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半妖狐少女と仮面少年の恋語り  作者: ましろ
三章 半妖狐少女と仮面少年の二戦目語り
24/37

【7】


 放課後、私は裏庭にある〝千本桜〟へと来ていた。

 なんと、綾人くんからラインが届いたのです。あんなことがあった後だから、避けられるかと思ったんだけど、まさかの綾人くんからのお誘いだった。


『――相談したいことが』


 もしかして、昨日のことがきっかけで、心を開いてくれたのかな。そうだとしたら嬉しい。二人で綾人くんの中にあるトラウマを何とかできるかもしれない。そう期待に胸を躍らせて、ここへと来たのだけれど、まだ綾人くんの姿がなかった。

 もう日が沈んだ時間帯。

 外灯の微かな明かりはあるけれども、外灯の照明も夕暮れの光も奥まったところまでは届かない。薄闇と濃い闇のコントラストが、絶妙に気味が悪かった。もともと、生徒は立ち入り禁止だけど、二人して互いの秘密を共有している分には、密会するのに最適な場所なんだけどね。

 私はスマホを取り出して、時間を確認。

 そろそろ、下校時間のチャイムが鳴る。それなのに、綾人くんが来る気配がなかった。……もしかして、また、私、騙された?

 いや、でも、今の綾人くんがそんなことをするとは思えない。きっと、何か事情があるに違いない。うん、そうだよ。そう、自分に言い聞かせているときに、ふと、耳に〝千本桜〟へと誰かが踏み入れる足音が聞こえた。

 綾人くんだ。

 この足音や足運び。それに漂ってくる匂い。確かにそれは綾人くんのものだった。

 でも、と私は首を傾げた。

 違和感がある。綾人くんだとわかっているのに、こう、心に引っかかる何かがあった。それは違和感だろうけれど、何で、彼に違和感を持つのかがわからない。心臓がどきどきと跳ねた。恋い焦がれるようなそんな甘い鼓動じゃなくて、まるでじりじりと得体のしれないものが忍び寄ってきているかのような恐怖を伴う緊張感。

 違和感。

 違和感なの?

 違う。

 違う。

 綾人くんじゃない!

 私は思わず指先を綾人くんが来る方へと向けた。心臓がバクバクとなっている。指先だって震えている。カラスさんが近くにいたのか、警戒するように声を上げた。

 土を踏みしめて、桜の花びらが舞う薄闇の中に現れたのは――間違いなく綾人くんだった。

 でも、


「綾人くん!?」


 綾人くんは、綾人くんじゃなかった。彼じゃない。


「――ふゆくん、何してるの!?」


 彼にふゆくんが憑りついていた。肩越しに、あの人懐っこい笑顔が見える。


『お兄ちゃんと遊ぼうとしたら、なんか、引っ張られちゃって』


 えへへ、と悪戯が見つかってしまった子供のごまかし笑いのような笑みをふゆくんは浮かべた。私は、あ、と気づく。引っ張られた――おそらく、綾人くんの感情に引き寄せられたんだ。

 ふゆくんは、こう見えて、人に引っ張られやすい。彼自身が人懐っこいせいというのもあるのだろうけれど、人の強い感情を受けるとその人に憑りついてしまう傾向があった。私がここで過ごしてきた時間の中だけでも、五人に憑りついている。そのたびに祓ったんだけど、まさか、綾人くんに憑りつくとは思わなかった。

 ただ憑りつくだけなら、別に問題はない。でも、残念なことに問題があった。

 ふゆくんが憑りついた人間は、暴走する。どういう作用かは知らないけれど、彼が憑りついた瞬間、感情のタガが外れる。外れてしまった人は、思いのままに暴走するんだ。

 綾人くんは、きっと、その状態に違いない。

 何かしらの感情が解き放たれて、溢れ出る感情のままに暴走するはずだ。しかも、綾人くんは自分の感情をコントロールができる人だ。つまりは抑制。はっきり言ってしまえば、普段、彼は感情を抑え込んでいる。抑え込まれていたその感情が解き放たれた時、彼はどうなってしまうんだろう?

