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第一話:1日目・朝

>>紫

 ピピピピ……。


 恐らく、彼の寝室の枕元に置いてあるデジタル式の目覚まし時計から、と思しき電子音が鳴っているのが微かに聞こえる……。が、すぐに鳴り止んで静かになってしまった。きっと休日だからさっさとベルを切って二度寝を決め込んでしまったのだろう。

 でも、わたしからしたら、彼に朝御飯を食べる為に起きて貰わないと少し困る。わたしは彼を起こす為に1階のリビングから3階の寝室へと向かった。


 2階から3階の踊り場に、高さ2mで幅50cm程の大きな姿見、というか鏡が付いた銀色に輝くスタンドが置かれている。従姉の弥生お姉ちゃんとわたしがこの家で暮らす事になった折に、わたしの部屋になる事になった部屋から厄介払いされた物だそうだ。廊下に置いても邪魔なので踊り場に移したのだろう。

 下の階から上がれば正面から鏡面と向かい合うように踊り場の壁に立て掛けられているので、通り掛かったわたしの姿……、黒いレースのカチュームで留めた腰まであるストレートロングの質の良い黒髪、背は高いとは言えないけれど桃色のパジャマと白いエプロンの上からも目立ちまくるKカップの巨乳と、ほっそりと引き締まって括れた腰、少しコンプレックスがある人より少し大きめな尻と羚羊の様とはちょっと形容しがたい太めの足、その他諸々……。

「まあねえ、スタイルだけならわたしって結構良い線をいくと思うのよね……。」

と、呟きながら鏡の前でくるりと体を回してみる。実際、街を歩いていると胸元や腰やお尻に視線が集中するのを感じる時だってしょっちゅうだ。

「問題はこれなのよねえ……。」

 そっと鏡に顔を近付けて、わたしは自分の顔をまじまじと観察した。

 日本人の割にはすっと通った鼻筋、真一文字を結んだ小さな口、透き通るように白い肌にぷにぷにと柔らかい頬……。ここまではまだいい、多少なりとも他人に褒められたり羨ましがられたりする事があるからだ。

 問題は目。本当、どうして二重なのに三白眼なのだろう?瞳が大きく見える事で余計に瞼がきつく吊り上がっているように見えてしまう。しかも細かい所が気になってしまう神経質な性格も相まって、兎に角外見から厳しそうで周りから敬遠されやすい人、という評価がすっかり定着してしまっている。

