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三章 半妖狐少女と仮面少年の二戦目語り
日曜日。そのお昼。外はとても晴れ上がっていた。温かい日差しと、窓から流れ込んでくる柔らかな風。ぼう、としていたらうとうとと眠ってしまいそうだった。でも、私はそんなのんきに昼寝なんてできない。気分転換にみーちゃんと遊ぼうかな、と思っても、とても気分転換になれそうなほど気持ちは上がっていなかった。
「何でこんなことに……」
外はうららかな陽気だというのに、私の部屋は私のせいで陰鬱な空気が落ちている。だって、そうでしょう? 彼に「近寄るな」と言われてしまった。そして、何よりもあの冷え切った表情で。それが本気だということがわかるから、私は戸惑っている。困惑していた。
だって、あんなにもいい雰囲気だったのに、その雰囲気はいきなり一変して、剣呑な雰囲気へとなってしまった。まさに天国から地獄。こんなにも私が落ち込むことなんて、今までにないよ? と自慢したいくらいだ。
私はベッドにごろり、と転がる。
「仲良くなりたかっただけなのに、何がいけなかったのかな?」
――そもそも、彼に「友達になりたい発言」をしてから、妙なことになっている気がした(決して私が彼に『好き』発言をしたからじゃない。たぶん)。
私が彼に手を伸ばせば、彼はそれを振り払う。綾人くんが何かしらの〝闇〟を抱えていることはわかっていたけれど、今回ではそれを取り払うことができず。というよりはさらに悪化してしまった。
綾人くんが抱える〝闇〟とは何だろう?
おそらく〝友達〟に関することは確かな気がするんだけど。友達=裏切る、という図式が彼の中にあるくらいだし。
「うーん……何とかしたいなぁ」
綾人くんも、私自身も。一進一退どころか、零進二退くらいなこの状況も。
私はぼんやりと、貴重な日曜日をただ考えることで費やした。
* * *
月曜日。昨日はあんなにも晴天だったのに、今日はあいにくの雨だった。どんよりとした窓の外はしとしとと絶え間なく雨が降っている。あぁ、これだと、桜が散っちゃうなぁ、なんて考えていると、みーちゃんが今日もまた前の席に座りながら、スマホをいじっていた。
「そういえば、琴音」
みーちゃんの視線はスマホに落とされたまま。それでもみーちゃんは続けた。
「ここ最近、変な男がこの学校をうろついてるんだってさ」
「変な男?」
「うん、なんか声をかけられた男子がいるみたい。でも、一声二声かけただけですぐにどっか行っちゃうんだってさ」
「……何それ? しかも女子じゃなくて、男子?」
「そ、男子目当てみたい」
「そりゃ……なんていうか、いろんな意味で危険な人物だね」
男子にとっては物騒な話だね。女子も物騒がるどころか、男子に声をかける男がどういう人物かに興味があるみたいだけど。ま、いいけどね。
まぁ、それも私にとっては関係のない話だった。見つけたらすぐに追いかけて捕まえようとだけ頭の隅で考えておく。それよりも私の頭は綾人くんのことでいっぱいだった。
綾人くんの〝闇〟はいったいどういうもの? それを取り除く術はあるのかな? そのことばかりがぐるぐると頭の中で回っていた。本当なら綾人くんのところに行って、いろいろと聞き出したいところだけれど、「近寄るな」と言われれば私だってさすがに近寄りがたい。
もし、このまま綾人くんに近寄れなくて、このまま一生綾人くんに会えなくなってしまったら? そんなのは嫌だ。助けてあげたい、何とかしてあげたい。
…………。……。
「遠くで見る分にはいいよね? だって近寄ってないし」
「は?」
私が無意識に落とした発言に、みーちゃんは「何言ってんだこいつ」と冷たい目を向けられた。
「アンタ……もしかして、まだ好きな人の召使になっているわけ? 騙されたにも関わらず?」
「え?」
「さっさと別れなさい! そんなのと付き合っていると、ろくなことが起こらない……いや、アンタの場合、付き合ってなくてもろくなことが起こらないわね」
……うん、今日もみーちゃんと触れ合っていると、いつも通りの日常だって思える。よし、頑張るぞ!
遠くから綾人くんの様子をうかがう。彼の日常を見ればもしかしたら彼に関する何かがわかるかもしれない。そうと決まれば、私はすぐに彼の元へと向かう。
誰もが羽を伸ばせるお昼休み。私はお昼ごはんもそこそこに北校舎の1―Aへと向かう。お昼休み時間とあって校舎内は閑散としていた。でも、1―Aだけは何だか賑やかな声が聞こえてくる。私はドアの陰から中をうかがえば、そこにいたのはうん、綾人くんがいた。綾人くんは相変わらず人気者のようでクラスメイトたちに囲まれていた。
綾人くんは笑顔を浮かべている。でも、どことなく、その笑顔はぎこちない。もしかして、昨日のことを引きずっているのかな? 昨日、綾人くんは散々な体験もしたしね。もしくは、綾人くんの中にある〝闇〟のせい? 今も〝闇〟が綾人くんを苦しめているのかな?
わからない。
こうして傍から見ていると本当に綾人くんは裏表のない人当たりの良い男子生徒にしか見えなかった。私は彼の正体――というか二面性を知っているから、その笑顔が白々しく見えてしまうのは致したかないとして。
彼に〝闇〟があるなんて思えない。
違う。
そもそも、彼は何でクラスメイトにそんな表情を浮かべているんだろう? にこにこと当たり障りない笑顔。言うなれば〝仮面〟みたいな。
そう、彼はどうして〝仮面〟なんていうものを、顔に張り付けているんだろう?