 私はじり、と後ろへと下がった。


「琴音先輩?」


 綾人くんの低い声。でも、どこか虚ろで、心ここにあらず、という感じだ。


「どこに行くんですか?」

「どこって、どこにも行かないよ? 綾人くんがここに呼び出しんたんでしょ?」


 つとめて冷静に。静かに、語りかける。普段、こういうキャラじゃないって自分で自覚している分、変にぎこちなくなってしまう。

 綾人くんはゆっくりと私に近づいてきた。その足取りはしっかりとしているけれど、視点が合わない分危うさがある。正直、怖すぎた。


「えーと、綾人くん、落ち着こうか」

「オレは落ち着いてますよ?」

「うん、落ち着いてないよね? ふゆくんが憑りついてるの、わかってないでしょ?」

「……ふゆくん? 何ですか、それ?」

「……あらー」


 どうやら思考さえも確かじゃないようだった。早く、綾人くんからふゆくんを引きはがさないと、大変なことになりそう。ゆっくりと近づいてくる綾人くんに、私はじりじりと後退しながら綾人くんの隙を伺う。

 ふと、綾人くんが何かを取り出した。それは、カッターだった。青い本体に、ちきちきと、薄くて鋭い刃が覗いている。その刃が私へと向けられた。


「綾人くん、カッターは人に向けるものじゃないよ?」

「そう、ですか? 使えるものは何でも使わないと」

「でも、カッターを使う必要はないよね?」


 後退する足と、迫ってくる足。次第に詰められる距離に、私の焦りはどんどん煽られていく。正直、こんな展開になるとは思わなかったよ。


「綾人くん、とりあえず、カッターは危ないからしまおうか?」

「何でですか?」

「カッターは危ないから」


 それに、君自身も危ないから、とは言わない。この状況で言えるわけないし。


「……そうですか?」


 綾人くんがカッターを眺める。でも、小首を傾げた。


「でも、仕方ないじゃないですか」

「……何が?」

「だって、一人で生きていくためには、一人で戦わなきゃいけないんです」


 私は思わず黙ってしまう。なるほど、ふゆくんが引き寄せられたのは、感情は感情でも、〝闇〟の部分の感情だ。それに憑りつかれて、暴走しているんだね。

 それに、一人で生きていくため、それはきっと、彼の根幹なのかもしれなかった。綾人くんは今までの仕打ちから人のことが信じられなくなっている。だから、一人で生きていくために、一人で戦おうとする。それを思うと、どれほど過酷な過去を歩んできたのか、私には想像もつかなかった。


「そうだ。オレは一人で生きていかなきゃいけない。人なんて、知らない。いらないし、信じられない」


 ぶつぶつと呟く綾人くん。これはマジで本当に危険な兆候だった。


「ふゆくん!」


 ふゆくんに声をかければ、ふゆくんはのんきにもあくびをしていた。幽霊なのに、あくびなんかするんかい!


『なにー?』

「綾人くんから、離れられないの?」

『うん、なんか、がっしり掴まれている感じー』


 今にも眠りそうなふゆくん。幽霊も眠りたい時ってあるんだー、って感心している場合じゃない。ふゆくんがダメな以上、私が何とかしないといけない。

 そう決意を固めた時だった。

 私の目の前には綾人くんがいて、視界の端でぎらりと輝くカッターの刃が見えた。



 昼休みの時間。オレはクラスにいられなくて、一人、〝千本桜〟へと来ていた。ちらちらと散り始めている桜を眺めながら、オレは自然と溜め息をついてしまった。

 やってしまった。

 そんな後悔ばかりが募る。

 自分の過去を、人生を、あろうことか琴音先輩に喋ってしまった。琴音先輩はオレの話を静かに聞いていて。真摯な表情でオレの話を受け入れてくれた。その顔を時々、痛まし気に歪ませて。