 まあ、文句を言っても何にもならない物を嘆いていても仕方がない。わたしは鏡から背を向けると、階段のステップに足を掛けた。


 ドアを開けて部屋の中に入る。

 8畳の部屋の一角を占領するベッドでは、彼が布団を頭から被りながら、まだ夢の中に沈んでいた。

 傍にある窓のカーテンを開けて日光を取り込むと、さっとベッドの方に東日が斜めに差し込んだ。


 そしてわたしはベッドの傍で屈み、彼の耳元で愛の籠もった朝の挨拶をそっと口に……する訳もなく、思い切りこう叫んだ。

「ちょっと、悠人さん!そろそろ起きて!もう朝御飯が出来ているわ!冷めてしまわない内に早く食べてしまって!ねえっ、たら!」

 彼の体を思い切り左右に揺すっている内に、

「う……うう……。」

という呻き声のような音が彼の頭の当たりから聞こえてくる。

「さあ、起きて!布団、ひっぺがすわよ!」

「う……。わかったよ……煩いなあ……。」

 不機嫌そうな声と共に彼の身体が大きく動き、不意に掛け布団とベッドマットの隙間から彼の右手がぐっとわたしの方へ伸びてきた。

 そしてその手は、しっかりとわたしの左の乳房を鷲掴みしていた。

「きゃあああああああああああああああああ!!!!」

 間違いなくわたしの絶叫は家中にこだましただろう。願わくは、その後の阿鼻叫喚も近所迷惑の一因にならなかった事を切に祈るだけである。


 完膚なきまでに制裁を加えた後、自室から彼、御桜 悠人を1階へ引き摺り下ろすと、何やらリビングの中からテレビの音が聞こえてくる事にわたしは気が付いた。


 今の中に入ると、左手の壁に掛けられた有機ELの黒い薄型壁掛けテレビが子供番組を流しており、間にマホガニーの低いテーブルを挟んで真向かいにある黒い革製のソファーセットの一つの2人掛けの椅子に、黄色いパジャマを着た、丸顔で目がくるりんとした、少し焦げ茶掛かったストレートのショートヘアの小さな子供が座って熱心にそれを視聴している。

「あら、雛ちゃん。おはよう!もう起きたの?」

「うん!」

 わたしが声を掛けると、その子……弥生お姉ちゃんの娘の雛子ちゃんは初めてわたしの存在に気が付いたのか、一瞬だけ振り向いて元気な声を上げると、またテレビの画面を注視した。だが、毎日の挨拶はきちんとする、という彼女の母親との約束を履行していない事に思い当たったのか、慌てたように再び顔を此方へ向けると、

「あ、紫お姉ちゃん!おはよう!」

と可愛らしい仕草を見せた。3歳の年少さんという事もあるかもしれないが、雛ちゃんの時折魅せるこうした行動は何とも微笑ましくて、可愛くて癒される。何処かのぐうたら大学生とは大違いだ。


 その件の大学生、180cm長身足長な申し分ない細マッチョな体型、そして面長でシャープな顎をしたイケメンなのに、寝癖だらけでボサボサした髪とド近眼のダサい眼鏡とラッキースケベな不自然に運が良くて鈍感で自己中な性格によって全てが台無しになっている理系オタク野郎こと御桜 悠人は、テレビ及び相対するソファーと垂直にテーブルを挟むように配置された2脚の3人掛けソファーの内の、テレビから見て右側に置かれた方にどかっと腰を下ろした。

「おおい!紫。飯はまだか?」

 お前は何処の関白亭主だ?と思わず問い詰めたくなる位不遜で失礼な態度である。上から目線で格下扱いをしている事が如実に感じるから余計にムカムカとする。因みにこの人は、わたしの父方の従姉の旦那の実弟で、事情によって同じ屋根の下で暮らしているだけでわたしの夫とかそういう物では決して無い。いや、たとえ夫婦だとしても、食卓の上に全ての食事の用意が整うまで自分は何もせず、まるで家政婦のように女房を扱うのって、今時の男としてはどうなのよ?しかもお給金が払われないただ働きである。そう考えると余計に腹立たしい。


「紫お姉ちゃん、お腹すいた!御飯!御飯!」

 悠人さんに触発されたのか、可愛らしくピョンピョンと飛び上がりながら雛子ちゃんが催促する。その愛らしい姿に癒されてイライラもなりを潜め、わたしは心の平静を取り戻す。

「はい、今装うからね~♪」

 軽くハミングしつつ雛子ちゃんに笑顔を向けるとわたしは台所へと引き返した。


 キッチンの壁に備え付けられた食器棚から、わたし、悠人さん、そして雛子ちゃんの食器をそれぞれ取り出し、炊飯器から茶碗へ御飯を、お鍋や焼き魚用グリルから漆器の椀や四角い平皿の上に味噌汁や開いた鯵の塩焼きを盛っていく。

 普段は弥生お姉ちゃんや小母様……悠人さん達の実母のアシスタントとして家事をなるべく手伝うようにしてはいるが、一から十まで朝御飯を作ったのは今朝が初めてだ。


 一応出す前に少しだけ味見した時は問題無いと判断したものの、人に食べさせるとなるとやはり不安だ。そう思いつつキッチンのカウンターの傍にある、周りに黒いスタイリッシュな椅子が8脚並んだ大きな黒い人工大理石の長方形のダイイングテーブルの上に食器を並べた。

