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半妖狐少女と仮面少年の恋語り  作者: ましろ
二章 半妖狐少女と仮面少年の一戦目語り
12/37

【6】


 私は私の失態によって、綾人くんに嫌われた。違う違う。その可能性があるだけだ。もう口もききたくないぐらいに、怒ってしまっただけなのかもしれない。それはそれで嫌だけど。でも、そっちの方がまだ挽回できるチャンスがいくらでもあった。

 授業が終わって放課後、私はみーちゃんと別れて、正門前で綾人くんを待っている。夕焼け空の下、ぞろぞろとみんなが帰っていった。その下校する生徒たちの中で一人、私は仁王立ちをしている。

 近くの木にはカラスさんが羽を休めていて、黒い目がきょとり、と私を見た。まるで「大丈夫か」と言うように。それに私は頷いて見せた。絶対に大丈夫!

 これは戦いだ。そう、私と綾人くんの、仲直り合戦。どちらかというと私の失敗で綾人くんを怒らせたのだから、仲直りとかそういう問題じゃないとわかっている。私がひたすらに謝罪をして、綾人くんから許しをもらうだけ。その文章だけ見ると、主従関係じゃなくて、失敗した部下が上司に平謝りをしているイメージがあるけれど、でも、まぁ、そんな感じ。上司から許しをもらえなければ、そこから先は進めない。それは仕事とか抜きにしても、人間関係上同じだと思う。許してもらえれば、――受け入れてくれれば、繋がりは続く。逆に言えば、許してくれなければ、人間の縁は途切れたままだ。

 私はそれが嫌だった。綾人くんとすれ違っているこの状態では先へは進めない。私は、彼と仲良くなりたい。主従関係とか抜きにして、対等な人間同士で付き合いたい。……あわよくば、それ以上の関係にとは言わないけどね。さすがの私も「ま、いっか」ではすまさない。だから、私は戦うんだ。

 むん、と意志を燃やす私を遠巻きに見つめるみんな。今の私に近寄ると、痛い目に遭うぜ? なーんて、心の中でほくそ笑んでいると、ふと、何かの気配を感じた。何かがいる。何がいる? 私は微動だにできず、ただ、棒立ちになった。気配が近い。そう、間近に。私がもっとも苦手とする気配が。

 そんなときに、私を通り過ぎようとした女子生徒が「きゃー!」と悲鳴を上げた。


「可愛いっ! 猫がいるーっ!」


 心から嬉しそうに上げられた黄色い声に、私は足元を見る。そこには私の足元にまとわりつく、三毛猫がいた。猫は私の体に、その細くて毛むくじゃらな体をこすりつけて、私を見上げる。


「にゃーん」


 なんて、甘えた声を上げた猫。対して、私は喉から悲鳴がせり上がった。顔の筋肉も引きつって、思考が凍り付いたように停止。

 猫は私の様子に気付きもせずに、しっぽをぴん、と伸ばしながらこすりこすり。私の足元にまとわりつく。

 私は思わず手を上げた。その指先を猫に向けて――、


「あー! 琴音先輩、何やってるんですかー?」


 ぱちん、と指を弾こうとした瞬間、誰かが私へとタックルをかました。「ぐふ」と女子にあるまじき悲鳴を上げた私。だって、本当にすごい衝撃だったんだもん。私にタックルをかました不届き者は誰? と、睨んだ先にいたのは、人懐っこい笑顔を浮かべている綾人くんだった。


「やっほー! 琴音先輩!」


 ひらひらと手を振って、見事に爽やかな笑顔を浮かべる綾人くん。ちなみに、副音声では「何やろうとしていたんだよ、てめぇ」と聞こえた。きっと、聞き間違えてはいない。


「あ、綾人くん! どうして、ここに?」

「先輩が見えたから、思わず駆けよっちゃいました」

 ――お前が全校生徒の前で狐火を出そうとしてたから、止めてやったんだよ。

「そ、そうなんだー」

「はい! 琴音先輩って、どこにいても目立ちますよねー」

 ――面倒くさいトラブルばっかり起こしてんじゃねーよ。

「そう、かなー?」

「そうですよ、自覚ないんですか?」

 ――今度騒ぎを起こしたら正体ばらす。

「あはははは」

「あはははは」


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。副音声で、すごい怒られてるよ、私。綾人くんがあんなにも人懐っこくて、あどけない可愛い笑顔を浮かべているのに、どうしてかとても黒い笑顔に見えるよ。正体を知っているって、本当に怖いね。


