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呼んでくれたら

作者: 当 佩十

――僕に名前をくれる人。なのに「生きろ」と言った人。

――ただ一人のために生まれ、ただ一人のために命をかける。

――僕はそういう生き物です。




 精霊山のふもと。

 地底に火あり、森に土あり、大気に風あり。そして今あらたに滾々と湧き出る泉あり。

 火の温もりと水底の柔らかな土。水面を滑る清らかな風があやすように、泉に浸かった卵を撫でては通り過ぎていく。

 それはたった一つの貴い卵を守るゆりかご。

 この世に精霊があるように、対極の魔もまた存在する。両極の強い力は拮抗し、互いに呑まれぬようせめぎ合っていた。

 精霊の力は正、魔の力は負。

 そこに第三の力、人が存在する。彼らの力は善でもあり悪でもあったが、おおむね精霊の力を善きもの、魔の力を悪しきものと捉えていた。

 それゆえ悪しきものを駆逐するため、魔の頂点に君臨する魔界の王を斃す運命の子を待ちわび、ついにその子の誕生と時を同じくして、精霊の泉が出現した。

 持てるすべてのエレメントを力となし、勇者の助けとなる強力な守護精霊、その卵を抱いて。

 勇者が精霊の名を呼んだ時、卵は孵りその霊力も満ちる。


「可愛い吾子よ。お前の運命の子はもう小さな剣を手に、王城から抜け出して野山を駆け回っているようだ。人の子はゆっくり大きくなるが、我らの生に比べればあっという間だ。すぐに会えるよ、楽しみに待っておいで」


 水面に立った精霊王が半透明の卵に口付ける。

 卵の中で透き通った羽をたたんだ精霊が、まどろみから目覚める。

 人とよく似た姿かたちをしているが、その羽と頭部から伸びた触覚、そして潤んだ黒い瞳のみの眼が精霊であることを主張していた。


「愛しい吾子よ。お前はなんという名で呼ばれるのだろうね。あの運命の子はお前に相応しい名を思いつけるだろうか。あまりにひどい名であれば、私にお言い。叱ってでも良い名を選ばせるから」


 精霊王は笑って卵を愛しげに撫でる。

 卵の中の精霊はくすぐったげに王を真似て笑みを浮かべた。




 それから幾とせ。

 精霊王のもたらす運命の子の話を心待ちに、卵の精霊は日々を送り、いつかまみえるその日を夢見ていた。

 だが、幸せな夢見る日々は唐突に終わりを告げる。


「可哀そうな吾子よ。お前の運命の子は旅立ってしまった。己の力を過信して精霊の助けを拒んだ。人間の持つ叡智とやらで魔の力と対峙するつもりでいるらしい。愚かなことだ。人の世は持ちこたえたとしても、二度と立ち上がれぬほどの深手を負うことになるだろうよ」


 一瞬の痛ましげな表情のあと、王の顔を冷たい怒りと精霊界を統べる者の抜け目のない峻厳さが覆った。


「既に人間達と契約を交わしている一族の者も、今回のことで助力を渋っている。契約を束縛と勘違いしているなら尚のこと、人の世に先はあるまい。そんな状況で大切な吾子を悲しませた鼻持ちならない人の子が、さてどこまで食い下がるか。どのみち魔族も無傷とはいくまい。我らは時を待つとしよう」


 卵を撫でていた手で包み込むように抱くと、いつものようにそっと口付ける。


「吾子よ、何も悲しむことはない。お前には私がいる。一族の者がいる。正直ほっとしているのだよ、お前を戦わせずにすんでね。お前が望むなら、この世のあらゆる素晴らしいものを卵の中からお前に見せてやろう。だからまた笑っておくれ」


