第二話:1日目・夕方
>>紫
日曜日、午後を少し回った頃。
雛子ちゃんに纏わり付かれながらも何とか地上3階地下1階の掃除を終えたわたしは、
「ふう……。」
と溜息を吐き、額に滴る汗をタオルで拭った。
「終わった……。」
「終わった――――!」
掃除機等を片付けると、キャッキャとはしゃぐ雛子ちゃんと二人、崩れ落ちるようにソファーの背凭れへと腰を落とした。
普段は、馴染みの紹介所の所から通いの家政婦さん達が来てくれるし、彼女等が休みである週末も、お姉ちゃんと小母様と3人掛かりで取り掛かるのでそれ程労しないが、流石に都合4階建ての住宅を一人で掃除するとなると骨が折れる、骨が折れる。おかげで疲労のあまり少しでも気を緩めるとそのままぶっ倒れそうである。
横になりたいけれど、そうする訳にもいかない。何故なら……。
「買い物、行かなきゃ……。」
そう独り言を呟くと、面倒臭いな、と思いつつも私は両の掌と腰に力を入れてソファーから立ち上がった。
「紫お姉ちゃん。お買い物、行くの?」
わたしが腰を浮かせた途端、わたしのすぐ傍でソファーの上で横になりながら子猫のようにじゃれていた雛子ちゃんが、仰向けに寝転がったままわたしの顔をポケーッとした顔で仰ぎ見た。
「ええ、ちょっと出掛けてくるわ。」
と、わたしが外出する準備をする素振りを見せると、雛子ちゃんは足を天井に向かって真っ直ぐ上げ、一気に振り下ろしたその勢いでガバッと飛び起きた。
「雛も一緒に行く!」
「いや、ちょっと……。」
わたしは少し躊躇した。普段の買い物なら喜んで雛子ちゃんを連れて行くだろうが、今日は生憎お米が切れていたから買い足したかった。いくらわたしが現役ピチピチの女子高生とはいえ、体育会系の娘達みたいに体力が余り捲っている訳ではない。流石に5kgの米袋が入った買い物バッグを提げた上に体重10kg弱の彼女を背負って1km先のスーパーを往復するのは勘弁したい。でも、無碍に断れば、きっと彼女は泣き出してますます収拾のつかない事になってしまう。
さあ、どうしようか?と考え倦ねていると、突如わたしの耳の中にザーザーという不穏な響きが飛び込んで来た。
ま……さ……か…………。急いで窓に向かって飛び付くようにダッシュすると、わたしは庭先の光景を一望して真っ青になった。
雨が、辺りを白く染め抜く程激しい雨が灰色の空の下を地面に向かって鉄槌の様に叩きつけている。
「大変!洗濯物取り込まなくちゃ!」
「ああ、紫お姉ちゃん、待ってよ――!」
トテトテと後を追い駆ける雛子ちゃんを引き連れ、洗濯物や衣服の管理をする部屋として使っている2階の角部屋に駆け込むと、わたしは窓を開けてバルコニーへ出て、アルミ製の銀色の物干し竿にハンガーを使って掛けられた洋服や下着を引っ掴んで小脇に抱え、窓を閉めて鍵を掛け、カーテンも閉めると、1階の風呂場まで運んだ。
幸い、すぐ上の3階のベランダの床面が庇のような役割を果たしていた所為か、天日干ししていた衣服は殆ど大雨の被害を受けておらず、わたしはホッと安息した。
「さあ、雨が降っていても買い物に行かなくちゃ。」
と独り言で愚痴りつつもわたしは出掛ける用意を始めた。が、それを遮るように、足元に来た雛子ちゃんが、今にも泣きそうな顔をしてわたしのスカートの裾をグイグイと引っ張った。
「雛も、紫お姉ちゃんと一緒に、お買い物、行く――――!」
連れて行って上げたいのは山々だが、さすがにこの土砂降りの中を子連れでお買い物へ行くのは…………。
「ちょっと難しいわ。雛ちゃん、悪いけどまた今度ね。」