「ところで先輩、一緒に帰りませんか? せっかくここで会ったんですし」

「え、いいの?」

「はい。オレと帰るの、もしかして嫌ですか?」


 断ったら、どうなるかわかってるんだろうな、という声が聞こえます。


「よ、喜んで!」


 私は頷く。綾人くんを待っていたわけだし、二人きりで帰れるなら――しかも綾人くんから誘ってくれたんだし、僥倖(ぎょうこう)とはまさにこのことだと思う。でも、綾人くんの目が笑っていない。僥倖どころか、もしかしたら凶兆かもしれなかった。


「さ、行きましょうか」


 綾人くんはにこにこと笑いながら、先を歩く。私は、いまだ彼の召使い。


「イエス、サー!」


 私に逆らえる権利なんて、あるわけがなかった。



 夕暮れに染まった道は赤くて、でも、光が届かない場所はすでに暗闇に包まれてしまっている。玖高は実は山の中腹にある。山と行っても、小さな山。空に近いから夕焼けの日差しが届きやすくて、同時に、夕日に染まった下界を一望できるという下校時ならではの役得があった。登校するときは山道だから当然坂なわけで登りはとてもつらい。でも、下校は下りだからとても楽ちんだった。

 私と綾人くんはその下り道を無言で歩いている。綾人くんにもう笑顔はない。どこか仏頂面で私の前を歩いていた。醸し出す雰囲気もどことなく不機嫌で、「声をかけるな」オーラが出ている。

 そんなわけで私もつい口を閉ざしてしまう。本当は早く謝って、仲良くしたい気持ちでいっぱいだった。でも、そんな様子の綾人くんを前にすれば、声をかける勇気がしぼんでしまう。このままじゃいけないということくらいわかっている。えぇい、何とでもなれ。勇気ではなく、自暴自棄という無謀で私は口を開いた。


「綾人くん、ごめんなさい!」


私は道の往来で綾人くんに頭を下げる。綾人くんの足がぴたり、と止まった。


「……それは、何に対してのごめんなさい?」


 振り返った綾人くんは笑顔を浮かべているけれど、目が全然笑っていない。これが本当の綾人くんだ。そのことが、よくわかる。


「えーと、犬の妖とか、その、パンとか買ってこれなくって……それに、綾人くん、お昼ごはん食べてないでしょ? その、お昼抜きになっちゃった形で、本当に申し訳ないと……」

「ちゃんと昼飯は食った」

「え」

「クラスメイトからいろいろともらったんだよ」


 クラスメイト。綾人くんが言うと、何だろう、どこか他人めいた響きがある。友人ですらなく、知人ですらなく、ただのクラスメイト。同じ空間で勉強をして、生活している赤の他人というニュアンスだ。

 いつも綾人くんは友達の輪の中心にいたのを思い出す。笑っていて、楽しそうで、見ているこちらがその輪の中に加わりたいと思うくらいに。だから、そのイメージと言葉のギャップに、私は変な違和感を覚えた。


「綾人くん」

「ん?」

「学校、楽しい?」

「……――」


 綾人くんは答えない。その眼差しはとても冷ややかだった。「何を言っているんだこいつは」という目で私を見る。それが答えなんだと、私は――……何だろう? 残念なのかな、それとも悲しいのかな、妙な気持ちだった。


「なぁ、琴音先輩?」


 綾人くんは相変わらず笑みを浮かべているけれど、その笑みがなぜか邪悪なものを帯びたものになる。え、嫌な予感しかしなかった。


「これ、なーんだ?」


 そう言って、綾人くんが私へと差し出したのは、猫だった。


「ひ」


 しかも、校門前で私に懐いてきたあの三毛猫。綾人くんは猫の前足の脇に手を差し込んで、猫をぶらん、と持ち上げていた。


「な、ななな……っ」

「へぇ、猫、嫌いなんだ?」


 意外そうに言う綾人くんに、猫は答えるように「にゃーん」と鳴いた。何故、鳴く……!


「ど、どうして、綾人くん、猫連れてきたの……!」

「あぁ、琴音先輩が猫に対して変に挙動不審だったから、気になって連れてきた。でも、これで確信した」

「何を……?