 本来なら、こんな話を人にするものじゃない。

 話せば、それおそらく、自分の弱点となりうるものだから。これから歩いていく人生の、足かせにしかならないから。

 そう思っていたのに、琴音先輩に語ってしまった。

 それは、過去の幻影を見たからかもしれない――なんて、いうことじゃない。

 琴音先輩だったから。

 あの時の女の子だったから。

 琴音先輩には語らなかったもう一つの話。オレは山に置き去りにされて、一人、山の中で闇に怯えていた時だった。そこに、一人の女の子が現れた。山奥に自分と同い年くらいの女の子が一人。それはひどく安心させるのと同時に、ひどく恐怖を駆り立てた。何しろ、山奥に女の子がいるということ自体、おかしいから。

 怯えるオレに、女の子は近づいてきた。そして、オレに手を差し伸べたんだ。


『大丈夫?』


 と。その声には優しさや心配、不安、いろんなものが混ざっていて、何よりもオレのことを心から案じてくれていることがわかって、オレは久しぶりに人の温かさを思い出した。無償の優しさというものを、オレは知ったんだ。

 ただ、それが普通の女の子だったら、それはそれで綺麗な物語として終わるのかもしれない。その女の子は、耳が――狐のような獣の耳が頭からとちょこん、と生えていた。

 明らかに人ではないということがわかった。でも、それでも、オレはこの時、この少女に憧れに近い感情を持った。

 オレの周囲にはいつも、悪意しかなかった。そんなオレにも悪意とか、不信とか、そんな冷たい感情しかなかった。でも、彼女はそれすらも包み込んでくれるような温かい優しさをくれた。オレもこんなふうになりたい。人に悪意ではなく、優しさをあげたいって。

 それは忘れようもない思い出だった。そのはずなのに、彼女に助けられてから、再び一人になって、一人で生きていくようになって、荒んだ日々がそんな温かい思い出も霞ませてしまった。

 でも、このことを思い出して、オレは直感した。

 あの女の子こそ、琴音先輩だと。

 あの女の子と、琴音先輩の面影は重なる。獣の耳だって、同じだった。

 オレは嬉しかった。オレを救ってくれた――人の温もりを与えてくれた女の子と再会したことことに。ただ、琴音先輩はオレのことをすっかりと忘れているようだったけれど、それは別にいい。オレさえ、わかっていれば。

 ただ、オレの立ち位置がぐらり、と揺らいだ。

 一人で生きていく決意をして、他人を利用してきた過去。そして、過去と同じように踏みしめていくだろう、これからの未来。そこには他者の存在はなくて、そこにあるのはただ自分だけ。

 だけど、琴音先輩があの女の子だと知って、オレは――期待してしまった。

 また、琴音先輩に助けられるんじゃないかと。

 辛いこの人生を、あの時のように助けてくれるんじゃないか、と。

 せっかく一人で生きてきて、これからも歩んでいく決意をしたというのに。でも、彼女と会って、その決意が揺らいでしまった。

 そして、あの憧れを思い出してしまったオレは、自分に自信がなくなってきている。本当にこれでいいのか? と。

 だめだ。

 このままでは琴音先輩に甘えてしまう。期待なんてしてはいけない。琴音先輩は、オレの人生に関係なのだから。

 信じられるのは自分だけで、自分一人で生きていかなきゃいけないんだ。

 けれど、ぐらりと立ち位置が――期待に心が揺れてしまった今、このままでは、自分として生きていけなくなる。それはだめだ。――何とかしないと。

こんなにも自分が不安定になってしまうなら、あの時の女の子が、琴音先輩だって気づかなければ良かったのに。なんて、心の中で悪態をついた。そんなことを、微塵にも思っていないくせに。