わたしは膝を曲げて中腰になり、雛子ちゃんの顔に自分のそれを至近距離まで近付けて、そう宥めた。でも、彼女は尚も不満そうに口をヘの字に結んだ。
「む――――――――っ!」
「……また今度、ね?」
「ううう――――――――――!」
「明日連れてって上げるから、ね?」
「やだ――――!雛も行く―――――!」
困った。これでは埒が明かない。
「ねえ、紫お姉ちゃん。」
今にも泣きそうな顔で雛子ちゃんは涙声を出し、そしてある一点を指差した。
「ブーブーは?」
その先には、ソファーに座って寛いでいる悠人さんが居た。
この家には、普通免許を持っている人が5人居る。即ち、わたしと雛子ちゃん以外の家族である。
そして更に自分の車を持っている人は3人居る。つまり、家長である小父様と、弥生お姉さんの旦那さんである博人さん。そして悠人さんだ。
彼らの内悠人さん以外は旅行で家を空けている。そういう訳で車を出せる人は今、悠人さんただ1人しか居ない。
わたしから背を向けると、雛子ちゃんはトコトコと悠人さんの元に向かって歩いて行き、そのまま彼の膝の上に攀じ登った。
「ねえ!ねえ!悠人お兄ちゃん。ブーブー出して!ブーブー出して!」
さっきからのわたし達の遣り取りが聞こえていたからだろう、すぐ傍の雛子ちゃんではなくわたしの方へ顔を向けた。
「なあ、これ、どうにかならないか?」
その、まるでお腹を空かせた子猫に纏わり憑かれた時のように困惑した彼の表情に不覚にも失笑しそうになるのを全力で我慢しながら、わたしはそっと悠人さんに向けて手を合わせた。だって、彼が車で連れてってくれるのなら、わたしとしてもそれに越した事はない。
女二人にお願いされては、流石の彼も形無しなのか、
「はあ――――っ。」
と仰々しく深い溜息を吐くと、不機嫌そうに眉を吊り上げつつも悠人さんはソファーから重い腰を上げた。
「わかったよ。行けばいいんだろ。」
「わ――い!やった――っ!」
「ありがとう!悠人さん。」
面倒臭そうに出掛ける用意をしようとする悠人さんに両側から抱きつくと、わたしは雛子ちゃんと彼の事を精一杯持ち上げて囃した。
「じゃあ、開けるわよ!」
と、車内にいる2人に呼び掛けると、わたしはガレージを守る強固な鋼鉄製のシャッターを上下させる為の開閉スイッチをポチッと押した。
ゴゴゴゴゴ……、という重厚なモーター音と共にガラガラガラと車3台分の幅広がある横長のシャッターが巻き上げられて行き、同時に外でザーザーと盛んに降る土砂降りの大音響が漏れ入って来る。
完全にシャッターが屋根板の裏に収納され、車庫の中を照らす蛍光灯の白い光が表の路地の暗がりを差し照らすと、エンジンの始動音と共に悠人さんのシルバーメタリックの147アリストの赤い制動灯と白いバックランプが明るく輝き、続け様にHIDの白いヘッドライト、青いHIDのフロントフォグランプの灯が点いてナンバープレートの文字が淡い緑色に光りだした。
ピ――、ピ――、ピ――……。そんな警告音を微かに出しながら初代アリストはゆっくりとバックし、前輪を左へ切って右折するように路地へ出た。
わたしは壁に並んで取り付けられたシャッターの開閉スイッチと照明スイッチを同時に押すと、真っ暗になってシャッターが下り始めたガレージから黄昏の雨の下へ飛び出した。
予め持ち込んでおいた傘を抱くように、悠人さんの隣、助手席のシートに腰を下ろしてドアを閉めると、わたしはいそいそとシートベルトを締めながら悠人さんに話し掛けた。
「ごめんなさい、悠人さん。なんか我が儘を言っちゃったみたいで……。」
「…………。」
「でも、助かったわ。ありがとう。」
「……で、何処に行けば良いんだ?」