「琴音先輩って、猫、嫌いなんだ?」


 うわぁ。綾人くん、とても可愛い笑顔を浮かべた。しかも私が見た中でとても極上の笑みだ。無邪気で、純粋な、そんな子供のような笑み。それは裏を返せば、面白いおもちゃを見つけた時のような、子供のような笑みでもあって。あれ、私、やばくない? その危険すぎる笑顔に、私は一歩、身を退いた。


「べ、別に、怖くないよ?」

「目が泳いでいるし、声も裏返ってるけど?」


 ほら、と綾人くんが私に猫を近づける。目と鼻の先に、猫の顔が。じ、とその目が私を見つめて、「にゃあ」とまた鳴いた。


「あー、今日も実にいい天気で、素晴らしい一日を迎えることができました! 明日も素晴らしい一日を送れることを心から祈っております!」

「笑顔で何言ってんだ、お前?」

「さぁ、さっさと帰って、早く寝よう!」

「待て、こら」


 がし、と肩を掴まれる。えぇい、現実逃避している私を、どうしてそっとしておいてくれないのかな!?

 でも、私の鼻先に猫の鼻づらがくっつきそうなくらいに、綾人くんは猫を近づけてきた。わ、猫だ☆ そう思った瞬間、私の意識はふわ、と遠のきかける。


「おい、猫を近づけたくらいで気絶するな!」


 綾人くんの必死な声に、私は我に返って思いきり綾人くん(猫)から距離をあけた。


「その猫、お願いだから、どこかにやって!」

「……」

「いやいや、そんな薄ら笑いはいいから!」

「……」

「ちょ、やめ、猫ぉっ!!」


 私の悲鳴が夕暮れ空にむなしく響き渡る。それからしばらく綾人くんに遊ばれて、ようやく解放された。く、私はこの怒りを決して忘れないからね! そうぎろり、と綾人くんを睨み付ければ、綾人くんはじ、と私を見つめている。笑顔すら浮かべない、無表情で。その吊り上がった目が、ぱちり、と一回だけ瞬きをした。


「なぁ、どうして琴音先輩は猫、苦手なんだ?」


 からかう風でもなく、遊ぶ風でもなく、ただ純粋に疑問に思ったからかのように綾人くんは口にする。そう、じっと観察するかのように、私の一挙一動、見逃さないように。

 その質問には、私は言葉が詰まる。

 私は猫が嫌いなんじゃない。苦手なんだ。その理由を言ってしまえば、きっと、それこそ、綾人くんの思うつぼだ。私は一生綾人くんにからかわれながら生きていくことになるかもしれない。……そこまでの縁があればだけどね。


「べ、別に何でもいいじゃん。綾人くんこそ、どうしてこんなことするの?」

「不思議だから」

「不思議?」

「そう。あんたは妖なのに、どうして猫をそんなに怖がるのかがわからない。だから、知りたいと思ったから訊いてみただけ」

「……知って、どうするの? それで私をいじめるつもり?」

「そうして欲しいならそうするけどな。――どっちかというと、ただの興味だよ、本当に。まぁ、琴音先輩の苦手なものを把握しておけば後々有利になるな、と思ったことも確かだけど」

「鬼め」

「妖怪に言われたくない。ほら、黙ってないでさっさと理由を言え。明日から猫を二匹連れてくるぞ」

「悪魔め!」


 私の猫嫌い――動物嫌いの理由を吐かせたいらしい。可愛らしい少年の皮をかぶった悪魔め! 私をいじめるとどうなるかわかってるでしょうね!


「お前、今、オレを馬鹿にしたろ?」


 綾人くんがずい、と猫を私に押し付けようとする。私は半歩どころか大きく身を退いた。


「してないから!」

「嘘つけ。さっさと吐かないと、猫を抱かせるぞ」

「ひぃ!」


 猫がにゃーん、なんて、可愛らしく鳴く。でも、私から見たらそれは舌なめずりをしたあくどい顔にしか見えなかった。私は観念して、口を開く。


「猫じゃなくて、私は動物全般が苦手なんだ」

「へぇ?」

「ほら、動物って人間よりも敏感なんだよね。だから、私の中に流れている妖狐の血を察知しやすいんだ。だから、動物は私にべったり懐くか、思いきり嫌われるか極端に分かれるんだよ。そのせいでいつ妖狐であるかばれるかひやひやしちゃって……」


 理由はそんなところ。つまり、動物は私の正体にいち早く気付くから、その動物たちを見た人が私に対して疑惑を向けるかもしれない。だから、私の正体を知る動物が苦手なんだ。


「ふーん?」


 綾人くんは特に何も言うことなく、猫を地面に降ろす。本当に何も言うことはないのかな。あんなにも私に弱点を吐かせようとしたクセに。

 猫は「にゃあ」と一声鳴くと、さ、とどこかへと行ってしまった。その後ろ姿を見送って、綾人くんは動き出す。私も猫がようやくいなくなったことで、胸を撫で下ろして、綾人くんの後を慌てて追う。慌てているせいで足元に注意すら払えず、私は間抜けにも何かに躓いてしまった。


