【9】
綾人くんの心に、何かがいるのがわかった。
それは、いわゆる〝闇〟なのかもしれない。真っ黒で、誰も寄せ付けなくて、心にこびりついて離れない。そんな〝闇〟。
私ははっきり言って、自分の目を疑った。あの時、確かに綾人くんはあの女の子に暴力をふるおうとした。暴力なんてそんな優しいものじゃなくて、きっと、言うなれば〝殺意〟みたいなもの。一気に話が暗くて重くて、血生臭いものになったなぁ。でも、本当にそう思った。きっと、綾人くんはあの女の子を殺すつもりだった。きっと、彼は無自覚だけどね。
だから、驚いた。無自覚に抱く〝殺意〟なんてあるんだって。それに気付けて本当によかった。それを止めることができて、本当によかった。
でも、いったい何が彼の中にある暴力の引き金を引いたんだろう? それがわからない。昨日の帰り道、私は彼と一緒に帰ったのだけれど、彼は何も言わなかった。私がこの雰囲気を払拭したくて一方的に喋っていたのは覚えている。その内容は覚えてないけどね。でも、彼は私に何を言うでもなく、家に帰ってしまった。私はその誰も寄せ付けない背中に声をかけることができなかった。だって、何て声をかければいいというの? その時の私だって、あんなことがあった後だから混乱していたというのもあるけど。
だから、私は彼に「どうして私に嘘をついたの?」と聞きそびれてしまった。それに昨日のことがあって、ますます彼のことがわからない。わかったことがあるとすれば、彼の中に〝闇〟があるということだけ。
――それを、取り除いてあげたい。
彼の中に〝闇〟があるとわかったとき、そんな思いを抱いた。
というわけで、思ったことは即実行、と、私は彼にラインを送った。
『綾人くんへ。突然ごめんねだけど、これから遊ばない? もし拒否したら、家まで押しかけるからねv( ̄Д ̄)v イエイ』
そう送ったのはもう二時間前。つまりは早朝。すぐに既読になって、『オレの家、わかるんですか?』と返された言葉に、私は鼻で笑う。私の嗅覚と第六感を甘く見ないでほしかった。どこにいようと、私は彼を見つけ出せる自信はある。その返事に、彼は『二時間後でお願いします』と返ってきた。用事があったのなら無理しなくていいよ、と言わないのは、意図してやったこと。だって、そう言ってしまったら、きっとまた、彼は私を避けてしまうだろうから。
そんなこんなで待ち合わせ場所は駅にした。
土曜日ということもあって、駅は混雑している。乗車する人や下車する人で、混み合っていた。
今日もまた晴天。でも、少しだけ風が強いかな? でも、春の風は温かくて気持ちがいい。カラスさんも気持ちよさそうに飛んでいる、
私は行きかう人々を横目で見ながら、駅の外でぼう、と立っていた。人が入っていく。そうして、人が出てくる。そのたびに一人ひとり見た。続々と人が出てきて、最後の人だかりが通り過ぎようとした。きっと、この中にいる。そう私の六感が告げて、多くの人の匂いの中に、彼の匂いを嗅覚は感じ取っていた。
「あ」
綾人くんがいた。綾人くんはきょろきょろと見渡して、私がいることに気付いて、振り返った。うん。私服姿も可愛――かっこいいね。Tシャツの上にシャツを羽織って、ジーンズをはいている。うん、ラフでありながらもおしゃれな格好だった。かっこいいというよりは、やっぱり可愛いんだけどね。
「おはよ。じゃなくて、こんにちは、かな?」
「こんにちは、先輩」
綾人くんはにこにこといつものあの笑みを浮かべていない。ぶす、とした仏頂面だった。声もどことなく低い。
「綾人くん、とても不機嫌そうだね!」
「先輩は、元気そうで何よりです」
「それが私の良いところだからね!」
