【7】
綾人くんは何で来なかったんだろう?
もしかしたら彼に何か用事ができてしまったのかもしれない。もしかしたらここへと来られない不可抗力な事態に巻き込まれてしまったのかもしれない。そう考えれば、この苛立ちやら落胆が少しでも気がまぎれるのだけれど、どうしても、彼に「騙された」という考えがぬぐいきれなかった。
例えばあの彼の見たことがない笑顔。それはもしかしたら「嘘をつく」時の笑顔だったのかもしれない。例えば、「友達」という言葉に妙な反応された時、すでに、彼は私と距離を置こうとしたのかもしれない。
そんなことを考えたって、答えなんてわかりはしなかった。だって、私は彼じゃない。少なくとも、彼のクラスメイトより彼のことを知っているけれど、でも、出会って数日、彼のことなんてわかっているなんて言う方がおこがましいものだと思う。
私は、彼のことを知らな過ぎた。
わからないことだらけ。
それなら、私がとる行動はただ一つ。
――彼のことを知ろう。
それだけだ。
翌日。空はあいにくの曇天模様。でも、明日の土日は晴れるという。それなら、今日の学校生活は何とか乗り切れそうだった。
今日もクラスはがやがやと騒がしい。元気なのはいいことだけれど、暗鬱とした私の気分にその騒がしさはちょっと辛かった。
いつも通りに私の前の席に腰かけている桐戸美月ことみーちゃんは、でも、今日はスマホをいじらずに頬杖をついている。その綺麗な顔に浮かぶのは、どこか不機嫌さ。その鋭い眼差しも、どこか胡乱気に私を見ていた。
「馬鹿じゃないの」
今日も手厳しいですね、みーちゃん。
「当たり前。アンタ、あの後、ずーっと待っているつもりだったの?」
「返す言葉もないです……」
昨日、私はずっと綾人くんを待っていた。すでに夜となって月がぽっかりと浮かんでも、私は待ち続けていた。でも、暇は暇だった。待っているのもつらいな、と思った私は、みーちゃんとラインした。それで、ラインでの私の様子がおかしいことに気付いたらしいみーちゃんが、「どうしたの?」と切り出してきて。もう夜となり「綾人くんにもしかして騙された?」と思い始めた私は、その疑念を誰かに聞いてもらいたくて、みーちゃんにラインで説明したら、すぐに電話でかかってきた。その時の一言目は「馬鹿じゃないの」と怒られて、さっさと帰れと説教を受けて、でも綾人くんを待たないと、と言った私に「馬鹿じゃないの」とまた怒られて――再三、みーちゃんに説教された私はすごすごと家に帰った。あの後、綾人くんが来たんじゃないかと、落ち着かなかったけれど、私は私で疲れていたらしくベッドに入ったらすぐに寝てしまった。
そうして、登校して今に至るのだけれど。
「ばか」
「う……、そんな風に言わなくても」
「仕方ないじゃない。何で、アンタは馬鹿なの。どう考えたっておかしいじゃない」
「わかってるよ!」
「わかってないから、言ってるんでしょうが」
みーちゃんの目がとても怖いです。本気で怒っているのがわかる。みーちゃんはとても冷静で知的で、周囲からはよく「冷たい人間」だと思われがちだけど、本当はとても優しいことを知っている。みーちゃんが怒っているのだって、私を心配してくれているからだ。
「馬鹿じゃないの」
昨日から、みーちゃんからその言葉しか聞いてないよ。
「それでアンタを騙した奴はどこのどいつ? もしかして、琴音を召使いにしようとした男?」
みーちゃんは鋭く切り出す。私はそれに言葉が詰まった。どこのどいつ? 簡単に名前を教えることはできるけれど、そこに至るまでの経緯を訊かれればきっと私は墓穴を掘って、喋ってはいけない部分まで説明してしまうはずだ。そうなれば芋づる式に私の〝正体〟まで言わなくてはいけなくなり、みーちゃんとの友達の輪が切れてしまうかもしれない。それは嫌だった。
「ごめん、みーちゃん、それだけは言えない」
「どうして?」
「……」
どうして、と言われても、答えられない。私の嘘が上手ければ、話をごまかすことだって、そらすことだってできるのに。残念ながら、私は器用な人間じゃない。嘘をつけば、すぐにばれてしまう。
みーちゃんは押し黙る私を、目を細めて見つめる。お互いに沈黙だ。その沈黙を破ったのは大きな溜め息をついたみーちゃんだった。
「……わかったわ。聞かないであげる。でも、危ないこととかあったら、すぐにあたしに言いなさいよ?」
協力してあげるから。そう言うみーちゃんの目には本当に心配そうな色が浮かんでいた。みーちゃんはいつもきついことを言うけど、それでも優しい女の子だ。そのみーちゃんがそこまで言ってくれた。だから、こんなところで綾人くんに負けている場合じゃないんだ。
「ありがと、みーちゃん! 私、必ず陥落させてくる!」
「え、何の話よ?」
もちろん、それは綾人くんの話。昨日のことを話して、綾人くんともっと喋って、彼のことを知って――友達になるんだ。訳も分からずにいるみーちゃんの前で私はスマホを取り出す。そして、ラインでメッセージを送った。
『放課後、そちらへ参ります(^_-)-☆』
「待っててよ、必ず仕留めてみせる……!」
笑う私に「アンタ、何してんの?」というみーちゃんのあきれた言葉は無視しといた。
やっと、一週間の最後の授業が終わり、帰りのホームルームを終えるとカバンをもって、一目散に教室から出た。向かう先は北校舎の1―A。そこが綾人くんのクラス。
