【4】
『ねぇねぇ、どうしたの? どうしたの? 怒ってるけど、琴音ねぇちゃんと何かあったの?』
何とも楽しそうにその幽霊はオレの周りで騒ぎ立てる。この幽霊の名前は何て言っただろうか? そうだ〝ふゆくん〟だ。そう琴音先輩が言っていた。
オレは頬杖をついて、ぼんやりと黒板を見つめている。そんなオレに誰も声をかけようとしなかった。でも、気配で、それとなくオレの機嫌をうかがっているのがわかる。クラスメイトから見たら、オレが不機嫌そのものに見えるだろう。確かに、オレは不機嫌だった。何しろ、クラスメイトには視えない幽霊に耳元でぎゃあぎゃあ騒がれているのだから。
『ねぇってばー!』
オレはガン無視。今回は声が聞こえるだけで、姿は視えなかった。だから無視をする。こいつのことは視えないし、聞こえないし、そもそも、存在を認めない。いないものはいないのだから仕方がないんだ。だから、無視をする。例え、耳元で騒がれてもな!
オレは声を無視して、昨日のことを思い出す。
昨日はクラスメイトの前で思わず自分の〝素〟が出てしまった。このままではいけない、と誰にも会わないようにと、街へと出た。そうすれば、今のオレのことを知っている奴がいないし、何より、風景に溶け込めるから誰もオレを見つけることができない。その間に、オレは〝オレ〟を保とうとした。オレはオレだと、自分自身に言い聞かせて。
でも、この街へと来たのは大きな間違いだった。
建物と建物の間にある細くて暗い裏路地、そこにいたのは、中学時代ひと悶着あった男子となぜか琴音先輩がいた。オレは影でその二人をうかがった。先輩はオレのことをそいつに訊いていた。綾人はどういう奴なのか、と。それに対して、男子は興奮気味にあることないことを琴音先輩に吹聴していた。そいつがオレを罵倒しているのに、琴音先輩は冷静そのもので、
「綾人くんが、そんなことするわけないじゃない」
きっぱりと、そう否定した。
その言葉を聞いたオレは嬉しさよりも、やっぱり怒りに近い憎しみがあった。お前に、オレの何を知っている、と。知ったがぶるな、オレのことを知ろうとするな、関わろうとするな。あくまでお前とオレは利用するだけの間柄。人間関係としての繋がりはなくて、道具として扱っているだけだというのに。
そう内心で琴音先輩に怒っていると、琴音先輩はあいつに掴みかかられ、殴られそうになっていた。でも、琴音先輩は狐火で対処した。そこまではよかったのだけれど、その不自然な青白い閃光は町の人の目には〝異常〟と受け取った。誰かが「爆弾」と勘違いしたせいで、街はパニックになって――オレは、琴音先輩の前に顔を出した。
どうして、オレのことを知ろうとする? 関わろうとする? オレにとって、それは邪魔でしかないというのに。オレは一人でいたいんだ。これ以上踏み込まれれば、オレが〝オレ〟でなくなってしまう。
だから、オレは琴音先輩を、
「化け物」
そう蔑んだ。
これで琴音先輩が、オレに関心がなくなればいい。そうすれば、オレにまとわりつくことはないはずだ。オレは一人になれる。
彼女なら、「化け物って言わないでよ!」と、頬を膨らませて怒るかと思ったのに、予想とは全然違う表情を見せた。
琴音先輩は――彼女の表情が強張った。目を見開いて、驚愕している。
まるでトラウマを突きつけられた時の表情、だと思った。
嫌な思い出を目の前に突き付けられた時の驚愕、困惑、戸惑い、何よりの恐怖。
久しぶりにオレは「失敗した」と思った。でも、もう遅い。言ってしまったものは仕方がない。それに彼女が傷ついたところでオレには関係ないのだから。
――もうそんなことはどうでもいい。
琴音先輩はもうオレには関係ない。それよりももっと重要なのは、オレがオレ自身であるということだ。
「な、なぁ、綾人」
見るからに恐る恐ると言った感じでクラスメイトの男子が声をかけてくる。
「何?」
オレはできる限り笑顔で返す。その笑顔に安心したのか男子と、周囲で見守っていたクラスメイトたちが一気に詰め寄ってきた。
「もう、どうしたんだよ、昨日!」
「いきなり怒るからびっくりしちゃったよ!」
それは半分、お前たちのせいだけどな、とオレは心の中で毒づいた。一人になりたいのに。でも、どうして、こいつらはオレの傍に来るんだろう? そう考えて、あぁ、そうだった、良い顔をしておけば、みんながのこのこと馬鹿丸出しで来るんだったと、思い至る。
