかってしまう。
「ご、ごめんなさい!」
「気を付けろ!」
怒られて、私は首をすくめた。確かに今のは私が悪い。私は溜め息をついてから、スマホを取り出す。ライン、電話、メール、をしたのだけれど、綾人くんからの返事はない。ラインに至っては、既読すらなっていない。
「うー……」
立ち尽くす私を人々が追い越して、通り過ぎていった。まるで私だけがここに置いてけぼりにされた感じだった。こんなに人がいるのに、変な孤独感に私は唇を噛む。こんなことをしている場合じゃないのに。そんなこと、わかっているのに。
「あー、もう!」
突然叫んだ私の周囲にいた人がぎょ、と私を見た。まぁ、そりゃ驚くよね。いきなり人が奇声を発すればなおさらだよ。でも、他人の目なんかどうだっていい。私は私のやりたいことをやる。
私は走りだした。再び勘を頼りにやみくもに走る。でも、「いるけれど、ここにはいない」という勘を相手にどうしたらいいのかわからなかった。
――綾人くんのバカ! 連絡くらい入れてくれたっていいじゃん!
心の中で綾人くんにむかつきながら、走り続ける。でも、再びどん、と背中が誰かに当たった。思わず私は前のめりに倒れてしまう。私は慌てて上半身を起こした。
「きみ、大丈夫?」
「あ、ごめんなさ……」
私にぶつかってしまった男の人が、私の姿を見て目を見開いた。既視感。デジャヴ? 前にもこんなことがあった気がする。男の人の視線は、私の耳へと注がれて――私は手のひらを頭へと持っていった。その指先が薄い体毛に覆われた三角形の耳の感触を探し当てて、私もぎょっとしてしまった。
耳が出ている。
おそらくしっぽも出ているはず。
緊張のしっぱなしだったせいで、転んだ衝撃で緊張の糸がぷっつりと切れてしまったんだろう。半分、妖狐化してしまった。
「きみ、それ……」
「え!? えーと……!?」
私は焦る。すごい動揺した。取り繕うにも、動揺のし過ぎでうまい嘘が思い浮かべられない。
そんな私の様子に、周囲の人たちも足を止めて、私を見た。多くの視線にさらされて、私の焦燥は一気に恐怖へと叩き落された。
見られた。半分妖狐としての姿を見られてしまった。どうしよう。どうしよう。どうしよう……!
私は硬直してしまい、もう、どうにもならなかった。
周囲の人たちの視線は相変わらず私に注がれている。男の人が、ぱちくり、と目を瞬かせて、何かを言おうと口を開こうとして――いきなり白目をむいて前のめりに倒れた。どさり、という音に私の思考がようやく動く。
「え……?」
男の人は白目をむいたまま動かなかった。
「きゃあああっ!」
女の人の悲鳴に、心臓が跳ね上がる。周囲の人たちは倒れた男の人を見て、呆けた顔をしていたけれど、女の人の悲鳴によりみんなの時が動き出した。
「おい、倒れたぞ!」
「け、警察!」
「違う、救急車だ!」
言葉が飛び交う。一気にお祭りの楽しい雰囲気は、恐慌状態へと陥ってしまった。
「はや……」
近くにいた屋台の男の人が携帯電話を片手に話していたが、突然、言葉が切れたかと思うと、そのまま倒れてしまう。そして、それを皮切りにどんどん人が倒れていった。
「え、え、え……?」
私の周囲にいる人たちがどんどん倒れていく現実を前に、私は戸惑うばかりだった。うめき声一つなくいきなり気絶する現象は、私には降りかからないようで。
気付けば、私以外の人全員が倒れていた。
起きているのは私だけ。
「何が、起きたの……?」
訳が分からない。それに何で私だけ起きていられるんだろう? 私と彼らの違いは、人間か妖狐か明白に分かれるんだけれど……本当にそれだけなのかな? 私は目の前で倒れている人に近づく。そ、と首筋に指を持って行って――あ、この人、脈がない……いや、あった。普通にあった。ただ、ひどくゆっくりだったから、脈がないのかと勘違いしてしまった。
「でも、どうして?」
呟いても、私だけの呟きだけがお祭りの風景に溶け込んでいく。静まり返ったお祭りは、まるで違う世界のように思えた。
ふと、私は男の人の体から何か立ち上っているのに気づいた。ほんのりと輝いている光の粒子、みたいなもの。まるで砂時計の砂が、さらさらと落ちるのではなく上っているかのような不思議な光景だった。
「何、これ?」
『それは、その人間の生気だよ』
私の呟きに答えたのは、カラスさんだった。電飾のコードに翼を休めて、きょろきょろと周囲を見渡している。
「生気?」
『そう。その人間の生きる力さ』
「初めて視た」
『そりゃ、視ることはないよ。生気が外に流れ出ることはないからね。外に出ていたら、大変なことだよ』
「そ、そうなの?」
『そうだよ。外へと流れているってことは、その人間の生きる力が外に漏れているということ。それが枯渇すれば、その人間は死ぬよ』
「え」
いきなり怖い話になってきた。
「わ、私は? 大丈夫なの?」
『琴音は半分妖だからね。平気さ』
「そ、そうなんだ……」
ほっと安堵する。私は一息ついてから、周囲を見渡した。倒れている人全て、体から生気が漏れ出している。危険な状況に陥っているということはわかった。でも、いったい、これは何が起こっているのだろう?
『おそらく、これはあの男の仕業かもね』
カラスさんの黒い目がきょろ、と私を映した。
「あの男?」
『そうさ。子供の霊が憑りついている男。あ、違うか。どちらかと言えば、男に憑りついた子供の霊の仕業か』
「子供の霊……まさか、ふゆくん?」
『うん。あの男の憎悪に引っ張られて、怨霊になりつつあるよ。人の生気を吸い取って自分の力を蓄えている』
――怨霊?
あのにこにことして人懐っこいふゆくんが?
「そんな、どうにかならないの!?」
『琴音、早くお行き。子供の霊を何とかするんだ。その霊さえ鎮まれば、みんな元に戻るよ』
カラスがくちばしで山の中を示す。
『そこにいるよ。男と、子供の霊と――琴音が探している男の子が』
「綾人くん……」
私は山中へと視線を向けた。お祭りの明かりで手前は明るい。でも、その奥にある淀んだ闇は、その先を見せてはくれなかった。
ここにいるけれど、ここにはいない。
その勘はこのことを言っていたのだ。
ここの近くにいるけれど、このお祭りにはいない、と。
私は立ち上がる。
『頑張ってね』
カラスさんはそう一言言い残すと、夜空へと飛び立っていく。私は一人、頷いた。
「行ってきます!」
――綾人くん、今からそっちに行くからね。
そうして、私は半分妖狐化したまま、闇の中へと飛び込んでいった。