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半妖狐少女と仮面少年の恋語り  作者: ましろ
四章 少女と少年の自身語り
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【2】


 ――放課後。オレは、一人で夕暮れに染まる通学路を歩いていた。普段はバス通いだけれど、オレはバスに乗る気力もなく、ぼんやりと無為に足を動かしている。

 この通学路には誰もいなかった。

 オレだけだった。

 一人、一人、独り。

 風が吹き抜けて枝葉が揺れる音、流れる風の音、しんと静まり返った音。自然が作り出す音で溢れ返っているけれど、それは雑音にしかすぎない。

 そんな雑音すら聞こえないオレは、ひたすらに後悔していた。そう、後悔だ。

 オレは琴音先輩を拒絶した。

 それこそ、縋りつくこともできないくらいに、強く、あっさりと。

 琴音先輩は何かを予期していたのか、オレの話を遮った。でも、それすらも跳ねのければ、琴音先輩の顔から笑みが消えた。笑みが消えた後に残った感情は、疑問と焦燥、僅かな恐怖。

 本当にオレを助けようとしてくれていたようだった。オレがいまだに怯えているトラウマを、取り除こうとしてくれようとしていた。

 でも、これは、オレ自身の問題なんだ。

 オレ自身がどうにかしなければいけない問題。

 それを助けてくれようと差し伸ばされた手に縋ってはいけない。もし、縋ってしまえば、また琴音先輩を傷つけるような事態になるかもしれなかった。カッターで琴音先輩を襲った時のことを思い出せば、今でも恐怖が沸き立つというのに、それが再び起こる可能性を考えれば、オレは自分自身でやるしかなかった。

 ――もし、オレがトラウマなんかに負けていなければ、琴音先輩と一緒にいられたのかな?

 なんて、身もふたもないことを考えては、苦笑して。

 突き放したオレに、彼女を求める権利はない。

 オレは独りだ。いつも独りだったじゃないか。琴音先輩の乱入で、最近、身の回りが騒がしかっただけのこと。それがいつも通りに戻っただけ。でも、


「寂しいな……」


 そう、思ってしまった。

 風がオレの呟きをさらっていく。そのまま掻き消えてしまうのかと思ったけれど、


「へぇ、何が寂しいんだよ?」


 突然の返答に、オレは背後を振り返った。そこには一人の男がいた。黒いコートに灰色の帽子を目深にかぶっている。帽子の下から覗く髪の毛は茶色。優しそうな顔立ちをしているけれど、ぎらぎらとこちらを見る眼差しには明らかな憎悪があった。


「ようやく、見つけた」

「……お前」

「久しぶりだな、綾人」


 オレは答えられない。

 そもそも、こいつは誰だろうか? なんとなく、その顔立ちに見覚えがあるのだけれど、でも、思い出せなかった。ただ一つわかることがある。こいつはオレに憎悪を持っているということだった。

 オレの首元に、ナイフの切っ先が突きつけられていた。きっと、身じろぎでもすれば、その刃は確実にオレの首に埋まるはずだ。


「何で、お前、こんなところに?」

「そりゃ、あんたに復讐しに来たのさ」

「……」


 優しい顔立ちをしているのに、吐く言葉は怨嗟で満ち満ちている。その落差がまた恐怖を際立たせた。男はにや、と歪な笑みを浮かべる。その壊れた人形のような笑みが、得体のしれない不気味さを醸し出していた。


「……あんた、最近、女の子と一緒にいたろ?」


 女の子? 突然、そう言われて、オレの思考と感情は停止した。何を言い出すのだろう、この男は? そう疑問に思うものの、なぜか不吉な予感を訴えるかのようにオレの心臓が早鐘を打つ。だって、そうだろ? 最近、一緒にいた女の子は一人しかいない。


「あの小柄で、ゆるくカールした茶髪の可愛い女の子。あんたの後をちょこまかとついていたじゃないか」


 ぞわり、と鳥肌が立った。心臓が強くつかまれて、体の温度が一気に下がった。思考も真っ黒に塗りつぶされる。オレは、久しぶりに恐怖を感じていた。


「名前は、明日山琴音ちゃん、だっけ?」


 びくん、と自分でも笑ってしまうくらいに体が跳ね上がる。どうして、こいつが琴音先輩のことを知っているんだ? いや、琴音先輩は一昨日、誰かに後をつけられたと言っていた。もしかして、その時、琴音先輩をつけていたのは、こいつ?


