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§ トチの実

「うーん……うーん……」


「どうしたの、パパ?」


「おお息子よ……腹が下っているのだ。さっきトイレ行ったが、ほぼ水だ」


「水?」


「うむ。もはや水状のものしか出てこない」


「パパにしちゃあ珍しいな。何か変なモノでも食べた?」


「いや朝、昼、晩と、おまえたちと同じモノしか食べてないはず……」


「本当?」


「い……いやそうだな。違うといえば……自分で作ったとち餅を食った。一つだけな」


「どう考えてもそれだろ」


 馬鹿を見る目で俺を見つめる中三の息子。

 そりゃあまあ、自分で作ったとち餅を食って腹下してりゃあ、呆れられても仕方ない。



 我が家の前の道路には、並木がある。

 歩道と車道の間に植えられた街路樹は、この住宅街のほぼ全域に植えられているが、それぞれの地区で樹種が違っている。我が家の目の前の樹種はアメリカフウだが、ほんの十メートルほど先からトチノキになっていて、それが国道の近くまで延々とつながっているのだ。

 アメリカフウは葉っぱが細かく、量も多い。強い風が吹くと、我が家の敷地内に吹き溜まりをつくってしまう。羽がついてくるくると飛ぶ種子は遠くまで飛散して、この季節掃除が大変だと妻はよく嘆いている。この種子は庭にも入り込んで、いつの間にか発芽していたりして面倒でもある。

 だが、トチノキは葉っぱが大きく、量も割と少ないので掃除はさほど大変ではなさそうだ。実も大きくて数が少なく、落葉よりずいぶん前に落下してしまうのと、簡単には発芽しないのも魅力だという。

 木につく虫の種類も違う。

 アメリカフウはイラガが大量に発生し、時にアメリカシロヒトリやマイマイガも出る。

 彼らは広食性、すなわち様々な樹種の葉を食う。よって、別にトチノキについても良さそうなものだが、いなくはないが少ない。トチノキの味が気に入らないのか、葉っぱが細かく枝が密で鳥に見つかりづらいからいいのかは分からないが、とにかくアメリカフウには毎年結構な毛虫たちが発生し、俺の目を楽しませ、妻を嫌がらせるわけだ。

 方やトチノキにつく虫もいる。それはクスサンである。

 美しい若葉色で十センチを超えようかという巨大な芋虫は、蛾になっても美しく、葉を食いつくほどには増えすぎず、なんというか節度がある。もちろん、イラガのように毒棘もないし、マイマイガやアメリカシロヒトリのように皮膚の弱い人をかぶれさせたりもしない。