確かに彼の本性はわずかに――違うよね、かなり凶暴性がある。それを自覚しているから、あえて〝仮面〟をかぶって日々過ごしやすいようにしている? でも、彼のあの性格からしたら、他人は他人、自分は自分というように割り切っているように見えた。自分の考え方や進む道に、他人がどうこう口出しするな、と逆切れしそうなのに。
わからないなぁ。
どうして、そこまで〝仮面〟をかぶるんだろう?
うーん?
「ねぇ」
「はい!」
背後で声をかけられて、私は思わず飛び上がるように後ろを振り返った。
「あなた、そんなところで何しているの?」
そこにいたのは新入生の女子生徒たち。手にジュースをもって、私を怪訝そうに、まるで不審者を見るような目つきで私を警戒していた。
「……ていうか、あなた、明日山先輩?」
「え?」
「前に、綾人くんにちょっかい出してきた」
「えぇ?」
ちょっかいって! 私はただあのとき、綾人くんに会いに来ただけなのに!
「なに? また、先輩、綾人くんに会いに来たわけ?」
もはやそこに先輩に対する敬意はなかった。敵を見る眼差しかつ、物腰だった。
「前から聞こうと思ってたんですけど、先輩って、綾人くんの何なんですか? そんな風に追いかけまわして、もしかしてストーカー?」
んなわけあるかい。ストーカーは今、我が校の男子生徒を脅かしている男の不審人物のほうでしょうに。
「違う違う! 私は――!」
……私は、綾人くんの何だろう?
召使い? 利害が一致した関係――私が一方的に脅されているともいえるけれど、立場上そうなっている。友達にすらなっていないから友達ではない。他人、というわりには、私は彼の本性を知っているわけだし? いや、彼も私の本性を知っているし。
うん?
「秘密の関係?」
としか、言いようがなかった。いや、私でも何を言っているんだ、と突っ込んだけれど、口から出してしまったものはもう戻せない。
その発言を聞き届けた、綾人くんのクラスメイトの女子は、絶句しているようだった。
「ひ、ひ、秘密の関係……!?」
「うん、まぁ」
別に嘘はついていない。
私は綾人くんの〝仮面〟のことを。
綾人くんは私が〝妖狐〟ということを。
お互い、秘密にしている。詳しく言えば、私の秘密は弱みとして握られているにすぎないんだけどね。
そうだ。それも、まだ謎が残っている。綾人くんは、私の秘密をどうしてそのまま秘密のままにしておいてくれているんだろう? 私が綾人くんの地雷を踏み抜いて、「近寄るな」発言をされた今、綾人くんのことだから、すぐにでもばらしてしまうに違いないと思ったんだけれど、その様子はなかった。
綾人くんのこと、全然、わからないなぁ。そう、心の中でぼやいていると、
「秘密の関係って、何!?」
「どういうことよ!」
私は彼女たちの何かに触れてしまったらしい。女子生徒たちが私に一気に詰め寄ってきた。怖い、怖い! 女子が怖い! 私は脱兎のごとく逃げだす。だって、このままだと何をされるかわかんないもん!
「待ちなさい!」
「追え!」
えぇ、追いかけてくるの!? 綾人くんの人気は絶大だね! 廊下を走って逃げるものの、背後から追いかけてくる足音がすさまじい。本当に恐怖を駆り立てた。
「捕まえて、どういう関係か吐かせるのよ!」
現代の日本は平和だというのに、なぜ日常で身の危険を感じなければいけないのか。というか、捕まったら本当に何されるかわかんないくらいの気迫だよね、これ。絶対に逃げないと!
でも私の走る先に誰かが立ち塞がる。そこもまた女子だった。え、誰、この子たち!?
「その先輩捕まえて!」
「わかったわ!」
恐るべき女子たちの連携プレー。だからなんで日常生活でこんな危険な目に遭わなくちゃいけないのか。
そっちもその気なら、私にだって考えがあります。いや、女子たちの包囲網を潜り抜けるためにはこの方法しかないんだけどね!
私は指先を天高く掲げて、窮地に陥ったヒーローみたいな気分で、必殺技を発動させようとした時だった。
その手をがしり、と強くつかまれた。
「え」
必殺技を出す前に捕まえられるってどういうことなの、自分? ヒーローな気分から一転、悪人がお縄になった心境とはこういうものかと観念しつつ、女子だからひどいことしないよね、と祈りつつ、私の手首を掴んだ女子へと振り向いた。
そこにいたのは、うん、可愛いけれど、男の子がいた。女子でなくて、男の子。
「……」
「何やってるんですか? 琴音先輩?」
男の子は――綾人くんだった。
「あ……」
見つかっちゃった。わぁ、すごい笑顔だよ、笑顔。清々しいまでの人懐っこそうな笑顔。でも、私から見れば私をどう調理してやろうかというコックさんみたいな。煮るのも焼くのも、オレの勝手だろ、と言いそうな感じ。つまりは超怒ってる。
「綾人くん……」
話題となっていた綾人くんの突然の登場に女子たちは困惑しきっていた。
「ごめんね、みんな。オレ、ちょっと先輩に用があるから」
その用は私には嫌な予感しかしないんですけれど。「えー」と不満そうな女子生徒たちを置いておいて、綾人くんは私を半ば引きずる感じでこの場から退散した。