「イトーヨーカドー!」
悠人さんはPレンジからDレンジにシフトチェンジしてサイドブレーキを解除し、ワイパーレバーを限界まで下げると、ぶつくさ呟きつつ車を発進させた。
少し走ると、車は住宅地を走る路地と片道2車線の大きな通りの交差点に差し掛かった。悠人さんは左ウインカーを出しながら大通りの手前で停車し、左右の安全を確認してから左折してその大きな道路に入った。
そのまま1分も走ると、右前方対向車線側の歩道に、大通りと脇道の路地との交差点に隣接するように、地下立体駐車場を備えた大手小売系列のスーパーマーケットが向こう奥に見えてくる。悠人さんはウインカーレバーを下げると、そのまま第一通行帯から第二通行帯へと車線変更し、交差点の中程にハンドルを若干切った状態で停車した。
信号が赤になって反対車線の車がピタっと止まったと同時に大通りからスーパーの敷地に沿うように路地へと右折した車は、路地から別れるように地下のトンネルに潜る、その商業施設の駐車場の出入口であるスロープへ左ウインカーを焚きながら下りて行く。
竿を下げた遮断機の前で一時停車すると、悠人さんは運転席の窓を全開にして白い紙片の駐車券を受け取り、頭上のサンバイザーにそれを挟もうとした。
「あっ!悠人さん、待って!それ、渡して!」
と、わたしが手を伸ばして受け取ろうとすると、車を発進させてハンドルを切って駐車場の方へ右折しながら、悠人さんは訝しい視線だけを此方に向けた。
「え?どうして?」
「だって、それがないとお買い物が終わった時にサービスカウンターで手続き出来ないじゃない。」
「あ、そういう事か……。ほい!」
「ありがとう。」
伸ばしてきた彼の左手から磁気券を取り上げると、わたしはそれをハンドバッグの中にそっとしまった。
適当な場所に駐車する為に、駐車場の中をグルグルと回る。
「ここに止めるぞ。」
「そこではなくて、あそこじゃ駄目かしら?」
「え?でも店の出入り口に近い方が良くないか?」
「雛ちゃんが乗っているから、左右の何方かに空間がないと……。何かの拍子に隣の車にぶつけちゃった!な事になったら大変でしょう……。」
「じゃあ、そこにするか。」
そう言ってハンドルを左に切り、お尻を向きあう感じに2列縦隊で並んだ駐車車両の周りをぐるりと旋回すると、悠人さんは一旦停止した後ギアをリバースに入れ、ステアリングを右に切り返して徐に後退し始めた。
車が完全に停車し、悠人さんがエンジンを切ると、わたしは車を降りて助手席のドアを閉め、すぐさま後ろの後部座席左側のドアを目一杯開けた。彼に念押ししておいた甲斐もあって、アリストの駐車した左側のスペースに車は停まっていなかった。
「はい、雛ちゃん。降りようね。」
「うん!」
元気よく返事をした雛子ちゃんを、屈んだ状態のまま両腕で抱え上げると、わたしはそっと彼女を駐車場のアスファルトの上に立たせ、そのままドアを閉めた。
そして、バタンとドアが閉まる音を聞くや否や車を施錠すると、一言も喋らずに悠人さんは車を施錠し、わたし達をその場に置いて行くとでも言うように一人でスタスタと歩き出した。
店の中に入って1階まで上がると、流石に買い物籠を下げたまま小さな子供を抱っこするのは大変なので、わたしは雛子ちゃんを床の上に下ろした。
すると、雛子ちゃんは少しだけ不満そうにわたしを見上げて眉を吊り上げたけれど、右手で引き寄せるようにわたしの太腿に彼女の顔を押し付けて密着させると、気持ち良いのか彼女は、
「むふ――。」
と惚けた声を上げてニンマリとした。そんな単純な所が、小さな子供っぽくって愛おしい。