 嫌いな人にとっては、巨大な芋虫や蛾の方が恐怖なのかも知れないが、少なくとも妻にとってはクスサンの方がマシなようである。

 まあ、そうは言ってもトチノキが目の前にある家には、そこにしか分からない苦労があるのかも知れないが。


 さて。そういうわけで、我が家から国道方面にかけてはシーズンになるとトチの実が落ちているわけだ。俺はこれを毎年横目で眺めつつ、もったいないなあ、と思っていた。

 クリやドングリよりもずっと大きく、艶やかな実は、ブラックチョコレートにも似た品のある木の実で、いかにも旨そうなのだ。

 「モチモチの木」という絵本童話をご存じの方は多いと思う。

 斎藤隆介氏作の超名作童話であり、国語の教科書にも取り上げられた。滝平二郎氏の特徴的な切り絵を使った挿絵でも有名だ。

 大きな『モチモチの木』の下に住む主人公の『豆太』とその祖父『じさま』の話であり、臆病な豆太が急に腹痛を起こした『じさま』を助けるために勇気を振り絞るという話だ。

 この物語の要所で、二人の生活に密着して描かれ、時にはおどろおどろしく、あるいは美しく豆太の心に映し出されるのが『モチモチの木』である。

 この『モチモチの木』が『トチノキ』であるということも、よく知られている。

 『じさま』はこの木の実を餅に突き込んで、旨い餅を作って『豆太』に食べさせてくれるわけで、それがこの木が『モチモチの木』と呼ばれるゆえんでもある。

 しかし、この餅作りはそう簡単なものではない。トチの実はサポニンという毒成分を大量に含んでいて、そのままでは苦くて渋くて食べられないのだ。

 それがどれほどのものかというと、あの渋いドングリを平気で食べるクマやリスも、この実を避けると言えば分かりやすいだろうか。

 天日干しにし、何日も何週間も流水にさらし、実と同量の木灰に絡めて茹で、アクを完全に抜いて初めて食用となるわけだ。

 絵本の描写であるから前工程は一切書かれていないが、『じさま』もそうした工程を踏んで『豆太』に旨い餅を食べさせてやっていたのだと思われる。

 この工程が面倒なことは、様々な本やサイトに書かれていて、これまで目の前に食材がありながら一度もチャレンジしなかったのは、それが一つの理由でもあった。

 だがしかし、今年は例年になくトチの実が豊作で、犬の散歩のたびにポケットに入れて持ち帰ってきた実が、ついに三十個にもなった。

 いつもならプランターに植えて芽が出てくるのを待ったりするだけなのだが、ここまで数があるならば、とち餅が作れなくもないだろう。

 俺は一大決心をして、トチの実のあく抜きに取りかかったのであった。

 しかし実の数が三十個、と聞いて拍子抜けした方も多いと思う。我が家から国道に至るまでの一キロあまり、延々と数百本のトチノキが生えていて、どうしてそんな程度しか実が集まらないのか、といえば、どの木にも実がなるとは限らないからだ。

 というのも、トチノキは両性花をつける個体と雄花しかつけない個体があって、雄花をつける木にはもちろん実がならない。おそらくだが、街路樹は意図的に雄花をつける株ばかり選んで植えているのだろうと思われる。

 それはたしかに、あんな実がゴロゴロ街中に落ちていたら厄介だ。

 ゆえに、数百本のうち実をつける木は十数本で、それも落とす実の数が少ない。その少ない実も、その艶やかな美しさから道行く人が拾っていく確率が高いため、なかなか俺の手には入らないのが現状なのだ。

 さすがに数個ではわざわざあく抜きしてまで食べる気にはならないが、三十個もあればなんとかしてみようという気になる。もしも何百個も手に入ったところで、それを処理するだけで大変な手間だ。この数は最適だろうと思えた。


 だが、初めてやるあく抜きだ。しかもかなり大変だと書かれている。

 そんな大変な作業を、いつものように妻の目を盗んで自宅でやるわけにはいかない。俺は、祖父の住んでいた例の空き家に実を持ち込んだ。

 最初の工程は天日干し。

 だが、多くの資料でこの作業は、実の保存性を高めるための作業であって、すぐに料理にかかる分には必要ない、とある。よって省略。

 次は皮むき。

 一晩水につけて柔らかくした皮を、包丁で剥いていく。

 クリよりは堅いが、思ったよりは簡単に剥ける。画像資料からすると、この段階では渋皮は残してあるようだが、どうせ後で剥いてしまうのだ。俺は、渋皮も容赦なく剥いていった。

 それにしても時間がかかる。一個剥くのに五~六分。つまり、十個剥くのに約一時間。

 作業が二時間を超えた時点で、俺は音を上げた。

 作業そのものは苦ではない。だが、これ以上のんびりこんなことをしている時間は無い。

 結局、二十五個の皮を剥き、あとの五個は例年通り植え付けることにした。ちなみにこの実、発芽率が悪く、水切れに弱いので、いまだにうまく育った苗はない。

 皮を剥かれ、クリーム色になった二十五個のトチの実を、その日は水道水を張ったタライに浸けて帰宅した。

 翌日から毎日の水替えが始まった。どうやら、この作業で二週間を費やすらしい。

 本来なら流水に浸けっぱなしでいいのだが、そんなに水道水は使えないし、いくら田舎といえども、飲めるようなわき水がそこらに湧いているわけでもないからだ。

 とにかくなんやかやと理由をつけては空き家に立ち寄り、水替えをする。それから六日間は、なんとか順調に事は運んだ。

 しかし一週間目、どうしても水替えに行けなかった。

 原因はもちろん妻である。休日には俺の行動はすべて妻の監視下にある。トチの実の作業は極秘であったから、うまい理由を思いつかなかった俺は、日曜の水替えを諦めざるを得なかったのである。