そうだ。
こいつらがオレの傍にいたがるというのなら、〝友達〟だというなら、オレは最大限こいつらを利用してやればいい。使い道なんていくらでもあるんだ。一人になりたいオレにこうして絡んでくるんだ。とことん利用して、捨ててやる。人間関係なんて、そんなものだ。
「もしかして、綾人が怒ってたのって、あの女の先輩のせいか?」
「あー、あのトラブルばかり起こす?」
「そうそう、そういえば昨日、町で見かけたって」
「町で?」
「あぁ、なんか、いろいろと尋ねごとしてたってよ」
「あー、わたし、友達から聞いた! 何でも綾人くんのことを調べてるんだって」
「はぁ? 異常者じゃねぇか」
「ストーカーだろ?」
「何なんだよ、あの先輩」
男子生徒が身を乗り出してきた。
「んー、何だろうな?」
オレは曖昧に笑って返す。確かに、あの先輩は何なんだろう。人間でありながらも、妖狐の血が流れている先輩。そして、なぜかオレの周りでオレのことを探る変な人。
『それは、きみと仲良くなりたいからでしょ?』
声が、くすくすとからかうように言う。もちろん、この声はクラスメイトには聞こえない。
『それを、きみがはぐらかすからいけないんだよ?』
普通にまともなことを言う視えない存在の声。
「どうしたんだよ? 綾人、顔色悪いぞ?」
「え? そう?」
「あぁ、顔面蒼白だ」
それはオレにまとわりつく視えない何かのせいなんだけどな。人間相手なら睨み付けられるが、視えない相手は睨み付けられない。
『ぼく、ここにいるけどね!』
ありがたく、存在を主張されたけれど、無視だ。
「もしかして、あの先輩のせいじゃない?」
「あー、あいつに追いかけまわされてるから?」
「かわいそう、綾人くん!」
「オレたちが何とかしてやるか!」
「え、どうやって? 言ってどうにかなる相手じゃなさそうだけど?」
「そりゃ、脅すんだよ!」
それを聞いてオレは吹き出しそうになってしまう。お前たちみたいな浅知恵で琴音先輩を脅せるのだろうか。それはそれで見てみたい気もするけれど。
オレはにこにこと、いつものように笑みを顔に張り付けた。
「大丈夫だって、みんな! 悪いな、心配かけて」
「何言ってんだよ、綾人!」
ばしん、と背中を叩かれた。胸中で舌打ちをしながら、「え?」とオレはその男子生徒を見る。
「オレたちが何とかする! オレたちを信用しろよ」
――信用?
「そうだよ、私たちが何とかしてあげるからね。信じてて?」
「そうだよ。おれたち友達だろ?」
「信じろよ」
「俺たちのこと」
「信じて」
「信じて」
――信じて、信じて、信じて。
『信じているから』
脳裏によみがえった言葉に、思わずオレは机に拳を思いきり叩きつけた。だん、という大きな音で、教室内が水を打ったようになる。
「うるさい――お前たちに、何がわかる!」
オレは無意識に近くにいた男子生徒の胸ぐらを掴んでいた。
「へ?」
男子生徒は呆けた顔でオレを見ている。そして、クラスメイトたちも。ようやくこの事態を呑み込めたクラスメイトたちの顔に、恐怖の色が浮かんだ。
「あ、綾人くん……?」
「どうしたんだよ……綾人?」
腫れ物に触るかのような雰囲気に、オレは嗤いたくなる。人の機嫌ばかりうかがっているこいつらは、本当に自分の意志というものがあるのだろうか? 周りに同調してばかりで、心にもない言葉を吐くこいつらが、とても嘘っぽく見える。
『あらー、いいの? 本当にいいの?』
場の空気を読むことがない視えない存在が、楽しそうにはしゃいだ。
「うるさい! 早くどこかに行け!」
オレは叫ぶ。
『……わかったよ、いいもん、別に。憑りつくのはきみ以外にもいっぱいいるもん』
すねた声が聞こえたかと思うと、その気配がいなくなる。そうして、静かになった教室には張りつめた緊張感で縛られていた。
オレは怯える男子生徒を突き放すと、まだ昼間だというのにバッグをもって、早退をしてしまった。
私は今日一日、ぐるぐると疑問が回っていた。
どうして綾人くんは〝仮面〟をかぶっているんだろう?
どうして綾人くんの性格は人によって見方が違うんだろう?
そもそも、綾人くんはどういう人なんだろう?