 夢を失った精霊の真っ黒な瞳から、ホロリと涙がこぼれて落ちた。




 その精霊の卵は、名を呼んで孵してくれるただ一人のためだけに生まれた。

 何より得難い強固な繋がり。

 遠く離れていても、その人が喜びの中にいるのか、苦しみに苛まれているのか感じ取ることができる。


 勇者は苦境に立たされていた。魔王には遠く及ばないその地で。

 精霊は卵の中から泉の力を変換し、苦しむ勇者へ届けと祈った。直接行使できる力に比べれば足元にも及ばないまでも、戦いの一助になればとそれだけを思って。

 だがその力は無下にも跳ね返された。お前の力など必要ないといわんばかりに。

 そして跳ね返された力は、放った者に返ってくる。

 卵に叩きつけられた精霊の力は、放った時とは違う強い拒絶を内包していた。

 精霊山の結界は精霊界への攻撃には盤石を極めたが、個々の持ち主に戻る力までは防ぐ術を持たない。だが、明らかに変質した力は本来防がれてしかるべきものだった。

 卵を打つ衝撃に痛みすら感じ、勇者の放った苛立ちと強い意志、結界をも通すその結びつきに精霊は涙した。


 それでも苦境を知るたび、繰り返し何度も何度も力を届け、返された力を受け傷で卵が白く曇っても、精霊は力を送り続けることをやめなかった。


「もうおやめ吾子よ。可哀そうで見ていられない。そうして力を送ることでお前も傷つくが、跳ね返す人の子もまた消耗しているのだよ。お前の優しさはもろ刃の剣だ。人の子は決して精霊の力は受け取らない。いっそ胸がすくほどの矜持だと、それだけは認めてやってもよい」


 精霊王がそう言って卵を撫でると、曇った傷が消え元の半透明な表が戻ってくる。

 卵の中で座り込み顔を隠して泣いている精霊に、王は憐憫の眼差しを向けた。


「人間の叡智とやらもまんざら捨てたものではないらしい。ついに魔王へ肉迫するに至ったようだ。長い闘いも終焉は近い」


 卵の精霊にもそれは分かった。魔王に対峙した運命の子の気配は風前のともしびだった。もはや精霊の力を跳ね返す力すら残ってはいないだろう。

 そう感じた瞬間、精霊王の制止も聞かず力を放っていた。

 力は勇者の最後の一撃に宿り、魔王の力の根幹を貫いた。

 爆風のような甚大な魔力を間近で浴び、勇者は塵ひとつ残さず消し飛んだ。

 絆がプツリと切れる刹那まで、卵の精霊はそれを肌で感じていた。




 たった一つの絆。

 生まれてきた意味。

 分かち合うはずだった夢。

 卵の外で得るはずだったすべてのもの。卵の中で失ったすべて。

 どうすれば得られたのか、それすらもう分からない。




 ある日、精霊の卵の上に小さな生き物が張り付いていた。

 小さな顔、小さな体、小さな手足。

 赤子特有のくびれた手で、ポンポン卵を叩きながら、大きな卵を口に入れようとするかのように吸いつく。半透明の卵の中からは、押しつけられてつぶれた小さな鼻と、涎まみれの小さな口が微笑ましい可笑しさを持って眺めることができた。


「あー……んまぁ」

 赤子がポンポンと卵を叩く。精霊に何かを話しかけるように。


「あーまぁ」

 そう言って呼びかけるように。


「あーま」

「……あーま。それ、僕を呼んでるの?」


 赤子は嬉しそうに顔の前で手を叩き、またポンポンと卵を叩いた。

 その声は不思議な懐かしさをにじませる。


「あぁまぁ」

「それ僕の名前? あーま、僕の名前だね」

 卵の精霊の胸に、泣きたいような痛みが走り身を震わせる。


『アーマ、生きろ。お前の命を』


「うん……僕、アーマだよ」


 そう言った瞬間、卵がパチンと割れ赤子がポチャンと泉に落ちた。

 慌てて抱き上げると、赤子は小さな咳をして、アーマに向かって手を伸ばし、

「あーま」

 そう呼んで笑った。




 その子の背には翼芽があり、成長と共に黒い翼が現れる。

 勇者の最後の一撃に宿した精霊の力。最後の最後まで己の精霊を拒絶し押し返された僅かな霊力。

 途切れそうな道を辿る霊力が過たず卵へと舞い戻る。

 得難い唯一の絆と、それを塵にしたはずの甚大な魔力の一部を道連れに。

 精霊王は孵化した精霊とその腕に抱かれた赤子に気が遠くなり、頭を抱えることになる。



 一部消滅を免れ分散した複数の力の欠片。その魔軍割拠の時代が幕を開けるのは、まだ少し先の話。

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