生まれた家は跡形もないほうたる。 山頭火
種田山頭火は山口県防府市の旧家に生まれた。
実家は酒造業を営み、
当時の邸宅の敷地は850坪もあったという。
しかし、父の遊蕩三昧により、悲観した母が庭の井戸に入水自殺、
その後一家は急速に転落衰亡の道をたどることになったのである。
山頭火は早大に進むが、自暴自棄今で言えばうつ病になりある日発作的に電車自殺を図り、
間一髪助けられ寺に預けられる。
そこで出家得度し、後は放浪三昧、句作帳と母の位牌を背負っての、乞食僧として一生を送ることになる。
そんな山頭火も故郷忘れがたく、防府を訪れることもあった。
隠れるようにそっと訪れた生まれ故郷の防府、
そこで読んだ句がこれだ。
「生まれた家はあとかたもないほうたる」山頭火
実家、生家という概念もみんな産科病院で生まれるご時勢ではもう、死語なのかもしれない。
ところで、、、
この私自身の生まれた家も、、実はすでに跡形もないのが実情である。
私の実家の地方にはこんなことわざがある。
「名主の跡は麦畑」
「ここが昔、名主様の家屋敷があったとこなんだよう。
でも明治になってからは、落ちぶれて屋敷は取り壊して、今は、ほら一面の麦畑さあ。」
とまあ
そういう意味合いの言葉である。
栄枯盛衰は世の習い。
家もいつかは住み代わるときが来るのだ。
我が実家もそういうわけで?
すでにもう跡形もないというわけだ。
「草の戸も、住み代わる世ぞ、鄙の家」 芭蕉