「琴音先輩に手を出すな」


 警戒心から声が低くなる。男は笑った。


「さて、どうかな?」


 その歪んだ笑顔に、怒りで頭が真っ赤になる。そんなオレの様子が、愉快でたまらないというように男が口を開いた。


「言ったはずだ。俺はあんたに復讐しに来たってな。あんたが一番、何をやられたら悲しむかを考えれば――これからどういう未来になるか、わかるはずだ」

「お前……!」

「少しでも動けば刺す。お前が死ねば、その後、あの女の子はどうなるんだろうな?」


 ナイフをちらつかせる男は、目を細めた。まるで蛇が首元をゆるゆると締め付けるような息苦しさと恐怖を感じる。

 隙があれば――そのナイフを取ることができれば、何とか対処ができる。そんな危機感に警戒していると、目の前からナイフが離れていった。


「おっと、俺を倒しても意味がないからな。何しろあの女の子の傍には、俺の仲間がいる。俺に何かあればすぐに仲間が動く手はずになっているんだ」

「……っ」


 嘘か、真実か。オレはこの男をじ、と観察するがわからない。男はそんなオレを嘲笑するように笑みを歪ませた。


「俺はあんたに利用されて、大変な目に遭ったからな。それなりに学習するんだ。お前のやり口とか、損得の考え方とか、だいたいわかる」

「……それで、どうするんだ?」

「どうしてやろうかな? ……まぁ、今はせいぜいお姫様を守るナイトでいろよ」


 男は笑うと、背中を向けて歩き出す。ここから去っていこうとする背中に、オレは叫んだ。


「待てよ。お前の狙いはオレだろ。琴音先輩は関係ない」

「あんたと関わっている時点で、運が尽きたも同然だ。――わかるだろ?」


 男は憎々し気に、吐き捨てた。


「お前は人をゴミとしか思っていないんだろ?」


 吐き捨てるようにそう言った男は、現れた時と同じように唐突に去っていく。オレはその背中を睨み付けた。

 ――確かに、オレは人を利用してきた。だから、その業が降りかかるのは当然のことだと思っている。

 でも。

 オレはスマホを取り出して、すぐさま琴音先輩に電話した。呼び出しの電子音がしばらく続いて、その呼び出し音がぷつり、と止まって、スマホの向こう側に躊躇うような空気がうかがえた。


『……もしもし?』


 恐る恐る、といった感じで出たのはもちろん、琴音先輩で。声の調子から、まだ男たちに何もされていないようで、少しだけ安心した。


「琴音先輩?」

『う、うん。そうだけど……』


 明らかに当惑する声音。まぁ、オレが突き放した後でいきなり電話がかかってくるのだから、当惑するのも無理はないはずだ。でも、今はそんなことにかまっている場合じゃない。


「琴音先輩、今どこ?」

『今は橋を渡ったところ』

「一人?」

『一人だけど……』


 ますます当惑する声色には、「どうしたんだろう」と混乱しているのがうかがえた。


「琴音先輩、今、近くに誰かいますか?」

『近くに? ……ううん、誰もいないよ?』

「……そうですか」


 琴音先輩は人間だけれど、半分は妖狐の血が流れている。その身体機能もオレ以上だ。その彼女が人の気配を感じないというということは、本当に近くに誰もいないのだろう。男が言っていた仲間は嘘のようだった。オレを攪乱(かくらん)するために、きっと、あんなことを言ったのだろう。良い性格をしてんな、あの野郎。


『綾人くん、どうしたの?』

「――別に何でもありません」

『でも……』

「いいですか? しばらくは寄り道しないで、まっすぐ帰ってください。できれば、複数人で帰ってください。いいですね?」

『え? 何? 綾人くん、何なの?』

「わかりました?」

『わかったけど……どうしたの? 何か、帰り道に危険がありそうな言い方してるし』


 琴音先輩は楽観的で、トラブルメーカーだけれど、妖狐のせいなのか勘だけはよく働く。まさにその通りなたとえにオレは頷くことはしなかった。頷いたら勘の良い彼女のことだから、きっと、事件の匂いをかぎ取って、動こうとするに違いない。


「いや、別に? 琴音先輩、この間、誰かにつけられたって言っていたのを思い出しただけです」

『え……? ……、……、……あぁ!』


 忘れてたのかよ。後をつけられるって、意外と不安になるものなのに、琴音先輩は全然、動じていなかったらしい。


『すっかり忘れてた』

「……そうですか」

『別に誰かにつけられても大丈夫だよ。私、狐火使えるし』


 さらり、と言う彼女は、どこまでも彼女らしい。


「……だから、狐火を使うとそれはそれで危険なんですってば。それで、オレにばれたのわかってるでしょ?」

『う』

「それに、女の子なんだから、危機感を持ってください」


 そう忠告してもおそらくこの言葉は彼女には届かないはずだ。その証拠に『お、女の子って……! 大丈夫だよ! 何とかなるよ!』なんて、能天気な返答が返ってきた。楽観過ぎな彼女は、今、自分が置かれている立場なんてわかっていないのだろう。


「そうですか。オレからは以上です。さようなら」


 琴音先輩の返答を待たずに、オレは通話を切った。ぷー、ぷー、という通話が途切れた電子音に耳を預けながら、オレは溜め息をついた。

 これはオレが招いた事態だ。

 オレが何とかしないといけない。

 琴音先輩に害が及ぶ前に、何とかしないと。

 オレは拳を強く握った。


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