「わ、わわっ!」


 私の悲鳴に綾人くんが振り返ったのがわかった。でも、私はようやく立ち止まってくれた綾人くんに嬉しさを感じる暇もなく、そのまま前傾姿勢で倒れこみそうになった。


「……」


 近づいていた地面は、でも、衝突することもなく、視界はぴたり、とそこで止まったまま。何が起きたんだろう、とようやく思考が回転し始めて、私は綾人くんに体を支えられていたことにようやく気付いた。

 綾人くんの腕が私の体に回されている。体温や、その存在の重みが、私の制服越しに伝わった。近い。かなり近い。というか、密着していた。これは、何ていうか、恥ずかしい! 確かに、好きな人に抱きしめてもらえたら、なんていう妄想を抱いたことはあったけれど、実際にこうして抱きしめられると(どっちかというと抱き留められたんだけどね)恥ずかしすぎる! 密着するって、こんなにも恥ずかしいものなんだ。

 私はあまりの気恥ずかしさに、ぱ、と綾人くんから離れた。綾人くんは何とも思ってないのかな? 特に表情には何の変化もない。無表情――いやいや、どちらかというと、不機嫌だった。


「あ、ありがとね、綾人くん」

「別に」


 綾人くんは言葉少なにそっぽを向いてしまう。そのまますたすたと歩いてしまった。その後ろ姿が何だか笑ってしまう。私から見たら何だか照れているように見えたからだ。もしかしたらそれは気のせいかもしれない。本当に何とも思っていないのかもしれなかった。それはそれで、ちょっと残念だったけどね。


「もー、綾人くんってば、やっぱり男のなんだね。女の子をさりげに助けるって、かっこいいと思うよ!」


 綾人くんに助けられたことか、それとも、好きな子に急接近したせいかはわからないけれど、私は妙にハイテンションになっていた。あの怖い綾人くんを前にしても、今なら余裕で乗り越えられる勢いで、私は綾人くんに絡んでしまった。


「琴音先輩、うざい」


 その罵倒すら、笑えてしまう。これも慣れない体験をしたからだろうか?

 やっぱり、ご主人様と召使いの関係は嫌だ。普通の関係になれないかな。異性として付き合いたいとまでは言わない。ただ、友達として始められないかな。


「ね、綾人くん」


 私はハイテンションに身を任せたまま、先を行く綾人くんの前へと回り込んだ。綾人くんは、とても嫌そうな顔をしていた。ふん、今の私は無敵だよ?


「何? 琴音先輩?」

「私たち、友達になれないかな?」


 友達になりたい。その思いのままに、私は綾人くんへと言っていた。綾人くんは目を見開いて、固まった。そして、そのまま押し黙る。その反応は予想外だ。「友達になろうよ」と快く受け入れてくれるとは思わなかったけど、「ふざけるな」くらいには言われると思っていたのに、何も反応がないとは。何の前触れだろう?


「友達……?」


 綾人くんは私の言葉をようやく呑み込めたかのように、どこか苦々しく繰り返した。


「友達、ねぇ」


 もう一度、呑み込むように言う。ちゃんと呑み込めたかな? でも、呑み込めた割には、どこか反応が悪い。


「綾人くん?」

「琴音先輩」


 私の言葉を遮るように、綾人くんは言った。


「少し、ここで待っててもらえますか?」

「え?」

「待っててくれたら、オレ、友達になります」


 笑顔で綾人くんは言った。その笑顔は、見たことがない。クラスメイトの前で笑う綾人くんの顔と、私の前でいる素の綾人くんの顔。どちらとも違った、その表情。その笑顔は、いったい、どういう意味なんだろう。わからなかったけど、でも、待つか待たないか、その選択肢の答えを私は一つしか持っていなかった。


「うん、待ってるよ」


 それでこの関係が終わって、友達でいられるなら、私はいくらでも待つ。何故、綾人くんが私のことを待たせるのかはわからないけれど、私の答えはこれだけだった。


「それじゃあ、また後で」


 綾人くんが手を振って、立ち去る。私も手を振って、ぽつん、とここで立ち尽くした。すでに夕日は沈もうとして、夜の気配が顔をのぞかせている。いつまで待てばいいのかな? そう質問しておけばよかった。でも、友達になれるのなら、いくらでも待てる。

 私は道路の隅で、ただ棒立ちにその薄闇の空を見上げた。その薄闇の空でカラスさんが一声鳴いて、空へと飛んでいく。

 でも、何時間待とうと、綾人くんが来ることはなかった。


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