もちろん私には答えなんかわかるはずもなくて。推測もたつこともなくて。
お昼休みに聡明なみーちゃんにそれとなく訊いてみたら「そんなことわかるはずないじゃない」と考える素振りさえも見せずに見事に一刀両断されてしまった。さすがだね、みーちゃん。
だけど、
「もし、そういう風にひねくれた性格になったんなら、昔、ひねくれるほど辛い目にでもあったんじゃないの?」
と、自分なりの推測を披露してくれた。あぁ、なるほど、つまりはトラウマってことですね。
「ちょっと、待ちなさい。そのひねくれたとかそういう話って、もしかしてアンタの男の話? 彼女がいる癖に女を召使いにして、あんたを騙した男のこと? それでひねくれた性格ってとんでもないわね」
それはもしかして、綾人くんのことでしょうか? みーちゃんの中での綾人くんはとんでもない人に出来上がっているようだった。内心でどうしよう、と焦りを浮かべている私のことなんか気にもせずに、みーちゃんは「そういえば」と、話を切り替えた。
「そうそう、昨日、街中で爆弾騒ぎがあったんだって。アンタ、まさか関与してないよね?」
みーちゃんの鋭い勘が発揮されました。関与どころか実行犯の私ですが、みーちゃんの前ではふるふると否定する。みーちゃんは私のことをまだ疑いの目で見てたけどね!
そんな昼間の出来事を思い出しながら、私は夕暮れの道を歩いていた。学校は山の中腹にあるから、帰りは坂道でとても楽。一人でてくてくと歩きながら、夕暮れに染まる通学路を眺めた。
でも、トラウマかぁ、と私はみーちゃんの言葉を思い出した。
ひどい目に遭えば、トラウマとなって、人の人格を捻じ曲げる。
そういうものなのかなぁ、なんて思った。
私も昔、酷い目に遭ったことがある。
私がまだ小さいころ、近所の男の子に幼いながらも恋心を抱いたことがある。ちなみに初恋ね。その男の子と仲良く遊んでいたんだけれど、でも、ひょんなことから私の正体がばれてしまった。私の半分妖狐化した姿を見て、男の子は、
「化け物」
と、泣かれたことがあった。それっきり、私と男の子は疎遠となって、男の子は転校してしまった。唯一の救いは、彼が私の正体を言いふらさなかったことだった。でも最悪なのは、その男の子に「化け物」と言われたことだった。
私って、「化け物」なの?
そんなに怖いものなの?
幼い私は、幼いながらに傷ついた。一時、外にも出られないほどに重症になったことがある。
でも、私はお父さんとお母さんのおかげで、何とか立ち直ることができた。
人間であろうと、妖狐であろうと私は私であり、他者が何と言おうが私は「明日山琴音」であると。
そう自分の中で思い至ったから、こうして生きてこられたけれど。
あぁ、でも、そうか。私にはお母さんとお父さんがいたから、こうして明るく前向きになれた。もし、お母さんとお父さんがいなければ、私は「化け物」というレッテルに落ち込みながら、ずっと、家の中に引きこもっていたかもしれない。
今の綾人くんは、お母さんとお父さんがいなかった場合の落ち込んでしまった私の状態なのかもしれなかった。つまりは、救われていない状態。でも、それでも何とか一人で前に進もうともがいている。
それが、今の綾人くん、なのかも。
そんな彼に私ができることがあるのかな? 私もお母さんやお父さんみたいに、手を差し伸べることができるのかな? 彼を救うことができるのかな? まったくもってわからない。でも、彼を救いたいのは確かな想いだった。
ふと、私は気づく。
私の後ろに誰かいる。距離はあいているが、でも、ぴったりと私の後にくっついている。私が歩く音と、こつこつ、という別の足音が続いた。下校中の生徒かな? と思ったけど、私の第六感が「違う」と言っている。それに嗅覚も、同年代の人の匂いじゃなくて、もっと年上の匂いを嗅ぎつけていた。しかも男。――つけられている。それが、わかったとたん、頭の中がパニックになった。
え、何? 何で、私がつけられているの?
私は歩きながら、後ろの気配をうかがった。ひたひた、と足が私の後を追っている。それに背後にいる何者かの意識も完全に私に向けられていた。
私は人に後をつけられるような変なことをしただろうか? あぁ、でもいろいろとやったなぁ、と思い出す。例えば、昨日の爆弾騒ぎとかね。でも、私のことは誰にもわからないはず。それなのに――微妙な悪事をしでかした犯人気分で罪悪感にどきどきしながら、私は考える。
もしかして見られていた? いや、見られてたなら、爆弾騒ぎどころではないはず。だから、ばれてはいないはずだけれど……。
ぐるぐると考えて、これは危険なことと、私の直感が告げた。危険な予感がする。危険なことが起こりそうな気がする。私は関わってはいけない。でも、それは私の勘違いかもしれなかった。だって、この道は一本だけだからね。そりゃ、歩く道は一緒になるよ。あぁ、でも、私の勘はよく当たるんだけどなぁ。声をかけてみようか? どうやって? 「私の後をつけてますよね?」って? 無礼にもほどがあるよね。勘違いも甚だしいって。じゃあ、どうしよう? …………。よし。とりあえず、逃げよう! ――その本能のままに、私は逃げ出した。