わたしのスカートの裾を左手で掴み、ヨチヨチと纏わり付くように歩く雛子ちゃんの頭を時々右の掌で撫ぜながら3人で店内を歩いていると、突然スカートを引っ張られた感覚が無くなり、右手が空を切った。
呆気に捉えて右下へ視線を落とすと、何と先程まで確かにいた筈の雛子ちゃんが綺麗さっぱり消えている。
驚いて内心取り乱しつつキョロキョロと辺りを見渡すと、案外呆気無いというか、すぐに雛子ちゃんは見つかった。お菓子売り場で幼児向のアニメキャラクター物のお菓子を物色している。
一瞬とは云え、最悪の事態を想定して狼狽していた為に安堵はしたが、独りで勝手に離れた雛子ちゃんに対し、わたしは少しならず憤りを感じた。子供の行方を心配する母親の母性愛を実感した訳ではない。ただ、自分がこんなにも心配したのにも関わらず、実際はお菓子の誘惑に負けてふらふらと引き寄せられていただけだったという彼女の平然とした様子が許せなかったのである。
それに、弥生お姉ちゃんからあまり必要以上に菓子類のような甘味物を食べさせすぎないで、と事前に言い含められていたので、派手なピンク色の髪の女の子のアニメキャラがパッケージに大きく印刷されたスナック菓子の袋を、小さな両手に大事そうに抱えて物欲しそうに上目遣いで雛子ちゃんが近付いてきても、それを承知する気にはとてもなれなかった。
案の定、
「紫お姉ちゃん、これ買って!」
と、雛子ちゃんはその菓子を、まるで大人が小さな子供にたかいたかいをするようにわたしに向かって高々と掲げた。が、透かさずわたしは、
「駄目よ。雛ちゃん。」
と、右手を腰に当てて胸を張り、彼女の要求を突っ撥ねた。
「今日は夕御飯の材料を買いに来たのであって、雛ちゃんにお菓子を買って上げる為に来た訳じゃないのよ。さあ、元あった場所に返してらっしゃい!」
まさか大好きなお姉ちゃんが自分の子供らしいお願いを拒むとは予想していなかったのだろう。雛子ちゃんは瞳を潤ませ、眉をハの字にしてわたしを見上げると、
「駄目?」
と遠慮がちに訊ねた。当然、
「駄目!」
とわたしは一蹴する。わたしだって実の両親が生きていた遠い昔の頃、そういう事があったような思い出が朧気にあるから、彼女の事を少し可哀想にも思ったけれど、今は彼女の仮の保護者として、弥生姉ちゃんと博人さんから一任されていた。だから余計に彼女の願いを受諾出来なかった。それに、駄目だといえば、素直で良い子の彼女の事だから諦めて菓子を商品棚へ戻すだろう。
しかし、雛子ちゃんはどうしても諦め切れないのか、
「本当に駄目?」
と、また訊いてきた。
「駄目よ。」
「ホントに、ホントに駄目?」
「駄目と言ったら駄目よ。返してきなさい。」
その時だった。
「う……う……。」
と鼻をヒクヒクと鳴らしながら呻いていた雛子ちゃんが、
「うえ――――――――――――――――ん!!」
と、まるで脆くなっていたダムが水圧に耐え切れずに決壊した如く、大声でわんわんと泣き始めた。
「え――ん!え――ん!ヤダ、ヤダ――!買って!買って!買って――!」
まるでそれが幼児だけの特権とでも言うかのように、その場で仰向けに寝転がると、お菓子の袋を右手に持ったままで四肢をじたばたとばたつかせながら雛子ちゃんは抵抗した。
「止めなさい!雛子ちゃん。お洋服が汚れちゃうし、周りのお客さんの迷惑になるでしょ!ね、お願いだから。」
と、注意して宥めるが、彼女が落ち着く気配は全くしない。その上、お菓子くらい買ってやって黙らせれば良いのに、とでも言うようにわたし達を見つめる周囲の奥様方の冷たい視線が痛い。わたしは凄く困惑してしまった。悪いのは、わたしなの?