『どうしたのー?』


 そんな時だった。そこにあの子供の幽霊が現れた。ふわり、と、前触れもなく突然に。一気に空気の温度が下がった気がした。


『ねぇ、どうしたの? 何かあった? ぼくも力になるよ?』


 人懐っこい声色。まとわりつく気配。くすくすと漂う笑い声。


『ねぇ、力を貸してあげようか?』


 だって、と声が続く。


『ぼくたち、もう友達でしょ?』


 その言葉に、さぁ、と血の気が引く。幽霊に友達と言われたこともそうだけれど、オレには〝友達〟とか〝信じて〟とか、オレと人間関係を結ぼうとする言葉がきっと、引き金なんだと、昔からうすうす気づいていた。

 人間嫌いなオレが、人間に不信感を持っているオレが、他人を拒絶するスイッチが、これなんだと。


「ふざけるな! 誰が、お前なんかと友達になるか!」


 それから先の記憶は覚えていない。最近、いろいろとあったから、それなりに心労も積もっていたんだと思う。オレは、考えつく限りの罵倒を、幽霊の子供相手に怒鳴っていた。幽霊の声は途中から消えていて、それに気づくこともなかった。

 それよりも、なぜか、オレの意識は過去を想起していた。

 つらい過去を。親に捨てられたこと、親戚に奴隷扱いされたこと。一人で生きていくために踏み台にした奴の憎しみが浮かぶ顔。いろいろ――さまざまに。

 うるさい。

 オレを馬鹿にするな。

 オレを一人にしろ。

 みんな――いなくなれ。

 そう思った瞬間、頭の中でぷつり、と何かが切れた音がした。何が切れたのかはわからない。ただ、「みんなを、消さないと」という衝動に駆られた。「消す」とはどういう意味なのかはわからない。ただ、「消したかった」。

 そんな時に、琴音先輩のことを思い出した。琴音先輩なら、この衝動の意味がわかるかもしれない。いや、それよりも、琴音先輩の顔を思い浮かべると、琴音先輩のことを思うと、さらに「消したい」と強く想うようになった。

 それが昼休みのことだから、もう二時間くらい前。

 そして、今、放課後となった時間帯。夕闇が〝千本桜〟を覆い、闇と影が作り出す、桜の木の下でオレは気づけば琴音先輩にカッターナイフを振りかざしていた。琴音先輩は、すぐに気づいて、慌てて逃げ出す。


「綾人くん!」


 悲鳴を上げる琴音先輩の声が、どこか遠かった。


「綾人くん、しっかりして!」


 しっかり? オレはしっかりしている。しっかりしているから、このカッターで琴音先輩を消そうとしてるんじゃないか。だって、琴音先輩がいるから、オレはこんなにも不安定になっているというのに。だから、オレはカッターを振り回す。でも、琴音先輩はちょこまかと避け続けた。何で、先輩は避けるんだろう? これじゃあ、琴音先輩をカッターで刺せない(けせない)じゃないか。

 そう思い至った瞬間、オレの思考は一気に冷えた。

 ――え、刺す?

 オレは呆然と、自分の手に握るカッターを見つめた。これを、琴音先輩に刺す? オレは、この刃を琴音先輩に突き立てるつもりだった?

 え、何で?

 だって、オレは琴音先輩を「消そう」と――……。

 ――「消す」? 「消す」ってなんだ? これで琴音先輩を刺せば、「消せる」ということ? つまりは、そういうこと?

 瞬間、オレはぞ、と背筋に戦慄が走った。

 オレは、琴音先輩を消そうとした。違う、殺そうとした? 何の疑いもなく、躊躇もなく、それが当たり前みたいに。違う。それは、嫌だ。だめだ。絶対に、止めてみせる。でも体が言うことをきかない。オレは琴音先輩を傷つけたくない、殺したくない。そう。琴音先輩を殺すくらいなら――……。


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