「唯一の取り柄とも言いますかね」
むぅ、綾人くん、本当に不機嫌だ。まぁ、私が呼び出したのだから、当然か。
「それで、オレに何の用なんです」
声が低いし、突き放すような口調が怖いね。
「え、遊びに行くんだよ?」
私はあっけらかんと言ってのけた。本当は彼の心の中にある〝闇〟を何とかできないかと、思ってのことだった。その〝闇〟はどういうものかはわからない。でも、こうして、綾人くんと遊んでいるうちに、もしかしたら彼を助けることができる手がかりが見つかるかも知れないから。
「それなら一人で行ってください」
「一人は寂しいじゃない」
「寂しさを紛らわすために、オレを巻き込まないでください」
言葉の刺々しさが私に突き刺さる。痛い、痛い。でも、めげないからね。
「それに、用事はそれじゃないんでしょ?」
「あ、わかる?」
私は笑う。私のごまかし笑いに綾人くんはとても嫌そうな顔をした。
「それで、用事って何です?」
綾人くんはさっさと帰りたいのか、それとも、早く会話を打ち切りたいのか、たぶん両方だろうけどね、単刀直入に訊いてくる。
「私、綾人くんの友達になりたい」
私も単刀直入に言えば、綾人くんの動きがぴたりと止まった。
友達になってしまえばこっちのものだ。いつだって彼と遊びに行けるし、そうなれば、彼の中にある〝闇〟の正体だってわかるはず。それさえわかれば彼を助けることもできる。それに、友達になれば、私的にも役得だった。いつだって一緒にいられるしね。
私は無言で、綾人くんの返事を待つ。お互いが沈黙したまま見つめあう――はたから見れば睨みあっているのかもしれない――から、通りすがりの人が奇異の目で私たちを見る。
「――それ、前にも言ってましたよね」
「そうだね」
「先輩、オレがしたこと、覚えてるんですか?」
「もちろん、覚えてるよ」
「それでも、オレと友達になりたいと?」
「うん。ダメかな?」
私が一歩近づけば、綾人くんがそれを制するように睨み付けてきた。思わず、私は足を止める。止めるしかなかった。
「怒ってないんですか? オレが先輩に嘘をついたこと」
「え? 怒ってるよ?」
騙されたんだからそりゃ、怒るに決まっているじゃないか。今となっては怒るよりも、気になる出来事が多く増えたから、前ほどには怒ってないけどね。
「……」
綾人くんは何かを黙考している。綾人くんが目の前にいても、私は綾人くんの考えはまったくわからなかった。でも、すごい葛藤していることはわかる。彼にとって、何が最善で、何を回避すべきか、天秤に諮っているようだった。
「もし」
綾人くんは、切り出してきた。
「もし、オレが先輩の友達になってとして、先輩はオレを裏切りますよね?」
「は?」
突然の「裏切るよね?」発言に、私は思わず変な声を上げてしまった。いきなり、何を言うんだこの子は? もしかして、ずっと、そのことを考えていたのかな? 私と友達になった瞬間に、すぐに裏切られると。その危惧と不安を計算していた。
そもそも友達になるのに「裏切られる前提」で考えることなのかな? 私はそんなことは考えたことはない。むしろ、友達になればどんな素敵なことが起こるのかしら、と、夢を見るくらいだ。「裏切る」なんて、考えたことはなかった。
でも、綾人くんはそのことを重点にして考えているらしい。
もしかして、これが綾人くんの〝闇〟なのかな? 人に対して〝裏切られるかもしれない〟という不安をいつも抱えている――それが彼の〝闇〟。
……そうだとしたら、辛いよね。いつも誰に対しても懐疑心しかないというのは、私の想像を絶する生き方だ。辛い、というか、疲れる、のかもしれないけど。
もし、私が彼にできることがあるとしたら、何だろう?