どうすれば良いか判らずオロオロしていると、それまでずっと黙ってわたしと雛子ちゃんの遣り取りを見ていた悠人さんが、すっと彼女に近付くと、お菓子の袋を取り上げてそのままわたしが提げていた黒いプラスチック製の網状の買い物籠にポイと放り込んだ。
「…………?!」
驚きのあまり呆然として立ち尽くすわたしに、開いた口も塞がらないといった顔を向けながら悠人さんはこう言い放った。
「買ってやればいいじゃないか。お菓子くらい……。」
本当に、悪者はわたしなのだろうか……?冷ややかな目線を向ける悠人さん、そして何時の間にか起き上がって満面な笑みで飛び上がっている雛子ちゃんを交互に眺め、わたしはどうしようもなく遣り切れない気分になった。
買い物を終え、手ぶらの悠人さんと雛子ちゃんと並び、10kg以上はあるように感じられる大きく膨れた白い買い物袋を持ち、駐車場に向かって歩いていると、疲れたのだろうか、雛子ちゃんが突然立ち止まった。
「ねえ、紫お姉ちゃん。雛、疲れた。抱っこして!」
「駄目よ。雛ちゃん。」
わたしの前に立ちはだかり、スカートの裾を掴んでわたしの両足に抱きつく雛子ちゃんを俯瞰しつつ、わたしはそう答えた。
「さっきお菓子を買って上げた時、良い子にするって、お姉ちゃんと約束したでしょう?」
「…………。」
渋々、という感じで雛子ちゃんは頷いた。
「じゃあ、いい子ならもう少し頑張って歩こうね。もう少しでブーブー(車の事)につくから、あと少しの辛抱よ。」
「わかった……。」
そう言って項垂れながらも歩き出した雛子ちゃんを、愛おしいと思ったわたしは空いていた右手を伸ばすと、そっと彼女の小さな左の掌を優しく握り締め、歩調を合わせてゆっくりと足を踏み出した。
その後はいつもの通り素直な良い子だったし、夕御飯も美味しそうにペロリと平らげたので、わたしは雛子ちゃんを許し、一緒にお風呂に入る事にした。とは言っても、3歳の子を一人で風呂に入れても大丈夫かどうか判らないので、初めから付きそう心算ではいたのだけれど……。
体と髪を洗ってよく流した後、わたしは抱きついてきた雛ちゃんをそのまま胸に抱き上げると、温かい湯を張った浴槽の中にどっぷりと浸かった。図らずも、自分の胸に付いている大きな2つの柔らかくて大きな脂肪の塊が、がっちりと係留された船のようにプカプカと水面を漂っている。
その様子に興味を惹かれたのだろうか、じっと乳房を見つめていた雛子ちゃんが手を伸ばし、乳首の辺りを摘んで遊び始めた。挙句の果てに谷間に顔を埋め、頬をスリスリと擦り寄せてなついている。
少しこそばゆいし、決して心地のいいものではないから叱りつけた方が良いようにも思った。でも、そんな雛子ちゃんの様子が可愛くて、まるで自分がこの娘の母親のように錯覚したわたしは、怒りもせずにそのまま彼女の背中に左手を回し、右手を彼女の頭の上へ置いて愛おしく思いながらそれを撫ぜた。
湯の中に体を沈ませて5分程経った頃だろうか、もう少しだけあやしておきたかったが余り度が過ぎると二人共逆上せてしまうので、わたしは入る時と同じように雛子ちゃんを抱かえて湯の中から立ち上がった。
浴室から扉1つで隣接する洗面所へ移動し、寝間着や下着と共に置いていた2枚の白いバスタオルの内の一番上にあった一方を手に取ると、わたしはそれを広げて雛子ちゃんに被せ、彼女の体から水滴を拭い始めた。
一通り拭き終わり、
「さっぱりしたね。」
と雛子ちゃんに声を掛けると、彼女が目を白黒させながら小首を傾げ、わたしの肩越しに宙を凝視している事にわたしは気が付いた。
「…………?」
奇妙に思って後ろを振り返ろうと顔を左へ回し始めた刹那、バタンッという洗面所と廊下を仕切る引き戸が閉まった音と共に、タタタタ……と忍びつつも慌てたように駆けていく足音がわたしの耳に入ってきた。
「…………。」
「…………。」
もはや何も言うまい。わたしは内心呆れながらも、未だに状況を飲み込めずわたしを不思議そうに見上げる雛子ちゃんと顔を見合わせて苦笑した。
夜、独りでは眠られないという雛子ちゃんに付き添い、彼女の部屋のベッドで絵本を読んで寝かしつけた後、わたしも自分の部屋に戻り床に就いた。初日からこの調子では気が滅入るな、と思いながら。