 月曜。早朝から行きたいところだったが、そうもいかない。週明けは仕事が溜まっているからだ。結局、ようやく夕方に時間がとれて行ってみると……なんとタライは泡だらけになっていた。


「うっ!? 臭い!!」


 毒成分はサポニンだから、泡が出るとは聞いていた。だが、この臭いはどうだ。

 ちょうどヘチマタワシを作るために、実を腐らせたときと同じ臭いがするではないか。

 捨ててしまうべきだろうか……俺は悩んだ。

 さすがにこれは食い物の臭いでは無い、とそう思ったからだ。だが、悩んでいても始まらない。放っておけば臭いがひどくなるだけだ。

 とりあえず、俺は水替えをしてみた。捨てることならいつでも出来る。本当に腐れば、そのうち形が崩れてくるはずだとも思った。

 だが、翌日も、そのまた翌日も臭いは収まらず、トチの実は泡を吹き続けた。

 これはいかん。だが、捨てるのももったいない。

 そうだ。

 俺は思いついた。どうせ後で茹でるのだ。これが微生物由来の腐敗であるなら、一度茹でて死滅させてしまえばいい。臭いがなくなるまで茹で、それからまた水でさらせばいいではないか。よしんば腐っていたとしても、水にさらすうちに腐った部分は抜けて行くに違いない。