 食器の中の副菜から漂う匂いに引き寄せられたのか、トテトテと歩いて雛子ちゃんがやって来る。

「御飯!御飯!」

「はい、ごめんね、待たせちゃって。さあ、食べましょう。」

 後ろから雛子ちゃんの脇に自分の腕を通して持ち上げ、自分の膝の上に彼女を載せるような感じで席に着く。

 わたし達の真正面に悠人さんも座り、3人だけの食事が始まった。普段は7人で食べている所為か、食卓の様相が酷く寂しい物に感じられる。

 ただでさえ寂しいのに、皆が始終無言となると、たとえテレビの音が騒がしく部屋の音色に彩りを添えていたとしても、ポッカリと穴が空いたような気持ちがして何とも悲しい。


「悠人さん、雛ちゃん。今朝の朝御飯、どうですか?」

 この沈黙にこれ以上耐える事は出来なかったので、わたしは会話をする取っ掛かりとして、二人に今朝の朝食の感想を訊ねた。

「……。美味しいよ。お姉ちゃん!」

 わたしの顔を見上げるように振り向いて少し小首を傾げた後、ニコッと愛くるしい満面の笑顔で雛子ちゃんが答えた。

「あら、本当?」

「うん!」

「そう、それは良かったわ。」

 良い子良い子と頭を優しく撫ぜて上げると、雛子ちゃんはまるで子猫のようにわたしの胸に顔を埋めて頬をスリスリと擦り寄せた。


 一方、悠人さんは相変わらず一言も喋らない。ただ黙々と無表情で箸を進めるだけである。どうにも面白くない。折角腕に縒りを掛けたのだから、一言くらい何か感想をくれても良いではないか。


「ねえ、悠人さん。」

 僕は雛子ちゃんを膝に抱いたまま、彼女を避けるように身を乗り出して悠人さんに声を掛けた。

「何?」

 何でそんなに不機嫌なの?と此方が泣きたくなる位冷たく素っ気無い調子で呟きながら、悠人さんはわたしの方へ顔を上げた。

「何か用かな?」

「朝御飯、どうかしら?お口に合えば良いのだけれど……。」

 ドキドキとしつつ上目遣いで様子を見守っていると、彼はなお冷淡な口調でこう返事をした。

「悪くは無いんじゃないか?大して美味いとも思わないが……。」

 心の何処かで、ピキッと何かが折れるような音が聞こえたような気がして、わたしは無意識の内に奥歯を食いしばり、手に持っていた箸を強く握りしめていた。


 どの時わたしのパジャマの胸元辺りの裾をクイクイと引っ張られるような感じがしたので、咄嗟にわたしは視線を下に向けた。

 そこには、わたしの胸元付近の服の布地をぎゅっと握り、目をショボンとさせて瞳を潤ませた雛子ちゃんが、オロオロと頭を細かく振りつつわたしと悠人さんを交互に見つめていた。そして、わたしが彼女を見下ろしている事に気付くと、愛おしくか細い声でわたしにこう嘆願した。

「紫お姉ちゃん。怒らないで!雛、いい子にするから。悠人お兄ちゃんの事、怒っちゃ駄目!怒っちゃ、やあ!」

 何故彼女がこういう事をするのか、さっぱり意味が解らないけれど、この程度の事で泣かれても厄介だから、わたしは無理矢理溜飲を下げる事にした。確かに雛子ちゃんの言う通り、これ位の事で一々角を立てていたら身が持たない。

 わたしは一度顔を上げて少し深く溜息を吐くと、再び視線を下に向けた。

「大丈夫よ、雛ちゃん。別にお姉ちゃん、悠人お兄ちゃんの事を怒ってなんかいないから安心して。不安にさせちゃってごめんね。」


 雛子ちゃんはホッとしたように息を吹き出すと、何を思ったか急にわたしの膝の上から床下へ、太腿や脛にしがみつきながらスルスルと降りると、テーブルの周りを回ってトコトコと歩いて行き、悠人さんの足元で止まり、彼の黒いパジャマのズボンの裾を掴んでクイクイと引っ張った。