そんなことは簡単だ。
「私は裏切らないよ」
きっぱりと言う。これが私の答えだ。言葉だけでは彼には届かないかもしれない。でも、私の意志を表に出しておくことが大切だ。私は絶対に彼を裏切らない。彼は私を信じないかもしれないけれど、それはそれでいい。私は彼のことを信じるから。いつか、彼が私を〝友達〟として認めてくれることを、私は信じている。
「私は絶対に裏切らない。あなたが困っているとき、私は必ず助けるよ。たとえ、どんな時でもね」
綾人くんは私の本音に、目を見開いた。けれど、すぐに訝し気に目を眇められる。うーん、手強いなぁ。
もう、誰もいなくなった駅構外で、私たちはまた見つめあう。恋人同士の色っぽさはなく、ただ、お互いをどうするべきかという勝負するかのような睨み合いだった。
「本当ですか?」
綾人くんが、微笑む。あの笑顔だった。可愛くないあの笑顔。私の前で見せる素の顔でもなければ、クラスメイトの前で見せるような作り物の笑顔じゃない。あの、私に嘘をついて、置いてけぼりにしたあの笑顔だ。
今ならわかる。
それは、拒絶の笑顔だ。
そして、それは私的には挑戦状そのものだ。挑戦状を叩きつけられたのだから、私は彼の勝負に――疑心に勝たなければいけない。
「じゃあ、お願いがあるんですけど」
「何?」
「オレ、今、とても困ってるんですね」
その笑顔で、何を言うか。さして困っている様子でもない綾人くん。どちらかというと、この挑戦状に私がどう動くかを観察するかのような眼差しだった。
「困ってること?」
「はい。川の近くに公園があるじゃないですか」
「公園? うん、まぁ」
山の中腹にある玖高の通学路には大きな川がある。もちろん、学校に行くためにはその川――橋を渡る。その橋の近く――河川敷を下りたところに大きな公園があった。中央に噴水がある、大きな児童公園。この町のその大きな公園はいわゆる憩いの場になっていて、今の季節なら桜が満開で花見には絶好の場所だった。
いったい、そこに何があるというのだろう。
「そこの噴水に、オレ、落とし物しちゃったんですよ」
――これは、おそらく嘘だ。と思う。だって、彼はそんなところには滅多にはよらないだろう。だって、彼の帰り道にその公園はない。その公園を通って、駅まで行くなら、かなり遠回りになるから。友達と寄り道して、そこで遊んだっていうなら話は別だけどね。だから、それは本当なのかもしれない。――結局、私は彼のことを全然知らないんだな、と改めて痛感。
「噴水に、何を落としたの?」
「キーホルダー」
「キーホルダー?」
「はい。犬のマスコットがついた、家の鍵です」
「え、家の鍵!?」
「そうなんですよ。それがないと、オレ、家に帰れなくて困るんですよね」
「……」
私は考える。きっと、嘘だ。だって、綾人くん、家からここへと来たんでしょ? あ、でも、本当かもしれない。いや、私は言ったじゃないか。彼を信じると。困っているなら、助けるよ、と。
「わかった! 私が助けてあげる!」
「期限は午後四時までです」
「え、時間制限あるの!?」
「はい。オレ、四時までに帰らなきゃいけないので」
まじですか。私はスマホで時間をチェック。今は午前十一時を過ぎたあたりだ。うん、まだ時間的には間に合う。
「うん、四時までね。わかったよ」
「じゃあ、オレ、ここで待ってるんで」
「え、何で? 綾人くんが来ないとどんなキーホルダーかわからないよ?」
「写メで送ってください。……あぁ、それと、大丈夫ですよ、今度は放置しないんで。オレは近くの商店街に用事があるんで、そこにいます」
「……うん。わかった」
私が頷くと、綾人くんはさっさと行ってしまう。背中越しでひらひらとのんきに手を振りながら。
「――よし」
やるしかない。綾人くんが困っているというのなら、私は助けるよ。
私は公園へと向かった。