 思いついたら早速実行。

 うん。少し臭いは収まった。だが、まだ、腐れ臭がある。

 その日は水にさらして帰宅。翌日、翌々日と茹でなおして、ようやく腐れ臭は完全になくなった。だがしかし。


「あれ? なんか実が毛羽立ってきて……煮崩れとるやん!!」


 茹ですぎたのだ。いや『天日干し』の工程を省いたツケが回ってきたのかも知れない。

 天日干ししておけば、堅くなった実はそう易々と煮崩れはしなかったのでは無いかと思われる。

 結局トチの実は、水替えの度に崩れていき、それから一週間後には完全な泥状になってしまったのであった。

 だが、考えようによっては好都合。

 実の形のままだと、奥の方のアクが抜け切らない可能性もあるが、これほどバラバラの泥状なら、それもないはず。

 それから更に二週間水にさらした後、今度は木灰の代わりに重曹を加えて火を通す。

 そこで連休となったため、今度は水道水をちょろちょろ出しっぱなしで水にさらす。

 それを三回繰り返し、少し舐めてみた。


「うん。渋くない…………か? いや渋い。渋いな」


 いきなり口を刺すような渋みは消えたが、のどの奥に残るようなイヤな苦みは残っていた。

 だがどうだろう。この程度なら食えなくもない。

 本やサイトにも、アクを抜きすぎると味も無くなるとあったではないか。

 火を通したからデンプンもアルファ化して溶け出していきそうだし、脂質なんかの栄養も抜けてしまう。なにより、これはこのまま食べるわけではない。

 餅に突き込み、あんこを包んで食べるのだ。味も少しはまぎれようもの。

 工程を開始してからも、一ヶ月半は経過している。たぶんおそらくメイビー大丈夫だ。


「もうこれでいい。GOだ」


 それでも念のため、その日はもう一度火にかけて水にさらし、翌日に作業決行と決めた。

 決行当日は土曜日。餅米、あんこの缶詰、片栗粉を買い込み、祖父の家に来た俺は、調理用具をそろえていく。

 まずは餅米を炊くわけだが……っとここでいきなり大きな壁が。

 なんと、人の住んでいないこの家には炊飯器が無かったのだ。だが、そこはアウトドア歴も長い俺のこと、あっさり鍋で炊くことで解決。

 次は餅をつく道具だが、コレは最初から目論んでいたとおりに巨大なすり鉢とすりこぎで代用することとした。

 そりゃあ、杵と臼でつくにこしたことはないし、レンタル屋に行けば借りられることも知ってはいたが、二十五個分のトチの実に対して使う餅米は、たかだか二合か三合である。

 そんなものをつくために、重たい杵と臼を借りては来られない。

 なぁに餅なんぞといっても、しょせんすりつぶした米。時間はかかろうともすりこぎでぐりぐりし続ければ、そのうち出来るであろう、と考えたわけだ。

 次は水にさらしたトチの実(ゲル状)の処理。

 本来はガーゼで水分を絞りたいところだったが、そんなことのためにガーゼを買うのもめんどくさい。

 そこで、三角コーナー用の水切り袋、その目の細かいのを使った。

 これは思いの外便利な代物である。この目が細かく通気がいい袋は、簡易の生き物入れにもよく使うが、新品なら食品に使用しても、何ら問題は無いわけだ。むろん、樹脂製のものが多いから熱湯とかはまずいだろうが、それ以外ならオールOK。

 使用後は三角コーナーに使うことも出来て節約にもなる。

 そうやって水を切ったトチの実ペーストを研いだ餅米の上に乗せ、鍋を火にかける。

 多少お焦げは出来たものの、十数分後にはおおむね良好な炊きあがりの餅米が完成。

 そいつを巨大なすり鉢でぐりぐりすることさらに十数分……

 出来上がったのは、餅にしてはかなり柔らかすぎる感じの、どこにでもくっつきまくる薄茶色の物体であった。

 トチの実ペーストが固く絞ってあった分、水が足りない可能性もあると思っていたのに、この柔らかさは何事であろう。

 しかしそういえば、とち餅は普通の餅と違って、長い間柔らかいとは聞いている。

 おそらくその影響なのだろうと無理矢理自分を納得させ、餅であんこを包み始めた。

 それにしてもよくくっつく。片栗粉をいくらまぶしても、一個作るたびに手はニトニトになった。しかも加減が分からず、一個一個がでかい。

 そのでかい餅が、なんと六つも出来上がった。三合の餅米と二十五個のトチの実、そしてあんこを原料とした、大人のげんこつ二つ分くらいの塊が六つだ。

 これはもはや餅というよりも、群れで出現したスライムに近い。

 だが、作った以上は食わねばなるまい。

 俺は、恐る恐る食べてみた。


「うん。大丈……むう……やはり苦いな。渋みもある……」


 味は微妙、であった。食って食えない味ではないが、積極的に食べたい味でもない。

 渋みや苦みも大人の味。

 そう言ってしまえばそれまでなのだが、何しろでかいのが問題だ。

 俺は四苦八苦しつつなんとか一個を平らげ、そこで力尽きた。仕方なしに残りは冷凍庫に放り込んで、何食わぬ顔で帰宅したのであった。

 そして数時間後、冒頭の息子との会話となったわけである。


「だ……だが、アレが原因とは限るまい。味は良かったんだ。本当だ」


 嘘だが。


「何食っても平気な顔しているパパが、その下りよう。今日は朝昼晩と家族で同じモノを食べたんだろ? 他に原因がないなら、答えは一つじゃ無いのか」


「ぬうう……」


「アレは、『じさま』クラスの達人でないと手を出してはならないモノなんだよ」


 息子の眼差しは、呆れを通り越して、限りなく優しい。


「バカな。あんな旧世代人に出来て、この俺に料理できないはずは……」


「その『じさま』ですら、夜中に腹痛おこして医者を呼んだんだろ?」


 むう。たしかに。

 返す言葉もない。

 息子よすまん。こんなきゃっちあんどいーとな父で。

 結局、俺の腹は夜半まで下って、翌朝にはなんとか元に戻った。

 でかいとち餅はあと五つ。今も冷凍したまま、食べ続けるべきかどうか、俺はまだ迷っている。

 だが言っておこう。トチの実の利用をこれで諦めたわけではない。

 来年も実が手に入れば、俺は必ずリベンジする。その時こそ、本当に旨いとち餅を作って、『じさま』を超えてみせるのだ。



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