「何だ?」

と、悠人さんが彼女の方へ顔を向けると、雛子ちゃんは透かさず彼に向かってこう抗議した。

「悠人お兄ちゃん!今日の御飯、お姉ちゃんが作ったんだよ!御飯を作ってくれた人が、美味しい?って言ったら、ちゃんと美味しいって言わなきゃ駄目なんだからね!」


 彼らのやり取りを見て、正直彼女に対し、余計な事を……、とも思わなくは無かったが、それ以上にわたしは、なんて雛子ちゃんは良い娘なのだろう、と甚く感動した。


 こんな小さな子供に指摘された事に腹を据えかねたのか、悠人さんは少しむっと表情を強張らせたが、流石に雛子ちゃんに対してまで横柄な態度を取る事は大人気ないと恥じたのだろう、

「すまん、訂正する。美味かった。」

と頭を下げた。いくら彼女の差金とは云え、彼がこうして素直に謝辞を述べるとは夢にも思わなかったから、わたしは少し面食らった。

「そ……そうでした?良かった!お口に合っていなかったらどうしようと心配していましたもの。杞憂で終わって良かったわ。」

「…………。」

 気恥ずかしかったのか、わたしが声を掛けると悠人さんは沈黙し、そっぽを向いてしまった。何だか愉快な気持ちになる。


「雛ちゃん、気持ちは嬉しいけど、まだお食事の途中でしょう?戻っていらっしゃい。」

 わたしがそう雛子ちゃんに呼び掛けると、

「は――い!」

と言って、彼女は素直に引き返してきた。弥生お姉ちゃんの血が入っているとは云え、同じ家の、同じ血統の人間の筈なのに、天邪鬼な悠人さんとのえらい違いは何なのだろう?不思議で堪らない。


 食事が終わり、台所で食器を洗っていると、突然背後から衣服のような柔らかい布の塊を背中へ投げつけられた。慌てて背後の床とキッチンからリビングの方へ目を遣ると、落ちていた黒い物は悠人さんの寝間着、そしてリビングから去って行く人影はその持ち主である事が一目で判明したので、わたしはパジャマを引っ掴んでリビングを経由して廊下に飛び出すと、まさに階段を登ろうとしていた彼に向かって、

「ちょっと悠人さん!」

と叫んだ。

「何?」

「何?じゃありませんわ。何なの?これ。こんな物をいきなり投げ付けるなんて、酷いじゃない!」

「ああ、それ。洗濯に出しといてよ。んじゃ。」

 言うだけ言うと、わたしには有無も言わせず悠人さんは上階へと去って行った。


 だからって投げる事はないではないか!怒り心頭に達してわなわなと肩を震わせているとエプロンの裾を誰かが引っ張る感じがして、咄嗟にわたしは自分の右真下へ顔を向けた。

 そこには、わたしのエプロンの一端を握り締めてわたしを仰視している雛子ちゃんが居た。何故か期待を込めたように瞳をキラキラと輝かせている。

「あら、雛ちゃん。どうしたの?」

と訊くと、彼女はすっと右手を上げ、バシッと悠人さんのパジャマを指差した。

「紫お姉ちゃん。それ、雛がぐるぐる(洗濯機の事)の所まで、持って行って上げる!雛、お手伝いする!」


「ありがとう。でも、雛ちゃん。そんな気を遣わなくてもいいのよ。」

と、わたしは断ったが、

「いや、いや!雛がやるの!」

と首を横に振るばかりで、断固として縦に振ろうとしなかったから、結局わたしは悠人さんの脱ぎ捨てた物を雛子ちゃんの手に託した。

 嬉しそうに鼻歌を陽気にハミングしながら、洗濯物を頭に載せてたたたたと洗面所へと走って行く雛子ちゃんの後ろ姿を、わたしはそっと見守った。


 お姉ちゃん達が帰って来るのはまだ当分先、わたし達3人だけの生活はまだ始まったばかり……。

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