選挙事務所
若い兄ちゃんは、何やら不思議そうな顔をして、
「あの~、もしかして、約束でもございましたでしょうか? なにしろ、このところ、いろいろと立て込んでおりまして、万が一にも粗相があってはと……」
「約束なんかないから、安心していいわ。とにかく、道を教えてほしいのよ」
若い兄ちゃんは首をひねり、一層、「わけが分からない」という顔になって、
「申し訳ございません。話のスジがサッパリ…… 一体、どのようなご趣旨で?」
「要は、ブライアン氏の選挙事務所に行きたいのよ。あなた、知ってる?」
すると、若い兄ちゃんは、ようやく合点がいったというふうに、「はいはいはい」と何度もうなずき、
「ああ、なるほど、ようやく分かりました。承りましたので、案内いたします。どうぞ、こちらへ」
若い兄ちゃんは、スタスタと歩き出した。歳は20前後だろう。筋肉ムキムキのマッチョマンというわけでもなく、青白い文学青年でもない。中肉中背、可もなく不可もなく、よく言えば中庸、悪くいえば平凡、これと言って特徴のない青年だ。でも、ブライアン氏の選挙事務所まで案内してくれるということは、この兄ちゃん、当然ながら、ブライアン氏と何らかの関係があるのだろう。
「事務所は、もう、すぐそこです。ほら、見えてきました。あそこですよ」
若い兄ちゃんが言った。その方向をよく見ると、時折(頻度は非常に低いが)、人が出入りしている建物が見える。しゃがみこんでいた場所からは、ほんの数分の距離。こんな近距離でも探し当てられないのだから、わたしの方向音痴は人間国宝級かもしれない。
建物には、「マイケル・F・ブライアン選挙事務所」という看板が上がっていた。とにかく、これでようやく、ブライアン氏の選挙事務にたどり着いたということになる。
若い兄ちゃんは、わたしを事務所内の一室に案内し、
「どうぞ、とりあえずはお掛け下さい。申し遅れましたが、私は、ブライアンの第2秘書グループ筆頭、サイモン・パークと申します。どうぞ、お見知りおきを」
そして、流れるような手つきで紅茶を入れ始めた。「秘書」と名乗るだけあって、接客には慣れているようだ。
わたしは、紅茶を一口すすり、
「ありがとう。一応、こちらも自己紹介しておかないとね。一般市民なら知らないかもしれないけど、わたしは、カトリーナ・エマ・エリザベス・ブラッドウッド」
すると、パークは、一瞬、ギョッとしたように、目を大きく見開き、
「いっ、いえ……、お名前だけは、かねがね伺っておりました! でも、まさか、伯爵様自らお越しとは!! いやぁ、これは、私ごときが、とんだご無礼を、申し訳ございません」
なんだかよく分からないが(いきなり謝ることはないのではないか?)、わたしも有名人になったと解釈してよいのだろうか。