今日は曇り空だから、夕方のこの時間帯はいつもより薄暗かった。どこかひんやりとした空気さえ漂っている。
でも、今の私には関係ない。曇りだろうと、雨だろうと、たとえ、妖が出ようと、私は今日、彼と戦うんだ。その一心で廊下を走り、外の渡り廊下を抜けて、ようやくたどり着いた北校舎。廊下にはすでに帰宅し始めている生徒たちでいっぱいだった。1―Aのクラスのみんなは、突然現れた二年の闖入者に驚きの目で見ている。
私はみんなの視線をはねのけて、中に入ろうとした瞬間だった。
まるでタイミングを見計らったかのように、目の前に綾人くんが現れた。お互いびっくりして、お互い無言で、お互いの目を見つめている。そんな異様な雰囲気を、1―Aの生徒たちは遠巻きに見守っていた。
「えーと、琴音先輩……?」
先に正気に戻ったのは綾人くんの方だった、困惑気味に綾人くんは首を傾げた。まるで昨日のことがなかったようだった。白々しいね。
「綾人くん!」
「はい?」
「一緒に帰ろう!」
大声で綾人くんを誘えば、綾人くんの視線がクラスメイトたちへと一瞬だけ見る。その一瞬で彼が何を考えたかはわからなかった。でも、その一瞬で彼は彼のすべきことをすでに悟ったようだった。
「……先輩、残念ですが、今日は先約があるんです」
その先約は私では? と言いたい。ラインも送ったしね。でも、綾人くんの目が「さっさとどけ」と私に言っている。
これで確信した。彼は意図的に私をあそこで待たせたということを。彼の目には罪悪感も反省もない。ただ、「面倒」「邪魔」そんな色が見て取れた。
おそらく、昨日、私は綾人くんにとって「邪魔」でしかなかったのかもしれない。それがどういうきっかけで、そうなってしまったかはわからないけれど。
でもおかげで私の心はよけいに硬くなる。
許すまじ。そして、絶対に友達になってみせる――と。
綾人くんは私の決意などつゆ知らず、私の脇を通り過ぎていく。
「さようなら、琴音先輩」
――誰が簡単にさようなら、と言わせるか!
私は綾人くんを追おうとした。でも、私の前に、何かが立ちはだかる。それは人間の壁だった。男子と女子が、私の行く手を阻むように立っている。見る限り、おそらくは1―Aの生徒たち。綾人くんのクラスメイトだ。綾人くんのクラスメイトの私を見る目が、非常に恐ろしかった。まるで敵を見るかのような目つき。私、何かしたかな?
「先輩、何で、綾人を追いかけまわすんですか?」
一人の男子生徒が代表という感じで、一歩前に出た。敵を見るかのような視線は相変わらずで、言葉もとりあえず私を先輩として立ててはいるけれど、でも、言葉からも敵愾心というものが刺々しく存在していた。
「追いかけまわすって……」
追いかけまわしている自覚はないんだけど。あれ? でも、友達になるためにここまで来たのだから、やっぱり追いかけまわしているのか? あれ、まるで私がストーカーみたいな危険人物になりつつあったりする? いやいや、そんなことにはならないよ。うん。
「あいつの傍には行かせませんよ」
わぁ、現実にこんなセリフを聞くなんて思いもしなかった。
でも、綾人くんはみんなに好かれているんだね。……彼が「良い子」の仮面をかぶっているのは置いておくとして。彼はみんなに守られるほど人望がある。すごいことだ。しかし、この場合、感嘆としている場合じゃないよね。だって、彼らは綾人くんを守ろうとしている。たいして、私は綾人くんを追いかけている立場だ。
どう見たって、彼らにとって、私は危険人物だよね。
あはは。でも、私はこんなところでめげたりはしない。挫けやしない。1―Aのクラスのみんなに嫌われたって別にいい。
私は綾人くんと友達になりたいんだ。
くるり、と後ろへと方向転換する私。彼らに背を向けて、走り出した。
「あ!」
誰かが「止めろ」という声が聞こえたけど、聞こえないふり。だって、私は一刻も早く綾人くんに追いつかないといけないからね。どんな手だって使うよ。
そう、どんな手だってね。
私は軽く指をこすり合わせる。小さくね。そうすれば、ぱん、という破裂音とともに、青い閃光が弾けた。
「わぁ」
「な、何だ!?」
目くらましなら、この程度で十分。逃げるのだって、それで十分に事足りる。
私はこの北校舎から東校舎へと通じる渡り廊下へと出た。そこから東校舎を経由して、中央校舎へ。そこから、再び西校舎へと行く。
走っていて、私は疑問に思ったことがあった。
私は綾人くんに意図的に避けられている。もしかしたら嫌われているかもしれない(嫌だけどね)。それなら、どうして綾人くんは私の狐姿を流出しないのだろうか。それを周囲へと流してしまえば、私は否が応でもここから立ち去らなくてはいけなくなるというのに。でも、彼はそこまでしない。ということは、そこまで私は嫌われていない? まだ、彼の「召使い」として利用されようとしているのかな?
それにどうして、綾人くんは私を置いてけぼりにしたりするなんて、ひどいことをするんだろう?
いや、そもそもどうして「召使い」とか、彼は求めたんだろう? 私から見れば彼は人望だってあるし、それなりの人付き合いはしているはずなのに、どうして、自分の「手足」を作りたがる?
疑問は際限なく湧いてくる。わからないことばかりだった。でも、綾人くんと会って、話し合えばそれはわかることだ。今は綾人くんを追いかけるしかない。私は綾人くんの匂いを探した。




